湖上に浮かぶ城。
それは、いにしえの時代に、それを知る人々と共に歴史の闇に消えてしまった建築技法によって築かれた城。そして、それを継いだ者たちの気まぐれや野望による幾度の増改築で、成長する生命体の如き印象を与える城。
今となっては、その由来は分からぬが、ときふね城と呼ばれる城。
幸か不幸か、そこには、まだ、人の息吹が存在していた。荒れ果てた城ではなく、打ち捨てられた城でもなく、喜び、憎しみ、哀しみを静脈とし、血と涙とを動脈として、そこでは人の営みが続いていた。
そこは、叫び声や泣き声、笑い声、声にならぬくぐもった声、あらゆる感情の動きを示す声、これらの声と声から感情を読み取る者達で満ちていた。 そこで、この物語は生まれた。
城主がキチベエに述べた言葉。
『私は幼いころ、父から魔道を受け継ぎ、それからずっと、そのいにしえの伝統を受け継ごうと志してきた。
飛竜に会いたいと思ったのは、私の数十年の仕事が、果して、どのような意味を持つも のであったか。竜族の一員である飛竜に会うことによって一つの答えを得ることができるのではないか。あるいは、飛竜に会うことにより、私の内なる声は、私に何かを告げるのではないか。
もはや、私も齢を重ね、私の生は、やり直しの効くものではない。飛竜。魔道を受けつけぬその種族。貴様も魔道士ならば、少しは私の言わんとしていることも判るだろう。最も、未だ、年若いお前達に私の気持ちの全てを別れとは言わぬがな。
もし、この世に竜族が存在していないならば、我々の自己認識も異なったものになったことだろう。我々の古き祖先たちが、叙述しているように、竜族は、我々の限界を明らかにする。我々の力の及ばぬ者として、同じ世界に存在するのだ。その結果、我々は、限界ある者として、自己を定義づけるのだ。
その飛竜に一目会うことが、私の最後の望みだった。』
町はずれにある森の中。 パチパチと木のはぜる音がして、香ばしい肉の焼けた匂いが、燻した木から出る煙に混じって、漂っていた。
ゴサクは、編み上げ靴を脱ぎ、疲れた足の筋肉をほぐしていた。彼は、傷だらけといっていい、その体をいたわっていた。これも、幼少の頃から続けている盗賊稼業のせいだ。
商人であった彼の一族が、隊商を組んで、山向こうにある町で買い込んだ荷をたずさえて峠にさしかかったとき、盗賊に襲われたことが、そもそもの事の始まりだった。一族は彼を除いて惨殺された。彼が生き残ったのは絡み合った幸運と必然のせいだった。
一族が襲われた時、彼は、身一つ隠せるだけの穴ぐらを見つけることができた。それは、大人では入りきれないものであった。恐怖のあまり駆け出し、たまたま、その穴ぐらを見つけた。その入口は子供の目線からは見つけることができたが、大人の目線からは見つけることはできなかった。彼は、恐怖のあまり声を出すことはできなかった。彼は、じめじめした穴ぐらで、ただ、震えていた。彼は生き延びた。
それは、もう古い記憶であったが、鮮烈な記憶ではあった。歳月は、その記憶を歪曲し、加工することはできても、それを消し去ることはありえなかった。
そして、今では、自分が盗賊になっている。己の職業は呪われていると思っていた。それゆえに、彼は、職業神に祈りを捧げたことは一度もなかった。彼は、一度、同業の者にその話をしたら、不敬の輩といわれたことがる。
そして、いずれ、天罰が下るとも。彼は、どういう因果かは分からぬが既に天罰は当たっていると言い、苦笑いをした。相手は前世がどうのこうのと言っていた。質の悪い冗談だ。
その質の悪い冗談に運命を支配されることに、彼が納得したことは一度もなかったし、その罰当たりな不吉な運命から逃れようともがき続けていた。 幼くして孤児となった彼は、文字通り、食うものに困った。彼は、食うために、いつの間にか盗賊となっていた。子供余りのこの時代−そう、子供は、男と女が逢えば、できた−孤児を雇ってくれるところはなかった。彼は一度、人さらいに捕まったが、あまりに激しく抵抗したので放り出された。
「どうせ、この顔ではその筋には、高く売れまい。それに、こうも聞き分けが悪くては、後で苦情が来る。」男たちは、そう捨て台詞を吐いて去って行った。彼は、最初、男達の捨て台詞の意味が分からなかった。しかし、成長するにつれ、その意を解した。おかげで、女に惚れられて困るといったことはないが、彼の顔は、一度、彼自身を救ったことになる。
相棒のキチベエは、新しく手に入れた髑髏つきの首飾りを検分していた。ゴサクは、その様子を眺めていた。彼が検分するからには、呪力なり、魔力なりがそれに付加されているのだろう。ふいに、彼の顔に笑みが浮かんだ。それは、破顔という形容がふさわしいものだった。笑顔の下では、髑髏がカタカタと音を立てて、自律的な運動をしていた。
「たいしたものなのか。」
「ああ。」
