蘇る沢山の痛みも

君にたどりつく為の過去

全てを受けとめても今以上に

君の隣にいたい



炎が消えて幕が降りても

僕らは 辿ったその弧線を見るだろう

映画のワンシーンのように永遠になる

切なくひたすらに恋をした日々が



ずっと ずっと あの日から変わらない

「きみを想っています」

 

                     詩 人 サ イ ト 漂 流 記

                      コイノダンスホール            第8回訪問サイト  詩作者 端名りら

 

 

詩のWEBリング加盟サイトとしては異色な部類に入るだろう。丁度一年程前に、POEM系RINGの存在を知った頃から、ここの存在は知っていた。記憶は定かではないが、更新されないまま放置されている貧弱なサイト。そういう印象を感じていたと思う。

うつ病など心の病を抱える管理人の作詞、日記などのテキスト主体コンテンツ。どなた様もお気軽にお立ちより下さい。 

幾つかのRINGリストに書かれたサイト紹介文。多少の修正はあるのかもしれないが、以前からそういう文面が記載されていた。現在は、アクセス数25000を越えている。初めて訪問した頃は、気にもならなかったが、控えめに逆算してもその頃から10000は超えていたことだろう。もちろん当初は、このサイトの変遷等は知ることも無く、漂流記に取り上げるには、少し不似合いなサイト、という身勝手な先入観も働き、多少の散策で切り上げたと思う。それから数度訪れた。間違ってリストをクリックして訪問してしまったこともあった。そして、今年の夏頃に訪れた。記憶は薄い。たぶん、久しぶりに訪れてみようという好奇心からの訪問だったのだろう。
それから3ヶ月が過ぎた。再び訪れてみた。明確な理由はわからない。漂流記が中断して数ヶ月が過ぎていた。その間、サイト巡りは続けていた。取り上げるサイトを捜すためだった。見つけられないでいた。前回取り上げた摂那さんのサイトが、あまりに秀逸すぎたための反動なのかもしれなかった。サイトに対する感覚が、少し変化してしまっていたことだけは確かだ。行き詰まりと言ってしまえばそれまでだが、どのサイトも書きたいという衝動を与えてはくれなかった。サイトの魅力というよりも、自分自身の気持ちの問題ではあった。RINGに参加するサイトの殆どは、それぞれが独自の魅力を兼ね備えていた。勇気を持ってのめり込みさえすれば、漂流記の一つや二つは、私なりに書き上げることはできるだろう。多忙さも理由に、その勇気を放棄していたともいえる。

再び超多忙な時期を迎えつつあった。とてもじゃないが漂流記どころではなかった。ただ、漂流記を書き始めてから1年が近づきつつあり、できれば、年内にあと一つ書き上げて置きたいという気持ちだけは強かった。
数日程サイト巡りを再開した後、再びRING紹介の中のこのサイトに目がいった。さして期待も持たないまま、リスト上のこのサイトに合わせてマウスを押した。


LOVE MENTAL WORDS LIFE.

コイノダンスホール          Presented by Miz'na RIRA


1973年1月31日、岐阜市に生まれる。
現在29歳。血液型はA型。

ホームタウンは東京都足立区。地元の中学2年の二学期から不登校児になる。90年、K予備校の大検コースに入学。その夏大検を一発で収得。しかし2年連続で大学受験には失敗、フリーターやOLとして3年程過ごす。
21歳で交際相手からプロポーズを受ける。しかし、婚約者を裏切り、好きになってしまった会社の上司のマンションに転がり込む。家を出てそのまま同棲生活に入る。時を同じくして人間関係と仕事上のトラブルで精神病を発病。あくる95年から精神科に通院しだす。ひきこもり、不安症、不眠症、被害妄想など。
97年3月、同棲中の相手が福岡に転勤になり、共に移住。しかし、考え方の違いからのち半年で別居する。その年の10月から福岡市東区で一人暮らしを始める。
現在の居住地は福岡市早良区。99年から佐賀県内の精神病院に入退院を繰り返し、ボーダーライン(境界性人格障害)、うつ病、不眠症と診断され、今年1月退院後近所のクリニックにデイケアも含め通院し現在に至る。
仕事は退院後2年間の経過を見てからという事でまだ無職。市の校庭開放事業の指導員として、週末に近所の小学校に従事して小遣いを少し頂いている。
インターネットを始めて3ヶ月で当サイトを立ち上げる。以後、試行錯誤の果てにWebデザイナーを志している。当面目標は社会復帰。モノを創り出し発信する人間になりたいと思っている。
テレビで大好きなのが「北の国から」シリーズ。こんなドラマはもう生きてるうちは見られないだろう。(以上プロフィールからの抜粋)

