『いつかの戯言』という詩のWEBリングがある。詩的感覚あふれたリング名だ。ここでいう戯言とは、その昔に、戯れに呟いた言葉たちを指して言った表現なのだろう。しょせん、人が書く詩の多くは、戯言そのものなのかもしれない、という解釈も、可能だが、それは少し言い過ぎであろう。
その昔に、戯れにつぶやいた言葉たち。その昔、いたずらに時を費やした異性への思い。その昔の、遥か彼方に消えていった、あの日の出来事。
『いつかの戯言』というリング名は、過ぎ去りし日の何かを人に連想させる。たぶん、それは郷愁であり、悔恨であり、見果てぬ夢である。
リング名について、そうした解釈をあれこれ施していく事は楽しくもある。ただ、あまりに想像がたやすいだけに、『いつかの戯言』というリング名には、私が安易に想像するよりも、もう少し深みのある意味合い、あるいはリング管理者の思いのようなものがあるのではと、私には想像された。
この連載は、女性詩人のサイトを中心に、ネットで100の恋を拾ってみようという試みからスタートしてみたものだった。持ち上げたテーマについて深い思惑があってのことではない。漂流という言葉を使ったのは、奇をてらったものではなく、海図も羅針盤も持たない漂流船のように、数千はあるであろうネット上の詩人たちのサイトを、あてもなく彷徨ってみようという私の意思表示からだった。
ほんの少し注意深い目で、詩人サイトを見渡せば、あきらかに二つのグループに峻別できることが分かるだろう。多少の語弊はあるとは思うが、一つは本格派詩人サイトというべきもので、同人誌系にも繋がる、正統派詩人たちのサイト群である。そしてもう一つのサイト群は、そんなグループ分けはないのだろうが、私なりに表現させてもらうなら、青春詩系・恋愛詩系に属する詩人達のサイト群である。
どちらかと言えば、前者はネットが在る無しにかかわらず燦然と輝き存在し続ける世界であり、そして後者は、もしもネットが無ければ、殆んど注目されることもなく、何ら発言手段を持ち得ないと思われる詩人たちの集団である。前者が玄人集団的なら、後者は素人集団とまで言い切ることも可能だろう。
詩の世界にあって恋愛詩が占める位置付けはそれほど高くはないのかもしれない。というよりも、恋愛詩そのものの評価が実は難しい。一つ一つの恋愛詩の優劣付けは意外にし辛く、仮に恋愛詩しか書かない詩人たちがいたとしたなら、その詩人たちが詩の世界で抜きん出た評価を受けることは困難なことだと思う。恋愛詩は、詩の世界の一側面にすぎないからだ。ただ、恋愛詩は、それだけで他を凌駕する輝きを放つ魅惑の領域でもある。詩を読むという行為は、ある一定の緊張感を人に要求するものだ。いかなる詩であろうと、その詩が作り出そうとする世界に触れようとするかぎり、己の中の何かを、その詩と同化させる努力が要求される。恋愛詩の場合、それが比較的容易に可能である。自分自身の恋愛体験を通して、詩が描き出す世界に身を投じることが出来るからだ。同化の度合いが高ければ高いほど、詩作者が意図した以上の感銘を与えるケースは稀ではない。恋愛詩の評価を難しくする要因の一つがそこにある。
ネットに散在する無数の恋愛詩。これほど多くの恋愛詩にたやすく触れられる世界はかっては存在しなかった。ネットの世界で100の恋を拾おうとする試みは、100の種類の恋愛詩集との出逢いを求めての彷徨いそのものでもある。その出逢いが、詩人として完成した領域にある人たちのサイトであろうと、詩を紡ぎ始めたばかりの詩人たちのサイトであろうと、わたしにとっては同じ事だ。それぞれの恋愛詩集が作り出す世界に、私なりに身を投じてみるだけのことである。この連載では、ひたすら恋愛詩にこだわり続けてみようと思っている。
貴方に届けたい言葉がここにあります。
今しか紡げなかった
貴方への想い
『いつかの戯言』という詩人リングには、しっとりと詩を紡ぐ、瀟洒で感じの良い詩サイトが多い。前回取り上げた瑠夏さんの《 INSOMNIA 》もそうだが、漂流記第3回の梅井さんの《 HEAVENLY GARDEN 》もこのリングに所属する。『いつかの戯言』というリング名が、多少なりともリングに集うサイト達を選別しているのかもしれない。
前回の漂流記をアップした後、次回サイトもこのリング内から見つけようと決めていた。日延べすれば、またずるずると先延ばしになって中断状態に陥る恐れがあった。これからはできるだけ早い時期に次回サイトを決めていくことで、連載が中断状態になることを避けたく思っていた。それに私なりに予感があった。予感というよりも確信に似たものだった。前回のサイトの時も、このリングに呼び寄せられたような気がした。潮の流れのようなものがあって、この海域がもう一度私を呼び寄せていた。