キチベエは、その戦利品を首にかけた。彼の顔には、陶酔が浮かんでいた。髑髏は、徐々に動きを静めていき、やがて、沈黙した。 小柄で色白で華奢なこの男は、男女を問わず、彼を貴金属で装飾したいといった気にさせる。しかし、この魔道士が好むのは、富と美の象徴である宝石のたぐいではなく、あくまで、魔法の知の体系に裏付けられた力をもたらすものである。
ひょんなことから、この男と知り合った。それ以来、共に旅を続けている。この男にも、身寄りはなく、似た者同士といえた。旅の途中、互いの生い立ちにまつわる出来事や、それに由来する思いを、語り合ってきた。共感もし、反感も抱いた。
いつの間にか、互いが互いにとって、生き続けていくために必要な存在になっていた。それは、単に生活のためというだけではなく、精神的なものにおいても、お互いを必要としあっていた。
俺は宝石の方がよい。ゴサクは、黄金製の柄に宝石が象嵌された短剣を取り出した。これが、先の盗掘で、彼が得た獲物だった。高く売れるだろう。 それを日光にかざすと、売らずに取っておきたくなる感情を心の奥底にわき上がらせる陰影の美をかたづくった。彼は、それを懐にしまった。そして、手を枕代わりにして、仰向けに寝転がった。木のはぜる音が耳に付いた。
そのはぜる音を伴奏とするかのように、野太い鳴き声が重奏された。
彼は立ち上がり、上空を仰ぎ見た。声は上から聞こえてきたのだ。しかも、聞いたことのない声だった。
「あれは何の声だろう。知っているか。」 ゴサクはキチベエに尋ねた。
「いや。知らない。しかし、いい声だ。独特の節回しだ。」
「少しもの悲しい感じがするな。」
彼らは、ずっと上空を見上げていた。折り重なる青葉の向こうに空が切れ切れに見えるだけだった。
「おい。あれは。」声の主が姿を見せた。 「竜だ。飛竜だよ。しかし、珍しいな。炎山の近くにしかいないと聞くが。恐らく飛竜使いも一緒だろう。竜族だ。始めて見たぞ。あれが竜族か。あれが噂に聞く竜族か。」
キチベエは明らかに興奮していた。ゴサクに話しかけたかと思えば、ひとり言をつぶやき、そうかと思えば笑い、叫び声を上げた。
ゴサクは地表に突き出た歪曲した太い木の根に寄り掛かって、うとうとしていた。疲労は全身に及び、今回の冒険行も、ほぼ終わりといってよい段階に達した安心感も手伝って、眠気は彼の体に忍び寄り浸食した。
ふいに、薮の向こうから、枝の折れるような物音が聞こえた。獣か。獣よけの意味も込めて、焚き火をしていたのだが。素早く体を起こし、腰を浮かせて、周囲を見回した。かたわらに置いていた剣を抜いて身構えた。
キチベエも立ち上がった。火魔使いと称される彼があやかしの呪句を唱えると、火魔がボウッと空中に現れた。
物音は次第に大きくなり、ゴサクは肌がひりつくのを感じた。
二人は、目を交わした。
薮が動いた。
キチベエが火魔をそちらにけしかけようとした時、薮から、それが飛び出してきた。
それは、火魔を見てたじろいだ。
火魔は極彩色の身体を揺らめかせつつ、その者に近づいた。
子供か。
とはいっても、短剣を右手に持っている。無邪気な来訪者とは言いがたい。
ゴサクは、剣は構えたまま、相手の目と短剣の刃先の動きに神経を集中し、すぐに動けるように呼吸を整えた。
子供の目は火魔を見つめていて、短剣の刃先は、それで、火魔との距離を保とうとするかのように、火魔に向けて突き出されていた。
ゴサクは少年の挙動を細かく見ていた。短剣を使い慣れている、少なくとも人とそれで争ったことがあるといった感じはないし、今の状況に驚いてあたふたしているといった感じだった。一つ、大声をだしてやれば、慌てて逃げていくだろう。
キチベエが呪句を唱えた。ゴサクには、よく聞き取れなかった。それは、なめらかな歌のようであり、ゴサクの聞き慣れない母音が幾つか含まれていた。火魔が少し後退した。
「飛竜使いか。」キチベエが尋ねた。
少年は、ぎこちなく声の主の方へ目を向けた。その目におどおどした所が現れるのをゴサクは見逃さなかった。少年はうなずいた。
「その短剣を足下に置け。」キチベエが告げた。
相手は逡巡していた。
「その短剣一つで、俺たちに勝てると思うか。」キチベエがたたみかけた。
少年は、深い森の中での予期せぬ出会いに戸惑っていた。
「心配するな。珍しい飛竜使いを殺したりはしないさ。」キチベエは、少しはずんだ調子でそう行った。その弾んだ調子が、相手を安心させるための演技なのか、それとも、飛竜使いに会えたことによるものなのか。
少年は、短剣を足下に置いた。
「そっちの木の方へ移れ。」
少年は今度は逡巡することもなく従った。
「飛竜使いがこんなところで何をしているのだ。」
「町へ行こうとしたんだ。それが、道に迷ってしまって。」少年は口ごもりながらそう言った。
ゴサクは、少年の置いた短剣のところに行き、それを拾い上げ、検分した。柄に竜の図柄の浮き彫りが施してしてあった。いい短剣だ。高く売れるという意味ではなく、実用的という意味でだ。
