暗い想い(後編)             ゴサクのお話2        
喋犬

 
暗い思い(前編)

 昼過ぎ頃、ゴサクとキチベエは目覚めた。トヨは、まだ、眠っている。ここは、森の中田。日中でも薄暗く、日光に眠りを邪魔されることはない。ただ、一つ目の魔道士フミキチへの恐怖だけが、彼らの眠りを妨げるものと言えた。それでも、ゴサクとキチベエは自らの体力の回復が図れるだけの睡眠は取った。それは、彼らが危地に陥ったのが今回が始めてでなく、このような状況下で何をしておくべきかということを、彼らなりにわきまえていたことを示すものであった。

  ゴサクとキチベエは、今後、どうするべきかを話し合った。彼らは、トヨの眠りを妨げないように、あるいは、トヨを起こしてしまって、自分達の話し合いが邪魔されないように、トヨから離れた所にある巨石の上に腰掛けている。それでも、トヨに何かあったらすぐ分かるように、トヨの寝姿の見える位置にいる。トヨは、無防備に眠っている。巨石の所は、木々もまばらで陽光が降り注ぎ、他の所よりも明るい。彼らの顔や服は、昨夜からの逃避行のせいで薄汚


れている。そこで、彼らは二十分程だろうか、話し合った。

  結局、もう一晩ここに留まることにした。それを、主張したのはキチベエだった。フミキチが追ってくるかどうかは分からない。もし、追ってくるとしたら、ここで、戦ったほうが有利だ。ここで、戦うとすれば、その準備もできる。少なくとも、土地の下調べはできるし、相手の結界が張られることもない。

 ゴサクは、それに反対しなかった。というのは、追ってくる相手が魔道士だったからである。通常の相手であれば、あるいは、ゴサクのほうが良い手を思いついたかもしれない。しかし、相手は、得体の知れない魔道士である。こうした相手とは、係わり合いにならぬのが一番だ。そういう意味では、ゴサク一人であれば、逃げるが勝ちである。又、ゴサク一人で逃げることも考えた。しかし、白馬山の宝石はどうする。一人で逃げ出しては、宝石も諦めることになる。それに、今回は、キチベエがいる。あいつも、自分が負けると思えば、ここで、戦おうとは言わないだろう。それなりの勝算があるのだろう。まあ、魔道士の勝算が、どんなものかは知らないが。

ゴサクとキチベエ、二人で当たれば、何とかなる相手ではないか。

ゴサクはそう思った。

  勿論、だからといって、恐怖がなくなるわけではない。恐怖は存在する。それが、相手の得体の知れなさか、あるいは、自身の生命の危機のどちらに源を発するのか、定かではなかったが。

  キチベエは、トヨを頼むと言って、森の中に消えた。ゴサクは、木々の梢の上に見える青空を、何だか随分久しぶりに見る気がして、しばらく見上げていた。

  ゴサクたちより、二時間ほど遅れて、トヨが目を覚ました。周囲を不審そうに見渡す。まだ、寝ぼけているようだ。ゴサクの顔を見て、−ゴサクはトヨから少し離れて体を横たえていたのだが−そして、自分がどの様な状況にあるのかを思い出したようだった。

 トヨは、干し肉とゴサクの取ってきた木の実で食事を取った。ゴサクは、トヨの無心に食べている姿を見て、人間の生命力の強さを思わずにはいられなかった。まさしく、トヨにとって今回の事件は不幸なものだった。しかし、彼女はそれを乗り越えていけるのではないか。

   ゴサクは、トヨに今晩ここに留まること。そして、夜はずっと、トヨは、逃げてきた地下道に隠れていること。一つ目の魔道士が襲ってくるかもしれないことを告げた。以上の事は、先程、キチベエとゴサクが話し合って、決めたことだった。このまま、一人で街道に放り出すのは危険だ。街に戻れば、銀弧団に見つかる可能性が高い。徒歩では、隣の街まで一日かかる。森の中にいては、戦いに巻き込まれる可能性が高い。そうなると、地下道が一番安全そうだ。

トヨは黙って頷いた。トヨの顔に、また不安そうな表情が現れる。

「大丈夫だ。心配するな。」

  ゴサクがトヨに言う。それは、自分自身に対しての言葉でもあった。

  キチベエは、森の中に消えてから随分経って、戻ってきた。トヨの表情に明るさが戻る。しかし、トヨはキチベエの持ってきたものを見て、悲鳴を上げる。どくろだ。

「森のなかに、いくつか人骨があった。ほら。」

  キチベエは、ゴサクにどくろを投げ渡す。トヨは、また悲鳴を上げる。キチベエは、その様子を見て楽しんでいるようだ。

「迷うような森でもなかろうに。殺されたのか。」

  キチベエは呟いた。ゴサクは、それを放り捨てた。不吉なもの。

ゴサクは、そう捉えたのだ。

  幾分、喜々として、どくろを持ちかえったキチベエと、それに嫌悪を感じ、放り捨てるゴサク。こんなところにも、二人の違いは表れていた。彼らには、魔道士と盗賊という生業の違いもあり、生い立ちの違いもあるが、やはり、持って生まれた資質の違いは明白であった。この両者が入れ替わることはない。あったとしても、彼らは、現在まで生きてこられなかっただろう。彼らが、生き残っていくには、自らの資質をできるだけ生かすことが必要とされた。その果てが、魔道士と盗賊と言われれば、彼らは苦笑いしたかもしれないが。