病名 境界性人格障害
特徴・対人関係、自己像、感情の不安定、著しい衝動性の様式。
著名な人物では、太宰治、ダイアナ妃などが境界性人格障害であったと言われている。



再訪と同時に、なぜか惹かれるもの感じた。コイノダンスホールという、サイト紹介文からのニュアンスとは、少しかけ離れているサイト名に、初めて違和感を覚えた。何かが違っている気がした。
以前の訪問時とは、まるで違うサイトであるような気がした。不可解だった。
初訪問から1年近くが過ぎていた。マウスをクリックする以前には予想もしない気持ちの変化だった。奇妙な感覚が交錯する中で、このサイトの存在感に徐々に引き込まれて行く自分を感じた。それは、ここ数ヶ月、得ることの無かった感触だった。

私が始めてこのサイトを訪れた時、りらさんは、1年余りの入院中であり、退院する直前であったことをやがて知った。サイト更新がされていないのはそのためだった。記憶の中の名前とサイトイメージに違和感を覚えたのは当然で、コイノダンスホールというサイト名は、今年の春に、サイトをリニューアルした時に付けられた名前であり、その頃から、徐々にではあるがレイアウト面でもサイト更新が繰り返されているようだった。かすかに記憶に残る初訪問時の貧弱なサイトの面影を、今はどこにも見ることが出来ない。けっして、技巧的にも、デザイン的にも、粋を凝らしたサイトではないものの、訪れるものに親切な、程々に洗練された体裁を持つ、小奇麗なサイトに作り上げられている。

夏の訪問時、もしかすると今と同じような体裁を持っていたのかもしれない。うつ病などの心の病を抱える管理人のサイト。という紹介文が与える、他サイトとは異なる違和感が、その時もやはり、私を安易に遠ざけてしまっていたような気がする。今回は、それはもう無かった。すでに、その紹介文には慣れっこになっていたし、初訪問時と比べたら、漂流記に対する私自身の取り組み方も違ってきていた。当初は、どこかに、ある種、高尚なイメージを形作ることで、漂流記を構築しようとしていたようだ。そういう理由からも、その頃の私には、りらさんのサイトは、少し漂流記にはそぐわない気がしていたと思う。少なくとも書き切るだけの自信は、その時の私には、とても持てなかった。
第4回に、漂流記の流れに任せる形で、自殺未遂を繰り返していた、あやさんを偶然取り上げる形になった時、私自信の中で、何かが吹っ切れたのだと思う。
幾つかの流れがあって、巡り合っていくサイトの数々。漂流と銘打つ以上、指針となる羅針盤は持ちたくないし、それは今でも貫くつもりででいる。心の赴くままに、無秩序にサイト散策を試みながら、何かが作用して、その時、偶然訪れた私の心の琴線に触れたものだけを取り上げていく。それは、どんなにちっぽけなサイトであっても、詩的に評価すれば、低水準なレベルのサイトであったとしても、私自身は一向に構わない。訪れたその時の私に、捜し求めていた出会いを感じさせ、迎え入れてくれるサイトでありさえすれば、それで良かった。

ただ、前回の摂那さんのサイトが与えてくれた衝撃感は大きかったようだ。正直立ち直れない程で、以降、素直に漂着先を見つけられなくなる程のものだった。
それから4ヶ月ほど過ぎたのだろうか、予想もしない形で停泊先を見つけることになってしまった。それが、過去に数度、あまりに安易に通り過ぎてしまっていた、りらさんの、このサイトだった。多少のもの悲しさはあるが、明るく、精一杯生きようとしている、りらさんが、そこにいた。