「もう日暮れが近い。今、動くのは自殺行為だぞ。」キチベエは、少年のあまりにも無自覚で無謀な行動を諌めた。
少年は、なにか言いたそうだったが、押し黙った。
キチベエは指先の動きで火魔を遠ざけてから、背嚢から薫製肉の一塊をとりだし、「ほら。腹が減っているのではないか。」と言って少年の方へ差し出した。 少年はそれを恐る恐る手を伸ばして取った。そして、かじり付いた。
「飛竜はどこにいるのだ。」キチベエが尋ねた。少年は、よほど空腹だったのか、しばらく食べるのに夢中で、一塊を食い終えてから、「あっち。」と言って、広がる森の東の方を指さした。無論、そちらをうかがっても、木々に遮られ、飛竜の姿など見えはしない。
「どうだろう。好きなだけ食べていいから、飛竜を見せてくれないか。今晩は、俺達と、ここで過ごせばよい。動いても、また、道に迷うだけだ。」とキチベエは、背嚢から薫製肉をもう一塊、取り出して尋ねる。噂に聞く竜族に会える機会などめったにあるものではない。
少年は警戒の色を見せた。
「俺も魔道師だ。飛竜の誇り高さは知っている。心配しなくても、触ったりしない。見るだけだ。」
「それならいいよ。」少年は安心したようにそう言ってから、両手をキチベエに差し出して薫製肉のおかわりを催促した。キチベエは手渡した。 ゴサクは、少し離れたところで、木にもたれてその様子を見ていた。少年は見たことのない意匠の革製の上着を着ていた。短剣用の鞘を腰のベルトに、縦笛を紐で首からぶら下げていた。
「そんなに急いで食べなくてもよい。それは、全部、やるよ。」
「ありがとう。」と言って、少年は笑顔を見せた。安心したのか。どうやら、キチベエはすっかり、少年をてなずけたらしい。ゴサクは、二人から目をそらし、しばらく、少年の仲間が森に潜んでいないか、注意を巡らしていたが、やがて、剣を鞘に収めた。
「ゴサクもついて来るか。」 キチベエが誘ってきた。今から、飛竜を見に行く気らしい。
「ああ。」
ゴサクは、二人とは少し距離をとって、後に続いた。先を行く二人の方からは、楽しげな話し声が聞こえていた。
ゴンゾウという名の少年は、飛竜が降りてこれる空き地を探し歩いた。
しばらく歩いてのち、立ち止まった二人に、ゴサクは追いついた。そこに木々は生えておらず、ゆえに、梢に遮られることもなく、上空からは、日が射し込んでいた。少年の顔にも日の光が射し込んでいて、まぶしげに、目は細められていた。辺りを用心深く探ったが、飛竜の気配は見あたらない。
ゴンゾウは、首からかけていた縦笛を唇に当て、澄んだ音が、そこから響き渡った。
その音に答えるかのごとく、上から鳴き声がした。
「あなた達はその木陰に下がって。飛竜が警戒します。」
二人は木陰に隠れた。キチベエは木陰から、陽気にゴンゾウに向けて手を振る。ゴサクは、さらに後ろに隠れていた。
「飛竜といっても竜族の一族なんだろう。大丈夫なのか。」とゴサク。
ゴサクは、その経験から、危険な生き物に無闇に近づかないことを信条としていた。竜族など、その最たるものと思えた。ところによっては、龍の神様などといって祭られているくらいだ。それも人間を越える存在としてだ。
「もう少し下がっていた方がよいな。保証はできん。」とキチベエ。
ゴサクは、それに素直に従った。ついてこない方が良かったかと今になって後悔した。キチベエの方は、そう言いつつも、先ほどの所に張り付いていた。全く、こいつは何を考えているんだか。時々、相棒ながら、ついていけなくなる。
やがて、上空から黒い影が降りてきた。
ゴサクは、後ずさり、逃走路を見定めるために周囲を見回した。木が密に繁っている方に逃げた方が安全だ。飛竜の図体では、森の中までは追ってこられまい。
飛竜は、少年の側に降り立った。その全身は銀色の鱗に覆われていた。余韻を楽しむかのように、大きな翼を2、3度、羽ばたかせ、それにつれて、地面から木の葉が舞い上がり、そして、舞い降りた。いかつい頭をゴンゾウの方に差し出した。
ゴンゾウは手で、それを少し乱暴になでてやった。
なついているじゃないか。ゴサクが、そう思った時、飛竜は、彼の方に顔を向けた。どうやら、こちらに気付いたらしい。
キチベエが、ゆっくりと後ずさる。これが飛竜か。怒らせないようにしないとな。こいつらには、魔法が効かないときている。彼は育った白馬山で、師匠が竜族について、寝物語代わりに語ってくれたのを思い出した。
『竜族というのはな、この世界で、唯一、魔法が効かない種族なんだ。外見上、彼らは魔物と同じ系列の種族に見える。しかし、彼らは違うのだ。だから、竜族を召還することはできん。また、竜族の中で、魔法を使う者がいるという話しも聞いたことがない。彼らの知性をもってすれば、難しいことではないだろうにな。
実際、多くの魔道士が、竜族に挑んで、死んでおる。風使いのアスカや群狼使いのクロウの話しは伝説になっているくらいだ。いつか、これらの話しも、お前に語って聞かせよう。将来、これらの話しが役に立たないとも限らない。伝説の中にも、幾ばくかの真実は含まれておるものだて。