 

  日は沈んだ。辺りを闇が包みはじめる。

 トヨは、もう地下道に入っている。キチベエとゴサクは、月明かりのもと巨石の上で何かが来るのを待っている。来るのか、来ないのか、それは、彼らにも分からない。会話が交わされることもない。

  月が、中天にさしかかる頃、何かの足音が聞こえはじめた。それは、当初他の物音と区別できなかった。しかし、その足音は途切れることなく続いたために、二人の注意を引きはじめる。足音は大きくなる。枝が折られる音がする。ゴサクとキチベエは顔を見合わせた。二人は、巨石から降り、少し間隔をおいて立ち、近づいてくるものを待った。

  ふいに、前方で火が、揺らめき立つ。キチベエが仕掛けていた罠だ。敵意を発散するものが近づいたとき、地中に埋めた火魔がはい出て、相手に襲いかかる仕掛けになっている。次々と新しい火魔がはい出て襲いかかった。

 しかし、そいつは、ひるむこともなく、こちらに向かってきた。

この暗闇でも、目が見えるのか、真っ直ぐに近づいてくる。それとも、匂いだろうか。木々の疎らなところでは、月明かりが差し込むが、その他は、暗闇に被われ、人間の目では判然としない。ただ、そいつだけは、火魔をまとい、辺りをこうこうと照らし、近づいてくる。

 火魔から、木々に飛び移った炎は、その赤い舌先をより遠くへ伸ばそうとするが、やがて消える。それは、キチベエが呼び出した火消しの仕業だ。目には見えない。ただ、炎が急に消えることより、火消しの存在が知れるだけだ。火魔による炎が、森全体に広がることを防いでくれる。敵に勝っても、焼け死んでは元も子もない。

  そいつが近づいてくるにつれ、徐々に姿形が見て取れるようになる。一つ目だ。しかも、図体はかなり大きい。三メートル近くはあるだろうか。横幅もあり、がっしりとした体型だ。太古よりの伝説の一つ目巨人を思わせる。

 その額の中央にある凶々しい目が、ゴサクを捉えたようだ。巨人はキチベエには見向きもせず、ゴサクのほうに向かう。ゴサクは、剣を抜き、身構えた。恐怖がゴサクを捉えた。しかし、ゴサクはそれに魂を占領されないように、適度な緊張感へと変えようと試みる。

冷や汗が吹き出す。間近に迫る分厚い筋肉が見て取れた。敵が大きな手をゴサクの方へ伸ばした。ゴサクは、切りつけた。ゲェ。巨人は呻き、手を引っ込めた。巨人は、傷ついた手を嘗めており、その口元に、血が付く。その丸太のような腕を見ると、先の一撃が、どの程度の傷を与えたのかよく分からない。普通の人間であれば、片腕は使えなくなったであろうが。

  巨人には、まだ、幾体もの火魔が取りついたままだ。熱くも何ともないのか、振り払おうともしない。しかし、お陰で、巨人の動きは良く見える。

 ゴサクは、再び、剣を構え、相手の動きを注視した。

 巨人は倒木を一本拾おうとする。ゴサクは、その隙に間合いを詰めて切りかかった。相手は、気付き、片手を振り上げた。ゴサクは、その手に切り付けた。ゲェ。巨人が、また呻く。しかし、それほどの痛手ではないようだ。両者の体格差から、ゴサクが巨人の体を傷つけるには、その長い手をかいくぐって、懐に入らなければならない。

  ふいに、巨人が手に取った倒木を横殴りにした。それは、木に当たり、破片がゴサクめがけて飛んできた。ゴサクは、手で目をかばいながら、後ろに下がった。なんだ。こいつは。何をしようとしているんだ。

 巨人は、また倒木を拾い、ゴサクの方に向かって走り来た。ゴサクは、木が巨人との間に立つように逃げた。

 こいつ。あの魔導士ではないのか。魔法をかけてもこない。

 ゴサクは、キチベエのほうへ逃げた。ゴサクだと難なくすり抜けられる木々の間でも、巨人だとその大きな図体が邪魔して迂回しなければならない。時には、木をなぎ倒して来るのだが、そうすると、余計に時間がかかる。ゴサクが、キチベエの側に来たとき、巨人との距離はかなり開いていた。