君のいない街で


昨日ケンカしてしまったんだ
親しい友達とね
理由なんてどうでもよくて
傷跡だけが残った

この声もかき消されていく
君のいないこの街は
なんて寒いんだろう

君に笑われるだろうけど
かれこれ5年くらいは
同じところをグルグル迷ってるよ
いつかの ドライヴみたいに

人並みにただ流されていく
君のいないこの街は
なんてさみしいのだろう

今週中に手紙を書いて
ひたすらに 君が帰る日を数えてる
心の穴に落ちる 枯葉が軋んで

この声もかき消されていく
君のいない街が冷たくなっていく
早く 暖めに来て・・・




りらさんがインターネットを始めたのは、当時の想い人の作ったHPが見たかったからだという。ネットデビューは1998年秋。チャットにはまり、チャット仲間が次々とHPを立ち上げていったことから、つられるように自分もスタートさせた。今も、昔も、よく見受けられる立ち上げパターンだった。お互いのサイトを訪問しあう。そして、新たな仲間との出会い。しばらくはお決まりの饗宴が繰り広げられる。
98年秋といえばWIN98の普及期で、一般レベルのインターネット人口が急速に膨張していた頃だ。今から見ればシンプルそのものだが、確かにたくさんの個人HPがネット上に次々とデビューしていった。みようみまねで作り上げられたHPが殆どであるものの、今以上に、作る者の情熱がHP作りに注ぎ込まれていた時代だったかもしれない。4・5年前の事なので、当時の新型パソコンも、今では誰も使いたがらないほどの旧式パソコンに成り果ててはいるのだが。
時が立つにつれて、次々とネット仲間のHPが消えていく。大半のHPは一年も持たない。無目的に始めたHPはもちろん。それなりの意図を持つものであっても、やがては更新が忘れられ、訪れる者は途絶え、形骸化され、消滅していった。
ホームページを続けるには、それなりのバイタリティーと核が必要である。もしかすると維持していくための才能も少しは必要だろうか。やはり発信する何かは必要だろう。同じようにゲームを羅列したゲームサイトであっても、不思議なくらいアクセス数が異なったりする。時が立てばアクセス数は逆転することはあるものの、やはり、人気サイトとそうでないサイトとは何かが違う。ゲームサイトならある程度のアクセス数は稼げるだろうが、個人のサイトだとそうはいかない。仲間内での訪問があったとしても継続はしれている。挨拶レベルのやりとりなら、今の世の中、携帯やメールの方が手頃なのかもしれない。
個人のホームページの核としてネットに成り立つもの。それは、才能あるイラストであったり、素材や音楽の発信だろうか。ネットアイドルを銘打つ者もいれば、趣味をメインにした、ファンサイトとして存在を発する者もいる。詩を核とするサイトの数は多くはないが、これはこれで立派な発信手段だ。さまざまな事情もあって、それら全ては必ずしも才能に比例して長続きするとは限らない。1周年は迎えることはあっても、2周年を迎える事ができるサイトの比率は高くないはずだ。もしかすると半数近くが1年未満のサイト達かもしれない。その半数は、やがて消え去るだろう。
りらさんのサイトは4年近くが経過している。この世界では古参の部類に入るのかもしれない。核は詩である。そして、その存在感と、力強く己をさらけ出している彼女の筆力だ。




りらの日記・ぼやき(要 約) 再構成責任 大逆転


前からこのHPに来てくれてた人!! お待たせしました。やっと1年振りの更新、一新ですよ。
いやー色々あった。ようやくリニューアルだよ。今は、前の私とも違うし、色んな意味で再出発したいから?! HPのタイトルも変えたし前の日記ももうアップしないことにした。 HP名の由来ですが自己紹介でも言ってるユニット「SCRIPT」の曲名から取りました。何となく響きがいいから。大して意味無くつけた。(笑)
まぁ今後は、前みたいにドロドロしたような内容の日記には、したくないんで、ぼちぼちやっていきますわ。
そういえば、昨晩6年振り位に眠剤なしで朝まで寝てた。自分でも驚いたけど、何でなんでしょう。しかし、殆どパソコンいじってなかったからタイピングも遅いし、タグ忘れてるし、勉強しなくっちゃねー。・・・って訳で皆さん、これからもヨロシク!!(^−^)



00年秋、K医院から現在のクリニックに通院を変えた。そこで初めて信頼できる先生と出会えた。状態は良くなっていき、薬がどんどん減り、軽い不眠症だけの弱い眠剤が1錠にまでなり、社会復帰あと一歩のところまでいけた。

しかし去年の夏、病気が再発・・・
その日付は今でも心が痛い。とにかく恐ろしい一日だった。
それまでの自分がガラガラと崩れていき、衝動性発作や
鬱が酷くなり、布団から起きられないほど弱ってしまった。

それからまもなく、再入院。問題はいろいろあったが、この時の入院生活は自分にとって非常に意義のあるものだった。ひたすら良くなろうと頑張った。
人間関係も様々乗り越えた。作業療法にも積極的になり、歌やダンスの院内パフォーマンスライヴを3〜4回こなすまでになった。体力も回復し、今年1月沢山の思い出と共に退院。・・・以来、ほぼ順調に現在に至っている。

私は今のクリニックがとても気に入っている。あらゆる話を聞いてくれるし、何より患者さん一人一人の状態を良く把握しているからだ。
精神科の患者さんは特に病院巡りをしてしまうのだが、私も流れに流れてようやく今のクリニックに出会えた。
しかも、自宅から自転車で5分と近く、コンビニ感覚。
そしていかに病気と共存していくかを学んだ。自分の中で考え、判断し、行動をするか。先生はビシビシそういうことは言わない。背中をちょこっと押して貰うだけであって。私を信じて任せてくれているのだ。
わずか1〜2年前まで毎日薬大量一気やリストカットしていたのに今ではほぼそんなことはない。確かに手首の傷は(少しだけ)残ってるし消えないかもしれないが今はその傷が、「もうやめて。」って言ってるように思う。
未だ自傷をしてる人には、自傷しなくても絶対その人なりの人生がちゃんと別にあるんだからって事を、本当に叫びたいくらいだ。そして私も、精神科には今後も通うけど、少しずつ強くなって、やがて出逢うかも知れない人を困らせないように社会へ帰ることを目指して、ぼちぼちマイペースで歩こうと思ってます。
みんな応援しててね(^^)v


