9月のにっき(3)

時代が悲劇的であるほど、質の高い映画が生まれると信じています。
日本は今、傑作が生まれつつある土壌にあると思う。

原田 眞人「『金融腐食列島〔呪縛〕』パンフレット」より

9月30日(木) 一、十、百、千、センイチ、ホシノキラメキ
9月29日(水) 失われた歌謡曲
9月28日(火) オケピ!
9月27日(月) 北海道発・赤飯(甘)
9月26日() 法事と見舞と観劇と
9月25日() わが青春のトキワ荘
9月24日(金) 台風通過


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9月30日(木)「一、十、百、千、センイチ、ホシノキラメキ」

僕が保守担当する某スケジューリングシステムに初めて2000年を含む予定情報が入る。ひとまず第一関門突破といった処。
尤もシステム自体,開発から7年くらいの比較的うら若きシステムなので,2000年対応は済んでいるという「整理」ではあるのだが,そうは云っても,いざ2000年データが入ってくるとなると背筋が伸びるものだ。8000件からある集約データのわすが7件ばかりにどきどきするが,これから当分は油断出来ない日々が続くと思うと…(嘆息)。


中日優勝。奥さんのヨロコビは,ダイエーの時のそれとは比べ物にならない。テレビの前で拍手しっ放しだ。
前回優勝時は昭和天皇の容態悪化と重なって大っぴらに騒げなかった。その無念も一気に晴らすんだそうだ(他人事モード)。
一時的にしろ悪阻が引っ込むイキオイである。正確にはげえげえ云い乍ら,ビールかけを夢中で観てる。
奥さんの拍手ばかりが遠い夜空にこだまする。いいぞがんばれドラゴンズ,燃えよドラゴンズってか。
でも日本シリーズ福岡ドームでの一戦は,やっさんの落語会と同日だったりする。大体ドームなんかにツワリ妊婦を連れて行けますかってんだ。

こないだ糸島でもらった天草で買ってきたという梨をいただく。熊本特産「玉東梨」
…で,でかい。北海道のマサカリカボチャのようだわ。大きな箱に7個しか入っていないのも道理。
マサカリカボチャはちとオーバーにしても,夫婦して梨一個食べただけで云いようのない充足感と満腹感。
一体,これ一個いくらするんだろ?

それはそうと茨城が心配である。さっちゃんちの実家は大丈夫か。
事故とは云え,これは或る種,広範囲へのサリン散布に等しい。何しろ,なすすべがない。逃げる事さえ出来ない。
目に見えぬハザードが,周辺の市町村を覆っていく。しかも人災の側面が否めない。
これで暫くは九州電力も大林宣彦のCMを流せないなあ。



9月29日(水)「失われた歌謡曲」

金子修介「失われた歌謡曲 〜MY LOST DOMESTIC POPULAR SONG」(小学館)読了。
金子監督の私的歌謡曲クロニクルなのだが,コラムニスト・金子修介を世に知らしむる一冊。一応章立ても年代を追って並べてはあるが,何処から読んでも面白いように作ってあるので,此処んとこ寝る前などテキトーにパラパラ読んで楽しんでいた。
そう云えば,8月のトークライヴで,この本の話が少し出た。
曰く,早いうちにお茶の間へテレビが投入された子供時代の金子少年は息つく間も無いテレビライフを送っていた。
金子少年が好んでいた番組ジャンルは,聞く限り,僕らが子供の頃と少しも変わらない。
むしろ,テレビの黎明期だったが故,プログラムの数においては今よりうんと絞り込む事が出来た。にも拘わらず,アニメにしろ特撮にしろ少年が贔屓の番組を見るには,片時もノートが手放せなかった。ビデオデッキもなければ,各種ムック本も充実していなかった時代である。ましてや子供にあてがわれる小遣いなんてほんの微々たるものであった。仮に或る番組に突然新しい設定やキャラが登場した場合,当時の子供たちはいかなる方法でも後で確認するすべを持たなかったのだ。たとえば映画ひとつ取り上げてみたって,昔の作品を堪能するには(「あそこのあのシーンを確認したい」などは余りにも大それた望みであった)名画座での再映だけが頼みの綱だった。現代は未曾有のマニアックあるいは隙間カルチャーの爛熟期なのである。
今ではとりたてて珍しくもない金子少年のようなヲタク的(とは決して思わないのだが)欲求を満たすためには,ハンドリングによる博覧強記しかなかった。テレビ番組とは一方的に供給されるものであって,受け手の都合で何度も楽しめるものではなかった,そういう時代だった。