「あいつは、あの魔道士ではないよ。恐らく、召喚した魔物だろう。」

  キチベエは、ゴサクの問いに答えた。

「別の所で、巨大な妖気を感じる。恐らく、奴は俺を呼んでいる。

それが証拠に、あの巨人が襲いかかってくるのは、ゴサク、お前だけだ。」

  巨人が近づいてきた。二人は、巨人との距離を保ちつつ、会話を続けた。そうするのは、木々が巨人の進路を邪魔するように逃げさえすれば、それ程、難しいことではなかった。

 「召喚したばかりだから、奴はまだ戦いに慣れていない。倒すなら、早いほうがよい。」

 キチベエは続けた。

「それでは、あの倒木の横殴りも、単に扱い方を知らないからか。」

  ゴサクは、独り言のようにと言った。

「俺は、フミキチのところに行く。」

  キチベエは、進路を横にそれた。火魔を一人、道案内に前のほうを歩かせる。夜の森は、暗い。火魔の明かりが無くても歩けないことはなかったが、余計なことに神経は使いたくなかった。

 ゴサクのほうは、巨人に取りついている火魔の明かりを頼りに足元を見分ける。所々、石や木の根が張り出し、躓きそうになる。

  距離が近づくと巨人は倒木で殴りかかった。しかし、またもや、木に当たり、砕け散った。

 ゴサクは、懐に飛び込み、横に剣を払った。巨人の腹から、鮮血がほとばしる。グエッ。横合いから、巨人の手が伸びてきた。剣を返す時間はない。ゴサクは、しゃがんで、股の間をすり抜けた。巨人は、意表をつかれたようだ。

 そのまま、後方に逃げようとすると、足を巨人に掴まれた。巨人の手は長い。ゴサクが、ちょっと、もたついたというのもあったのだが。すさまじい握力だ。骨も折れんばかりの激痛がゴサクの足に与えられた。ゴサクは剣で払って、何とか、相手の手を放させた。

ゴサクは、巨人から急いで離れた。

  巨人は、腹から血を滴らせながら、追ってきた。

 あの筋肉では、致命傷は無理かも知れんな。このままいくと、先にこちらが疲れるぞ。

 ゴサクは、まだ、足に残る痛みを感じつつ逃げ続けた。

 つかまると、かなり危ない。とんでもない馬鹿力だ。どうやら、一つ目巨人というのは、優れた格闘家のようだな。こっちは、武器を持って、何とか五分。森の中ということを考えれば、少し有利か。

しかし、あいつが戦闘に慣れてくれば、それも逆転するだろう。あれでも、あいつは素人なのだ。どう見ても、そう思えんが。

  巨人は、何回か横殴りを繰り返した。ゴサクは、その度に切り付けるが、致命傷は与えられない。

  やがて、巨人は倒木を縦に振るようになった。

 一つ学んだのだ。これで、倒木を木に当てることもなく、武器として使える。攻撃範囲は、飛躍的に伸びる。ゴサクの剣の届かない所から、巨人は攻撃可能なのだ。それでも、木をうまく使えば、相手の懐に飛び込める。

 これが、もし、平地の戦いであれば、ゴサクは不利な状況と言えた。

  倒すには、相手の頭を狙うしかない。体をいくら傷つけても、無駄なのだ。相手の筋肉を貫けるだけの、力がゴサクには無かった。

別にゴサクが、非力だというわけではない。その分厚い上半身からも、太い二の腕からもそれは明らかである。しかし、巨人の筋肉は、まるで、鋼のような強靱さを持って、ゴサクの攻撃を跳ね返した。

  ゴサクは、相手の隙を伺う。

  さらなる戦闘が重ねられる。相手は、明らかに慣れてきており、倒木でフェイントをかけ、待ち構えていたりした。もはや、ゴサクの優位はほとんど無いといって良かった。

 そろそろ、勝負をかけなければ。しかし、どうやって、一メートル上の頭を狙う。方法は幾つかある。

 ゴサクは、決して、身軽なほうではない。

  巨人が倒木を振り下ろした。ゴサクは、横に飛びのき、木の影に入った。倒木は、ズシンと地面を打ちつけて、細かな破片が飛び散った。

  ゴサクは、ふいに飛び出ると、巨人の持つ倒木を駆け上がった。

巨人は、一瞬、呆気に取られたが、すぐに、ゴサクを振り落とそうと、倒木を横に振った。

 だが、その前に、ゴサクは、巨人の顔目掛けて跳躍していた。倒木を踏み台にしたおかげで、高さは十分だ。巨人は、後ずさるが、突っ込んでいくゴサクのほうが、はるかに速い。ゴサクは、巨人の側頭部に切り付ける。ギャア。巨人の口から、苦痛の声が出る。剣が血を吸った。

 ゴサクの体が、巨人に掴まれた。構わず、ゴサクはもう一度切り付けた。ゴサクの剣は、巨人の頭部をかすり、ゴサクは、上へ放り投げられた。巨人の、腕力にかかっては、それは、まるで、軽いものでもあるかのようだ。ゴサクは、奇妙な浮遊感の後、落下に入った。何とか、中空で、枝に掴まろうとして、腕を伸ばす。一本目の枝は、ゴサクの体重を支えられず、二本目で、何とか、樹上に留まった。