私が作詞するようになったのは・・・という話から入ろうか。私が「言葉をつづる」っていう事に目覚めたのは、中学生の時買った一冊の詩集との出会いから。

それは・・・

「KID RETURN」ビートたけし

思わず「なんじゃいそれ(^^;」と思う人もおるやろ。意外?かもね。・・・当時登校拒否児、また、いわゆる反抗期にあった私がはまったのはたけしでした。とにかく、これを読んでドカーンと来ましたね。

それから私は拙いながらも言葉を生み出そうという作業をするようになりました。その頃はまだ詩なのだか散文なのか何だかわからないでただ綴ってただけ。・・・
その後、大検予備校時代から、少しずつ自分の詩のスタイルが出来ていった。
歌詞のような詩のスタイル。邦楽洋楽問わず音楽好きだったので、それぞれの歌の詞を鑑賞して、自分なりの勉強?をしていたのは10代の頃。

インターネットというものを知り、サイトを開設するにあたってまずは「自分の詞を発表したい」という思いからはじまって。いろんな「ネット詩人」「ネット作詞家」の方々に出会って様々な言葉を読んで、勉強したりとかの年月が過ぎていきました。

またすっとばしますが、今年に入ってようやく作詞のコツが
解りかけてきたような気がします。このスタイルで書き始めて10年で。
(もっと早く気づきなさい、というのは置いといて(^^;)
作詞っていうスタイルを意識し始めたのも最近。プロに添削して貰う事で、言葉の操り、っていうかそんなモノを考えるようになったし。そういう本格的動きを始めたばかりです。
まとめになりませんが私の人生に一言。
20代は試行錯誤。30代で大成。頑張れ。




りらさんのサイトの魅力の一つは、メンタルな部分を持ちながらも、明るく素直に自分をさらけ出していることにある。リニューアル以前のサイトについては、サイトの中の『ぼやき』というコンテンツに書かれている部分から想像することになる。テキスト主体の、日記もテーブル形式で書かれている、相当読み応えのあるサイトだったようだ。


その頃は日記も始まり、注目度も高く、夏場遂に「カミングアウト」って事で自分がメンタル系である事をサイト上でさらした。・・・その反響は様々で、一部で物凄い論議が巻き起こる程の反響。ただ皆に知って貰えたのはいいが、一部のリアル系の友人を傷つけたり、心配させてしまったのは事実。もうちょっと、配慮が必要だったと今では思う。だから慎重です。・・・私の場合、今はネット上でも、それ以外のリアルな友達にもメンタル系という事が知れ渡ってるから、他の人のケースとはちょっと違うとは思いますが。
                                     (りらサイト、進化論)から


読めば分かるが、読む者を引き付ける飾り気の無い、しっかりとした文章力で当時の事が綴られている。語り部としてのりらさんに魅力を感じ再訪する人達も多いはずだ。 回想的な意味合いも兼ねる『ぼやき』と、ほぼコンスタントに記されている彼女の日記には、日々の出来事や、心の不安、希望、生きる気力が、軽妙なタッチで、ほぼ隠し事なく書かれていると思う。
詩を掲載しただけのサイトでは、3万近いアクセスは、短期間では達成し難い。スタート後、4年は経つが、数度の入院で、更新もされないまま放置されていた時期も少なくない。その事を考慮すれば、個人の詩サイトとしてはアクセス数は上位のものだろう。魅力が無ければ、継続して訪れる人は稀である。スタート当初からのサイトを知る人達の訪問は少ないのかもしれないが、ファンはしっかりと根付いているように思えた。
これは、私の勝手な想像だが、以前はもっとギラギラとした、どこか突っ張るような何かが、サイト全体に漂っていたように思える。「Kindred Spirits of RIRA」「RIRA's NEO HOME PAGE」というサイト名の変遷はそんな連想を私にさせてしまう。サイト更新は今よりも頻繁で、随分なエネルギーが注ぎ込まれていたのかもしれない。それはあたかも青春期の溢れんばかりの情熱の捌け口のようなものだ。ホームページの初期の段階でそういう経験を持つ者は少なくない。

今年のリニューアル時にサイト名は変わる。以前を知る者にとっては、おそらくは驚きを感じる程の変貌を遂げたのではなかろうか。更新されない一年の間を経た後の、それは長期の入院期間にあたるものだが、このサイトの変貌振りは、彼女の心の回復を表したものかもしれない。以前と比べれば遥かに大人びて、しっとりと落ち着きのあるサイトに様変わりしたといえるレベルのものだ。この事は、私の勝手な推測ではあるのだが。


