トップページ バックナンバー目次

華奴の「短歌あの日この日」 バックナンバー

2003年2月

             2月28日(金)

      誰か一人こらへきれずに林道を誰れか馳せ行く春が来たのだ
                 前田 夕暮  歌集 『虹』
 

    今日は ほんとうによいお天気だった。おおきな窓の輝く青空を見ながら、職場の相棒が言う。 「日差し、このひかり 春ですね。もお、わくわくしますね。」 今日金曜の夜、お出かけの彼女は 新しい恋の予感をどこかに秘めつつ。うん、わくわくするよお。恋の始まりは また教えてね。うふ、おばさんの楽しみ。
家に帰ると 一足先に帰っていた夫が ベランダでうきうきしている。ビオラやベルフラワーの花の苗を買ってきて、ボールに並べている。あっ、タネツケバナ ひっこぬきやがった!



             2月27日(木)

      東大邱( トンデグ 大邱( テグ 駅と過ぎ大の音の濁音となることはりをしる
                 浜田 昭則 歌集『非線形』
 

    韓国地下鉄の惨事の映像。もともと閉所恐怖症気味な私の肉体は ますます地下鉄が苦手になりそうだ。よく脳貧血を起こすことがあるが それはたいてい地下鉄でのことだ。突如 えもいわれぬ怖れをかんじて、あ、なりそう、、、、という怖れで、ますます息苦しくなってしまう。目の前が暗くなりそうなのをひきもどす。お、降りなければ、、、と冷や汗をかく。はやく地上へ出なければ、永久に闇のなかを彷徨いそうな恐怖。


             2月26日(水)

      レジ近く忘れものないかと買物かごを離さぬスカートのボタン
                 林口 僥子 歌集『電脳素描』
 

    今日 またやってしまった。仕事の帰りに買い物をして帰ろうとスーパーに寄った。ところが、レジで「あ゛ー 財布がない! すびばせん、すぐ来ますので、このまま、、、、。」一日財布を持たずに 一文無しでいたわけだ。一度くらいやったことある人はいるだろうけど、これをくり返すヤツ、そんなやつおるんかいな。性懲りもなく、またやってしまった。財布を忘れるというより、財布の中身が入っていない、ということを何度かやりました。「わ、ない!」と。「すびばせん、すぐ来ますので、このまま、、、、。」 近くのあちこちのスーパーで実績あり。しかし、こういうとき、レジのみなさんだれもやさしいよ。


             2月25日(火)

      戦後うやむやに終わりて水無月の道黒く市電の内部につづく
                 塚本 邦雄 
 

    こないだの土曜日 新大阪の駅前で署名活動をやっている人たちがいた。小学生も混じって 雨のなか 懸命に声をかけていた。法務大臣と大阪入国管理局に 中国残留日本人孤児の家族の「在留特別許可」を嘆願する署名集めである。小学校のPTAや、保育所の保護者会や、町会の人たちが、家族を支援する会をつくって、地域のひとたちがなんとかしようとがんばっている。家族の絆を引き裂かないで! と。

支援者からの俳句
残留孤児 故郷の土を 踏むけれど 孫や娘は 遠く中国
拉致被害 よせる同情 残留孤児にも よせたって

そですりあうも タショウの縁。わたしも ひとやくかって、集めましょ。 ほんま 殺生な話でっせ。許可がおりますように。



             2月24日(月)

