飛鳥の里

飛鳥の里
=奈良盆地の南部、明日香村を中心とする地域で、推古朝(592〜628)から和銅3年(710)の平城遷都まで、歴史舞台の中心となったところ。
当時の遺跡も多く残り、古代史・考古学ブームのきっかけになった高松塚古墳もあります。

都会の雑踏から離れてのぶらり旅、頭のスイッチをオフにして広々とした田園風景を楽しんできました。


撮影場所 = 奈良県明日香村
撮影年月日 = 2007年3月29日

ウオーキング距離=約12km (飛鳥駅〜石舞台〜岡寺〜甘樫丘〜橿原神宮前駅)



鬼の雪隠

鬼の俎

花崗岩で作られた遺構で、畑の中を通る遊歩道にあります。
鬼の雪隠」と「鬼の俎」は直線距離にして数十メートル離れていますが、
元は1つの古墳の石室だったものが、盛土が無くなり二つに分かれてしまったものです。
言い伝えによると、風の森と呼ばれるこの地方に鬼が棲んでおり、
通行人を騙してとらえ、「俎」で料理して食べ、「雪隠」で用を足したと云われています。
石室=鬼の雪隠・・・内幅は約1.5m、高さ約1.3m
底石=鬼の俎・・・長さ約4.5m、幅約2.7m、厚さ約1m


高松塚古墳
1972年、発掘調査によって美しい壁画がみいだされ有名になった古墳(径約20m)で、粘土と砂を交互に一層ずつつきかためて築くなど飛鳥の古墳に特有の特殊な構造を備えた終末期の古墳の一つです。
造られた年代は7世紀末から8世紀初めと考えられていて、石室の天井には星宿(星座)、周囲の壁には日・月、四神と従者を配し、死者が永遠の眠りにつく小宇宙を形成しており、中国思想に基づいて貴人の墓にふさわしく飾ってあります。

壁画は模写されて高松塚壁画館に展示されています。
なお、石室の壁画はカビが発生し保存場所や保存方法が問題となり、現在修復中です。
高松塚壁画館
高松塚古墳壁画は発見後、国宝に指定され非公開となっていますが、古墳の隣接地に壁画館が建設され、内部の模型と壁画の模倣を展示しています。

展示品・・・
「四神の図と日像・月像」「人物群像」「現状模写」「壁画再現模像模写」「一部復元模写」「石槨模型」などの”彩色壁画”、「副葬品模造」「天井部の星宿図」など。

2007年4月5日午前、劣化した国宝壁画を石室の石ごと取り出す解体作業が始まりました。
鉄枠のボルトで締め付けられた天井石を持ち上げ、梱包用の鉄製保護枠に納めた。天井石がなくなった後の北端の天井部分は、白色の発泡ウレタンで塞がれました。
解体決定から2年、1300年不変だった貴重な文化財の形を崩す事業に、複雑な気持ちを吐露する研究家もいたとニュースで報道されていました。



天武天皇陵・持統天皇陵
天武天皇と皇后持統天皇の夫婦合葬陵です。
持統天皇が夫の天武天皇のために687年に造営した八角形墳です。
大化薄葬令により天皇としては初めて火葬された持統天皇を、703年に合葬した記録が日本書紀に残っています。
東西45m,南北50m,高さ9m,墳丘の周囲全長約120m


亀石
何時?、誰が?、何の目的に?
何処となくユーモラスで愛嬌のある亀石です。
領地内の境を示す道標であるという節が有力ですが、不可思議な亀石を前に、色々と想像するのも楽しいことです。

昔話・・・
昔、昔、大和盆地が湖であった頃、当麻(たいま)のヘビと川原のナマズの間で争いが起った。両者は激しくわたりあったが、ナマズが負けて、湖の水は当麻に取られてしまいました。負けた川原のあたりはすっかり干上がり、亀はみんな死んでしまいました。
亀を哀れに思った村人たちは、亀の供養にと亀をかたどった石を造って祀ったということです。


橘寺
聖徳太子が創建した七つ寺の一つで、聖徳太子生誕の地とも伝えられています。
橘とは日本書紀によると田道間守(たじまもり)が垂仁天皇の勅命を受けて不老長寿の薬を求め、海を渡り10年後にある種を持ち帰りました。しかし、その時はすでに天皇は亡くなっていたそうです。しかたなく、その種をこの地にまくと芽が出たのが橘であったことから、以来この地を橘と呼ぶようになったそうです。そしてここに橘の宮という欽明天皇の別宮が建てられ、太子はここで生まれ子供の頃を過ごしていました。