サイトに掲載されている詩は100を超える。りらさんの場合、殆ど全てが歌詞形式である。私には歌詞を評価できる力はない。歌という言葉が付く以上、歌詞の真価は添えられるメロディーによって様変わりする。詩作する彼女の脳裏には何らかのメロディーが流れているのかもしれない。第三者がそれを正確に感じ取ることは困難である。書かれた言葉の並びからくるリズムを読み取ることで、多少のイメージなら再生可能かもしれない。
歌詞を書き慣れた者には、それは比較的容易なことなのだろうか。私は、そのレベルには程遠い。100を超える詩を数度読み直すことで、私なりにチャレンジしてみるだけだった。

1994年に自主発表したという詩が2つ。あとは1999年以降の詩が、発表された年毎に整理され並べられている。それぞれの詩には、短めだが丁寧な添え書きがされている。彼女の心の変遷を読み取ろうとした私には、とりわけそれは有難かったが、正直に書けば、点はつかめても全体の流れは把握し切れなかった。4年に渡る発表期間ではあるが、それぞれの区切りのようなものは、私にはどうしても読み取ることが出来なかった。ただ言えることは、最新作程、詩の中に落ち着きや、深みが生まれてきているような気がした。10数年に渡る創作活動が、数年の停滞期を経て、本当の開花の時期を迎えつつあるのかもしれない。これもまた、私の勝手な感想に過ぎないのだが。


代表作であると思われる詩の中から、一つだけここに掲載させていただく。


BELOVED


上着を肩に掛け街へ出た
それまでも それからも
僕は波しぶきを受け びしょ濡れになりながら
歩いてた日 君に逢った

通り雨にあっただけなのか
砂漠の中に取り残されたか
いずれにしろ 片道切符は
拳のなかでぐしゃぐしゃになっていた

立てなくなるほど泣いていた
偽った言葉は すぐに消えていった
ずっと遠くへ行こうと思ってたんだ
流れる時間に落ち付けなくて

けどいまはただ
   向かい合う君の傍を離れない

このまま この身体を裸の心に
委ね 夜を越えられる
全てをさらけ出しても真っ直ぐに
君を見つめられる

信じる訳が欲しいなら
真実をもしも 求めるならば
眼の前の君が 決めたそれが答え
長くかかったけどやっと素直に言えるね

日毎に弱くなる心を抱いて
笑ってばかりはいられないけど
たぶん独りじゃないから
不安や憂鬱も 夢や勇気へ
変わってゆくだろう

ねぇ 迷ったり 恐れたり
臆病になることないんだ

蘇る沢山の痛みも
君にたどりつく為の過去
全てを受けとめても今以上に
君の隣にいたい

炎が消えて幕が降りても
僕らは 辿ったその弧線を見るだろう
映画のワンシーンのように永遠になる

切なくひたすらに恋をした日々が

願いを賭けた 腕のリングの代わりに
さみしさもかなしみもよろこびも
全てを受け止めて 抱きしめる
たったひとつの愛を
君だけを見つめて


作者注:UPDATE 19.Apr.'99

1994年発表作品「BELOVED」より

20の時に書いた詩です。
相手と心が通じ合うまで、物凄い時間がかかって、
抱えていたものも沢山あって、でもやっと
分かり合えたときに「これからが、はじまり」って
思って書き綴りました。
今でも、自分の中に鮮烈に残っている詩のひとつです。



りらさんに出来る私の創作アドバイスは、一つだけである。


数百万人が共感できる何かを、常に詩の中に表現するということ。
それはシチュエーションであったり、夢や、せつなさや、希望であったりもする。
歌を口ずさむ者に快い疑似体験や既視感(デジャブ)を与えるフレーズの創作。
人に感動を与えるヒット曲の殆どは、その手のものを、さりげなく世相から吸い取り、歌詞の中に取り入れていると思う。もちろん、これは、プロのソングライターを志すという場合へのアドバイスである。ただ、心の赴くままに詩作を試みるというのであれば、このことにこだわる必要は少しも無い。


サイト内に掲載された日記は、この春からのものだ。一通り読めば、ここ数ヶ月の心の変化のようなものが読み取れる。量は少なくない。まとめて読むなら、じっくりと腰を落ち着けて読む必要はあるだろう。時折、訪れる形で、接して行く方が、自然に筆者の温かみに触れられるような気もする。日々の雑務に追われるように時間を過ごしていく我々とは違う、ゆったりとしたような時間がそこでは過ぎていく。しかし、これは一つの戦いの記録でもある。デイケアを受けながら、薬を服用しつつ、いつの日にか訪れる社会復帰を夢見て、懸命に己の病と戦い続ける、殆ど嘘偽りのないりらさんの壮絶な闘病記でもある。
全てを掲載するわけにはいかない。ほんの一部だけをここに抜き出してみた。