      く、ふ、ば、く、も、テ、ロ、も、は、ん、た、い、連凧の文字吸はれゆく冬の青空
                 三浦 好博 歌集『流星』
 

    いったいどうしたらいいのだろうか。悶々とするばかりだけれど、ともかく反戦は叫びたい。今日 読んだ本は 『キーワードで読みとく世界の紛争』(「みんぱく月刊」編集部編集 河出書房新社)。タイトルだけみると、傍観的一般論化しているようでなにかゆるせないような視点であるような、そんな誤解をうけそうであるが、そうではない。
    <さまざまな紛争の原因がなんであれ、その根底には、集団間の偏見や不信が存在している。そして、こうした偏見や不信という感情は、人が人ゆえに、だれしも持ちあわせているものである。けっして限られた地域に住む限られた人びとのあいだでの、限られた欠点から生まれているわけではない。問題の根幹が、人間自身の内に存在していることを知るために、本書は構成されている。世界を問うことは、人間を問うことだという信念に貫かれている。>
<…もはや従来の安全保障をめぐる仕組みは十全に機能しなくなった。これからは、平和を模索するさまざまな新しい試みが生まれるにちがいない。そこには、王道といった、保証された安易なルートはないだろう。たとえ、迂回路ではあっても、一人一人が、世界の問題について、あるいは人間の所業のついて、問いかけることから始まるのではないだろうか。知りたいと願う知的欲求こそが、世界の未来をあるべき方向へ導くのではないだろうか。>
<地域紛争や民族問題のまさに当事者のなかにしばしば身をおき、そこから学んできた研究者たちであればこそ、ジャーナリストや国際政治学者とはまた異なって、人類学特有の「まなざしの水平性」を生かした視点を提示できたのではないかと思っている。>
という本である。<引用>


                2月23日(日)

      表情も変えず襁褓を替えらるるホームの老いたる王を称えよ
                 木下 のりみ 歌集『たゆた』
 

    きのうのつづきで このセリフから思い出したこと。
「…きっと俺は、目の前にいる明日香が、明日香のすべてだと思いこんでいたんだろうな」
「…ここにいる明日香は、生まれてから今までの、いろいろな人との関わりや経験の積み重ねの上に、存在しているんだなって……」
何年も前のことだが、ボランティア研修でデイサービスのお手伝いをしたとき、かなりショッキングだった。介護士は保育士とは違うはずなのに、 幼児扱いはあんまりだ。目の前にいる老いさらばえ老醜をさらす老人は それがその人のすべてであるとしか思われていない、ということなのだろう。 体の自由が利かなくなったからといって、こんななめられた扱いをうけるんじゃ、どれほど情けなく口惜しいことか。不機嫌なのは当然だろう。 孫でもないのに、おじいちゃんおばあちゃん呼ばわりは失礼千万。やっぱり なんちゅうても 何十年と年を重ねてきた、生きてきはったっつうことはすごいことなんやぞ。先輩の尊厳、敬う気持ち。わたしも それは忘れないようにしたい。これから、介護の苦難が待ち受けているかもしれないけれど。


               2月22日(土)

      ゴーガンの黄のキリストの鼻梁よりしたたるような夜の水滴
                 藤井 清子 歌集『薔薇冠』
 

    今日は 雨。雨も嫌いではないが、人混みに 濡れた傘を持ち歩く難儀はたまらない。電車で立ちながらに本を読むにも 傘があると難儀である。が、読まずにいられずに読む。山田宗樹著 『嫌われ松子の一生』。この物語が紐解かれてゆくきっかけになるものは 聖書であった。そして、松子との奇縁に結ばれた龍洋一が 罪を悔いて、神の愛を知るシーンは凄絶で、電車なんかで冷静に読めるようなものではなかった。たいへんな物語だった。
    伯母松子の存在すら知らなかった甥、笙が松子の一生を辿ってゆく。そして、その一生を知った笙が 恋人に語るセリフ。
「…ここにいる明日香は、生まれてから今までの、いろいろな人との関わりや経験の積み重ねの上に、存在しているんだなって……」
そう、私の思いもそこに到った。人の一生は いろんな人との出会いによって成ってゆく。(今 ちょうど NHK教育で ひきこもりの特別番組をやっているが、ひきこもりからの抜け出すきっかけは あるひとつの出会いであったりするという。どうか、出会いに期待する望みを持ってほしい。わが従弟よ。)
    赤い鹿子絞りの模様の可愛い装丁だと思ったが、それはカバーだけで、カバーの内は 鱗模様になっていることにあとで気づいた。なるほど一途な松子のある意味おどろおどろしい一生に似つかわしい。


             2月21日(金)