なぜ、魔法が効かないと思う。それは、今もって分からないのだ。
そして、炎山に住む飛竜使いはな、この世界で、唯一、竜族に乗ることができる。』
ゴンゾウが、何事かを飛竜に話しかけた。
キチベエは、その様子を見ていた。竜族の知性をもってすれば、人間の言語を理解するのは難しいことではない。勿論、竜族にその意思があってのことだが。
「キチベエさん。大丈夫だよ。」ゴンゾウの声がした。
「大丈夫だってよ。」ゴサクの声が耳元でして、キチベエはビクッとした。キチベエは、ついつい、ゴサクと同じところまで下がってきていたのだ。
「ああ。」キチベエは、心ここにあらずといった感じで答えた。飛竜を目の前にして、普段、動じない彼といえども、動揺していた。魔道士にとって、竜族というのは、それほど、心奪う存在であり、キチベエも魔道士の宿命といってよい竜族に対する憧憬を受け継いでいた。
「あいつがそう言っているんだから。」ゴサクが付け足した。
「まあな。しかし、飛竜と飛竜使いの関係は対等なんだ。つまり、俺と火魔との関係とは異なるんだ。火魔のような召還魔の場合、召還の際に様々な契約が結ばれる。その際、重要なのは、魔道士と召還魔の力関係なんだ。魔道士の方が強ければ、服従を相手に誓わせることができる。召還魔の方が強ければ、奴等は何らかの対価を要求してくる。下手すると、魔道士が召還魔の奴隷になることさえある。」とキチベエは、相棒の方を見て言った。
「どうしたんですか。」ゴンゾウの声が聞こえた。
「今、行く。」キチベエが声を大きくして答えた。
「飛竜使いのことは十分には知られていない。しかし、いつも、飛竜が、飛竜使いに忠誠を誓うわけではないんだ。つまり、あの少年の言葉は、命令ではなくお願いにすぎないんだ。もし、飛竜が俺達をあまりにも気にくわなければ、俺達を一咬みしないともかぎらん。」
「そうか。」とゴサク。そんなものだろうと思った。眼前で威圧するこの竜が、少年の手下とは思えなかった。
「ただ、竜族は知性豊かで沈着冷静だ。怒らせさえしなければ大丈夫だ。それで、竜族が嫌うのは、まず、その体に触れること。その次に、近づくことだ。その近づく目安だが、飛竜使いよりは、必ず離れていることだ。もし、飛竜使いがいないときは、絶対に近づくな。」
「ああ。分かったよ。俺はお前と違って、あまり竜族には興味がないから、そんなに近づく気もないよ。」ゴサクは、飛竜の方を見た。そもそも、あまり、近づきたいと思う相手ではないが。
「それから、奴等は魔物とは違うんだ。この世界に存する魔物とは、全く異なる系統に属する種族なんだ。魔道には、一切、関与しない。ゴサクには興味のない話かもしれないが、魔道を軸に世界を説明しようとする魔道学において、最大の障害となるのが竜族なんだ。」
キチベエは、ゴンゾウに声をかけてから、彼を手招きした。少年は、こちらに歩いてきた。
飛竜は我関せずといった体で、横を向いていて、ときどき、尾を動かした。銀鱗が日光に映えていた。
「飛竜を見せてくれてありがとうよ。これで十分だ。ただ、俺にとってもゴサクにとっても、あまり近寄り易い相手ではないんだ。」
「いいやつなんだよ。」
「分かっているさ。」彼らは、強い絆でむすばれている。こちらの飛竜に対する感情を飛竜使いに伝えようというのは無理な話だ。その感情は、理性では抑え切れない恐怖と結びついていた。
「俺達は、これから町に行く。そっちは、どうするつもりなんだ。」とキチベエ。
「それで、キチベエさん達に、話があるんだ。」とゴンゾウは改まった口調で言った。
「何だい。」
「僕が町に行こうとしたのは、人を集めるためだったんだ。」
「何のために。」
「実は、族長の娘のハツ様がさらわれたんだ。それで、さらった奴らは、ハツ様との交換条件に、飛竜と飛竜使いを一組要求してきた。飛竜使いの中の多くの者が、それに志願した。僕もその一人なんだけど。」
話しが長くなりそうなので、それぞれが、手頃な木の根本や石に腰掛けた。
飛竜は眠っているのか、最前から目を閉じていて涼しげだ。ゴサクは、視線を飛竜から、キチベエ達に戻した。
「でも飛竜の方は、誰一人として、了承しなかったんだ。それは、彼らに聞く前から分かっていたことだった。どんな理由、例え、それが、僕ら、飛竜使いの族長の娘を助け出すためであっても、誇り高き竜族は人間に従属することはない。そんなことは、飛竜使いである僕らが一番知っていた。彼らからの返答は、ハツ様の救出であれば、手伝うというものだった。
ハツ様をさらったのが、ある盗賊団だということは、後から来た脅迫状から分かりました。彼らは、風煙のヤジロウに率いられた盗賊団で、白煙団と呼称しています。」
「白煙団なら知っている。」とゴサク。
