詩集・いいそびれた言葉たち 解説 SINCE 2001/12/19

 

解説

解説といっても、大げさなものではなく、軽くエッセイ風に書いてみたいと思って、このコーナーをはじめてみました。
これらの詩が作られた背景や、その時々の作者の状況など、もちろん第三者である自分が知るわけでもないので、ある種の気楽な傍観者的立場で、勝手な感想、独り言を綴っていくだけだとも言えそうです。

詩集・いいそびれた言葉たちは、全84篇からなる詩集です。4章から構成されています。このサイトに随時アップされている詩の順序は、実際の詩集のものとは大きく異なっています。実際の詩集の並びは、それなりに作者が意図しものだといえるのですが、一度に全編をアップできないという、こちらの勝手な事情等もあり、独断的にというよりも、どちらかと言えば処理状況に応じて、当方の都合でアップされた順、そのものになっています。おそらく長めの詩等は後回しにされてしまことでしょう。当初はあるていど個数を充実させたく思うので、やや短めの詩が多くなっていると言えそうです。

もちろん詩の配列にインパクトをつけるため、ある程度の工夫はこらしたつもりです。詩集の構成上、重要だと思われる、最終章の詩のいくつかは、詩集と同じように、最後の段階でのアップになると思われます。
全ての詩がアップできた後には、詩集と同じ順序での一覧機能も持たせたいと考えています。

 



何気なく冒頭に使ったこの詩が、この詩集全体をイメージするメッセージ的な役割を果たしてくれているようなので、すっかり満足しています。ここに書かれている小さな夢の内容は、おそらくとても贅沢な夢であり、実現不可能な願望だともいえるでしょう。あなたは何もしなくていい、なんてことは現実的には不可能なことだし、何もしなくていいような異性が身近にいたりすれば、それが男性であれ女性であれ、おそらくウンザリとした存在になってしまうことは確かです。
何かをしてるはずだから、何もして欲しくない。いつもは傍にはいてくれないのだから、傍にいる時だけは何も気にしないでいて欲しい。それがとても叶わぬことなのなら、疲れて眠る時だけでも私の隣にいて欲しい。その異性が現実の恋人なのか、思いをはせるだけの相手なのか、あるいはまだ見ぬ、憧れの中の遠い存在なのか。女性たちのほとんどは、たぶん、こんな夢をどこかにずっと持ちつづけているのかもしれませんね。
待ちぼうけ

随分とせわしい世の中なので、かえって以前ほど待ちぼうけも気にしなくなった気がします。これは待ちぼうけをする相手もいなくなってしまった今の自分の素直な感想です。この詩で作者が待つ相手。やはりというかたぶん、異性を待つ詩なのでしょうね。かくれんぼをしていて、いつまでも現れてこない遊び相手の鬼を待っているというわけではないでしょう。そういえば、夕暮れを連想してしまうのが、この待ちぼうけという言葉です。夕暮れ、かくれんぼ、たった一人になってしまった帰り道。そんな子供の時のさみしい気持ちと、どこか通じる、人を待つ身のせつなさ、やるせなさ。不思議に恨みというニュアンスを感じないのが、この待ちぼうけという言葉です。でも、恨みはないとはいえ、やるせなさは感じてしまいます。そんな体験は、おそらく誰にでもあることでしょう。

 

後悔

後悔という題名の詩だけど、できるだけ明るいレイアウトにしてみたかった。大切なものをなくしてしまったための後悔なら、できれば明るくイメージしてみたい。お気に入りのサファイアさんの恋人たちのイラストを対にして配置。あれこれ説明を加えるよりも、そのイラストを見て、自分の意図を納得していただければ、私としてはそれで満足です。

一九八〇年・夏

すっきりと快活な気分にさせてくれる弾むような詩です。学生時代からの数年間を東京で過ごして、故郷へ帰ってきた体験を持つ自分には、素直に共感を持てる詩です。何年間も暮らしてきた、都会の片隅の小さな場所。もしかすると、もう二度と訪れることのない風景たち。随分と年月が流れてしまった今、気ままに過ごしてきた街角はおそらくすでに別の顔を持っていることでしょう。これからさらに月日がたって、本当に懐かしく思い出せるのは、もしかしたら、そこで出会った人たちではなく、消えていった風景なのかもしれません。


