「なあ、少し休んだらどうだい」
「そんなあなたを招いておられるのですから」
            
コリントT 3章6節

 「なあ、わたしの所に来て、少し休んだらどうだい。」
神さまは、こんなふうに教会の礼拝へと招いておられます。
「礼拝?自分には関係ない。必要ない!」と思うかもしれません。
 でも、人のことを心にとめておられる神さまは、この世で一生懸命に生きている人のようすをごらんになりながら、思われたのです。

 「忙しそうだなあ。みんなわたしの所で休むことが必要だなあ」と。
神さまは、礼拝へと人を招いておられます。あなたの町に教会があるのは、あなたをご自分の所へ招いておられるからです。

 礼拝へは、どんな人が行ってもいいのです。何の準備もいりません。今まで行ったことがないとか、知っている人がいないとか、聖書を読んだことがないとか…。そんなこと、何の問題にもなりません。神さまがあなたのことをよく知っていて、招いておられるのですから、それだけでいいのです。
 素直な心でなくても、かまいません。ちょっとした疑いや心配があるままでもいいのです。教会に知られたくないことは、知らせなくてもかまいません。もしも、不安になったなら、その時はお帰りになってもかまいません。とりあえず様子を見るだけでもかまいません。あなたのそんな気持ちを、神さまはよくわかってくださいます。そして、喜んで迎え入れ、包み込んでくださるでしょう。神さまは、疑いや心配をかかえたままのあなたを招いておられるのですから。

礼拝に出ても、しばらくは、よくわからないことがあるかも知れません。聖書の話にも、教会で耳にする言葉にも、聞きなれないことがたくさんあるでしょう。
 「神さまに愛されている…。」、 「イエスさまが十字架にかかってくださり、わたしたちの罪が赦された…。」、 「復活、永遠の命、天国…。」などなど

 神さまのことも聖書のことも、わかりにくいかもしれませんし、すぐには信じることはできないかもしれません。それでもかまわないのです。あせる必要など、まったくありません。神さまは、わかる人だけではなく、わからないでいる人のことも、大切にしてくださいます。そして、必要なことは、必要な時に、ちゃんとあなたの心に届けてくださり、すっきりとさせてくださいますから。

 普段は、自分で何かができなくてはいけない世界で、がんばっているのではないですか。?
しっかりとした心、知識や理解力がないといけないような世界で、飛び回っているのではないですか。?
 この世界は、けっこう忙しい所です。

 でも、神さまの所は、ちょっと違います。何かをしようとするよりも、何もしないくらいがいいのです。リラックスして、ゆったりと構えていたらいいのです。そして、神さまからの働きかけを待っていたらいいのです。ちょっと開き直って、「神さま頼みますよ!あなたが招いたんですからね!」って。成長させ
てくださるのは、神さまなのですから

     (“こころの友 2007年2月号に掲載)