何を隠そう,この僕だって子供時代の大半を「タイムボカンシリーズ」で過ごした口だが,放映中には筆記用具を欠かさなかったという意味では監督と同病であった。僕の場合,大河原デザインによるおバカ系デザインをこよなく愛し,ずっと悪玉メカやゾロメカのスケッチを続け,不完全ながらも作業が終わるとクリーンナップした画を綴じて自作で悪玉メカ百科をこしらえていた(誰にも見せなかったけど)。善玉メカは雑誌の特集やムック本に繁く載ったから良かったのだが,悪玉メカや一回限りのゾロメカはよほど幸運なメディアが拾ってくれない限り,もう二度とお目にかかる事が出来なかった。特に「ヤッターマン」の頃はシリーズ前半では毎回ドロンボーとヤッターマンのアクションシーンがある度に,ドロンボーが新しい武器を繰り出してきていたので,それもチェックしなければならなかった。「ならなかった」ったってそんなもん蒐集してどーすんだと親にも呆れられてもやめられなかったが,子供には必ずひとつくらいそーゆー強迫神経症的な求道行動があるもんなのだ。当時から巷に氾濫出来ていた数々のウルトラ怪獣やライダー怪人たちは誠に果報者であった。
そんな気のつけない時代が結局「オタスケマン」あたりまで続いたろうか。「ヤットデタマン」以降のメカデザインはオレ的に好みではなかったので,シリーズは見続けたもののスケッチ熱そのものは急速に冷めていった。大河原(おバカ系)メカデザインに,自分の描く画が多大な影響を蒙ったのは(もう被爆と云ってもいいな)確かである。勿論,今はテレビの前でペンなんか走らせておりません。もう此頃じゃビデオラベルひとつ書く気力さえ萎えて来た。

話が大いに遠回りしたが,テレビのスイッチを捻る度に緊張を強いられた金子少年が唯一ノートから解放された気楽な時間帯が歌番組で,自らに課した博覧強記の時間から放たれた解放区故の気安さが,少年の身体の一部をちゃんとかたちづくっていった訳ですね。ボク的には非常によーく解る話である。
勿論,思い出が不明瞭な部分はあとづけの資料で補足してあるようだが,ベースは監督の記憶だけに頼って書かれている。中森明菜の「少女A」は元々沢田研二の楽曲として書かれたなど通ウケする挿話が随所に光るが,好事家系のひとなどというものはコンビニでちらりと立ち読みした雑誌の一口コラムでも,心に引っかかったら決して「忘れない」ものなので,それをもって「マニアックな」などと揶揄するのは野暮というものだ(ま,マニアックなんだけどさ)。雑学王の情報源などというものはえてしてそうした蓄積による処が大きい。少なくとも「つまんないことをよく知っている」などと眦をあげられる僕の場合は殆どがその類である。


会社のメールアドレス変更通知を色んな人に送ったら,久々に大学時代の友人・みかりん(男性)から返信が来た。
折角なので,以下,一部無断引用する。

鹿児島県川辺郡大浦町というところにいます。
地図を見てもらうとわかるのですが、
枕崎まで車で30分、けっこう九州の端っこです。
少なくとも来年の5月までは、ここにいる予定。
人口3千人のまちで、夜7時以降は真っ暗です。
その分は星がきれいかな。

い,いつの間に南下していたのだ…。彼は元々生粋の肥後もっこすなのである。
此処のところどういう訳か,僕の友人は揃いも揃って九州の端っこに行ってしまう傾向がある。
枕崎つったってオレ,気象通報でしか知らないぞ。そう云えば台風シーズンなので,くれぐれも気をつけるようにね。



9月28日(火)「オケピ!」

会社のメーラーが更新されたので,莫迦みたいにこさえてあるアーカイブや個人アドレスのコンバート作業,それにメールアドレスの変更通知など雑事に追われる。ああ,100枚からある名刺がパーになっちゃったなァ。

