『出逢いのしくみ』 〜第4章〜
誰かと出逢い、そして別れる---そんな当たり前のような日常を、無意味に過ごしてはイナイだろうか。
人生のどの瞬間にも意味がある、とまでは言わないけれど、少なくとも出会いと別
れに関しては、大きな学びと修行があると私は思っている。
学生時代にはグループがあって、好きなモノ同士が一緒にいればそれでよかった。嫌な先生がいても、その授業だけ我慢すればよかった。しかし社会人になるとそうもいかなくなった。サラリーマンであれば苦手な取引先もあるだろうし、OLであれば嫌なお局様もいる。その人達から「苦手」という理由で逃げる訳にはいかず、かといって対処も困難である場合が殆どだったりする。ことに24才で独立した私は、駆け出しの頃セクハラ的な取引先やあからさまに嫌がらせをするお節介な先輩にその都度悩んだりもした。若さゆえの、葛藤や苛立ちがあった。
しかし有り難い事にそれどころではないほど当時も多忙に過ごしていたし、誰もが通
る道だとも思っていたので、なりゆきに任せていたのが功を奏したのか、数が多すぎて自分自身慣れてきたのか、その内そういう悩みは自分自身にもよるところがあると反省もした。そしてそれ以上に、素晴らしい出逢いの数々があった。
そして得た私なりの結果は---嫌な相手と出逢うのは、それは自分自身のレベルが低い時。自分に合った相手と出逢っているだけのこと。相手の苦手な部分を、自分も誰かにしてはいないだろうか、自分自身を見つめ直す事も必要なのではないか、、と。しかし逆に、尊敬出来る素晴らしい相手と出逢うのは、自分自身の努力の成果
で、頑張った『御褒美』 だと思っている。
自分の事は自分では良く分からないものだ。他者がいて初めて自分のことがよく見えて来る。そういう意味でも、「出逢い」というのは自分探しのヒントになると思っている。出逢いは鏡。自分自身を映し出す、正直な鏡なのだと。
明日出逢う人は、どんな人かな---そしたら自分が今、どんな自分なのか、きっと分かるんじゃないかな。
明日はきっと、あなたと出逢えますように。
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