      シャンプーの香りに満ちる傘の中 つぼみとはもしやこのようなもの
                 早川 志織 歌集『種の起源』
 

    今日は ある恋のおはなし。担当美容師の男の子に恋をした女の子がいた。美容師の女の子に<美容師の男>を落とす方法を聞きだした。その極意は3つあった。ひとつ、カットなりなんなりしてもらっている間中、ずっと話しつづけるべし。しかも、鏡のなかで目を合わすのではなくて、必ず直接目を合わせて会話するべし。ひとつ、カルテなどの電話番号には 家の番号ではなく、携帯の番号を書くべし。ひとつ、仕事が終わるのを待ち伏せ、出待ちは絶対するべからず。これは ストーカーみたいな不気味さでこわがられる。(なるほど。せっかく仕入れたこの極意、わたしはもはや この人生で活用する機会はなさそうだが……) 彼女は 美容室に友達を紹介したり、ワックスを買いになど、なにかと口実を作っては美容室に通いつめ かくして 恋は成就した。美容師とのロマンス。
    あのころが いちばんよかったなあ、、、と、終わった恋を彼女は語ったのだった。 


               2月20日(木)

      モラエスは阿波の辺土に死ぬるまで日本を恋いぬ悲しきまでに
                 吉井 勇
 

    今日 職場の友達が一冊の本を持ってきてくれた。原田一美作 『モラエスと小坊さん』という本だった。これが 思いの外、わたしのこころをゆさぶった。みずのさんに、って持ってきてくれるだけある。ツボをこころえてるなあ。人のこころとこころがふれあうということ、人と人とが出逢うということ、ふしぎな縁というもの。なんと言っていいのかわからないけれど、かなしいとかかわいそうとかではないのに、鼻をかみかみ読まねばならなかった。職場であるにもかかわらずう。なんなんやろう、この感情は。
    モラエスさんのことは 何かで読んだか、テレビで見たのかでちょっとは知っていたけれど、あまり知らなかったのだが。モラエスの愛したオヨネとコハルをまつっている仏壇を、モラエスから託された小坊さん。三郎さん、のちの宥恵和尚そのひとが、友達の伯父さんなのである。身近なノンフィクションでもあるから、なおさら打たれるのか。こんど徳島に行ったら ゆかりの地を訪ねてみたい。 モラエス関連の本も読んでみたくなった。ああ、たっぷり刺激を感動を、おおきに〜。


               2月19日(水)

      なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな
                 与謝野 晶子 歌集『乱れ髪』
 

    ずいぶん日が長くなった。それに今日はあたたかい。七時半ごろ外へ出ると、もちろん日は落ちているのだが、なんだか<春宵>ということばが浮かぶやわらかな明るい気配。曇っている。月はまだ。晴れたら、月齢17.7。でも、そんないいここちにさそわれて出たわけではないのだ。私が待たれているのは 閉院まぎわの瀬田病院。肘、腕の痛みがいよいよとなって 夕刻駆け込んだのだが、薬をカウンターに置き忘れたままですよ、と電話をもらったのだ。たは〜。


                2月18日(火)

      人はみな馴れぬ齢を生きているユリカモメ飛ぶまるき曇天
                 永田 紅 歌集『日輪』
 

    人は 仕事として常習的に嘘をつかねばならない ということがあるらしい。今日は エステティシャンをしていたという人の話をおもしろく聞いた。根ほり葉ほり聞いてしまう難儀なおばさんになって。
    お客さんにしてみれば、年下の子にしてもらうのは あまり気分よくないということで、エステティシャンは 本当の年齢を言うなと指導されるそうだ。二十歳の当時にして、いつも二十三、四と偽っていたという。二十三、四のお客さんに いっしょいっしょーと合わせるという具合。そうして、 何年か年上を装うことを続けて、いつしかそれにも馴れて、仕事を離れて年を尋ねられても、「えっと、わたしって 何歳やったっけ……」と 「ほんまの年、わかれへんなるんです。」と。


                2月17日(月)

      土深く掘りゆく犬の背後より暁の月の光及べり
                 高田 和子 歌集 『砂いろの丘』
 

    犬、恋しい。犬 飼いたいよお、って思ったら、思い出した歌集。この歌集は けっこう わんこの歌があって うれしい。 マリンちゃん げんき〜?