もう昨日の話になるが,三谷さんの来年上演される新作ミュージカルが「オケピ!」に決定した。
真田広之・松たか子主演…て,去年もそんなようなのがあったような。ねえ,蜷川さん。
「オケピ」とはオーケストラ・ピットの略。「!」をつけてまで画数を「キャッツ」と同じ11画に合わせて験(げん)を担いだらしい。「指揮者と12人の演奏者が織り成す愛憎劇」との事らしいが,売りはやっぱりミュージカル上演中のオーケストラ・ピットそのものを舞台に持ち込んだこと(ちなみに舞台下方には「本物」のオケピをしつらえ,服部隆ちゃんが棒を振るらしい)。
三谷さんお得意のバックステージ&シチュエーション&一幕もの(しかも三点セットだ)を「ミュージカルにまで」持ち込んだ怪企画である。ていうか,ストレート・プレイにしたって充分に面白くなるネタじゃない? だってファクターだけ並べれば,三谷脚本の王道が其処にあるんだぜ。ううむ,公演は来年6月ってかァ。因みに真田さんが指揮者で松さんがハープ奏者だと聞いたが,三谷さんの場合は本が上がってくるまで油断ならないからなァ。何だか歌姫・白井さんもキャスティングされそうな予感が(希望モード)…まさか女装って事はないだろうけど。

め,めちゃめちゃ観たいぞ。乳飲み子を振り切ってでも,臨終の床を這い出してでも。
PARCOさん,お願いだから青山だけでなしに全国公演してくだされ。
博多座さん,これはお買い得です。絶対に当たります。て,もうスケジュール埋まってんだろうなァ。

松宮一彦アナ自殺の報にオドロく。
この頃は週末に福岡へ行く車中ってェと,いつもFMでこのひとの声を聴いていたもので。



9月27日(月)「北海道発・赤飯(甘)」

台風から3日遅れてようやく台風一過みたいな秋晴れになる。気持ちいい。

我が家では買い置きの米が切れると,一時的にストックのもち米で赤飯をこしらえる。
だから弁当のごはんが赤飯になっているからと云って,決して祝いごとがあった訳ではない。むしろ,米びつが底をついた時の非常食なのである。
で,奥さんが米屋に電話をし損ねて今日の昼の弁当も赤飯を詰めてもらったのだが,今朝,奥さんをパソコンスクールに送る道すがら,北海道の赤飯の話になった。九州人である自分には,たく青天の霹靂なのだが,かの地では赤飯にあずきの代わりに甘納豆を仕込むのだという。

「ウソだろ」
「ホントだもん。N山さん(北海道出身)が云ってたもん。北海道のメル友にも確認したもん」
「殆どおやつだな」
「あずきでごはんが赤くなるのは分かるけど,甘納豆で赤くなるのかな」
「そりゃやっぱり食紅か何かで」
「イヤだ。気持ちワルイ」
「福神漬系の赤だからな。サハラライスみたいに真っ赤になったりして」
「あははははは」

などと笑い話にしていたら,さてお立会い。
さっそく「北海道の赤飯」で検索をかけたら,赤飯(甘)などというページを見つけた。わはははは。食紅,使ってるよ。
かのページの写真を見てもらえば分かるが,この赤飯(甘),紅白のおもちのような真ピンクである。ビジュアルに馴れるとそうでもないのかもしれないが,やっぱりぱっと見,かなり気持ちワルイ(因みに小豆の赤を使うのは,赤が厄除けの力を持つと信じられていたかららしい)。いったい,どういう生い立ちなんだか。
よくよく探すと,去年CX系バラエティ「コレって変ですか〜!?(既終了)」「甘い赤飯の謎」というタイトルで特集されている。
此処を読むと,くだんの赤飯は北海道に留まらず,青森,岩手,山梨に分布されている事が判る。
北海道では昭和28年に放送していた「奥様手帳」で南部秋子先生が広めたそうな。甘く煮た煮豆を赤飯に入れるのがルーツで,甘納豆入り赤飯はその手間を省くためのものだった。つまり,当然と云えば当然なのだが,目的は「甘い」赤飯だったのである。
キーワードは「南部」である。
山梨,青森,岩手にはそれぞれ「南部」という地名がある。今から800年程前,甲斐の武将「南部光行」の奥州征伐により統治されたのが青森,岩手の「南部」地方なのだ。甲斐には郷土料理「あずきほうとう」がある。「ほうとう」は平安期からある庶民の米の代用品で,祝い事がある時には小豆を入れて食べたのが「あずきほうとう」。米が食べられる時代になって,今の甘い煮豆を入れた赤飯へ変化を遂げたらしい。で,南部氏の奥州征伐で山梨の「あずきほうとう」は「あずきばっと」と名を変え,東北に飛び火し,遂には奥州出身と思われる「南部」先生により,アレンジを施され北海道まで伝播した。と,こういう事になる。たぶん。

