飛竜の涙6
喋犬
飛竜の涙5
翌日、キチベエは、木の枝に白い布を巻き付けた。それは、ゴサクに店に寄れとの合図だった。その木は、城外にあったが、城から練兵場へ到る通廊から見下ろすと見ることができた。ゴサクは、事態の急変があっても、すぐに対応できるように、合図を見逃さないように、そこを通る度に、木を見るように心がけていた。彼らは、できるだけ、会って連絡を取るようにしていたが、お互いの仕事もあり、毎日、会うというわけにもいかず、緊急の連絡については、合図の決め事をしていた。
「よう。」 夕方、ゴサクが店に顔を出した。「どうした。」ゴサクは相棒の表情の変化を敏感に読みとった。
「今は、客の対応に忙しくて、抜け出せない。」訓練が終わって自由時間が始まると、それまでの暇さ加減が嘘のように、店は混み出していた。「いつもなら、ゴンゾウを店に置いて、俺だけ抜け出すのだが、今日はゴンゾウも連れて行きたい。今の時間帯に二人共、抜け出すのは無理だよ。飲み屋で待っていてくれ。あまり酔うな。」とキチベエはゴサクに釘を射した。「一時間ほどで行く。」
客足が疎らになったところを見計らって、キチベエは店の主人に何とか理由をつけて、ゴンゾウと共に店を出た。二人とも抜けることに店の主人はあまりいい顔はしなかったが、最近、キチベエのお陰で儲けていることもあり、しぶしぶ了承した。
待ち合わせの飲み屋に向かう道すがら、夜風が冷えて、キチベイは外套の前を閉じた。飲み屋では、人に話を聞かれる恐れがあったので、 飲み屋からゴサクをつれだした。周りに人がいないのを確認してから、宿屋に向けて歩きながら話しだした。
「そろそろ動こうかと思って。」
「そうか。」ゴサクは表情も変えずに答えた。声にはわずかながら緊張感がこもっていた。
「今日、潜り込んだ。」目線で城を示す。聞き取れるか取れないかの声だ。
ゴサクはうなずいた。彼が相棒の視線につられて、チラッと見た城は星明りの夜空を背景にした物言わぬ暗い影となっていた。
「城内の結界の様子はだいたい把握した。結界の強い場所は三カ所。もし、この中に、娘が捕らえられているとしたら、この三カ所のどれかにいると思う。」
キチベエは、二人がこちらの言っていることを理解しているか確認するために、二人の顔を見た。そして、少し間を置いてから、続けた。
「それで、誘いをかけて見ようと思うんだ。つまり、炎山の使者をここにやってこさせる。もちろん、誘拐事件とは無関係な理由をつけてな。それで、俺は、今日と同じように忍び込んで結界の変動を探る。もし、ここがこの誘拐事件に関わっているとすれば、城主は、警戒を強め、娘を幽閉している結界を強めるだろう。それをもって、果たして、ここが今回の件に関わっているのか、娘がどこに囚われているのか、判断しようと思う。」
キチベエは、一息、置いて続けた。
「それで、ゴンゾウにはその旨を炎山に連絡してほしいんだ。」
「はい。」ゴンゾウには、あらかじめこのことは、告げてあった。彼は、初めて、この話を聞いたとき、武者震いなのか、顔を蒼白にして、震えていたが、今はもう落ち着いていた。
「一人で大丈夫か。」とゴサクが心配げに尋ねる。
「そうは言っても、俺たちはここを離れるわけにはいかない。護衛に火魔を付けるよ。頼んだぞ。ゴンゾウ。」
「はい。わかりました。」ゴンゾウは、緊張とやる気のない混ぜになった表情で答えた。
三人は、露天商で食い物を仕入れて、宿屋に戻った。夜の帳が下りたこの時刻では、ゴンゾウの腹もすっかり減って、道すがら腹がなって仕方なかった。三人は、その音を聞いては、陽気に笑った。ただ、これからやるべきことが頭からすっかりなくなることはなかった。
数日後、風の強い日にゴンゾウは旅だった。