土手の傾りを駆け下りてくる自らを尨犬見上ぐ鎖の先
雌犬の体感記憶鈍らせて昼長々と地に横たう
近畿地方梅雨に入りたり 雌犬が檻の隅にて寝たふりをする
雌犬の耳の屹立弛みたり主戻りて一週間目に
雪の日の門扉の外に繋がるる犬は濡れたる衣を被りて
命令の解かれんときを待つ犬の影が真昼の土に固まる
名月に照らされている檻のなか雌犬短き爪を研ぎおり
雌犬の土踏む音の迫りたり空仰ぎいる烏の背後
 
 

             2月16日(日)

      野に還る夢深く持ち雨のなか帰り来て犬の身ぶるひをする
                 森 たかみち
 

    森 たかみち随筆集『はだかやさかい ゆたかでおます』を読んだ。
あー犬を飼いたい。

        犬の中の仏と    森 たかみち

 朝、五時。パチンと音がして、ドアがあく。小さい音だけど、ドキッとすることがある。けれど、入って来たのは、ライオンでも狼でもない。狼に似ているけれど、やさしい甘えん坊の犬である。部屋中を歩きまわられると落着かないので、いつも私が坐っている坐布団を、寝床の傍に置いといてやる。私の匂いのしみついた坐布団に、犬はうずくまって、私が目をさますのを待つ。布団の横から手を出してやると、舐めたり噛んだりして、起きろ、という。起きたしるしに指をうごかしてやると、ドサッと乗りかかる。毛ものの体は毛ばかりで、体のどこなのか分からない。ああ首根っこだ、耳がある。犬は前足を私の手に握らせる。私のなかの、ほとけ、と、犬の中の、ほとけ、が、言葉をかわす。生きていることは、たのしいねえ。


            ゴンの木

ゴンが死んだら どうしよう
泣き泣き 土に穴掘って
泣き泣き埋めて その上に
小さな 一本の 木を植えて
ゴンの木ゴンの木と唄おうか

大きくなった ゴンの木は
ゴンが 尻尾を振るように
梢が ゆさゆさ揺れるだろう
屋根より高く なったとき
茶いろの花が 咲くだろう

つぼみが 花に ひらくとき
ワン と小さく啼くだろう
花が次つぎ ひらくとき
ワン ワン ワンと啼くだろう
近所の子どもも寄って来て
ゴンの木ゴンの木と唄うだろう


               2月15日(土)

      水仙の微光にゆるる野をおもふ浮寝のごとき朝の睡りに
                 春日 真木子 歌集『黒衣の虹』


    朝寝した。明るい朝が来ていた。つららの写真の気分ではない。光の春。お薬師さんにお参りするのに、カメラを持って出かけた。水仙を撮った。わが家のベランダの水仙は まだまだ蕾もない。いつもかなり晩生なのだ。寺の庭には 山茶花が散り敷き、水仙が咲いていた。
(田口トモロウ語尾で)

 
               2月14日(金)

      むぞうさに噛みしことかな銀紙のぜったいに呑めぬ味よ 感触よ
                 山形 裕子 歌集『十二時へ』


    銀紙を噛んでしまったことは きっと誰でもあるだろう。磨りガラスをひっかくのを想像するのとちょうど同じ様な不快感に 身もだえしそうである。今日 昼休みが終わって午後の仕事が始まった頃、 職場の男の子が「あーもお俺、半休で帰ろうかな。」と嘆く声が聞こえてきた。チョコレートが来なかったのだろうか。昨日 お相伴にあずかった 手作りのチョコレートケーキは 今日のための試作だったのだろう。バイトの女子大生手作りのケーキは けっこうおいしかったぞ。今日本番 うまくいったかな。いまだに チョコレートをめぐる悲喜こもごもはあるらしい。 2003年2月14日。 
 


               2月13日(木)