りらの日記・ぼやき(要 約)  その2


気を取り直してサイトの再建に手をつけたのが3月に入ってから。
やっぱり一番は詞かなぁ。ずっと続けて来たし、ウェブリングにも入ってることだし、
新しい作詞の構想もどんどんたまっていって「発表したい!」って純粋な?気持ちはあったんだよね。

サイトを再建するにあたって考えた事。まず、過去のページは闇に葬る事。ろくな事がない日記やテキストは載せない。新しい自分を見せる為。ネット上に置く必要はないと踏んだ。ということで「ひとりごと」も廃止、過去日記もネット上から消し、デットリンクだらけだったリンクも削除。理由の一つとしてネット仲間の縁切りとか、そういうドロドロしたような環境もあったんだけどね。実は。そして、サイトデザインを明るくする事。
素材も厳選して爽やかな?デザインに変更。「NEO」の異常なクラさに辟易していたので。コンテンツも日記、詞、ももんが、きゃっち。だけ継承したかな?
サイト名は今の「コイノダンスホール。」最初は「りらの」がついてましたが、今はくっつけてません。あまり事情はないですが名前をくっつけるほど必要性を感じていないので今のサイト名はこれ。なんで「コイノダンスホール」なの?って人は「はじめに」を
読んでちょ。何回も書きたくないじょ。でも、入院中わたしを支えていたのはスクリプトの収さんのおかげだから。スクリプトとムンチャイがあったからだから。それだけじゃないけど。

今は殆ど彼氏のいない寂しさっていうのはないんですが、昔はひどかったね。本当に。
告白されても、まず断ることはなかった。身体を迫られても断ることもなかった。浮気や二股なんて当たり前。ひどかったなぁ。
でもやはりいいことだらけじゃなくて、というか結果は悪いほうにしかいかなかった。
快楽むさぼってたらバチがあたります。経験者は語る。


こうちゃんと別れた。別れたって言うより別れさせられた。向こうの親に。それ以来特に夜や朝はとても辛い。悲しくて苦しくて涙ばかり流している。きつくてまた夢でうなされる日々が始まった。身体が切り裂かれたようで痛い。

今週は毎日ドクターの診察にかかった。診察の度に泣いた。私は立ち直れますかって聞いたら「必ず乗り越えられる時が来るからね。」って毎回励まして頂いた。患者同士でキツイ話をするのは嫌だったけど仲のいいSっちに今日話したら将来、私にいい人が現れた時、今辛いのを乗り越えたから生きてて良かったと思えるようになるよって。だから絶対
自殺なんてしたらいかんよって言われた。私にはいっぱい支えになってくれる人がいてそれだけでも生かされて感謝しなきゃいけないなって本当に思う。だからその人達の為にも、今日はお祈りを捧げようと思う。

今日は校庭開放の初給料日♪ということで午前中、某PCスクールにシスアド講座の申し込みに行ってきた。5月中はキャンペーンらしく、以前説明を受けた時の受講料より2万円引きだった。かなりお得な気分。
本格的授業は7月から始まります。それまでもPCいじりにちょくちょく行くことになりそう。

去年8月に病気が再発して10ヶ月。入退院を経て私の薬の量は増えても減った事はなかった。また再発するのが怖くて薬を飲み続けて、副作用が出ても衝動性を抑えていた。
今日は朝から頭痛とふらつきが酷く、殆ど布団にふせっていたのだがマンションが断水になるのと定期診察があったので昼からクリニックに行った。午後一番で診察してもらったが過食気味なのでドグマチールがなくなりレキソタンも5mgから2mg減った。再発して初めて薬が減った〜嬉しかった。これで衝動性発作が起きなければまた治っていくかも。まぁ、先生を信じて服薬は守ろう。

クリニックで一部の人たちに私の根拠のない噂が立っていて不仲のばーさんから「夜な夜な男の部屋に通う女」って言われた。凄いショックで泣いてしまったけど頭に来てプッツン切れてそのばーさんをぶん殴ってしまった。
もうこういうの4人目くらいやわ。よくこのクリニックにおれるなぁと思う反面自分の短気さに嫌気がさしてきて自己嫌悪。最近やっと自分が大人しくなって来た気がしてたし先生にもよくなってるって言われてたのに・・・
もっと大事を起こしたら入院させられるかもしれない。自分をしっかりコントロールしなくちゃだめだなーと思った。

恋愛発生?!

\(°o°;)/ウヒャー(」゜ロ゜)」 ナント(゜ロ゜) ヒョオォォ!