店の主人には、遠くで産する新たな薬草を仕入れるためだとキチベエの方から話しをつけておいた。既に、キチベエは、この店での薬草の売上にかなり貢献していたので、店主の方も、闇雲に彼の意向を否定する気はないようだった。それは薬効が高く、ここでは稀少なので、高く売れるだろうという言に、店の主人は納得し、旅費まで出した。キチベエは、自分が既に持っている薬草の幾つかを、ゴンゾウの旅の収穫物として店主に渡す気だったので、ゴンゾウには、薬は俺が用意するから心配するなと伝えておいた。
キチベエは、旅立ちに際して、ゴンゾウに、火魔の召還石をいくつか持たせ、火魔を召還する呪句も教えた。彼が他人に魔道の−初歩とはいえ−を教えることは滅多にない。それだけ、ゴンゾウの身を案じているということだ。飛竜使いも、飛竜がいなければ、ただの少年に変わりない。しかも、炎山出身とあっては、世間しらずもいいところだ。まあ、多少は、自分らについて動いたので、経験を積んだとは思うが、独りで行かせるのは、ゴサクに言われずとも不安が残る。
「火魔は召還した者の命令に従うようにしこんである。ただ、ゴンゾウは、全く魔道の訓練をつんでいないので、魔力の弱い火魔しか扱えない。でも、いないよりはましだろう。飛竜に比べれば心細いだろうがな。」キチベエは、ゴンゾウに石を手渡した。
ゴンゾウは礼を言って、召還石を入れた巾着袋を受け取り、大事そうに懐に
しまった。
ゴンゾウは、キチベエに見送られながら、背嚢を一つ背負い乗合舟に乗り込んだ。ふうと大きく溜息をつくと、風が吹きすぎていった。
解船城に来るときは、三人一緒だったから感じなかったが、一人になってみると随分と心細さを感じた。これから、飛竜の待つ森にたどり着くには、三つの町を抜ける道中が待っている。道中には、人気の少ない道もあり、治安が保たれているのは、城の周囲と町中だけとあっては、ゴンゾウの顔もこわばらざるを得ない。
勇気が奮い起こせる気がして、彼は、懐の召還石の入った袋を握りしめた。舟はやがて、葦がまばらに繁る中に分け入って行った。葦は風でそよいでいた。
ゴンゾウが、うとうとしかけた時、舟が揺れた。彼は驚いて、目をさまし、周囲をうかがうと、桟橋に舟が付けられていた。対岸に着いたと分かり、ほっとした。。
彼は揺れる舟から桟橋に跳び移る際、バランスを崩し、危うく湖に落ちそうになった。何とか、踏ん張って落ちずにすませると、ふうと大きく溜息を付いた。
彼は、人通りがまばらな一本道を通って、一つ目の町を目指した。心細さをまぎらわすために、故郷の歌を歌いながら歩いていると、今までは気にとめたこともなかった歌詞の情景が、故郷を懐かしく心中に蘇らせ、思わず、涙がにじみ出た。行き過ぎる人もなかったので、流れ落ちる涙もそのままに、大声で歌い続けた。
ゴンゾウは、夕刻には町にたどり着き、町中にある大きめの宿に泊まることにした。宿の階下にある食堂で腹ごしらえをした後、早々に部屋に入った。店員に酒を薦められたが、そもそも、酒は飲みつけてなかったし、酒を飲む精神的余裕もなかったので、断った。部屋はきれいとはいいがたかったが、眠れればよいと考えていた彼は、それに不満をおぼえるゆとりもなかった。鍵をかけて、寝台に横たわると、安心のためか、疲れていたのか、すぐに睡魔が襲ってきて、そのまま寝入った。
次の日、朝早く、宿を立った。表に出ると、少し朝冷えがした。歩くにつれ、付近に全く人家のない、また人通りも途絶えた道にさしかかった。
少し足早になった。道は薮の中をうねって進んでいた。時々、薮の向こうから、物音が聞こえた。その度毎に、そちらに目を向けたが、その音の正体を見定めることはできなかった。動物だろうと思いつつ、足は自然と速くなる。ふいに、何かが前を塞いだので、慌てて後ずさった。
ゴンゾウの前には、剣をだるそうに持ち、不気味な笑顔を浮かべた男が立っていた。口の周りをもじゃもじゃの髭が覆っていた。
「小僧。金目のものがあったら出しな。そうすれば、命だけは助けてやる。」
後ろで物音がしたので、振り返ると、そこにも剣を提げた男が立っていた。