      消燈の後の病室 暗緑にうつり行きつつ今宵ねむれず
                 高嶋 健一 歌集『旦暮』


    昨日 大事な友達が入院した。そして、今日は手術だった。今夜は 病院の寝台で どんな時間を過ごすのだろう。つらくありませんように。術後経過も つらくありませんように。おんころころせんだりまとうぎそわか。おんころころせんだりまとうぎそわか。おんころころせんだりまとうぎそわか。 お向かいのお薬師さんにお願いします。
 


               2月12日(水)

      春みじかし何に不滅の命とぞちからある乳を手にさぐらせぬ
                 与謝野 晶子 歌集『みだれ髪』


    今日から 9時5時のバイト。この職場での楽しみのひとつは 若い子のしゃべりをたっぷり聞けること。これが おもろいんや。隣のテーブルに 女子大生3人が、ハンコを押したり 書類を数えたりしながら 一日中しゃべくりまくっている。その会話を おばさんは 時折笑いを噛み殺しながら、ツッコミたくなるのをぐっとこらえて、ひそかに楽しく聞いている。  
    彼女達の会話に 与謝野晶子が登場したもんで、今日のネタはこれだ、と決めた。
「なあ、与謝野晶子って 略奪愛やって知ってた?」
「ヨサノアキコって?」
「みだれ髪書いたひとやんか」
「え? 誰と?」
「鉄幹やんか。与謝野鉄幹」
「テッカン?!」
「ふーん、奥さんおったん。」
「略奪愛って そんなしんどい めんどくさいことよおやるなあ。」


彼女たちの話は 芸能ネタへと続いていった。わたしには わからないミュージシャンだか お笑いユニットだか、聞き取り不能となる。で、また 小耳に挟んでしまったのは、こんな話。
「フデマメ って それなんやの?」
「筆まめ、って言えへんか。」
「しらんわ。」
「筆まめ、言うたらやな、手紙とかいっつもよお書きはるひとのことや。 筆無精の反対のことやんか。筆にまめができるほど手紙とかよお書くいうことちゃうか。」
 (オイオイ、筆にまめはできんやろう。ペン胼胝でもペンにはでけへんぞ。)おばさんは じっと我慢した。それから、また
「え?なに、それ〜」
「合点承知って言えへんか?」
「えー そんなん聞いたことないでえ。なんやのそれ。」
「ガッテンショウチって 言うやん。あんた時代劇見てへんの。 江戸っ子のコトバやんか。」

うーん 日本語の行方は いったいどないなるんやろ。 というわたしも、忠実とかいて まめ とはしらなんだ、あーこりゃこりゃ。  



                2月11日(火)

      わが咽喉 ( のみど 君噛み給へ共に生くる幾千年の天鵞絨 ( びろうど の闇
                 梅原 道子 歌集『恋愛依存症』


    掲示板で センガジンさんのイラストと新潮文庫の装画を紹介をした。新潮社装幀室 装幀の本ということで 今日のこの歌集、『恋愛依存症』。この装丁には まず あっと驚かされた。表紙カバーは白いカルテになっているのだ。患者名は 梅原道子 病名は 恋愛依存症 処方が 音楽療法。みずいろの罫線と項目とか、織り込んだ側が きれいなグラデーションの夜明けのような色とか、カバーを取ると表紙の真ん中に16分音符とか、こまかいことも洒落ているのだが、 なにより、歌集名、歌人名 の入れ方が 心憎くて誰もが驚くにちがいない。ヤラレタ! 
    装幀のおもしろさは きっと もう千度話題となったことだろう。作者としては「ほんで、中身はどないやねん」と、いい加減うんざりするかもね。中身も 今まで読んだ歌集のどれとも違う差違を感じた。さすがに 物書き、作家さんの歌集なんだな、とその差違がなんなのかわからないまま 漠然と感じた。冒頭の「恋愛依存症」の章は とくに 小説に引き込まれるように一気に読まされた。構成が しっかりストーリー仕立てで、ど〜んと厚い長編小説を読んだような読み応えがあった。 一気に読ませてしまう是非は論ずる余地がありそうでもあるが。
    うらやましいと思ったのは、親しい人の誕生日にと、「献呈」という章に たくさんの歌がある。わたしの誕生日にも 歌 くださ〜い。よし、誕生日までに、感想をちゃんと書いたら、詠んでもらえるかな。
がんば!p(^^)q きっと 送るから 詠ってねー。

