江戸歌舞伎の研究で特賞
                        関谷   裕彦

   十七歳当時は新制高校一年生だった。全学共通の研究発表会があった。私はいろいろ考えた結果、歌舞伎をテーマに選んだ。演題は、「南北と黙阿彌」。発表者は一年十四人、二三年合わせて十四人、計二十八人だった。「無理数」「角の三等分」「等周問題」「ギリシャの数学」など圧倒的に数学が多く、文科的なものは「今次大戦の原因」「登呂」などだった。

イラスト:新井進(新日本美術院実行委員)


 中学二年のころから帰校時に本郷図書館に立ち寄り、三、四時間「大南北全集」と「河竹黙阿彌全集」を片っ端から読みふけった。そうしてたまたま発表会前年の昭和二十三年七月、戦時中には出なかった南北の「四ッ谷怪談」と黙阿彌の「十六夜清心」を三越劇場で見た。配役は、お岩が中村もしほ(後十七世勘三郎)、伊右衛門は市川染五郎(後八世松本幸四郎・白鴎)であった。「十六夜清心」の方は清心九世海老蔵(後十一世団十郎)、十六夜は七世大谷友右衛門(現三世中村雀右衛門)であった。その辺が下地になっている。

 私の発表原稿は、まず稚拙な筆で書いた表紙、芝居幕これは春陽堂発行の日本戯曲全集のカバーの模倣である。四百字詰め原稿用紙で九枚。万年筆でブルーブラックのインク。重要な部分は赤い色鉛筆で横線が引いてある。

 能、人形芝居、歌舞伎の日本演劇三種のうち、庶民の絶大な支持を受けた歌舞伎の多くの劇作者の中で、文化・文政期の鬼才四世鶴屋南北と安政から明治にかけての大作者二世河竹新七(黙阿彌)の二人を選んだ理由、両作者の略歴、時代背景、代表作品(このページがなぜか紛失)、両者の長短、および比較論。南北の生きた化政期、天下泰平の文化爛熟時代に民心が遊惰に走り強い刺激を求め陰惨なものを好んだこと、反面黙阿彌の時代は、天保の改革、幕府の取り締まり、黒船の襲来などから生じたある種の清心の気風を、歴史的考察の中でとらえている。

 南北の長所として、深刻な描写、仕掛けの奇抜さをあげ、黙阿彌の場合は細密な描写、勧善懲悪の精神、明朗さ、両者に共通の集成の手際のよさをあげた。短所としては南北の悪魔的な刺激の強さ、仕掛けものの弱点にふれ、黙阿彌の場合は不自然な技巧、下品な滑稽感、架空の筋立てから来る作品の弱さを取り上げた。

 ともあれ、二人は江戸歌舞伎の産んだ最高の作者であり、両者の作品を好み愛することで芸術歌舞伎をよりよく理解することが必要だと結んでいる。私の発表は題材からしてユニークであったのかもしれない。幸い特賞をもらった。賞品は万年筆だった。

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