  騒ぎに抗議するように、周囲で、鳥の羽ばたきや鳴き声が起こる。

 下を見ると、巨人は、側頭部を押さえながら、上を見ている。一つ目が大きく見開かれ、憤怒の形相となっている。

 ゴサクは、これと似たような顔を何処かの寺院で見たような気がした。伝説。俺は、伝説に出てくる怪物と戦っているのか。

 先からの激闘で、巨人に取りついている火魔も、もう、残り少なくなっている。

 キチベエは、どうしただろう。

  巨人は、ふいに、オウオウという奇怪な声を出しはじめたかと思うと、木を揺らしはじめた。少し、油断していたゴサクは、危うく落ちそうになる。ゴサクは、幹のほうに移動した。

 ゴサクは、先程、投げ上げられた瞬間に、剣を落としていた。ベルトに付けていた探検を抜く。貧弱な武器だ。

 巨人は、木を揺らしつづけ、その叫び声は、ゴサクを殺さずにはおかないという意思を示しているように思えた。巨人の叫び声により、夜は目覚めたようだ。獣や鳥が、その叫び声に呼応する。

   ゴサクは、心の底から、絶望が沸き上がってくるのを感じた。

これ程の力の差とは。しかも、ゴサクは剣を取り落としていた。疲労と苦痛が、さらに、絶望を増幅させようとする。

 しかし、ゴサクは、考えようとする。何とか、切り抜けるのだ。

何も、ゴサクは、これまで、剣だけで生き抜いて来たわけではない。

もし、そうした人間であれば、ここで諦めていたであろう。明らかに、格闘家としての腕は、相手が上だ。剣技における自信など粉々に打ち砕かれる。

 しかし、ゴサクにとっては、剣技といえども、生きる手段に過ぎない。自分の剣技が通じぬ相手など、今まで、いくらでもいた。特に、こうしたこの世のものでない者たちだ。こうした者達が、常に、ゴサクを危地に追い込んだ。彼らに、剣技が何の役に立つ。魔道士か。それも良いかもしれない。しかし、自分が魔道士に向いているとは思えない。

 ゴサクは、改めて、この世の者でない者、ずば抜けた力を持って、しかも、自分を殺そうとしている者を見た。木が、メキメキと折れそうな音を立てた。

  巨人は、木を揺らし続けた。果して、この怪物において、疲労するということがありうるのか。ふいに、巨人の返り血を浴びたゴサクの姿が宙に舞う。巨人は、落下点を避け、それを打ち落とした。

そして、襲いかかる。

 ドスン。巨人の上に何かが落ちた。ゴサクだ。短剣が、巨人の首に柄の当たりまで、深々と突き刺さっている。高所からの体重をかけた当たりで、巨人の分厚い筋肉をも貫いたのだ。巨人は、叫び声も上げずに、地に伏した。即死だった。

 ゴサクは、もう、ほとんど、動くことが出来なかった。巨人の背から、転がり落ち朦朧とした意識で辺りを見回し、剣を探すが、疲労と苦痛が意識を失わせようとする。ゴサクは、そのまま、意識を失った。

 

  一方、キチベエはフミキチと向かい合っていた。ここは、木が疎らで、少し開けた感じになっている。彼らは、じっと、ゴサク達の戦いに耳を澄ましていた。巨人の叫び声が止んだ。森は、また、獣の鳴き声以外は、聞こえないようになる。

  フミキチは、火魔を体に宿らせており、キチベエの体の数カ所には、手首がーそれは、切断された手首であったーついていた。その手首共を空中に浮き出た火矢が貫き、手首はキチベエの体を離れて森の中へ消えた。

 フミキチは、口から泡を吹き、火魔のほうに飛ばした。泡は生物が捕食するように火魔を包み込み、火魔は、もがき苦しむように見え、消え去った。

  フミキチの額の中央にある目と、キチベエの双瞳は見つめ会う。

それは、あたかも、恋人同士のように。ある熱烈な感情を持って。

それは、敵であるが、それでもある共通する物を持った者同士の、魂の交歓と言ってもよかった。彼らは、身内にある昂りを感じているように見えた。

   フミキチは、呪文を唱えながら、右手に持った杖である図形を描いた。

 ふいに、地面から、肉の半ば腐れ落ちた手が出てきて、キチベエの足を掴む。キチベエは、空中に浮上する。つられて、それも、地上に現れ出る。死人である。腐臭が、辺りに漂う。くぼんだ目が、キチベエを見つめた。それは、キチベエを地面に下ろそうと、筋肉の無い腕に力を込めた。

 他にも、数体、死体が現れ出た。ほとんど、骨だけの者もあれば、まだ、肉がかなり残っているものもある。キチベエの方へ、おぼつかない足取りで、それらは集まってきた。腐臭が増す。

 キチベエの指輪の一つが光り出し、白光が手を包んだ。キチベエは、かがんで、その手を死体の頭の上に置いた。光は死体を包み、死体は粉と化した。キチベエは、他の死体にも、光を送り込む。彼らは、粉と化して、風に飛ばされた。