    作者の短歌観を示す歌と文にも 惹きつけられる。

言葉とふ糸にすがりて降りゆくは人の心の深き迷宮
            梅原 道子

<小さな種子の中に無限の未来がすべて備わっているように、三十一文字に人生や宇宙を封じ込めたいと思っている。>

<閉じ込められたこの日常の枠を取り払いたい。それが出来なければ、この閉所……肉体であれ、時間であれ、その中の節穴から広い空や宇宙をのぞきたい。
「言葉」を『神秘の短剣』としてこの世の壁を切り取り、違う世界を見たい。> 
       歌集 あとがきより  



             2月10日(月)

      暖房の部屋にはだかで起き出でてこの無礼さよ真向かひの富士
                 森 たかみち 歌集『汗ふく時』


    今日 NPO 自費出版ライブラリーから 本が届いた。
森 たかみち 随筆集 『はだかやさかいゆたかでおます』
このHP しゃべりんこの「届かなかった手紙」に書いた たか・みち氏である。掲示板では 甥である幸ちゃんがシリーズで 氏の思い出を語ってくれている。酒が飲めなくて白秋門下を出たはなし、とか…いろいろ。
表紙にはふんどし姿の自画像。天突く体操でもしているような。『詩とメルヘン』でのやなせたかしさんのイラスト、あのほんわか爺さんとは似てもにつかない、りっぱな髭をたくわえた精悍なお顔立ち。んーと、ちょっとドクター中松みたいなかんじかな。わたしは『詩とメルヘン』掲載の歌を 添えられた ほんわか爺さんのイラストとセットに読んでいたらしくて、一旦イメージのリセット。
    ほんとにまあいろんなことをやった人だったんだ。

映画館のバイオリンを弾き土方をやりいまは静かなりストーブを燃す
            森 たかみち

「私に有るのはこの体躯が一つと、誰の上にもある太陽が一つであった。」  



             2月9日(日)

      高原の奥處の林芽吹きそむ千年生きる樹々の 祝祭 ( まつり
                 齋藤 史 歌集『渉りかゆかむ』


    今日 アクセスカウントが めでたく1000に到達しました。思いの外 ご訪問いただきとてもうれしいです。お越しいただいた みなさま ありがとうございます。2002年12月24日に1をしるしてより、はや一月半ほど経ちました。ニフティその他検索ロボなどの登録はこれからなのですが、NIFTYSERVE短歌フォーラムにリンクしていただいたお陰で 新しいお客様もお見えになって少しどきどきです。 あまり無理しない程度に、楽しんで、継続を目標に がんばりたいです。
    ところが この 1000番、あろうことか、自分で踏んでしまいました。うれしいような、とほほ、のような…。なんか私らしいような。キリ番だからって、なにかプレゼントできるわけではないけれど、「ちょっとラッキー」ってほんのちょっと思ってもらえるかもしれないのにな。
    ふらここ ひとりで漕いでいます。でも それを見守ってくれるている幾人かのひとがいるのだと とても支えになります。一生懸命 ふらここ 漕いじゃいます。  



             2月8日(土)

      左耳介皮膚欠損 ( ひだりじかい 」に四針縫ひし白きガーゼをゴッホになぞふ
                 藤川 弘子 歌集『草の穂』


    今日のニュース。「農民女性の頭部」という絵。ゴッホの絵であることが判明して、当初一万円とされていたのがオークションで6600万円にはねあがったという。
    藤川せんせ、ほんまに 耳切ったそうなんです。 切ったというか、切られた、のです。なんと 鋏で。ひー。痛そう〜。 美容院の鋏で。
これで あなたは 美容院に行くとこの歌を思い出すでしょう。鋏の音にぞくぞく身をふるわせることでしょう。


