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人は今世だけではどうにも変えられないカルマを持って生まれ、そして死んでゆく…
と私は人生を捉えている。 前世、前々世で作ってしまった自分の過ちを、人は必ず次の世、もしくは次の次の世…ようするにどんなに先でも必ず自分の過ちを正さねばならないのだと。。。
「自分の蒔いた種は、必ず自分で刈り取らなければならない」と私はいつも何かにつけ思う。というより、そう気付かされる出来事に出会う。
それは今世だけに言えるのではなく、この魂が生まれ、
あらゆる過った判断で歪(いびつ)になった魂が、またあらゆる出来事で学ぶことにより磨かれ、まん丸になるまで続く輪廻転生の中、ずっと当てはまることなのだろう、と。(いろんな本にも書いてますが…)
でも逆に、記憶のない大昔に(今世、生まれる前に)自分が蒔いてしまった種をも刈り取ることが必要ならば、ある種の覚悟を決めて刈り取らねばならないのだろうと思う。
そうすると、未来・来世と言わず自分の晩年、いや明日にでも「どうしようもない
出来事」が解消されることもあるそうだ。刈り取る覚悟(逃げずに受け入れ、誰のせいにもせず自分の意志で切り開いていく感じかな?)がどれだけ大切かってことだろう。
私は、私に訪れる出来事はすべて「いつか自分の蒔いた種の芽」だと
思っている。だからこそご褒美も、後悔も、すべて私の責任だと思う…から、誰かのせいにしたりはできない。その種を蒔いたのも自分だし、誤った芽をそのまま見過ごして苗から木にしてしまい、刈り取るどころか引き抜く作業を強いられて困っているのも自分。芽の段階で刈り取ればよかったものを、見る目のなさや怠惰な心がそのままその芽を木にしてしまった自分の責任。(木になったらのこぎりを使わなくちゃ抜けないので、自分一人の問題ではなくなってしまう!(>.<)そうなる前になんとかしなくては!!…と最近ホントによく思う)
そしてまた、良い種はたくさん蒔いておきたい。見返りを期待しがちな未熟な私(魂)なら、どこに何を蒔いたか覚えてなくてちょうどいいのだ。収穫の時期が、四季折々だとなお嬉しい。実りを期待せずして与えて頂くご褒美は、サプライズでとっても嬉しいもの!!
そんな風に、私が蒔いた種の芽は、それこそ「わたし」自身なんだ。
「私」は、過去の自分が「今のわたし」を信じて蒔いた種であり、
「私」は、未来の自分が「今のわたし」に期待して、応援してくれている芽なのかも知れない。
だからこそ「今のわたし」は、過去の自分にも未来の自分にも
恥ずかしくないよう生きていかなくちゃ!できるなら光り輝く芽を出して、実りの多い木になって、誰かに喜んでもらえる花をたくさん咲かせたいと思う。
なぜなら…
…かくいう私が誰より一番、、たくさん失敗をしてきたから、、、かな。。(^^;
midori,a 良い芽になります宣言 〜2005年4月〜
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