SCREEN

女優という言葉のイメージからは何か凛々しさというものを感じる時があります。演技力・美しさだけでなく、真の女優だけが持つ完璧さ。男性にはない女性だけが持つ、華やかな存在感と不可思議な魅惑。そしてスクリーンから消え去った後の艶やかな余韻。
この詩に登場する女性が、ここでいう女優そのものではないのでしょうが、女性であれば一度はそんな完璧な女優を演技してみたいというひそかな願望は持つことでしょう。たとえそれが生涯に一度の短い時間だったとしても。一瞬のスポッライトをまぶしく浴びて、完璧な演技の後に余韻を残して消え去っていく。もしも可能であるならば、そうであってみたい、そうあることができますようにと、それぞれの人生の中で、それぞれの役割を演じ切っていく。現実の彼女たちが華やかに世界に向かってきらめく瞬間は、月が雲間に隠れた一瞬のように短い間だけなのかもしれません。あとは、その瞬間の余韻の中で、それぞれの人生を演じ続ければ、それはそれで誇るべき姿だといえるでしよう。詩集の中での珠玉の一編です。

碧のイマジネーション

結構、解説が難しい詩。波長が合う時なら、あるいは一気に何かが書けそうな気もするのですが、今はその時ではないようです。どちらかと言えば、この手の詩の鑑賞は、それぞれが、思い出の中のイマジネーションを紐解いていく方が自然だったりするはずです。誰かに似合っていた一枚のセーター。その誰かは、通りすがりの人であったり、名前も忘れた友達であったり、いつか出遭う誰かであったり。余計な解釈はこの際、不要なはずですね。前半部と後半部のある種の隔たり。何度か読み返してみたのですが、やはり、今は、これ以上は何も書けそうにありません。


ひとりの部屋

一人ぼっちの部屋なら、本当はさみしいはずだけれど、住み慣れた自分の部屋なら殆どさみしさなんて感じないはずだ。一人の方が気楽な時も多いわけだし、いつも一人だったなら、もはやそれは自然体。イラストのせいでもないのだけれど、この詩はポカポカとあったかい。ちょっとしたリズムがあって、だから、さりげなく陽気な気分に浸れます。

碧い時代の天使たち

雨上がりの青い空に広がっていた虹の中の一瞬のメルフェン。ふわっとした、暖かみの中で始まる、過ぎ去った日々へのほのぼのとした明るい回想。どんな悲しい思い出でさえも、楽しかった思い出に変えていってくれそうな気がする輝くような詩です。
そう、とにかく、淡く去っていった日々への追憶は、たとえ悲しく透明であったとしても、虹を眺めての追憶ならば、楽しく、明るく、詩的でありたいものです。幼い頃、窓辺をたたいてくれた天使たちには、おそろく二度と会うことはないでしょう。でも、天使たちのささやき声は、まだ、心の記憶のどこかにかすかに刻まれているはずです。いくつかの思い出が、不思議なくらい鮮明なのは、それは、たぶん、幼い頃に何かを教えてくれた、彼女たちのせいなのかもしれません。


ひとりごと

クールにふるまってみたい時って、あったよね。本当は少しもクールではないのだけれど、何かの気を引きたくて、無理に背伸びをしてみたものだ。なんとなく、テレビの主人公みたいな気分で、歩いてみたっけ。なんとなく悲しい横顔を見せつけたりなんかして、随分と格好付けした時代もあったよね。少し背中を丸めたりして、後姿をきどってみたりしたもんさ。そんな時代、とっくの昔に過ぎ去ってしまった気もするけれど、それなりに、楽しかったよ。
本当は、心はとても温かかったんだ。誰よりも優しかったんだ。少しもクールでも、なんでもなかったのさ。
とまあ、独り言でした(笑)


以上。ホームページへのアップ順に解説・雑感を書き綴ってみました。追加更新は随時おこないます。

ホームページ

イラスト

Sapphire青な未完成

southernbeach気ままな鉛筆

きゃらめるBOX