    糸杉  『草の穂』より

高度一万メートルのそらに平常心保つべく本に没してゆけり

行商の荷のごとしなど言ふなかれパリの子へ携へ来し米もちひ

ゴッホ憶ひ幾めぐりする回廊の踏みならされし石だたみみち

ほのぐらき回廊めぐりつつ見たる中庭に冬の芝青かりき

糸杉の秀をかたむけ吹くミストラル恋ひ来て睦月の雨にあふのみ

百年まへのアルルに見し雪を浮世絵にたぐえ言ひたるゴッホ

サラセンの物見の塔の石壁に誰が彫りけむ 1878

黄の太陽 黄の麦畑に逢はぬ冬 黄に塗りたつる夜のカフェ・テラス

左耳介皮膚欠損 ( ひだりじかい 」に四針縫ひし白きガーゼをゴッホになぞふ

裸木の枝をくろぐろとめぐらせる教会のうへの藍ふかきそら

鐘楼に動ける影は鳩と思ふオーヴェル・シュル・オワーズの昼

花もたず来し吾はおほいぬのふぐり摘みて捧げぬゴッホの墓に

濃緑の木蔦に冬の日差し及びここに眠れりヴィンセントとテオ

鐘楼をひとときピンクに彩りてオーヴェルに到る冬の夕ぐれ

    



             2月7日(金)

      リターンキー打ちてプリンタに任せたりレモン風味のゼリー味はふ
                 林口 僥子 歌集『電脳素描』


    今朝、友達からかかってきた電話は 緊急事態に悲壮な声だった。大学生の息子さんが 今日の午後四時にレポートを提出しなければならない。ところが、あと少しというところで プリンタがストを起こして働いてくれないという。ピンチ!というわけで うちで印刷をしに 親子でやってきた。物置小屋のような部屋なんだけど、この緊急事態にはそんなこと言ってられない。息子さんは ようやく今朝方の四時にレポートを仕上げて、さあ印刷というところで思わぬアクシデントで、あわわわわ、、、、ってわけですわ。母である友達は なんでも早め早めにことを済ませておくタイプで そんなぎりぎりにすることが信じられない、と。なにがあるかわかれへんのに、わかってることやのに、なんでもっと早くしとかへんの、と言う。しかし、坊ちゃんは なんでも ぎりぎりにするタイプ。私とおんなじなもんで思わず笑ってしまった、ごめん。仲間や〜!! ほんとに なんでもぎりぎりにならなければ、腰が上がらない。このことに関しては 人間ふたつのタイプがいるらしいということで、話が盛り上がった。
    しっかし、プリンタさんも 機嫌よお働いてくれてるときはほんまにええ子やのにねえ、なんでまた、そんなときにゴネるんよ、ねえ。こればっかりは、ほんとに困ったものです。私も このページを 更新しようとして、今日はすっかりてこずらされました。メモリ不足とぬかして なにもできないのでした。パソさん あんたがたよりやのに。あ゛あ゛〜 水甕の詠草締め切りや〜〜〜〜〜!!    



             2月6日(木)

      きさらぎの夜の十二時を過ぎてより楽しき心遠くより来る
                 山下 陸奥
   

    今朝 マンションの玄関にある郵便受けに新聞をとりに行くと、分厚い封書が入っていて、こんなメモがついていた。「元気にしてますか? なかなか おもしろい本を見つけましたので 読んでみて下さい。」そして 中には 山田宗樹著 『嫌われ松子の一生』が入っていた。赤い鹿子絞りの模様の可愛い装丁である。
    この本を入れてくれた彼女は とても読書家で 「なんかおもろい話して」とせがむと、読んだ本の話を上手に語ってくれたものだった。職場を変えた彼女とは 1年以上だろうか、もうずいぶん会っていないのだが、わんこの散歩ついでに郵便受けに放りこんでくれたに違いない。たぶん 一昨年の押し詰まった年の暮れに 電気屋でばったり出会って立ち話をして以来ではないか。ふたりとも蛍光灯を買いに来ていて、「今頃になって、みんな一緒やな」と笑いあったものだ。彼女に「また ええ本あったら、教えてな」と言っていたのを しっかり覚えていてくれたのだ。 彼女は「書籍代には頓着なくお金使うよ」と 新しい話題の本もどんどん買うから、おこぼれにあずかれる。『嫌われ松子の一生』も 今週のベストセラーではないか。わたしが図書館で借りて読もうと思ったら こういうのは 予約待ちで相当月日を経たのちに世間で忘れ去られた頃にしか読めないシロモノなのである。それが タイムリーに読める、のね。しかし、なによりかにより 覚えていてくれてここに入れてくれたという行為に 朝からカンゲキして泪ちょちょぎれそう、いや ちょっちちょちょぎれました。さて、今晩も 消灯命令の出ることがない独り! 存分に読書に浸ろう。  