「さあ。金を出しな。命だけは助けてやる。」男は抜き身の剣をゴンゾウに向けて、にじり寄ってきた。
「さあ。」後ろからも声がした。
盗賊か。ゴンゾウは金を渡すかどうか、一瞬、迷った。世馴れていない彼が、こうした場合、どうするのが最もよいのか知っているはずもなかった。彼は、キチベエとゴサクに助けを求めたかったが、二人はいない。ここで、キチベエがくれた物を思い出した。それが次の瞬間、彼に、ある決断を下させた。
「分かりました。」そして、懐に手を伸ばした。
「そうそう。いい子だ。」
すると、炎がゴンゾウの手の中からわき上がり、前方と後方の男に襲いかかった。
ゴンゾウの周りで人間が極彩色の炎に取りつかれ、のたうちまわっていた。心の内に恐怖がわき上がり、急いで、そこから走り去ろうとして、燃え上がる男の側を走り抜けた。
その時、足を何かに掴まれた。転んだ。何だろうと思った。足元を見た。燃え上がる男の腕が見えた。恐怖心はさらに増した。無滅法に空いた方の足でその手を蹴った。足が自由になった。そこから這ったまま離れた。そして、立ち上がった。走り出した。今度は、足を捕まれることもなかった。ただ走った。やがて息が切れた。走る速度が落ちた。歩き出した。立ち止まった。後ろを振り返った。追ってくる者はいなかった。木の根本に腰掛けた。水筒に口を付けた。中の水は生温かった。それでも、心は落ちついた。脳裏には、先ほどの人の燃え上がる光景が焼き付いていた。
ゴンゾウは、二つ目の町にたどり着いた。最初に入った宿には、宿泊を断られ、どうしてだろうと思い、途方に暮れて道端に腰をおとした。自分の服が、うつむいた視界に入った。裾の方が焦げていた。恐らく、顔も汚れているのだろうと思い、右手の甲で顔を拭うと、べっとりと泥が付いていた。
ゴンゾウは広場に設けてある水汲み場で、街の女たちの洗濯が終わるのを待ち、顔と手を洗ったが、汚れは、なかなか落ちなかった。井戸の水は、とても冷たく、洗い終わる頃には、体は冷えていて、さきほどのこともあり、心も冷え切っていた。そして、キチベエから貰った魔道士用の服を焦げ目が見えないように着なおした。
それから、次の宿屋を探した。宿屋の看板を見つけ、扉の前まで来ると、意を決して、中に入った。不安のあまり、宿泊を申し込む時、少し声がうわずったが、今度は泊めてもらえることになり、心と体は、小さな喜びにあったまった。
その夜、自分が放ったはずの火魔が自分を襲ってきて、あまりの熱さに叫び声を上げ、その拍子に目がさめた。火魔は、どこにもいなかった。夢だったのだ。
肌には、まだ、先ほどの熱が残っていた。額の冷たい汗を拭き、壁を見つめた。壁は、窓から差し込む月明かりのために、薄く闇夜に浮かび上がっていた。昼間の出来事をはっきりと思い出し、あのときの恐怖の感情も体の中に蘇った。
次の光景が代わる代わる脳裏に浮かび、涙に暮れた。始めて、飛竜に乗った時、恐ろしさと喜びの感情が同居していた。飛竜の固い鱗を通した体は、想像していたより、温かかった。最初は、師匠と共に飛竜に乗り、飛竜との呼吸の合わせ方をならった。耳元で、しっかりと自分を導いてくれる師匠の声が聞こえた。そう。そう。飛竜の声を聞け。飛竜の体を感じろ。飛竜の動きの流れを読むのだ。
おまえの声を通して、おまえの体を通して、飛竜にお前の気持ちを、感情を、思いを伝えるのだ。決して、飛竜をだまそうとするな。飛竜には、何でも、お見通しだ。風がうなっていた。怖かった。でも、うれしかった。それを、ゴンゾウは声を通して飛竜に伝えた。その声に対して飛竜が答えた。よしよし。お前には飛竜使いの素質がある。お前の父は、飛竜使いではなかったな。
その飛竜乗りを終えて帰ると、いつも、母は温かいご飯をつくってくれていた。ゴンゾウは、飛竜の話を、夜遅くまで、母と弟に話した。弟は、自分も早く飛竜に乗ってみたいといい、母は、大丈夫かね、飛竜になんか乗ってと心配気だった。父は、特に口を挟むといったこともなく、近くで狩猟の道具の手入れをしていた。