という訳で赤飯(甘)を一度食べてみたい気もするのだが,レシピは発見出来なかった。残念。



9月26日()「法事と見舞と観劇と」

午前中は,家族落ち合って母方のばーちゃん(祖母なんて書かない)の三回忌法要で糸島の伯父邸へ。
残念乍ら,奥さんは百道の長妹宅でお留守番。ダイエー優勝バーゲンもお預けである。
伯父さんは入江の傍に新居を構えているのだが,昨日,伯父夫婦の留守中に鯨が4頭親子で内海に迷い込んで町は大騒ぎだったのだそうだ。台風の難を逃れ,入江に避難したかどうかは定かではないが,浅瀬だった為,皆で鯨の背中をペタペタ叩きに行くありさまだったらしい。伯父さんちなら2階のベランダから入江の一望が可能なのに,せっかくのデジカメも出動させられず,実に残念そうであった。

処で折悪しく,従弟のトモが昨夜交通事故に遭ったという。
午前2時頃,単車で勤め先のイタリアンレストランから帰宅途中,タクシーと衝突したらしい。
因みにトモは黄色点滅,タクシーは赤点滅。バイクは廃車で,タクシーもフロント大破というから,両者ともにそこそこのスピードが出ていた筈である。警察に「よく命が無事だった」と云われたくらい,ひどい事故だったらしい。ひとまず命に別状はないと聞いて安堵する。
という訳で,伯父宅を早々に退出して(帰りに天草で買ってきたという梨をいただく。犬山から送っていただいた巨峰に宇佐から送ってもらった日出みかんと,これで当分食前食後果物にだけは困らない),家族してトモの入院する西新の病院へ向かう。途中,見舞いのシュークリーム「原カスター」を買うために立ち寄った「如水庵」でホークス優勝祝いにと,栗大福と赤い包み紙の洋菓子を貰う。今日,福岡の何処で買い物をしてもずっとこんな調子なんだろうなァ。スパシオの車高が災いして立体駐車場に納まらず,係のおじさんにお願いしてパーキング脇に臨時駐車するという荒技を使って病室へ。

「あれ,どったの?」
「どったのじゃねーよ」

トモはすこぶる元気という訳にはいかなかったが(胸にギブスはしていたし,寝たまま身動きが取れなかった),ひとまず五体満足な身体をしていた。見た目,ひどい痣がある訳でもない。単車ごと投げ出された事を考えれば,全く強運だったのだ。まあ,こいつは胸板も厚く,僕と違って筋骨隆々な体躯のサーファー野郎なので,身のこなしも軽く,受け身が旨く行ったのかもしれない。
彼の傍にずっと付き添っているアイちゃんが,甲斐甲斐しくて泣かせる。いつも邪険に扱っているくせに,こういう自分が総崩れな時は全身で寄りかかってしまうというのがオトコなのな。たくトモには過ぎた女性である。しあわせだぞ,おまえ。
相手がタクシーということで,これから前途多難ではあるが,とにかく無事で良かった。本当に良かった。

野田部で親父を降ろし,百道でかあさんと長妹を降ろし,代わりにひねもす爆睡モードの奥さんを拾って,全速力で薬院方面へ。勿論,しっかり「チンプイ」だけはかっさらっていく。ホークス・優勝フィーバーと夕刻の渋滞に悲鳴を上げつつ,16時半の開場ぎりぎりに福岡メルパルクホールに転がり込む。

という訳で,遊◎機械/全自動シアター「アナザデイ」
お芝居を見るのはキャラメル以来半年振りである。そろそろ福岡でも演ってよ「ア・ラ・カルト」
一日中寝ていた御蔭で,奥さんもどうにか(あくまでも「どうにか」だが)持ち堪える。

21時過ぎ帰宅。糸島で折り詰めにしてきた海の幸を晩飯に「教習所物語」を観る。
ウシャシャシャシャシャと笑い声も高らかに「くろしおの詩」くらい異常なまでのハイテンションが嬉しい植木さんの瞼が妙に腫れぼったい。ひどく気にかかる。もう,とっくに古稀を超えているのだからくれぐれもご自愛していただかなければ困る。更に戸田恵子のエッセイで「足許がおぼつかなくて,手を添えた」とまで書かれていたおひょいさんが教習所を全力疾走していたのにもハラハラさせられた(こちらは昭和九年会だから,見た目よりはうんと若いんだけどさ)。
皆そんなにまでして喜劇に命を懸けるのか。嬉しいけどこちらの心臓に悪いよ。