心の中の切なさや優しさのかけら
しまいこんでしまった涙の結晶
貴方の心に静かにふく風のように
私の心を届けます。 〜『月のかけら 星のなみだ』
話したい事があったんです
別に大した事じゃありません
取り留めもない私の想いです
そう きっと これが貴方の知らない私です 〜『Thought』
どのように表現すれば適切なのだろう。プラチナ・ナイフのようにストレートに突き刺さってくる明解な言葉たちの中に、さりげなく、強さと、はかなかさが同居している。結城摂那さんの詩には、人が一人であることを忘れさせてくれる何かがある。いつもの会話の延長のような言葉たちだが、大きな舞台装置など何も必要としないまま、広大な宇宙空間に読む人を誘うかのようだ。
こういう詩サイトを取り上げるには、正攻法で取り上げるか、あきらめにも似た心境で、多少よそよそしく突き放してみるしかないのかもしれない。結局のところ、私の筆力では後者を試みるしかなさそうだ。
このサイトに、カウンターはない。詩作者の心の軌跡を垣間見る機会を与えてくれる日記すらも存在しない。彼女の詩があり、きちんと整理されたリンクがあり、途切れがちの日付で会話が交わされた、少しさみしげな掲示板があるだけだ。『いつかの戯言』だけが、所属するWEBリングとして掲示されていた。
私のサイトのトップページには、詩関係のリングを中心に、WEBリングバナーがベタベタと貼り付けられている。これは当然アクセス・アップを意識したものだが、今までに、あるいはこれから先、快く漂流記への掲載を承諾していただいたサイトへのアクセス・アップに少しでも繋がればという思惑もあってのことだ。ゲーム関係のコンテンツは一応充実しているつもりなので、ゲーム系のリングを増やしていけば、アクセス数を今の倍以上にアップさせるのはそれ程困難なことではないと思っている。HPを運営する以上、アクセス数は意識する。私のサイトの場合、幾つかの好条件が重なり、スタート時から、日に200以上のアクセス数を記録することができた。今は平均300そこそこであり、素人のサイトとして分相応と思えるし、あとは成り行きに任せようと思っている。
実は、この連載をスタートさせた時、切りの良い7番目のサイトは、あるサイトを取り上げようと考えていた。そのサイトに合わせたapaulさんの浮世絵も決めていた。詩が一行も書かれていないサイトである。ただ、そのサイトには詩的なものを感じることができた。ぜひ、その人には詩を書いて欲しいと思ったのだが、平穏な今の生活をあえて変えたくも無いというような返答もあり、そのサイトを取り上げることについては一応断念した。そのサイトにもカウンターは無かった。
考えぬいた末に、すべてのページからカウンターを除けてしまいました。
その日から自分の私生活にユトリができました。
カウンターを取り除いた日の日記にそんな一文が書かれていたような気がする。殆んどアクセスのない頃の日記だった。本当に、伝えたいものがある時、カウンターなど必要なものではないのだろう。私自身はカウンターを取り除く勇気はないが、もしもカウンターを取り除くことができたなら、確かに、ネット生活にユトリらしきものが生まれるような気もする。
摂那さんのサイトにカウンターのない理由は分からない。これ程に秀でた詩サイトであるにもかかわらず、加盟するリングが一つというのも惜しいように思える。掲示板に書かれた遅れがちなレスの日付を見ても、彼女自身、あまり自サイトにはアクセスしていないのかもしれなかった。
スタートして2年を超えるサイトだった。掲載された詩の数は、けっして少なく無いのだが、詩の更新ペースはゆったりとしたものだ。本当に書きたい時、そしておそらくは、納得のできる詩が書き上げられた時にだけ、サイトの詩は更新されて行くのだろう。
恋愛の軌跡を反芻するような詩が多い。それは、取り返すことの出来ない思い出の日々を、いとしく、懐かしく紡ぎ続けているようにも思えた。
掲示板のレスを頼りに思い浮かべることの出来る彼女のかすかな横顔。つつましく、控えめだが、凛とした強さを持つ女性であるように思えてしまう。彼女のサイトにとって、それぞれの詩にとって、彼女自身の心の世界にとって、サイトのアクセス数など、何の価値も付与するものではないのに違いない。
ここに載せたものは、何らかの形で発表した物もありますが、全て私自身が感じ、浮かんだ言葉を紡いだものです。共感するのではなく、貴方の心の中にある、貴方自身の涙や、切なさのかけらを、昇華出来たら良いのになと、作者は思っています。
プロフィールの中に、そう書かれている。
恋ってね
好きな人の名前を
聞いただけで
涙が出てしまうくらい