いや、まだまだまだ。そこまでいってないかな?前から気になる人はいて、でもあんまり実感してなかった。知り合ったのは一昨年の入院の時で友達付き合いはそれからずっと。退院してからはあまり会ってなく電話とか手紙やりとりして今に至る。今日、私の所に遊びに来てくれて、いっぱい話してむこうも私の鬱具合を見るのと会話したくて来たようなもの。会ってやっぱり好きだったから告白しました。はい。

ええと、もうすぐリニューアル半年ってことで、企画モノを。過去懐かしのコンテンツを期間限定で公開します。まずは「どらっぐ」です。追記:今飲んでる薬を知りたいヒトは心の病気100Qに書いてあるからそちらを見てくんしゃいませ。次は何を載せるか考え中です。

遂にダーリンと破滅を迎える。


また再発してしまった。部屋めちゃくちゃにしてギャーギャー泣き喚き飛び降りようとして余ってる薬全部飲んでしまって両腕リストカット・・・
ケーサツ、来る。でも、ついていったら確実にD病院の隔離部屋行きが分かって
いたので、しがみついて行くのを拒否。自分から某病院に出向き注射。明日必ずクリニックに行くという条件付きで、釈放(?)入院勧告の診断書持って帰って。
そのせいでボーっとしてます。残されたのは誰もいない、めちゃくちゃになった部屋だけ・・・
いったい、何年も、何度も、同じ事繰り返して、私の半生は終わるんだろうか。ああ、ネガティブになるからやめておこう。
と言う事で諸事情により全ての更新を無期限にストップします。
ごめんなさい。本当に。ごめんなさい。みんな。

昨日夜寝ようとしてたら電話があって、親父からやった。また仕事でカンボジアに行くから、とのことだった。んで、年末帰るって言ってたのはどうなったか?って聞かれたのでまだ決めてないと言ったけど、父のほうにも話したいことがあるらしく、今日になって「正月は帰ろうか」っていう気分になった。クリニックも休みになってしまうし、こっちいても暇は暇やし。今から東京で遊ぶ金作っとこ。金ないとなーんも楽しくないとこだと私は思うから。東京は。多分4泊5日くらいすると思う。会いたい友達は限定して、早めに計画を立てようかね。
もし帰京したとしたら、約3年半ぶりの東京になる。色々変わったんやろな。もうおのぼりさんだよ。地下鉄もなーんもわからん。私が育ったあたりは変わった
ろうか。友達の子供も見てみたい。みんな30になってどんななってるんだろう。
そう考えられるだけ成長というか強くなったろうか。しかし、会いたい人には「一年で15キロ太った」という事を、事前に言わなくては…とほほ(´Д`*)

今日も特になにもなく、気持ち悪いくらい穏やかな一日…(´Д`*)こういう日は、帰って、何となく怖いわな。でも一日過ごせたし良いかってことで。で、タイトルの通り、サイト初となる100作記念の作詞集。順調に製作は進んでまして、英語詞も書きました。もしかしたら全7作品中から先行発表するかも・・・知れませんがまだ検討段階です〜。・・・少しでも楽しみにしていて頂けると管理人は嬉しいのだ。にやり。(微笑)

ワタクシはようやくこの年になって生きる道をひとつ見つけました。それは

「ウェブデザイナーになる!!」

今までは漠然と「事務かなぁ・・・」なんて思ってたけど、やっぱり自分のやってきた事が仕事に活きればそんな素晴らしいことはないわけで。あと一年ちょいは様子を見ろと言われて働けない身ですがその間に勉強にしろ自分が本当にやりたい事をしたい。どれくらいの人が今、自分のやりたい事をやってるか知らないけど、私はやりたいことをやりたい。そんな簡単じゃないけど、でも目指してみたい。

雨の中を帰宅途中、知らん子供に「寒いですね!」
と声を掛けられた。誰や。校庭開放で顔が知られたのだろうか?
悪い事は出来ないなぁ・・・

重たくなって来たような・・・(汗 
↑体重が・・・じゃありません。体重は元からすでに重たさを感じていますので(汗
。 それは色んな私の状況の雲行きがなんですわ。何となく下降してるのさ。昨日はソフトバレーの忘年会だったんやけど、、、本当は呼ばれてなかった臭いしな。メンバーの殆どと喋ってないしな。一人でチビチビウーロン茶飲んで。ああ、つまんねー。


このサイトにお越しになって下さる皆々様。

本当に本当に申し訳ありません。
日記も含め、このサイトを無期限休止いたします。

理由は、管理人である私の病気悪化です。再発、入院とまではいかないんですが、鬱状態がひどすぎて殆ど寝込んでます。
主治医からも、暫くネットは休んだ方が、と言われてもおり、実際ここ最近日記を書くのと掲示板を見てレスするくらいしか他に出来てない状態です。
非常に波が激しいので、僅かな確率ですぐ戻ってくる事もありかも知れませんが、それを保証宣言することは出来ないといったところです。

色々普段偉そうなことを書いておいて放置サイトにするのは自分でも情けないんですけど、今マジで状態が悪すぎるので、勘弁して下さい。
挨拶回りもしたいのはやまやまですが、巡回気力もゼロに等しいため出来ないかも知れませんけど少しずつ挨拶して回ろうかと思います。本当に本当にごめんなさい。


