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『 NO という勇気 』〜第32章〜
最近、何度か「NO」を言わねばならない出来事が続いた。仕事でも、プライベートでも、こちらの気持ち以外のところで、「NO」と言わねばならない出来事は、言う方の私もとても辛い。
「NO」の言い方もいろいろ工夫して、相手も自分も快くおさまるようにと努力する。その甲斐あってか、それとも最初から意図していた出来事か、「NO」と言ったことが、後になってほとんど好転的に変化していった。
「NO」という前、とても緊張して気を遣って、小心者の私には精神的にとても悪い。しかしながら勇気を出してこちらの意向を伝えたNOに対して、相手は本当に快く代替案を出してくれたり、「目が覚めた」とお礼を言われたり、思いがけない副産物がついてきた。
私はかつて、「NO」が言えない子供だった。
小さい頃からハッキリとモノを言う事が出来なくて、ギリギリになって周りに迷惑をかけてしまったこともたくさんあったと思う。そんな中途半端な事を言われたら相手も困るだろうし、ハッキリと「なぜダメなのか」理由を告げて(場合によっては理由もなく)「NO」を言えたなら、周りも、自分も、傷付かずに大人になれた気もする。
「NO」を言う時、こちらはとても気を遣うが、相手は案外そんなことは気にしていなかったりするし、最初から「NO」も考慮に答えを求めているのだから、何も無理する事はなかったのかも知れない。
私には今、譲れないポリシーがある。
私の中の、何物にも変えられない、譲れない物がある。それを持ってから、一層自分を大切にするようになったし、自分の心が否定するものを、一切受け入れられなくなった。もし誤って受け入れてしまったら、私の中の良い物までが、悪く染まってしまうのが分かるからだ。だから絶対に受け入れられない部分があり、譲れない物があり、許せない事がある。
大切なものが明確になってからの私は、以前より強くなったと思う。「NO」が言えなくて同情で自分を曲げることも今は少ないし、相手がどんな人であろうと私には、私を守るポリシーがあり、私が守るポリシーがあるから、私の心が否定することは、出来ない。
「NO」という時、心は少し泣いている。NOと言わねばならない状態に自分を置いていることも残念だし(私と言う人間をもっと理解されていたなら、その出来事は私に来なかっただろうから)それも未熟な自分の蒔いた種。もっともっと精進して、なるべくなら「NO」と言わない環境に、身を置きたいと自分を省みる。
立続けに「NO」という機会が増えたのは、ちょっとしたテストだろうと思っている。
3年前、私は大きなテストを受けた。人生のテスト。その時、私は自分でも驚くくらい綺麗な「NO」が言えたのでとても満足していたのだが、4年前の私は、小さな「NO」が言えないせいで、たくさんの人に大きな迷惑をかけた。その時から「その後はちゃんと出来ていますか?」と、神様に問われているのだと思う。少し忘れていた事を、思い出させる為の、出来事だろうと思う。
たいした事でもないのに、小さな「NO」が言えなかった子供時代、、、大人になった今では、とてももったいなかったと思うけれど、それも今の私を創っている一部分。否定することなく、受け入れよう。そしてこれからの私は、決して泣き寝入りすることなくハッキリと、そして相手にも良くなるようにと願いながら、明るい「NO」が言えたらいいと思っている。
midori,a
『 Picture Stage 』より
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