弟の方は、飛竜使いには、なれなかった。
初乗りの後、それが分かった時の弟の落胆振りは大きく、皆、心配したが、月日が経つにつれ、彼には、新しい目的が見つかった。それは、父の後を継ぎ、猟の名人になるというものだった。それからは、弟は、父といつも、一緒に猟にでた。そして、帰ってきても、弟は、弾んだ声で猟のことについて、父と話していた。それを聞いていて、ゴンゾウは、寂しく思うこともあったが、しかし、全てを望む気はなかった。自分には、飛竜がいた。
その日は、それからは寝つけず、夜が明けるのをそのまま待ち、やがて、空が赤味を帯びた。
ゴンゾウは寝台から起き出すと、宿の主人に鍵と宿泊の残金を渡し、三つ目の町を目指し、旅立った。足には、この二日の旅程で、かなり疲労が蓄積し、また、編み上げ靴の紐が当たる部分は擦れて、そこから血がにじんでいた。しかし、こうしたことも、彼の歩みを妨げることはなかった。
ゴンゾウは、ついに三つ目の町−町というより村というのがふさわしい−にたどり着いた。これを過ぎれば、後は、飛竜の待つ森に向かうばかりである。
小さい藁葺きの家が立ち並ぶ通りを歩いた。通りといえるものは、これ一本くらいしかない。宿を探したが、それらしき建物も看板も見あたらない。
しようがないので、家の前に椅子を出し、それに腰掛け、木を小刀で削っている男に声をかけた。椅子の周りには、木屑が散らかっていた。
「宿。」その男はいかにも不思議なことを聞かれるといった顔で聞き返してきた。その男は真っ黒に日焼けして、やせこけていて、ギョロリとした目が顔の半分以上を占めている。
「はい。この村に泊まれる宿はありませんか。」
「そんなものねえよ。」と男。
ゴンゾウは、そう言われて、どうしたものか困った。野宿するしかないか。
その彼の顔つきが気になったのか、「どうした。旅の途中か。」と男が尋ねてきた。
「はい。ここで、今日、一泊して、明日、森に向かおうかと思っていたんですが。」
「ほう。森へね。大胆だな。あすこに村のお偉いさんの家がある。そこを尋ねてみるんだな。泊めてくれるかもしれん。」
「あの大きな家ですか。」
「そうだ。あれだよ。」
ゴンゾウは、その家に向けて歩き出した。
確かに、その家は、他の家屋に比べて一際大きく目立ち、この町で唯一煉瓦造りでもあった。実は、彼がこの町に来て、最初に目がいった建物もこの家だった。
彼は、その家の前に立ち、「すみません。」と声をかけた。
一時して、扉が開き、若い女が顔をだした。
「どこのお方。」とその女。髪を赤いリボンと一緒に結い上げていた。
「旅の者です。ゴンゾウといいます。」
「その旅の者が、この家に何の用。」
ゴンゾウは、女の強い口調に挫けそうになったが、意を決して「泊めて貰いたくて。」と小声で言った。
「この家の人とお知り合い。」
「いいえ。」
「そう。それなら、無理ね。」と言って、女はあっさり彼の鼻先で扉を閉めた。
ゴンゾウは仕方なく、その家の前を離れた。さきほどの男の前をうつむいたまま通り過ぎた。
「小僧。ダメだったか。」と男が楽しそうに尋ねてきた。
「はい。」と元気なく答えた。
「そうか。しようがない。俺の家に泊めてやろう。」と男は、立ち上がりながら言った。相変わらず、楽しげな話しぶりだ。
「金を持っていても、客人を遇する心がなければ、立派な男とはいえねえ。なあ。小僧。」と同意を求めてきた。
ゴンゾウは展開の速さについていけず、はあ、とうなずくのみだった。
「どうした。泊まりたくないのか。」
「いえ、よろしくお願いします。」
「そうか。こちらこそよろしくな。」と男は言って、ゴンゾウの肩を叩いて、彼のぼさぼさの髪の毛をなでた。
「さあ。食えよ。」と男は言って、傍らの酒杯を口に運ぶ。既に顔色は、赤味を帯びていた。