9月25日()「わが青春のトキワ荘」

淡谷のり子,逝去。老衰。享年92歳。
とは云え,思い入れの無さに比例してさしたる感慨はなし。もうとうにリタイアしてたしなァ。
イメージとして残っているのは根っからのブルース職人だった事くらいか。ブルースを歌うために戦争中も軍部と闘い,殉職も辞さなかった気骨のひとだというのは聞いて知っている。ブルースのために結婚しない道を選んだようなひとだから。


久し振りにとんくんから電話。今朝方4時まで仕事だったとか。うひゃー,お疲れさまですう。
用事は24日,ホテルのチェックアウトからウサノピアでの落語会開場までの場もたせの件。
師匠方をお連れして耶馬溪方面に車を出して,青の洞門見せて,お昼ご飯食べてきてくれ,という話らしい。宇佐神宮は文治師匠始め何度か訪ねているし,ゲストのおひとり今丸師匠が写真がご趣味らしいという事で。

「でもやっさんを入れて5人だよ。ウチの車1台じゃ乗らないだろ」
「高原くんにも頼んで車出してもらうから」
「そっか,じゃいいよ。ウチの車も文治師匠に乗っていただければ本望だろう」
「それにおまえ,文治師匠とプリクラ写すんだろ」

確かにそんな戯言も吐いたおぼえが…成程,絶好のチャンスではある。
という訳で,うまうまと承諾するが,後でよくよく考えると,実は大役なのではないかと不安になる。だって,ただ耶馬溪へ連れてきゃいいってもんじゃないよなァ。いくらガイドじゃないったって,多少は周辺情報も頭に入れておかないと,皆さんに何を聞かれても「はて」という事になるし。話術のプロフェッショナルを前にして,パーティートークで座持たせする訳にもいかないし(て,そもそも,んな事が出来るもんか)。高原くんとあわあわ云っているのが落ちである。こりゃ,事前に菊地寛「恩讐の彼方に」くらいは読んでおくべきか。五百羅漢も調べとかなきゃ…あたふたあたふたなどといきなり気弱モードに入るが,どうせやっさんも付いて来てくれる筈だよな。うん。
受話器を置いてから,院内での落語会のチケットを押さえてなかった事に気付く。やばっ,こちらの方も急がねば。

昨夜は小倉の友人宅に泊まり,明日は天神で保母の試験を受けると云う次妹と黒崎で合流,「アドニス」で茶をしばく。
こいつは明日の法事には出られないので仕方ない。相変わらず元気なムスメであった。ついでに「天動説」を売りつける。
「妹相手に商売するのォ」と来たが,これは商売ではない,おまえの兄へのボランティアなのだと断じて,有無を云わせず引き取らせる。
いや,そんなに悪い本じゃないって。「薄い」だァ? 中身は否応無しに濃いから心配すんな。

夜,王監督の胴上げだけはしかと見届けてから,時の記録/NHK特集選「わが青春のトキワ荘・現代マンガ家立志伝」を観る。
云うまでもなく必録画。1981年5月25日の初回放送は自分が中学生の時だが,当時の記憶は鮮明だった。結構,細部まで憶えているものである。
ひとつには森安なおやという「トキワ荘・光と影」の影の部分を余す処なく描いていたからだと思う。かつては牧歌マンガの騎手であり乍ら,ある日突然マンガ界から遁走してからドロップアウトが始まる。転職を繰り返し,妻子に逃げられ,50の声を聞いて再び漫画家としての再起を賭け,肉体労働で日銭を稼ぐ日々。しかも,共に青春を過ごした仲間がマンガ界の大御所として現役バリバリで仕事をしているのを横目で見乍らだ。
中学生だった僕には,「敗者としての」森安なおやは余りに胸に重くのしかかった。
更に付け加えれば,あくまで表舞台への露出を拒む寺さんこと寺田ヒロオの頑なさも怖かった。
寺さんのスタンスが理解出来ないからではなく,理解出来るような気がして怖かった。本能的に彼の心の奥の暗闇を垣間見たくないと思った。
しかし,番組中で語られる光と影は今から20年近くも昔の話で,過去の「手塚オソ虫」の悪行をA先生に暴かれ,涙を流して爆笑する手塚先生も,8mm映写機を回すF先生も,自宅にしつらえたピラミッドを披露する石ノ森先生も,そして寺さんももはやいない。時は余りにも無常に過ぎ,かつてのマンガ少年達も次々に老人と呼ばれる世代へ達し,いつのまにか消えてしまった友達と梁山泊とに,なす術もなく立ち尽くしている。A先生なんかきっと呆けたまま其処に立ち尽くしている。だって,幾つになっても「マンガ少年」である彼らは「大人の知恵」で,達観する手立てなんか端から放棄している。彼らが少年であることを辞めるつもりがない限り,この喪失感から抜け出ることは,たぶん,生涯無い。
そして,森安さんは90年代後半になって自費出版でマンガを出したと聞くが,今も尚,伝説の外に出られずにいる。