ゴンゾウとキチベエがゴサクの方を見た。ゴンゾウは、ほとんど口を開かなかったゴサクが、言葉を発したことに驚いたかのような顔をしていた。
「やっかいといえばやっかいだぞ。彼らは、ただの盗賊団ではない。風煙のヤジロウの兄は、解船城の城主だ。おそらく、その兄貴が、裏で糸を引いている可能性が高いな。」とゴサクは続けた。
「解船城か。俺が聞いた噂では、魔道の力量はかなりなものだという」とキチベエが付け足した。
「そうなの。」ゴンゾウは少し驚いた風だった。そして、考えを頭の中で整理してから、言葉を継いだ。
「実は、ハツ様がさらわれた時、解船城の使者が炎山にやってきてたんだ。もちろん、その使者は、事件後も居残って、素知らぬ振りをするばかりか、彼女の探索の申し出までしていた。事件後、まもなくして、白煙団から、脅迫状が来たために、僕等は、解船城の使者を疑うこともしなかった。」ゴンゾウは、納得がいったという表情になった。
「ただの盗賊団が、飛竜に手を出そうとは思わないだろう。背後があって当然さ。下手すると、いや、下手しなくても飛竜の攻撃を覚悟しないといけないからな。」とゴサク。
「そうだね。」とゴンゾウ。
「それで、頼みというのは何だい。」キチベエが、改めて尋ねた。
ゴンゾウは、自分も片隅に加わった飛竜使いたちの謀議を思い出した。自分は、ほとんど、発言しなかった。何を言ってよいかさえ、分からなかった。車座の中心にある焚き火の炎により、寄り合い衆の顔が闇を背景に赤く浮かび上がって見えたのが、彼の脳裏に蘇った。彼は、二人に良く理解してもらうために、その謀議の結論を思い出し、頭の中で整理した。
「奴等は、二ヵ月後までに飛竜と飛竜使いの一組の引き渡しを要求してきました。渡さなければ、ハツ様を殺すと脅しています。僕らは、ハツ様の救出を行うことにしました。飛竜達は、救出の協力を約束してくれました。だから、彼らの本拠地さえ掴めれば、彼らをやっつけることも難しいことではない。でも、本拠地は分かってません。それに、分かっていたとして、いきなり飛竜で攻撃しても、ハツ様の命が危険になります。」
「そうだな。」とキチベエ。
「それで、とりあえず、交換に応じる振りをします。その交換の間に、できれば、ハツ様を救出したいのです。それで、あなた方に娘の救出をお願いしたいのです。どう、受けてくれる。」とゴンゾウは一呼吸置いて尋ねた。
「俺は受けるよ。俺は、飛竜に興味がある。飛竜使いにもな。それに、魔道師と聞く、解船城の城主にも、一度、会ってみたい。」とキチベエはあっさり言ってのけた。「ゴサクはどうする。」彼の師匠は、常々、一度、竜族に会いたい、魔道とその対極にある竜族を手がかりに、この世界の成り立ちを読み解きたいと言っていた。彼は、魔道だけでなく、その探究心も受け継いだのだ。
「報酬しだいだな。」とゴサクは応じた。解船城の噂は聞いていた。妖しげな魔法を使うというその城主の噂も。魔法の方は、キチベエが何とかするとしても、こちらとしては、キチベエのように無闇やたらに、危険に身をさらす気はなかった。飛竜が手を貸すのだから、解船城相手でも何とかなるかと思えぬこともない。
「割のいい報酬であれば受ける。そうでなければ断る。そちらは、報酬として、何が用意できる。」とゴサクは少年に尋ねた。
「飛竜の涙を。これは、数が少ないので、よほどのことがない限り、炎山の外には持ち出しません。これは、炎山から出せる最も高価な報酬です。それほど、ハツ様の救出は重要なのです。」とゴンゾウは答えた。これも謀議で決まったことだった。
「飛竜の涙か。」その巨体に似合わず、ぼそぼそとしか話さないゴサクの声が、少し大きくなった。
あの魔法の効果を打ち消せるという伝説の宝石か。これから先、それは、使えそうだな。ゴサクのような魔道を使えない者にとっては、魔道が猛威を振るうこの世界で、如何にして、魔道の脅威から身を守るかというのがこの世界で生き延びて行くためにも、考えねばならぬことであった。キチベエと手を組んだということも、それを考えてのことであった。しばらく考えてから、やっと決まったようで「俺も請け負うよ。報酬としてはそれで、十分だ。剣には、多少の自信がある。」とゴサクは、少年の方を向き、自分の結論を伝えた。そして少年の小さな手を取り、握手した。
「報酬は僕にもくれるのかな。」とキチベエが尋ねた。飛竜の涙と聞いて、自分も欲しくなったのだ。
「もちろん。本当に受けてくれるんだね。本当にありがとう」とゴンゾウ。
「飛竜の涙は魔法の効果を打ち消せるんだろう。それでは、お前がもっていてもしようがない。俺が2つ貰うよ。」とゴサクが茶々を入れた。
「そんなことはないさ。」とキチベエはむきになる。こいつは、魔法がからむといつもこうだ。まるで、駄々っ子のようだ。
「冗談だよ。相棒の取り分までは要求しないさ。」とゴサクが笑いながら言った。
「これで、商談成立だ。」とキチベエ。
