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私には、まだ行ったことのない場所がたくさんある。
まだ、聞いたことのない言葉、見たことのない世界、触れたことのない空気、会ったことのない人達がいるのだと、なぜかそのことを嬉しい気持ちで感じながら、見渡す限りの砂漠を、バスの窓から眺めた。
知らないことが多いのは、不安にも思う。知識が浅いことは、恥ずかしくも思う。けれど純粋なままで実践することは、耳年増になって実行しないことと、どちらがどうなのだろう、、なんて考えながら20億年前は海の底だった峡谷に思いを馳せてもみたり。
無知であることは、大人として恥ずべきことであるし、常識に欠けると言えないことはない。知らないでいることが罪になることもあるし、見て見ぬ
フリをする事は恐ろしい事だ。「悪気はないが気が利かない」コトも、大人としては恥ずかしい事なのだなあと団体行動の中、ぼんやり感じてみたり。
久しぶりにたくさんの人達と触れ合った。同じ場所へ、同じ目的で向かう人達の中「私一人いなくなっても世界は全然変わらないのかな」なんてふと思ってみたりしながら。次の瞬間、たくさんの方から頂いた励ましのお手紙やメールや笑顔を思い出し、「まだ死ねないな」と思い直す。
広いアメリカではもちろん、ツアー参加の誰一人として私のコトなど知らないけれど、私には居場所があるんだ---ってことを、胸に強く強く思う。
大きな世界を見渡し、小さな「言の葉カード」を通
じて築き上げられた「人の輪」に気付く。 きっとその「人の輪(幸せの循環)」こそが、私にとっての存在証明なのだ。
水道水のように蛇口をひねればいつでも満たされるような、そんな簡易的なものではなく、川を流れる水のようにとめどなく溢れてやまない愛でありたいと願う。
ただ、川を流れる水は一瞬たりとも同じ形ではない。いろんな波の変化があるし、温度も深さも変わる。毎日笑顔でいられないし、誰かの不機嫌さを都合良く理解も出来ない。すがりつかれる手を振払う勇気と、去る者は追わない潔さも時に必要なのだと思い知る。
けれどいつでもずっとそこに流れ続けるもの---川を流れる水のような、そんな愛を発信していけたら幸せだと、ふと、思う。「ここに来たらいつもその愛に触れる事ができる」---そんな愛を、誰かに、大切な人に、伝えていきたい。
弱いだけの優しさなら、誰かを傷つけもする。
自覚のない強さは、自分自身も傷つける。
必要なものが何なのか、足りないものが何なのか、修正すべき所を見つめ直す時間が、人生には時に「宿題」として現れるような気がする。それは自分にとってプラスの出来事ばかりではないけれど、それを受け入れる事が大切なのだと思えてならない。
たくさんの人達、たくさんの場所、たくさんの世界と出会った事によって、自分が変わっていくのを強く感じた旅だった。私には足りなかったモノ、一つはすぐに見つかったけれど、まだまだ気付いてない部分がある。それはこれから「余韻」で見つけていきたいと思う。
新しくたくさんの宝物(自然、人、場所)と出会った事によって、これまで与えられていた宝物にも改めて気付く。
日常の雑務に追われ忘れがちな幸福感を今一度見つめ直す作業は、私にとって「必要なコト」だった。
人生に「意味のナイことなどない」と言うのは、「人生に起こる事は全て意味があると言える努力をした人だけ」と思う。優しいだけの言葉は人を弱くする。時には突き放す事も愛だと知りながらその上で強さをふまえた「優しく温かい人」になりたいと思う。
飛行機が飛び立つ瞬間、ワケもなく涙が出そうになった切ないような有り難すぎるような、感謝の気持ちに満たされたあの感覚を、私はずっと忘れない。
もしも今後の「言の葉カード」に変化があったと気付かれたなら、どうぞ御一報を!自分自身の変化を進化と前向きに捉え、楽しみに見つめてみたい今日この頃です。
長文 読んで頂きありがとうございました。m(--)m
2003.5.22 midori,a in USA(〜徒然なるままに〜)
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