夜も更けて,遥か高く上がった満月を眺めつつ,夫婦して「いしむら」で買った串だんごをいただく。



9月24日(金)「台風通過」

午前中,台風18号九州通過。明け方,サッシから洩れてくる虎落(もがり)笛で目を覚ます。
幸いにもと云うか,偶然にもと云うか偶々年休を取っていたのだけれど,JRも止まっているし,結果的に休まされた人も多かったろう。
8時過ぎに台風が中津にいるというので,宇佐の実家に電話する。二階の一部でサッシから雨漏りがしている他は何ともないというので安心する。
因みに夕方のニュースで福岡ドームの傍で50〜60の身元不明の男性の水死体が上がったというので,あくまでも念の為に親父に電話をかけたら,案の定ぴんぴんしていて「オレはそんなに間抜けか」と怒鳴りあそばされた(笑)。いや,僕のおっちょこちょいはアナタ譲りだから。
会社からの呼び出しが無かった事だけが,せめてもの救いであった。

朝のうちに昨夜ビデオに録っておいたNHK「今日も森繁節は高らかに 老いて青春燦燦」を観る。
86歳の森繁久彌が北野中学の同窓会に出かけるシーンがあるのだが,44人中,8人が存命しているのが凄い。しかも,恩師まで達者でおられる。中学時代の恩師というからには,どう若く見積もっても90代半ばには到達している訳で,殆ど百鬼夜行の世界である。そんな先生が誰の介添えにも頼らずに矍鑠と,書家でもある森繁に向かって「アナタの手紙の文字はたいへんに読みづらい。たいへん読みづらくはあるけれど,楽しみにしているのでこれからも便りは欠かさないでいただきたい」とウィットとユーモアに富んだ挨拶をされるから,老いとはかくありたいものである。僕など還暦まで生きられるかさえあやしい。

日曜の法事の件で長妹に電話する。
ひょんな事から,僕がどれほど探しても見つけられなかった新版「チンプイ」の最終巻を手に入れたという話になる。えらい!でかした。
「読んだことない話が10話くらい入ってたよ」だからずっと探していたのだ。
「でも物語は完結してなかったよ」というので,巷で囁かれていると聞いたチンプイ最終回のウワサをして聞かせる。
それは実はチンプイ自身が王子さまだった事が最終回で明かされるというもの。最后が書かれなかった以上,真相は永久に藪の中だが,これはなかなか説得力があるというか,誠にF先生らしい。推理としてもなかなかのものと云えよう。
よし。早速,日曜日に借りる事にする。

夜,「完全なる料理の鉄人・最後の聖戦」を観る。
6年に渡る有終の美をムッシュ坂井が飾ってくれた,それだけで充分満足のいくスペシャリテであった。初めて「ラ・ロシェル」でランチを摂った時に九州から来てくれたのとわざわざ厨房から挨拶に出て来てくれて以来ずっと坂井さんに惚れ続けている僕としては表彰台での坂井さんの涙に鳥肌が立った。応援席に並ぶ「ラ・ロシェル」の見覚えのあるスタッフたちの涙が我が事のように嬉しかった。かつて彼らの接客サービスにどれだけ癒され救われた事か。現役・歴代の鉄人は元より,神田川さんに服部先生,そしてあのポーカーフェイスの主宰・鹿賀丈史までが瞳を涙でうるませた。卒業式に老若男女の別は無いのである。

この番組とともに奥さんとの恋愛が始まり,上京する度に鉄人や挑戦者の営むいくつかのお店で逢瀬を重ね,そして遂には結婚した。
嗚呼,ひとつの時代が終わったんだなァと思うと,万感迫るものがある。



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