  四つの火の輪がフミキチの周りに浮かぶ。

 それらは、フミキチの頭上から降りてきて、フミキチの体を輪の中に通すと、胴体の所で輪を狭めた。フミキチの胴体は、段々締めつけられて、火の輪は食い込んでいく。フミキチは呻いた。胴体が切断されて、火の輪は消滅した。

 しかし、フミキチの体は、倒れ込むこともなく、切断された状態のままである。やがて、上半身がそろそろと浮上した。キチベエの浮かんでいる高さに達すると、フミキチは青白い顔に笑みを浮かべた。

 切断された上半身からは、脊髄や内蔵がぶら下がっている。フミキチのぶら下がっていた腸は、キチベエの方に伸びてきて、防御の動きも虚しく、首に巻きついた。生温かい感触が、キチベエをぞっとさせた。

 それは、じわじわと締めつけてきた。キチベエは、腰に差してた短剣を引き抜き、何とか腸を切断した。腸の一方は、フミキチの体に戻り、切り離されたもう一方はなお、キチベエの首を締めつけてきた。キチベエは、意識が遠のいてくるのを感じた。先程の指輪が白い光を発し、キチベエは、それを腸に送り込んだ。腸は、粉と化した。

  その指輪は、幻獣王が製造したとの言い伝えと共に、幾人もの魔道士を経て、今キチベエの指に嵌まっている。その白光は、生体には活気を与え、死体は粉と化す。恐らく、フミキチは、腸が切り離されたその瞬間何らかの呪法をかけて、活動を続けさせたのだ。

 フミキチの上半身は、再び、下半身と結合していた。まるで、つながり具合を試すかのように腰を回している。

  フミキチが、杖を天にかざし、呪文を唱えた。ふいに、キチベエの後方にカメレオンのような姿の巨大な怪物が現れ、キチベエを丸飲みした。

 それは、緑色の皮膚を持ち、辺りをキョロキョロと窺う。キチベエを消化しようと内蔵へ送り込もうとしていたが、キチベエは、手足を踏ん張って、喉の所に引っ掛かっていた。

 喉の粘膜から、消化液が垂れてきて、外套に掛かった。キチベエを溶かそうというのだ。外套の液の掛かった部分は、変色していて、キチベエは手を引っ込めて、足だけで何とか体重を支えた。消化液の量がどっと多くなる。顔や手に掛からぬようにかがむ。

 キチベエは、懐中から植物の種を一掴み取り出すと、すりつぶして、呪文を唱えた。すると、手からネバネバした液体が流れ出て、キチベエの全身を包んだ。その粘液は、消化液を分解し、キチベエに無害なものへと変えた。

 先程の種は、人々に恐れられている動物の体内で生育する植物のものである。動物の体内に入り込み、分泌される消化液を無害な物へと変え、消化器官の内壁に取りつき、栄養分を摂取する。

  キチベエは、その粘液に守られ、呪文を唱えた。その呪文に、キチベエが森の数カ所に埋めておいた細長い丸棒状の呪具が共鳴する。

キチベエは、それらの呪具を使って結界を張ろうとしていた。魔道士は、己の結界の中では、凄まじい力を発揮する。キチベエが、結界を張ることに成功すれば、勝利は彼のものになるだろう。キチベエの結界は、彼を中心に徐々に大きくなる。

  結界が怪物を飲み込んでしまうと、怪物は、キチベエを吐き出し、通常のカメレオン程度の大きさのにまで縮んで、物陰にチョロチョロと逃げ込んだ。

 森の中に、目に見えない渦が発生し、その力動的な場は広がっていく。それを、敏感に察知する動物は、恐れの叫び声を上げつづけた。植物は、静かに事の成り行きを見守っている。それでも、樹液の流れる速さは増していた。

 空間が、現実からキチベエの結界へと変貌しようとしている。

 フミキチも、己の周囲に結界を張り、キチベエの結界を防ごうとする。

 その境界を挟んで、風の速さ、温度、明るさが異なる。キチベエの結界のほうが、若干明るい。しかし、その闇と闇の区別は、通常の人間には見分けがたいものである。森の住人たちである動物たちと、魔道士とは、それを見分け、戦いがどちらに有利に進んでいるかを判別できた。キチベエのほうが有利だった。

 それは、先に埋めておいた呪具のお陰である。それにより、キチベエは、空間への足掛かりを得、そこで、魔力を増幅させ、フミキチを包み込むように結界をジリジリと広げていく。

 フミキチは、後方に下がろうとする。何とか、呪具のなす多角形の外へ出ようというのだ。しかし、その呪具のせいで、後ろにも結界を張られ、用意に後退できない。今や、フミキチは、その周囲をキチベエの結界に囲まれる形となった。フミキチを包む結界が、さらに、狭められる。フミキチは、何とか、その動きを留めようとする。元々、白い彼の顔が更に白くなり、目は大きく見開かれ、結界を押し止めようとでもするかのように手を前に突き出した格好で、ジリジリと後ずさりする。