ええ、皆様、ご心配おかけしました。仮復帰です。

鬱状態も何とか終わり、あまり大きな穴にならず済んだようなところかも知れません。この休業期間は、私にとって必要だったと思います。だからこそこうして復帰の道にも戻れたわけでして。

メリークリスマス

・・・一応、ご挨拶です。
私にとってはなーんもないですけど。こんなにクリスマスを意識してないのもここ何年かとは私の違うところナリ。ローストチキンが安く売ってるなぁとか。まぁ、そんなとこでしょう。




迷路


歪んだ暗闇の中で 全然出口が見えなくて
分厚い壁は崩れない
だけどそれは一つしかない

いつしか雨上がり 浮かんだ虹に思ってた
この手のひらの中 小さな生まれたての
愛がこぼれて泣いてる

どこからか声が聞こえる 愛する人達の声が
誰も助けはしないよ
君はひとりじゃないよ
悲しみはいつか 消えるよ・・・

北向きに変わった風と 身体の痛みに震えて
そっと靴紐解き 孤独にひたすら流れる涙拭う

いつしか夕焼け 描いた未来が今はただ
行き場を失くして 悲しみにくれてる
愛を見つけてと叫ぶよ

誰か声を聴かせてよ
さみしくてたまらないから
誰かベルを鳴らしてよ
苦しくてたまらないから

これ以上歩けないよ
だけど歩きたいよ
ねぇ何処に行ったらいいんだろう・・・




作者注:UPDATE 26.Sep.00

クリニックで「八方塞がり」と言われたのを
きっかけにそのまま帰って気持ちを書いてみた詞。






私がこのサイトを久しぶりに訪れたのは11月の下旬。丁度、りらさんの体調が少し悪化する直前のことだった。多忙な時期だったので、合間を見て訪問を繰り返し、殆ど全ての書き込みをテキストに落とした後、徐々に全体を読み始める作業をスタートさせた。雑務が落ち着いた頃、再びサイトを訪れた時、りらさんの体調悪化を知った。あまり執筆中には掲示版への書き込み等はしないのだが、体調を気遣う書き込みだけはしておいた。偶然にも、その日の前後から、回復していくことがはっきりと掲示板のレス等から読み取ることができた。やがて、仮復帰レベルのものではあったが、案の定、回復宣言がされた。おそらくは揺れ戻しというものがあったのだろう。回復期にたまに見受けられる症状でもある。私としては、正直ほっとした。なんとしても彼女には立ち直って欲しかったからだ。心からそれを願った。本格的な回復へと彼女は一歩一歩近づいてるのではと、手前勝手だがそんな確信を持った。

今回の執筆にあたり、りらさんの心の病に関する著作を幾つか読んでみた。ネットでの関連資料も私なりにあたってみたりもした。同じ様な病を持つ人を二人、身近でも知っていた。素人の私が立ち入る形で意見を述べることは差し控えるが、1人は悪化し、1人は完全回復を遂げた。担当した医師の違いが、結果に影響したのかもしれない。医師の方の技量の問題では無く、患者と医師との信頼関係の問題だ。一人は彷徨うように病院を転々とし続けた。一人は、時間は必要だったが、信頼した医師に最後まで治療を受け続け、回復した。

サイトにある100の質問の中に、命を預けられる位に担当医を信頼しているという書き込みがある。家族を別にすれば、命を預けられる程も信頼を持てる存在を果たして人はどれほどに持つことができるだろう。その医師から、社会復帰が出来るまで2年という診断を受け彼女は退院した。もうすぐその期間の半分にあたる一年を迎えようとしている。



そろそろまとめに入りことにする。この暮れ、数年ぶりに親元へと、りらさんは帰省する。今まで、帰省を妨げてきた理由は知らない。やはり何かが変化しているのだろう。数年ぶりの父との再会。10年以上前に母を亡くしている、一人っ子の彼女にとって、父親は家族としての絆を持つただ一人の存在だ。家族の絆の掛け替えの無い大きさ、強さについては、TVドラマ『北の国から』をこよなく愛するという彼女には、今さら説明する必要は無いだろう。故郷を離れて、遠く西国の地で、一人、心の旅を続ける娘に、たとえ会う機会は少なかったにせよ、そっと見守るような形で、父親の精一杯の愛情は常に注がれ続けていたはずだ。私は、そう思う。

夏に一度訪問し、この暮れに再びこのサイトを訪れて感じた違和感は直感的なものだ。何かが作用し、久しぶりに私に漂流記の執筆を決意させた。例によって書き切れなかったものは多い。あえて触れなかった部分もある。それは彼女自身の生きる意志の問題だからだ。私としては、現実という社交界(ダンスホール)に、彼女が再び力強く復帰する日がそう遠くないことを願うばかりである。今回の漂流を終える。





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使用イラスト『色気2』
壁紙 Sapphire 青な未完成

 

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