ゴンゾウは言われずとも、歩きずくめで、おなかはすいていたので、ご飯を腹にかきこんだ。
「おいしいです。」と素直に感想を述べた。
それが、男をさらに喜ばせたらしく、「いやあ。久しぶりの客人だからな。大切にしなきゃ。」
その食卓を囲んでいるのは、男とその妻、そして、ゴンゾウより少し年下くらいの息子、それに、母親に抱かれた乳飲み子だった。乳飲み子は、時々、むずがった。男以外は、あまり、言葉を発さず、ゴンゾウを歓迎しているといった感じもない。
「いやあ。いまでこそ俺の家も没落したが、昔はそこそこの家だった。」と男。酔いが回ってきたのか、少し呂律が回らなくなってきていた。男は、そのまま、飲んでは話し、話しては飲んで、ついに寝入ってしまった。
「全く、この人ったら。さあ。お客さんはうちの息子の隣に寝て貰うことになるけど、いいかな。」と妻が夫に布団をかけてやりながら言った。
「はい。かまいません。」屋根の下で寝れるだけでも御の字だった。
ゴンゾウは、食卓を片づけた後にしかれた布に横たわった。男は、妻に起こされ、寝ぼけたまま、先ほどの話を口にしながら、隣の部屋に移った。夫婦は、隣の部屋で寝た。といっても、この家には、二つしか部屋がなかったが。
「ねえ。旅のことを聞かしてくれないか。」とそれまで、ほとんど口を開かなかった息子が尋ねてきた。
ゴンゾウは、解船城からこの村までの冒険行を語ってきかせた。盗賊に襲われた話の段などは、思わず声に力が入った。息子も、一心不乱に聞いていたが、いつしか、二人して、夢に中に入った。
次の日、ゴンゾウは朝御飯まで、ごちそうになり、その家を後にした。男は二日酔いのためか、起きてこず、前夜の話ですっかり仲良くなった息子が村の外れまで送ってくれた。
ゴンゾウは鬱蒼とした森の入り口に立った。村からの道は、ここで消えていた。
太陽と木の梢の間から見える山の位置を確認しながら獣道を歩いた。これも、森の中で迷わないようにと、キチベエが教えてくれた方法だった。地面には落ち葉が堆積していて、彼の足は、時々、めり込んだ。
太陽が中天に登る昼頃までには、かなり歩いた。
少し開けた所に出たので、石の上に腰を落とし、休んだ。足は、ここ、4日間の疲労のために、だるかった。
飛竜は半月の夕刻には、この森に現れる手はずになっていた。そして、今夜は、半月のはずだった。旅立つ日は、到着日が半月になるように、逆算して決めたのだった。夕刻になるまで、ここで待って、笛を吹くことにした。
ゴンゾウは、懐から、しばらく使っていなかった笛を取り出して、眺めた。飛竜の顔が思い出された。銀色に輝く姿態や大きな翼、そして、長い髭、鱗のざらざらとする肌触りが交互に、意識の上にのぼった。やっとだな。
徐々に森の中は、ほの暗さを増していた。
ゴンゾウは木の上に登った。一度、掴んだ枝が折れ、肝を冷やした。そこから見ると、山の端に赤い太陽が見えた。
彼は笛を吹いた。吹き続けた。
やがて、空に黒い点が見えた。彼は、すぐに、それを見つけたが、まだ、それが飛竜だとは確認できなかった。でも、彼の心臓の鼓動は高鳴った。徐々に、その黒い点は輪郭を示しだした。鳥のようにも見えた。ゴンゾウは、笛を一しきり吹いてから、手を振った。
やがて、その輪郭は彼が見慣れた形へと変化しだした。
ゴンゾウの顔に満面の笑顔が登った。
飛竜だ。間違いなく、飛竜だ。
飛竜は、夕日を照り返す鱗の複雑な光の群を識別できるまで近づいてきた。飛竜は、ゴンゾウが登っている木の周囲を二、三回、ゆっくりと翼を羽ばたかせながら回った。久しぶりの翼の風圧が心地良かった。彼は飛竜に手を伸ばし、飛竜はその手に首をからませた。彼は、その首に付いている革紐を掴むと、木の幹を蹴って、ひらりと飛竜に飛び乗った。
懐かしい飛竜の肌触りだった。心の底から安心し嬉しかった。
「炎山に向かってくれ。」と少年。飛竜は悠々と旋回しつつ高度を上げた。彼には大きな赤球と輪郭のみが判然としている山々が見えた。