 フミキチの結界の外では、火魔が従来の三倍ほどの大きさとなっていた。それは、凶暴な極彩色の炎を燃え上がらせ、フミキチの周囲を飛び回っていた。結界は、さらに、縮まり、フミキチの右手が結界の境界を越えた。それに、火魔が群がった。

「あつっ」

 フミキチは、呻きを発して、手を引っ込めた。先程は、ほとんど相手にならなかった火魔が、今は、脅威となっている。フミキチは、右手に火傷を負った。

  こののままでは、ダメか。敵を甘く見すぎたのかもしれない。若造だと思っていたが。

 彼が、白馬山を抜け出してから、これほどの魔力を持った敵と当たったのは始めてだった。油断があったのか。

 フミキチが、観念しかけたとき、ふいに、後ろの結界が弱まった。

フミキチは、その弱まった結界のほうへ駆け出す。フミキチの指輪が光り、前方を照らしだしている。いくら、魔道士といえども、月明かりのみでは、森のなかを駆け抜けるのは、困難だった。

 フミキチが進につれ、彼の結界は大きくなる。キチベエの結界の平衡が崩れたのだ。お陰で、フミキチは、押し出されるような感じを背に受けて、結界の外へ出ようとしている。

 誰かが呪具を抜いたに違いない。それは、地中に埋めてあった。

だから、偶然によって、抜かれる可能性はまず無い。新たな魔道士。

結界の変化は、それを告げていた。

  キチベエも急いでフミキチを追う。フミキチは、それが、彼の弟子、ハンゾウの仕業だと予測できた。彼には、森の外に留まるように言ったのだが、どうやら言いつけを破って入ってきたものらしかった。

 今回は、大目に見てやるか。なにせ、命を助けられたのだ。詰問するわけにも行くまい。

  果して、フミキチの視界にハンゾウの姿が入った。ハンゾウは、師の姿を見つけ、手を振る。こんな時に手を振るのは、いかにもハンゾウらしく思われ、フミキチは苦笑した。

 フミキチは、それ以上後退するのは止め、ハンゾウにもそこに留まるように手で合図をして、また、結界を拡大しはじめた。ハンゾウを使って、増幅しようというのである。師の意向を知ったハンゾウは、呪文を唱えはじめる。

 新たな求心点を得たフミキチの結界は、キチベエのそれを押し戻し始める。逃げ遅れ、フミキチの結界に飲み込まれた火魔達は、無残な叫び声を上げ消失した。それを目にしたキチベエは、急いで、取って返す。そして、残った呪具の多角形の中に戻り、そこで、フミキチの結界に対抗しようとする。

  森の中には、目に見えぬ力動の本流が蠢く。

 キチベエは、己の感覚が増幅しているのが分かる。己の結界のなかで、起こっていることが、まるで、自分の心中に湧き出るものでもあるかのように、己に語りかけてくる。キチベエは、感覚が重層し、その一部がフミキチと戦っているのだと他の一部で理解する。

  どうやら、フミキチの方が優勢のようであった。徐々に、キチベエの結界を押し戻していく。

 結界の境界は、それを感じるものによって、恐怖を呼び覚ますものでもあれば、風の流れ程度のもの、あるいは、方向感覚を狂わし、そこに引きつけられる魅力、あるいは、遠ざかりたくなる嫌悪ともなるものであった。

 キチベエは、じりじりと後退する。呪具と人間の差であった。ハンゾウは、フミキチやキチベエに比べるとまだ少しの魔力しか持っていなかったが、平衡を崩すには、十分であった。

 キチベエは、かなり下がったところで、改めて、結界を持ちこたえようと試みる。これから、どうするか。キチベエは、迷った。新たなる魔道士の出現は、予期せぬものであったし、それによる己の劣勢を挽回する手立てを考えなければならない。

  フミキチは、前進するようにハンゾウに合図する。ハンゾウは、初めて、魔道士同士の戦いに加わり、気分が高揚していた。師の後ろにいるおかげで、恐怖や不安は、ほとんど感じない。フミキチが、下生えのなかを縫っていくのに付き従い、五メートルほどの距離を保ち続ける。

  戦いが、新たな局面に移ろうとしているそのとき、両者にとって、予期せぬことが起こった。両者の結界の境界の辺りに、何か異物が出現したのである。その異物は、魔の領域に属する何者かであった。

 彼らは、それを見ることができる位置にいなかったが、それの出現と動きは手に取るように分かった。それは、彼らの結界を浸食し、広がりだした。

 キチベエは、それから、太古の意思の様なものを感じた。

 境界がキチベエのほうへ押し込んでいた分、それは、先にキチベエの方に到達した。それは、森の空間全体に広がる木の根のようにみえた。キチベエの結界を吸収している。キチベエには、それが感じられた。その内の最も太い幾本かが、キチベエ目掛けて伸びてくる。キチベエは、火魔を出して、その根が、キチベエの体にまとわりつくのを防ごうとする。それは、火魔により、焼かれても、なお、キチベエを掴もうとして伸びてくる盲目の意思に支配されていた。

