相馬の地質みてあるき

1996.8.24-25 山本 央明さんと。 相馬の写真集へ

地図: 1:25000「丸森」「磐城草野」、1:50000「角田」「相馬中村」。


行程略図

 24日

 宮城県側、阿武隈川南方の丸森地域、五福谷川と一本南の川沿いを見る。五福谷川では、花崗閃緑岩の様々な様子を観察。黒雲母や角閃石の配列・片状構造や、優白色花崗岩(アプライト?)との食った食われた関係、捕獲岩の泥質変成岩(黒雲母片岩)、ペグマタイトや石英脈、暗色包有物(dark inclusion)など。曇天、時折小雨の天気でしたが、石は比較的良く見えました。(岩石は濡らした方がよく特徴がわかる場合があります)。上流部に入ると、花崗岩地帯特有のなだらかな高原状地形になる。地形の若返りの話をする。あと数十万年すると、このなだらかな高原も急峻な谷が発達する険しい地形になるだろう、現在は下流側から削り込んでいる途中なのだ、という話。

 次に、丸森町の自然公園の奥、筆甫(ひっぽ)の川下〜川中に露出する、丸森変成岩を採集。花崗岩に取り込まれたほぼ南北に細長い岩体として、堆積岩を起源とするものを主体に、変成岩が分布している。川底や道路沿いに露出があり、花崗岩とは色や割れ方などが異なるので、見つけるのは難しくなかった。これには見かけで少なくとも2種類あって、非常に細かいバンディングというか、白黒の縞のある泥質変成岩と、比較的均質な黒雲母片岩〜ホルンフェルス(おそらく砂岩起源)を採集。

 この丸森変成岩には、砂漠成の砂を起源とする、ザクロ石珪岩の産出の報告があり、それを狙っていたのですが、残念ながら見つからず。オルソクォーツァイト(orthoquartzite)という岩石の変成を受けたものです。あれば、大陸的な堆積物というだけでなく、先カンブリア代に形成された可能性が高いものです。僕は見たことがないのですよね。残念。

 尾根を越えて相馬に戻ろうとする途中、峠付近で火山砕屑物を主体とする地層に出会う。新第三紀中新世の、霊山層と呼ばれる地層らしい。霊山はやたらMgOの多い玄武岩が出るので有名なのだが、この礫になっている火山岩は、安山岩に見えるんだがなあ・・。尾根に分布する、かなり傾斜の緩い、水平に近い地層なのに、級化層理など、水中堆積の構造が見えるのですね。これに山本さんがびっくりされていました。阿武隈の準平原時代の証拠になるかも知れませんね、これは。そういう話をしました。

 帰途、鹿狼山南の双葉断層沿いの砕石場で、石灰岩を観察。ほぼ水平の、層状の不純石灰岩が露出している。文献では時代不詳となっていますが、どうなんでしょう。ただの勘ですが、僕には石炭系のものに見えます。砂や泥の地層がついていれば、判断できるのですが、これも宿題になりそうです。

 25日

 朝3時前に二人で起き出し、ごそごそ仕事をする(我々は朝型の生活パターンが共通でした)。朝飯前の一仕事というので6時前に松川浦や、その南の海岸を見学させていただく。松川浦は干潮で干潟になっていて面白い。ここは、鮮新世の竜ノ口層が小さな丘陵や島として露出していて、段丘地形に対応するノッチが海食崖に見られます。これは、この地域が全体としてゆっくりとした隆起傾向にあるのと、第四紀後半の氷河性海面変動で、当時の海面付近の位置が波食でへこんで、それが3段になって残されているものです。これが海に突き出ているのと、沿岸流のために、砂嘴が延びて宇田川と小泉川の河口がふさがれてできた浅い内湾ですね。

 鵜の尾岬に登って山を見ると、海風が山の斜面に沿って沸き上がるように雲をつくっているのが見えて、とても面白い。風は均一に山を越えるのではなくて、尾根ではなく峠を選んで越えていくように見えます。

 海岸ではテトラポットと一緒に、人為的に運んできたらしい山上変成岩らしき緑廉石角閃岩の塊がごろごろしていて、びっくり。竜ノ口層の凝灰質砂岩には、堆積時の生痕化石(ウニ?、ナマコ??)がたくさん浮き出ている。