「はい。それで、一度、族長に会っていただきたいんです。そのために、炎山に来てほしいんですが。」
「ああ。それはそうだろう。俺も話したいことがある。俺達、三人だけでは無理だ。少なくとも、解船城の方は、飛竜たちに活躍してもらわんことにはな。」とキチベエ。
「会いに行くにしても、こちらにも準備というものがある。二、三日は、町に留まり、旅に入り用な物を買っておきたい。その他の用事もすましたい。できれば、解船城に関する情報も手に入れたい。古い付き合いの飯屋の親父がいるんだ。仕事柄と場所柄、彼には、色々な情報が入るようだから、彼に尋ねてみるよ。解船城の近況くらいは聞けるだろう。白煙団についても当たってみるよ。」とゴサク。
「どうする。お前も付いてくるか。」とキチベエがゴンゾウに尋ねる。「これといった用事はないかもしれんが、せっかくの機会だ。炎山にいては、町を見る機会もあまりないだろう。」
「はい。僕も行きます。一度、町には行ってみたいと思っていました。」とゴンゾウは元気良く答えた。
「その服装では目立つな。飛竜使いと見破る奴がいないとも限らん。」とゴサク。
「俺の服を貸そう。」キチベエは、自分の背嚢から、古びた魔道士用の外套をとりだす。 「どうだい。これで。」と言いつつ、ゴンゾウに着せてやる。
「ぶかぶかじゃあないか。」とゴサクが笑った。
「裾を縛ればいいさ。ほら。魔道士見習いのできあがりさ。どうだ。気に入ったか。」
ゴンゾウは外套のあまりのぼろさに、何と答えていいか分からず、戸惑った笑顔を返した。
その顔を見て、ゴサクとキチベエが笑った。それにつられて、少年も笑った。
三人は、森の中を抜ける小道にでた。小道といっても獣道より少しましといった程度であった。
「この小道を抜けていくと、町へ通じる道に出るはずだ。」ここら辺の地理に詳しいゴサクが言った。
倒木が道をふさいでいたり、下生えの草木の中に道を見失いそうになったり、不意に大地に穴がうがたれていて足を取られたりした。そうした障害の対処に最も経験豊富なゴサクが先頭を務め、間にゴンゾウを挟み、キチベエがしんがりを努めた。
道すがら、キチベエは、少年に色々と炎山や飛竜のことを尋ねた。始めは、口が重かった少年も、慣れてくるに従って、自分の方から、飛竜のことなどを話しだした。 やがて、所望の道に出た。それは、最前までの小道より道幅は広く、人通りも多かった。
馬やろばに荷車を引かせる商隊、剣をこれみよがしに吊した傭兵達、それらの者を避けて通る旅芸人の一座、それにどの職業に付いているのか見当がつかない者達が往来していた。
彼らは、まるで、互いの時の流れが異なるかのように、それぞれの速さで移動していた。
それらの者に混じって三人は町を目指した。
ゴンゾウは、物珍しげにきょろきょろしていた。空気は乾いていて、行き過ぎる人や動物の足下から土ぼこりがたった。
一行は、しばらく歩いて、ようやく町が見えるところまでたどり着いた。町は、周囲を城壁で囲まれていて、近づいて行くにつれ、それが煉瓦づくりであることがわかった。
「すごい城壁だね。」とゴンゾウが感嘆の声を上げた。
「この町は、この付近の取引の中心地なんだ。ここで、手に入らないものはないと言われている。このあたりだけでなく、あらゆるところから、商人と名のつく者はここを目指してやってくる。そして、このでかい城壁は金や商品を狙ってやってくる盗賊から、町を守るために造られたのだ。」
「そうなんだ。」とゴンゾウは納得した様子を見せ、興味深げに城門とそこを行き交う人をみやっていた。最も、彼の知っている商人というのは、炎山に医薬品や交易品を売買しにくる行商人くらいだった。
キチベエは、さらに話しを続けた。「そして、ここでは、商人達が共同で町を治めているんだ。ここで物を売るには、商業連盟の許可が必要になる。その許可代として、まず、幾ばくかの金を納めなければならない。許可さえ得ることができれば、誰でも、物を売ることができる。ここは、商人のための町なのさ。耳にした事があるかい。」
「いいえ。炎山を発つ時に、族長から、町のことを少し聞きましたけど、何やら、恐ろしいところで、人に付いていくな、簡単に人を信用するな、下手するとお前自身が売り物にされると言われました。」
「そうか。随分と脅されたものだな。まあ、でも、それくらいの用心はするに越したことはない。ところで、俺たちは信用してもらえたのかな。」
「はい。」
「しかし、族長から簡単に人を信用するなと言われたのだろう。族長の言いつけを守らなくてよいのか。」
「あなた方は飛竜に興味を持ち、また、飛竜を尊重してくれました。そして、何より飛竜もあなた方を気に入ったようです。これが私があなた達を信頼した理由です。」 とゴンゾウは真顔で答えた。
「飛竜が俺達を気に入ったって。それは本当なのか。」
「はい。もちろん、気に入ったといっても相手は飛竜ですから、無闇に近づいたりはしないで下さい。」