 キチベエは、火魔を周囲に巡らし、森の外に出るべく後退する。

 こいつは、伝説の魔精樹か。はるか昔魔力を養分とする植物があったと、古ぼけた写本で読んだ記憶があった。そうすると、あの骸骨もこいつの犠牲者だったのだろう。

 その根をたどっていくと、そこには、古木の群れを発見できただろう。それは、まさしく、キチベエが骸骨を発見した場所に立っていた。キチベエが、発見したとき、それは、枯れ木だった。しかし、今では、若々しく、葉を繁らせ、根を空中に張り出している。巨大な二つの魔力が、彼らを太古からの眠りから目覚めさせたのだ。

  その根は、当然、フミキチの方にも向かっていた。フミキチは、前進するのを思い止まり、一時、彼の結界が何者かに浸食されるのを立ち止まって、感じていた。

「さがれ。」

  フミキチは、後方にいるハンゾウにそう言って、そちらに駆けだした。師弟は、並んで走る。ハンゾウも、事の異変には気付いていた。何か、引きつけられるような不思議な感覚を、その異物から感じていた。それは、魔精樹が、魔力を持つ者をおびき寄せるために発散する香気のようなものだった。それは、魔力を持つものに作用し、いつの間にか、魔精樹のところへたどり着かせるのだ。人は、森では、方向感覚を失う。そこでは、方向という感覚を失い、それとは、異なる感覚が支配する所であることを知る。そのような所で、ある魅惑に満ちた香気に出会えば、人は、知らず知らずのうちにその香気の方向へと向かうものだ。魔精樹の根元へと。

  しかし、その魅惑も、フミキチの指示に逆らってまでという程、強烈なものではない。二人は駆けた。再び、フミキチの指輪が光り、前方を照らしだした。

  背後の森の中から、根が結界を吸収ながら、伸びてきた。その根は、やがて、彼らに追いついた。

 フミキチは、二、三の怪物を呼び出したが、それは、却って、魔精樹に餌をやっているようなもので、根は、たちまちに怪物をおおいつくした。

 一本の根が、フミキチの足を捉える。フミキチは、倒された。ハンゾウは、それに気付き、フミキチの所に駆け寄った。

 フミキチは、無数の根にからめ取られていく。根は、ハンゾウのほうには、見向きもしない。それらは、餌をその本能により見分けるのだ。ハンゾウは、腰の短剣を抜くと、それらを切り離そうとする。しかし、なにぶん、数が多すぎた。ハンゾウは泣きながら、際限のないその作業を続けている。もはや、フミキチは、根に囲まれて、ハンゾウからは見えない。

 しばらくすると、根は、一本、一本、森の奥へと戻っていった。

ハンゾウが、そこに見いだしたものは、皺だらけになって、生気のないフミキチの姿だった。

「先生。」

  ハンゾウは、恐る恐る呼びかけた。フミキチは、それに、うめき声で答える。どうやら、命は取り留めたらしい。

 魔精樹というものが、そもそも、命迄は取らないものなのか、それとも、十分に養分を吸い取ったから引き返したのか、それは、分からない。ハンゾウは、膝を突き、師の生存にまた涙した。

  一方、キチベエは、何とか、森の外側迄、逃げきることができた。

根は、森の外側までは、追ってこなかった。

 キチベエは、森から、十メートルほど離れて、根の動きを見ていた。それは、まだ、キチベエを諦めきれずに、森の周辺に留まっていた。

 キチベエが、フミキチ達と違って、逃げきれたのは、彼の魔法が、火を使うものだという幸運によるものだった。魔の領域に属するものでも、植物には変わりないようで、火には弱く、それらは、キチベエにまとわりつく前に次々と炎に包まれ、焼け焦げていった。

 キチベエは、森の中で、フミキチの放つ妖気が衰えていくのを知り、この戦いが終わったことを知った。彼は、そこで、夜が明けるのを待った。

 

  東の空が、白みはじめる。朝だ。キチベエは、しばらく、森の様子を伺っていたが、根が見当たらないことを確認すると、森の中へ戻って行った。その道すがら、キチベエは、昨夜の戦いの後の根の残骸をそこかしこに見つける。そこは、まるで、一本道のように、周囲の木々は、焼け焦げていた。キチベエは、それをたどって戻っていく。

  横穴の近くまで来ると、トヨがゴサクの側に座っているのが見えた。

「よう。生きていたか。」

  ゴサクは、キチベエを見るとそう呼びかけてきた。その口元には、笑顔が見えた。トヨの方はといえば、顔に、満面の笑みを浮かべている。ゴサクは、体のあちこちに、痛ましい傷を負っていたが、命に係わるほどのものではないようだ。