 海岸で山本さんと真野川の運んできた丸い礫を調べて、宝探し。透明感のある石英脈の丸い石や、めのう?など。

 山上小学校から宇田川の上流方向で、山上変成岩の採集。この変成岩は約3億年(古生代石炭紀後期)の変成年代を示す、国内でも非常に古い変成岩で、何でこんなものが双葉断層沿いのここにあるのか、とても不思議。圧砕性花崗岩〜マイロナイトと、緑廉石角閃岩。西方の採石場では大規模にこの緑廉石角閃岩を採取している。これは、もともと玄武岩質の岩石だったもので、ものによっては、はんれい岩の構造が残っているものもあるというのだが、わからなかった。まあ、はるか昔の海洋地殻をつくっていたものと考えても、それほど間違いではないでしょう。

 真野川沿い、栃窪から立石に移動。古生代石炭紀前期(3.3億年前)の立石石灰岩を観察。ここからはたくさんのサンゴ化石が見つかっていて、中国南部、ヨーロッパ、オーストラリアに現在分布する同時代の石灰岩と共通の化石種が出ている。当時の大陸配置や日本列島の形成に関わる、古生代の地層の起源の問題(微小大陸塊・パシフィカ説や、中朝・揚子地塊の衝突説)の上で、この石灰岩と化石はかなり重要な、鍵になる存在なのです。

 で、その化石をきちんと見ようと思ったのですが、道路沿いはすっかりコンクリートで覆われていて、沢はダムで水に浸かっていて、これはなかなかたいへんですね。結局ひとつも見つかりませんでした。大穴鍾乳洞の方へ入れば少しは転石で見つかったかも知れないのだけど、時間に余裕がないので今回はパスしました。(今回は砕屑岩と火山岩が目的でしたので、省略しました。すみません>山本さん。いつか行きましょう。)

 ダム管理施設への道沿いに露頭が続くので、こちこちたたきながら歩く。玄武岩質の岩片の多い、砂岩や、泥質変成岩など。立石石灰岩の下位の真野層(石炭紀前期:3.5億年前)の堆積岩と、その下位の松ヶ平変成岩(デボン紀より古いと言われる)が見られるはずなのだが、よくわからない。石灰岩〜石灰質砂岩も手前にはけっこうあるようだし。両者の境界は断層とされているが良くわからなかった。ただ、終点のダム管理の建物の裏では、典型的な黒白縞々の松ヶ平変成岩(泥岩〜泥岩とチャートの薄互層起源)が露出しているので、地質図の位置関係は把握できる。

 真野ダムの上に移動し、松ヶ平の”寝姿山”の地質を見ようとするが、道がなく、ヤブで、挫折。山のてっぺん付近に崖が露出しているのが見えるが、遠目ではなんだかわからない。山の中腹の畑に行って、小さな崖の崩れたものを見ると、安山岩の大きな円礫がごろごろしている。びっくり。ここは先ほどの松ヶ平変成岩が出ているものと期待していたのに。

 あとになってみると、どうやら山頂部付近には周囲も含めて、新第三紀中新世の火山岩の礫を多量に含む礫岩の分布があるようです。塩手層と呼ばれているのかな。それが崖をつくっているように思います。(→後述)

 ダムはずいぶん水量が減っている様子。岸の斜面に小さなノッチが無数にできているのが面白い。日差しが強く、夏の雲がまぶしい。橋のたもとから細い草やぶの道を分け入ろうとするが、行き止まりで撤退。

 来た道を栃窪まで降りて、新しくできたという上萱に通じる林道に入る。相馬古生層のペルム紀の砂岩・泥岩が見れるかと期待したのですが、やはり尾根道は土になっている場合が多くて、あまり出ていませんでした。そのうえ峠のあたりで通行止めになっていて、引き返す羽目に。真野ダムの西から飯舘村の草野を経由して、上真野川に降りるルートを取ることにしました。立石に登る途中の、南西にまっすぐ入る合の沢(相ノ沢川)が、相馬の古生層の模式地になっているのですよね。ここも、いつか調べてみたいですね。

 ダムの上流、渡戸橋を渡って大倉へ。そこから草野へ向かう広い道を行くと、道ばたは花崗閃緑岩の風化した露頭が続く。高度300m付近から上に、前日にも見た安山岩?の丸い礫を大量に含む、礫岩〜砂岩が分布している。やはり明らかに水中堆積。不思議な気がします。途中から旧道を降りて大倉方面に戻ると、けっこう露出があるのだけど、標高280mを切るあたり?から、花崗岩に移り変わってしまう。