「そうか。飛竜が俺達を気にいったのか。」キチベエはすっかり上機嫌になり、ゴンゾウの後の言葉も耳に入らないようであった。
分厚い門の前に、鈍い光を放つ穂先の槍を斜交いに携えた二人の門番が陣取っていて、入門者に問いただしていた。門の上にある楼にも、こちらを見ている人の姿が見えた。押し入ろうという者があれば、彼らが、そこから、矢をいかけることいなっていることまでは想像することはできなかったが。ゴンゾウは、門に近づくにつれ、ついつい、二人の後ろに隠れた。
「一つの商隊につき、二人の用心棒まで、町中に入ることができる。それ以外の用心棒は、城門の外にある待合い所で、待機することになる。剣や槍などの大物の武器を預けさえすれば、彼らも中に入ることができる。」3人は、入門者の行列待ちをしていた。
くだんの門番に、町に入る用件を聞かれ、キチベエが、魔道用の物品を求めてやってきた、ゴサクは用心棒、ゴンゾウは見習いだと告げた。
入門を許された3人は、この町の富と繁栄を象徴する華美な装飾の施された美しい門をくぐった。町の中は人と彼らの発する声で、ごった返していた。
「すごい人だな。今まで、こんなにたくさんの人を見たことはないよ。」ゴンゾウが、感嘆の声を上げた。衣装、顔だち、体つきも、ばらばらで、異様な熱気が町を支配していた。
商人たちのどら声が響けば、客たちの嘆願調のねぎりの声も聞こえる。少年は、始めて見る交易の中心地の賑わいに圧倒された。
「ここら辺で別れるか。」とここまで無口だったゴサクが申し出た。
「そうだな。それぞれの用事をすますとしよう」
彼らは、人の流れから少し外れたところに逃れて、顔をつきあわせた。とにかく、人が多く、路上で立ち止まろうものなら、罵声、嘆願、叱責、売り込みの声が矢継ぎ早に飛んできて、会話どころではない。
「何か緊急の用件があったら、豚亭の主人に伝言してくれ。三日後の朝、城門の側の飯屋で待ち合わせしよう。」とゴサク。
「分かった。」
それを聞くと、ゴサクの後ろ姿は雑踏の中にかき消えた。
ゴサクは、人混みの中を豚亭を目指して歩いた。通りの両側に店が立ち並ぶため、立ち止まって物色する者も多く、また、大きな買い物かごを抱えた者も多い。さらに、店の者が、通りに出て、客を呼び込んだりしていた。
そうした者達を避けつつ、歩いた。
まず、腹ごしらえだ。しばらくは、自炊ばかりだったので、凝った料理を食べるのは久しぶりだった。特製ソースのたっぷり効いた肉を思うと、よだれが出そうになった。とりあえず、今夜はたっぷり食って飲んで寝る気でいた。もう少し余裕があれば、ばくちにも手を出すのだが、三日だとその余裕はない。
豚亭の扉を開けた。香ばしい匂いが、鼻をついた。まだ、夕方前だが、テーブルの幾つかは、既に埋まっていた。カウンターの開いている椅子に腰掛け、店の主人に、地酒と肉料理を中心に、腹の足しになるものを数品、頼んだ。懐の銭入れをまさぐった。
そこには、たらふく食っても困らぬだけの銭があった。
「主人。今夜の宿を頼みたいのだが。」
挨拶に来た主人に、ゴサクが申し出た。主人とは、古い付き合いで、この町に寄るたびに、店に顔を出していた。
彼のような流浪の者にとっては、この主人のような人間が、戻っていける我が家の代わりだった。顔を見ると、思わず、表情が和んだ。
「いつものように、妹のところに行きな。部屋を開けとくように伝えとくよ。」
「それから、キチベエが尋ねてきたら、話を聞いておいてくれ。ここ三日の間だ。」
「また、旅に出るのか。」主人が尋ねた。顎髭に埋もれた口を、あまり、大きく開けることなく話す。
「そうだ。」
「お前だったら、気心も知れているし、ここの用心棒にだって雇ってやれるんだが、その気はないか。」
ゴサクはしばらく考えていた。「その時になったら、お願いするよ。」
主人は、客も増えてきた店内を見回すと、「気をつけてな。」と言い残し、調理場に戻って行った。
主人がテーブルに置いたグラスを口元に運んだ。酒を一気に喉に流し込むと、体が熱く火照った。今までの疲れが体から抜けて行くのが感じられた。
ゴサクは、肉をほおばり、特製ソースの味が口中に広がるのを味わった。
これだけ、ゆっくりと余裕をもって食べるのは、随分と久しぶりだった。先の盗みでは、しばらくは野宿続きで、猛獣などの周囲の危険に気を配りつつの食事が度々だった。そこでは、まずは、腹に詰め込むのが大事で、味は二の次だった。
しばらく食って飲むと酩酊感が襲ってきて、宿屋に向かうことにした。食事代を主人に払った。地酒と料理を少し、包んでもらった。
心地良い酔心地の中で、主人がこれはおまけだというのを遠くに聞いた。
「明日の朝、少し話しをしたいんだ。」とゴサク。この店には、様々な旅人が立ち寄る。だから、主人は、いろいろなことを耳にはさんでいるはずだった。
「ああ。私は構わないよ。仕込みをしているから、ここに来てくれ。」
「分かった。」