「奴はどうした。倒したのか。」

  ゴサクが聞く。

「何とかね。トヨさん。ゴサクに、この薬草をすりつぶして、塗ってくれないか。」

  キチベエは、懐中から、薬草を取り出し、トヨに与えた。トヨは、革袋のなかから、手のひらほどの碗を採りだすと、そこに、薬草を入れ、近くに落ちていた枯れ木を使いすりつぶす。すり潰されるにつれ、葉から、茶色の汁が出てくる。キチベエは、トヨの握っている枯れ木を見て、昨夜のことを思い出し、森の奥の方をうかがった。  トヨが、薬を作って、ゴサクに塗っているあいだ、男二人は、昨夜の戦いについて語り合った。彼らは、巨大な安心感に包まれていた。何とか、生き延びたわけだ。

  彼らが、食事を取っていると、一人の男がやって来た。ハンゾウだった。彼らは、昨夜、顔は会わせていない。ハンゾウは、おずおずと三人に近づく。トヨは、ゴサク達の後ろに隠れる。キチベエとゴサクは、立ち上がった。

「フミキチの弟子か。」

  最初に声を掛けたのは、キチベエだった。キチベエは、昨日の戦いで、フミキチの後方に出現した妖気をこの男から再び感じていた。

それは、かなり、薄められたものであったが。

 ゴサクは、剣に手をやろうとする。それを見て、ハンゾウは、近づくのを止めた。

「先生がこれを。これは、一つ目巨人を呼ぶ笛です。」

  そう言って、ハンゾウ、彼らの中間にある石の上に、それを置き、下がる。

 こうした、動具の交換は、魔道士同士の友好を示す慣習である。

ここで、キチベエが、ハンゾウの出したものの受取を拒絶すれば、敵の和解の申込みを拒絶したことになる。何故、フミキチが和解を申し出たのかは不明だが、キチベエは、ひとまず受けることにした。

これ以上、このいさかいを続けることはキチベエ達にとって、何ら利益があるようには思えない。

  キチベエが、数歩前に出て、それを拾う。それを見て、ハンゾウは、森のなかへ帰ろうとする。

「待て。」

  キチベエが、呼び止める。キチベエは、小さい袋をハンゾウに向かって、投げ渡す。それは、昨日、キチベエがカメレオンの怪物の体内で使った植物の種と石が入っていた。

「オニゴロシの種だ。その石は、解毒に使う。お前たちは、これから、どこへ行くんだ。町に戻るのか。」

「町には戻りません。これから、修行の旅に出ます。」

「そうか。では、近くの町まで、この女性を連れていってくれないか。」

  そう言って、キチベエはトヨを指さした。他の三人は、驚きの表情になっている。

「でも。」

  トヨは、何か言おうとした。

「彼女を知っているんだろう。」

  キチベエが、尋ねた。

「はい。」

  ハンゾウは、うつむいて答える。顔を赤くしているようだ。キチベエは、何度となく、ハンゾウの視線がトヨの方に行くのを見て、あて推量で言ったのだった。宿場町といっても、小さな所だから、知っていてもおかしくない。しかも、若い男女であれば、尚更であろう。トヨは、美人と言うほどではないが、それなりの器量をしていたし。ハンゾウは、知っているどころか、好意を抱いているようで、キチベエは、多少愉快に感じた。

  ハンゾウからは、フミキチほどの邪気は感じられない。おそらく、人を憎んだことなど無いのかもしれない。そうした男が、フミキチの弟子になっているのは不思議な感じもしたが、逆にそうした男だからこそ、なれたのかもしれない。ハンゾウは、フミキチの怨恨を理解できないだろう。

  キチベエは、ハンゾウが知らないといっても、彼に任せる気でいた。とにかく、トヨを白馬山に連れていくわけにはいかない。死にに行くようなものだ。ここに置いてきぼりというのも、気が引けた。

だからといって、近くの町に、連れて行っていたのでは、白馬山の大際を逃してしまう。キチベエは、タメの言葉がまだ頭に残っていた。キチベエは、ハンゾウの善良そうな様子に賭けることにした。

「魔道士との珍道中も、案外、面白いものかもしれない。それに、彼は、守ってくれるであろうし。これ以上は、連れていけないんだよ。トヨさん。」

  キチベエは言った。トヨは、三人の男を見比べた。トヨはその脳裏に、昨日横穴から、かいま見た、ゴサクと巨人の戦い、そして、そのしばらく後に、森を覆った不気味な根を思い浮かべていた。キチベエの言っていることは、トヨにも理解できた。

 結局、トヨは、ハンゾウ達と一緒に行くことになり、キチベエ達を残して、森の中へ消えていった。その際、トヨは、何度となく振り返った。やがて、キチベエ達が見えなくなると、ハンゾウに手を引かれて、歩調を早めた。

  彼らが、フミキチの所まで、戻ってきたとき、フミキチは、戦いの疲れからか、眠っていた。ハンゾウは、師の側に、キチベエからの贈り物を置くと、トヨのために座るところを作ってやった。

  一方、この物語の主人公たちはといえば、

「あいつ。トヨに惚れていたのか。」

「そうだろうよ。」

  と、たわいのない話をして、食事の続きを済ませていた。