 この礫層が不思議なのは、花崗岩の上にのっているのに、ほとんど花崗岩の礫や花崗岩起源の砂が入っていないようなのですね。それで、火山岩はかなり丸みを帯びた礫になっている。もし不整合で花崗岩の上にたまった地層なら、基底礫岩に花崗岩ががんがん入っていそうなものですが。両者の境界を確認しないといけませんね。

 木戸木(ことぎ)に入るあたりから、すっかり花崗閃緑岩の露出になる。飯舘の石材の花崗岩は、これまで見てきた花崗閃緑岩ではなく、もっと有色鉱物の少ない、新期の花崗岩のようですね。草野のあたりで、石材屋さんの庭先の、加工途中の石を見ると、ずいぶん白っぽい石です。有色鉱物が多いともろくて風化に弱く、石材になりにくいのではないか、という説明をしました。

 古生層最後の目的はペルム紀中期の大芦層の砂泥互層と、礫岩(薄衣式礫岩)の観察とサンプリング。芦原、八木沢を経由して、「じさばら」(木へんに喜ぶと書いて、原っぱの原。木喜 原)大芦北東1.5kmの、弓折沢に入った。砂防ダムを越えるのに苦労したけど、谷は緑が美しく、暗いかわりにヤブもなく、気持ちがいい。ここで砂泥互層を採集し、転石の礫岩中の石灰岩礫の中にある化石を探しながら、約1km上流まで登りました。結局礫岩の露頭にたどり着く前に引き返しましたが、転石でフズリナの入った石灰岩礫を採集したり、大きな石灰岩に保存の良い無数のサンゴ化石が入っているものを見たりして、ハッピーでした。ここの沢の出口の河原は、広くて広葉樹がきれいなので、キャンプや芋煮にも好適そうです。

 山本さんが採集した石灰岩礫の中のフズリナは、きちんと調べたわけではありませんが、ペルム紀前期(約2.7億年前)のシュードフズリナ(Pseudofusulina sp.)か、シュードシュワゲリナ(Pseudoschwagerina sp.)のような感じですね。礫岩そのものの堆積時期は、ペルム紀中期(約2.5億年前)から後期のようです。

 沢の途中には、白亜紀頃に貫入した?と思われる安山岩の岩脈が、2本露出していて、苔に覆われているので礫岩と間違えてしまいましたが、どうやらこれらの礫岩の露頭は、沢のかなり奥に露頭があるようですね。残念ながら今回は途中で引き返してしまいました。砂や泥の部分を数カ所サンプリングして、僕の必要な仕事はこれでおしまい。

 オプションで上真野川の下流、小池に露出する、相馬中村層群のジュラ紀(〜白亜紀初期)の石灰岩を見に行きました。これがかなり深いヤブをくぐるはめになりましたが、石灰岩中にネリネア(Nerinea)という大型の巻き貝の断面が出ているものや、六放サンゴの群体、層孔虫や石灰藻などを採集。ウーライト(oolite)のつぶつぶもありました。これは、ちょっとウロオボエモードですが、石灰質の砂粒の表面に石灰藻類が生えて、成長して表面を覆ったものと考えていいのかな。波によって転がされるので、どの方向にもまんべんなく丸く成長するものだと思います。(ちょっとオンコライトというものと勘違いしているかも知れません)環境指示物として有効だったような気がします。

 この石灰岩は、高知県などで知られている、鳥の巣石灰岩と呼ばれるものと同時期のものですが、たいへん化石の保存が良く、たぶん世界的に見ても貴重なものです。石灰岩中の化石は、化石の全体を掘り出すのが難しく、断面しかわからないことが多いので、いまいち見栄えがしませんけどね。

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 とりあえず報告を終わります。分析にかけないとはっきりしたことは言えないのですが、見た感じでは非常に都合の良いデータが得られそうです。相馬の古生層は、僕のホームグラウンドの日立のものと、非常によく似ています。200kmくらい離れているというのに。見かけが似ているというだけでは決め手にならないのですが、それを微量元素を使って、同じか違うか、後背地の性質を見極めてやろうというのが、僕のやっていること(のひとつ)です。山本さん、2日間どうもありがとうございました。

96/08/26 萩谷 宏(KGH06345)


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