切ないものだよ
< 恋−Part1− >
声が出なくなるほどに
乱れた思い
涙が尽きて
しまうのではないかと思うほどに
泣いた夜
影のない不安が
足早に忍び寄り
心の歪を舐めていく 〜『be anxious』
貴方が好きになってくれた私はもう
貴方を好きになった私はもう
何処にもいなくなってしまったのかもしれない
〜『CRY』
『私が死んだら
悲しんでくれる?』
馬鹿な質問に
ちゃんと答えてくれた貴方
少し嬉しくて
ほっとした
<遺書>
雪が降ったら
好きだった花を持って
逢いに行こう
寂しがり屋の君を
ぎゅっと抱きしめに
< My love >
サイトの構成は縦横無尽といわんばかりに、幾つかの詩コーナーに分けられている。大きく分ければ、Antholgy〜詩集〜 Antholgy of word。 それに会話によって構成された Antholgy of talk 。
Antholgy〜詩集〜 には10代の頃の詩集や、なんらかの形で発表された詩集が置かれていた。Antholgy of word には、POST CARD と SHOT SHOT という心のかけらを拾い集めたような、短めで秀逸な詩の一群が配置されている。すべての詩集を読み通したとしても、移り行く恋の軌跡を明確に把握していくことは難しい。綴られているのは、恋の断片であり、心の破片であり、言葉によって昇華され、蓄積されてきた青春の日のかけらともいうべき痕跡だ。流星群の一瞬の煌めきのように、読む者の心の琴線にストレートに触れてくる。
生まれ変わりたい
桜を見るたびにそう思う 〜『願い』
バイクの上から見た月は
すごく優しくて
夏の香りがした 〜『彼の背中で』
宇宙(そら)を見ました
大きくて
暖かくて暖かすぎて
このまま何もかも忘れて眠りにつきたくなるような
そんな瞬間でした 〜< With wind >
時間なんて要りません
神様 私に時間を与えた貴方を
恨みます 〜『眠らせて』
ネットの中で恋愛詩集を探し続ける旅は、必ずしも恋愛詩だけの出会いを求め続ける事を意味しない。サイト内のほとんど全てが恋愛詩の場合もあるが、大抵の場合、恋愛詩以外の詩も並行して書かれているものだ。それは、日常の1コマであったり、ふと、詩作者の心をよぎったため息であったり、生あることの感嘆や、あるいは死や絶望を意識した時の心の正直な吐息であったりもする。青春詩の場合は、とりわけ希望と絶望が複雑に交差したものになりがちだろう。
結城摂那さんのサイトに書き綴られた詩の幾つかは、恋愛詩と呼ぶよりは、むしろ青春詩というべきものに近いものも多く見受けられる。ただ、言い切るわけではないのだけれど、青春の日に身を置く女性詩人たちの書く詩の多くは、それが青春詩の範疇にあるものであったとしても、特殊な状況で書かれたもの以外はほとんどが恋愛詩に通じるものであるような気がする。これは、個人的な見解である。
泣きだしそうな空の下 僕と君が始めたゲームは 秘密をつくらないこと
『ずっとずっと』
生活の灯の中の さまざまな景色 それらが生み出す暖かさ
『瞬きもせず』
ヘルメットが3回あたって 後2回で あいしてる 『きっと』
バイバイ 君はそう言い残して 僕の前からいなくなった 『バイバイ』
誰か恋のレモネードの飲み方を 教えてくれないかな 『恋のレモネード』
幾つかの出会いと別れがあり、その折々に綴られた詩の数々。詩の背景は、残念ながら殆んどが掴みきれない。背景については何も書き記されていない。それもまた、一つの手法だといえるだろう。けれど、このサイトに関する限りは、それは当てはまらない。おそらくは、作者の意図など何もないのだろう。作者は、ここを訪れる人たちのために、自らの詩を提示している。ただ、それだけである。
このサイトの POST CARD と SHOT SHOT は、ネット世界の中でも特筆物のコーナーだろう。いくつかの詩をここに羅列するのは簡単なことだが、それは控える。あなた自身でこのサイトを訪れてみて、あなたなりの方法で、心を同化させて頂きたい。すでにここを訪れた幸運な訪問者たちの、掲示板への書き込みの一部を紹介させて頂く。苦し紛れな私の解説文などよりも、もっと素直な形で、サイトの持つ魅力や印象を伝えてくれている。
初めまして。つい数分前落ち込んでいて
PCを起動してこのHPを見つけました。ほんの少し落ち着き
ました。BGMと詩がとても素敵ですね♪なんだかいい気分で
仕事が出来ます。 また夜見させていただきます♪
こんにちは
せつなさんの詩は大好きです。
詩集があるなら買いたいなと思っています。
POST CARDとSHOT SHOTが特に好きです。