ゴサクは宿屋へ向かった。夜風は、少し冷たかったが、繁華の中心である通りはいまだ喧噪に包まれていた。
一方、ゴサクと別れた二人といえば。
彼らは大通りを外れ、入り組んだ路地に入って行った。
ゴンゾウは怪しげな雰囲気を敏感に感じとり、鳥肌が立った。それを察したキチベエが少年を無闇に怖がらせてもしようがないと思い、話しかけた。
「ここの裏通り一帯には、魔道の品を扱う店が集まっている。薬草、呪物、魔品、奥義書、その他色々な。」
建物と建物の間は、やっと、人間がすれ違えるくらいの幅しかない。ゴンゾウが見上げると、細く切り取られた空が見えた。
「ここだ。」
キチベエは、そう言って、こぢんまりとした店の前で立ち止まった。キチベエが把手を引くと、ギイッという重い音を立てて頑丈そうな木の扉が開いた。キチベエが中に入り、ゴンゾウもこわごわとそれに続いた。
中には微香のする煙が立ち込めていて、ゴンゾウは目をしばたきながら、店内を見回した。雑然としていた。がさごそと音がして、そちらに目を向けると、かごの中に虫がいた。
その隣のかごには、砂漠蛇、その隣は蠍、蜘、見たことのない動物もいた。そいつは、低いうなり声をあげ、牙をむき、侵入者であるゴンゾウを睨んでいた。 ゴンゾウは、そいつのかごからは距離を取った。それから、おとなしそうな猿が別のかごの中にいたので、そちらの方に手を伸ばそうとすると、店の人が止めた。
「触るな。毒猿だ。死ぬぞ。」
ゴンゾウは慌てて手を引っ込めた。毒猿は、黄金色の毛並みの繕いを始めた。
店の主人は、顎髭を生やした老人だった。 ゴンゾウと目が会い、微笑んだ。歯の抜けた口中が見えた。
「その若者は。」と主人が尋ねてきた。
「臨時の弟子さ。」
「あんたが弟子を取るなんて訳ありかい。」
「まあな。いろいろな。話せる時がきたら、あんたにも話すよ。」少年に身に付けさせた 魔道士の外套ぐらいで、長年、魔道士相手に商売をしてきた主人を騙せるとは思っていなかった。
「そうかい。楽しみに待っているよ。こう、長年、客商売ばかりやっていると、あんたらの話を聞くのが、大きな息抜きでな。まるで、自分が旅をしているような気になってな。」
主人の方は、それ以上、その話題に執着する気はなかった。ゴンゾウは、少しドキドキしながら、そのやり取りを聞いていた。
「店の物に触るなよ。」とキチベエは、今度はゴンゾウに向けて言った。
「はい。」とゴンゾウはしおらしく答えた。
「ところで、解船城についての噂を、最近、何か聞くかね。」とキチベエは切り出した。
「あの魔道士が城主であるという解船城か。」
「そうだ。」
「あの城主の親にまつわる恋物語は聞いているが。」
「どんな。知っていることがあったら教えてくれよ。」とキチベエはうながした。
「なんでも、彼の父は、放浪の魔道士で、解船城の王女と恋に落ちて、彼ら、二人は駆け落ちしたそうだよ。そして、その二人の愛の結晶として、生を受けたのが彼だとさ。それで、彼は、幼いころより、父より魔道を伝授されたらしい。お陰で、少年の頃には、もう、いっぱしの腕を持つ魔道士に成長していたらしい。その彼がいかなる訳あって解船城の城主に落ち着いたかというのは知らないがな。」
「そうか。」どうやら、相手はかなり腕利きの魔道士らしい。境遇は全く異なるが、ガキの頃から魔道の伝授を受けたという点では、キチベエも同じだった。 もっとも、これは、この時代に生を受けた多くの魔道士が辿る道だった。この時代、魔道を生きていく糧とするほどに力のある魔道士に育て上げるには、魔道の伝授は幼少の頃より始める必要があるとされていた。無論、彼らそれぞれの抱く将来に対する野心や脅えや絶望、また、彼ら自身の境遇に対する愛憎に一つとして、同じものがあろうはずもなかったが。
キチベエは、魔道の品、特に様々な土地で産した薬草を多く買い求め、背嚢に収めた。「ゴンゾウ。出ようか。」
ゴンゾウは店内の柱に紐でつながれた猿に興味を引かれたのか、それに見入っていた。
「それが気にいったのか。」とキチベエは尋ねた。
「これももらうよ。」とキチベエは奥にいる主人に向けて言った。
「それはただの猿だよ。魔道には関係ないよ。それでもいいのかい。」と主人は、奥からキチベエに確認を求めてきた。
「構わないよ。幾らだ。」
「それは、ただでいいよ。あんたは、お得意さんだから。」そう言って、老人は、猿のところに杖をつきながら歩いてきた。柱に結びつけていた紐を解き、ゴンゾウに渡した。
猿は、杭からゴンゾウの肩に飛び移り、毛づくろいを始めた。そうしつけられているのか、人を恐れる気配はない。ゴンゾウはすっかり上機嫌で、ついつい顔がほころんだ。 「じゃあな。おやじ。」とキチベエ。
「毎度。」
二人は店の外に出た。既に、辺りには、夕暮れが迫っていた。
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