昭和20年日本印刷業の嚆矢中島機械株式会社を合併し、日本文化の
復興の礎を築いた。
又世界のコンピューターの第一号機を製作したレミントン社と合弁会社を
設立、日本に於ける事務合理化の発展の基礎をつっくたのである。
日本タイプは戦前より、通信と情報の融合についての特許を多数もっており、
これが郵政省のATMとなり、国鉄の新幹線等の販売機の製作に繋がった
のである
中島機械は日本でのオフセット印刷機の発明とりて知られ、日本印刷業の
中心的役割を戦後になった。
この会社が日本タイプに合併された昭和20年には、今話題のコクドの株主
であった下郷一族や、藤田好三郎の豊島園や当時の国土興行株式会社
の株式を日本タイプが取得したのである。
コクドと西武鉄道を手中に収め、プリンス・ホテルの不動産を所有し、観光
立国と工業の戦後の建て直しを行ったのである。

昭和工業高校は堤康次郎氏
の秘書をしていた比留間安治氏
に父は寄付した。