創建当時は、堂宇が66棟もある四天王寺式伽藍配置の大寺でした。
境内には蓮華塚など多くの重要文化財が所蔵されています。

太子堂は現在修復中ですが、中に安置されている本尊(聖徳太子35歳の像)は太子の彫刻としては最も古いものです。

二面石
飛鳥時代の不思議な石造仏二面石。
背中合わせの二つの顔があり人の心の善悪を象徴しているそうで、
左が善面、右が悪面です。
それにしても飛鳥には不思議な石が多いです。

黒の駒
聖徳太子の愛馬で、空を駈け達磨太師の化身といわれ、
災難厄除のお守りになっています。



川原寺跡
天武天皇の時代には飛鳥屈指の大寺として隆盛を誇り、朝廷にも重んじられる官寺でした。
現在は広々とした野原に金堂跡や塔跡などの遺構が分かるよう整備されています。
かつての中金堂跡には弘福寺が建っています。



石舞台 (正面)
推定築造年代は7世紀はじめ。
朝廷にも匹敵する権勢をふるい、強大な富と権力をもった豪族蘇我馬子の墓とされています。
巨大な石材が組み合わされた一番大きい天井石は推定重さ77トン。
水田の中に上部のみ露出していたのを、昭和8年(1933)から発掘調査が行われ、国の特別史跡になりました。
名前の由来は、月夜の晩に石の上で狐が踊ったからだとか云われています。

石舞台 (横)

石舞台 (裏面)
石舞台 (玄室)
公開されていますので、中に入って見る事も出来ます。
発掘調査では石棺は発見されず、平らに加工された凝灰岩の破片が見つかったそうです。
中に入ると隙間があるので光が入り不安定に見えて、ちょっと怖かったりして。地震が起ったらどうなるの・・・。



岡寺・仁王門
石鳥居をくぐり昔ながらの佇まいを今に残す参道を上ると
鮮やかな朱色をした楼門様式の仁王門(重要文化財)が現われる。

岡寺・三重塔
本堂の西南側の小高い場所にある。
昭和61年(1986)弘法大師記念事業として
510余年ぶりに再興された。

岡寺
本堂、内陣には本尊の如意輪観音菩薩が安置されており、
日本最初の厄除けの霊場です。。

岡寺・三重塔



岡寺〜万葉文化館のウオーキングで出会った のどかな田園風景(1)

岡寺〜万葉文化館のウオーキングで出会った のどかな田園風景(2)



奈良県立万葉文化館
我が国最古の詩歌集「万葉集」には、4500余首の詩歌が収められていますが、
最も多いのが奈良を対象に詠まれたものです。

万葉ゆかりの歴史的風土や自然景観が多く残されている奈良県・明日香村にオープンした『万葉文化館』は、
 「万葉集」を中心とした日本古代文化を研究する“万葉古代学研究所”
 「万葉集とその時代」について展示する“万葉ミュージアム”
 「万葉の時代や文化」に関する情報を集めた“万葉図書室”
 にわかれています。
特に“万葉ミュージアム”では、我が国を代表する日本画家による万葉の歌ごころを描いた創作日本画を展示するほか、
人形や映像などを用いて万葉の時代を紹介する「万葉劇場」などのコーナーがあります。


飛鳥寺
崇仏派であった蘇我氏の発願による我が国最初の仏教寺院です・・・崇峻元年(588)に造営を開始。
当時の寺の規模は、法隆寺の約3倍で築造に20年の歳月を要した。

本尊の銅製釈迦如来坐像(重要文化財)は日本最古の仏像(飛鳥大仏)といわれ、鞍作止利(くらつくりのとり)の作と伝えられています.。
大きさは2.75m。



展望台への階段
甘樫丘
標高148mの小高い丘で、万葉の里の展望台です。眼下には飛鳥の里,大和三山や青垣の山々も遠望できます。
大化の改新の頃には、蘇我蝦夷・入鹿の館があったといわれ、今では桜や桃が植えられた歴史公園になっています。

展望台までの階段は少々きついので、休み休み登ってください。

甘樫丘からの遠望(1)

甘樫丘からの遠望(2)