ひまがあれば来る様にしています。またお邪魔させてもらいます。
SHOT SHOTをゆっくり読ませて頂きました。
涙が零れ落ちてしまいます。
7のMIDIは苦手。とっても好きなメロディーだけど、これを聴くと、詩を読む前に涙が出てきてしまう。
12、いいですね。
しっとりと、しんみりと、泣ける。
過去のいろいろな思い出たちがよみがえってしまいました。
ある種の予感があって、何かに惹かれるようにこのサイトに辿り着いた時、もっと違う形での漂流記が書けそうに思えていた。例えば、『月のかけら 星のしずく』という、魅力的なサイト名に触れることからのアプローチ、あるいは、古今の詩に関する著名な著作物を通してサイト内の詩について触れていこうという試み。結局は、私の力では、それらの試みは、何ら形にされることもなく徒労に終わることとなった。
どうしても一つだけ気になる事があった。それは、サイト内の詩集とは、直接は関係が無いものだった。このサイトが一つだけ所属する、『いつかの戯言』というWEBリング名の由来についてだった。このリングには、私のサイトも加盟させて頂いている。リング管理者のakyoさんには、加盟時に丁寧なお礼の書き込みを掲示板に頂いた。私自身もお礼という形で、akyoさんのサイトを訪れて書き込みをした記憶がある。その時以来のことだが、私は彼女のサイトの掲示板に、『いつかの戯言』のリング名の意味についてお教え頂きたい旨の書き込みをすることにした。書き込んでしばらくして気が付いたのだが、私のその書き込みはサイト内のメイン掲示板ではなく、アクセスの殆んどないサブ掲示板の方に書かれてしまっていた。そのうちに気付いてもらえば、返事は頂けるとは思ったが、半分はあきらめの心境になっていた。あらためて、メイン掲示板の方に書き込みをし直す気にもなれず成り行きに任せようと考えた。
幸運にも、返事はすぐに私のサイトの掲示板への書き込みとして帰ってきた。
要約すべきかもしれないが、関連部分をここにそのまま掲載する。
お久し振りでございます。「いつかの戯言」のσ(⌒∇⌒*)akyoです。
リングの本登録の報告以来になってしまってスイマセン。。
さて、この度は。。BBS2へのカキコ。。ありがとうございます。。
早速ですが。。返答に参りましたぁ。。
「いつかの戯言」の由来ですかぁ。。
そぉですね。。確かに結構簡単に想像がつくかもしれないですが。。
『過去に呟いた言葉の数々は。。今となっては。。
戯言となってしまう。。からこそ。。残しておけたら』
って思って。。このリング名にしました。。
このような返答で。。よろしいでしょうか?
そして。。今は摂那さんのサイトを取り上げてる最中と♪
再び楽しみにしておりますね♪
《 後 略 》
このサイトで、私が取り上げてみたかった、そしてうまく書けないままでいたテーマの一つが、明確な言葉となってそこに書かれていた。
摂那さんのリングへの加盟番号は3番である。おそらくはリングがスタートした間近の、まだリングと呼べるような体裁を殆んど持たなかった頃に加盟したのだろう。数ある詩関連のリングの中で、彼女が、たった一つだけこのリングを選んだ理由が、なんとなく分かるように思えた。すでに思い出となり、過ぎ去っていったあの日の言葉たちには、もはや何の説明など必要としないものなのだ。月のかけらとして、星のなみだとして、人それぞれの心の中に、いつまでも生き続けるものなのだから。
月の箱舟にのって
星の川を渡ろう
輝きうせぬ
永久の光を
月の箱舟にのって
星ぼしを廻ろう
そこにはきっと
貴方がいるから
月の箱舟にのって
夜空を進もう
そこにはきっと
想いがあるから
寒い冬の夜の闇を
月の箱舟にのって
進みゆこう
そこにはきっと
私がいるから
真実の想いの結晶のごとき
貴方がいるから
『 MOON 』
貴方を好きだった私は
あの時輝いていたと思う
頑張ってきた自分に
そろそろ優しい恋をあげたい
頑張りすぎてきた自分に
優しく包む真綿のような恋をあげたい
1歩踏み出せばそこにはそんな恋が
あるような気がするから
貴方に届けたい言葉がここにあります。
受け入れられなかった想いは
伝えられなかった想いと共に
今は静かに眠っています
もう一度だけ、書かさせていただく。このサイトを訪れた人たちは幸運である。もしもあなたが、親しい人に、あるいは、すれ違った見知らぬ誰かに、日々の煩わしさを忘れさせてくれるお奨めサイトをと、尋ねられたのなら、このサイトを、自信を持ってあげればいい。このサイトには、それを言い切ることの出来る理由がある。珠玉のサイトだと、私は思う。
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