歴代の名馬たち
--1980年--
[1] 駿麗
情報なし
[2] 駿陽
ガジラ、ガッちゃんとも呼ばれていた駿陽号。
いつもガジガジといろんな物をかじる癖があったことから、
そんなあだ名が付けられました。
馬体が細く魚馬とも呼ばれていて、鞍傷ができやすかったり足腰も弱かったようですが、
体型を理解した上で駿陽が活躍できるように世話をするのは、
当番にとって一つの楽しみでもありました。
いつも横目でこちらを見ているような、一見内気そうな表情と眼差しが、
今でも懐かしく思い出されます。
[3] 群龍
全日学の予選もかねている試合、我が群馬大学からは小林さんと群龍号が出場し、
2回ともゴールを切り順位は52位でした。その結果後日の幹事会で、
全日学への出場権を得ました。初めての大きな試合での小林選手の活躍は、
これらの学馬連への大きな踏み台になるでしょう・・・・。
(50年記念誌より抜粋)
長く群大の馬場で多くの部員を育ててくれた群龍。
「群大の看板馬」この呼び名にふさわしい馬でした。
[4] マリーナ
マリーナは足利乗馬クラブから来た、大流星・栗毛のアラブ種でした。
57年春の学馬連の障碍飛越競技では見事満点でゴールするという、
群馬大学馬術部にとっても初めての快挙を成し遂げました。
これは諸先輩方の努力や指導が実った瞬間でもありました。
しかし、馬術部の火事の際に火傷を負ってしまい、
蹄叉腐乱で立っていることもできず、安楽死ということになってしまいました。
[5] ジュリアン
今に比べて当時の群大の馬は馬体が小さく、その中でもまた小振りな馬がジュリアンでした。
とても人なつこくて、放牧しているときにハンモックで昼寝をしていると体をすり寄せてくるようなかわいい奴でした。
豆タンクと呼ばれるくらい元気で、駈歩練習をやり始めた一年生がジュリアンで走られるのは日常茶飯事だったようです。
障碍も果敢にこなし、招待試合や県大会にも出場、その上馬場馬術の試合にも参加していました。
[6] マノン
情報なし
[7] ライナープリンス
情報なし
[8] 群雄
情報なし
[9] サンダー
赤城国体終了後、何頭かの仲間たちと一緒に県馬連から群大馬術部にやってきました。
練習馬としては多少重かったけど、そこは県馬連の出身。
しっかり扶助してあげれば障碍も向けていくだけで飛んでくれました。
ただ、ちょっと気を抜くと速歩に落ちてしまい、
新人には練習にならないこともしばしば。
「駈歩!」と怒鳴って練習が終わってしまうこともあったように記憶しています。
それでも、障碍に向けると速歩のまま、
「ドッタン」と飛ぶのでお世話になっていました。
© GURC
戻る