                2月5日(水)

浴室の戸を少し開け石鹸をもらふ博多人形の手のやうにして
                       向山 明子 歌集『帰りくる音』

   
    やるぞやるぞと宣言ばかりして まだ挑戦していなかったこと、今日 やっと やってみました。オリーブ石鹸作り。さてさて、うまくできるかしら。なんでもぎりぎりになってしかできないのよね。 来週から仕事が始まるから、リミットってことに気づいて慌てて決行。マスクしてゴーグルして手袋して まぜまぜ、まぜまぜ……ほんとにこんなときは だあれも来るな、ですわ。宅配でも来たら困るよないでたち。


             2月4日(火)

鰊甘くあまく煮つけてほがらなる一人居なりしだあれも来るな
                       植松 法子

   
    今日から4日間、だんなは出張で 居ない! ダンナは 戦地に赴くようなもんなんやぞ、修行やねんぞ、と悲壮な覚悟の様子。 はい、御武運を……火打ち石かちかち。 いってらっしゃーい!! と手を振り、見えなくなると バンザイジャンプをするような この胸躍る開放感はなに?! ああ しあわせ。
今日は 夜更かしするぞ〜!! 掲示板には だれか 来てよお。



             2月3日(月)

行く前のしほたれ顔が自転車に両手離しのバンザイで帰る
                       永守 恭子  歌集『象の鼻』

  
    今日は 子どもに体当たりされてばかりの日でした。エレベーターに駆け込んできたり、階段で突っ込んできたり、最後には自転車でつっこんでこられました。イテテ……股に青あざが。そんなに慌てて 忙しいんだね。こどもと自転車とくると この歌を思い出したのです。 合格発表に行って バンザイで帰ってくるといいのにね。
    子どもの曲乗りといえば、村田喜代子の「水中の声」という 小説を思い出す。まこと 少年というものは「死に近い人種」である。



             2月2日(日)

釉薬を身体 ( からだ に巻きて佇つごとし近づくわれをかすか怖れて
                       島田 幸典  歌集『no news』 
 

    今日は <島田幸典 第一歌集『no news』批評会>というものがあって、京都丸太町京大会館へ行った。雪がちらついていたが、このところの寒さからすると少しやわらいでいる。お茶菓子には 「出町ふたば」の豆餅を頂いた。おいしかった。(かえるさん、批評会の話はまた明日にでも報告します。かえるさんとの初デートが実現しなくて残念だったけど、ひとりで行ってきました。)
    掲示板に陶芸家の方がお見えになったこともあって、この歌を選んだのかもしれない。それに 実家の母が またしつこく言ってくることを思い出させた歌だから。なにを言ってくるかというと、実家に置きっぱなしにしている陶芸の土をはやくなんとかしなさい、と。ご近所に、庭に窯のある教室があって、少しの間、こねこねに凝っていたことがあった。陶芸をやっている人にあげるなり、捨てるなりしなさい、と。うーん、でも どこかでまだ いつか、という未練があるのだろうな。生返事のまま、こんど仕事が終わったら、とまた一年ひきのばしている。



               2月1日(土)

さくら散る美学言ひつぎ空に果てし特攻の彼や 神はありしか
                       根本 芳平
  

    今日は テレビ五十歳の誕生日とかで、終日懐かしいものばかり見ていた。私にとって、忘れられないNHKのテレビドラマと言えば、もうなんと言っても『男達の旅路』。鶴田浩二が 究極の男前だと思っている。古いものがすきだけど、男も古いのがすきかも。あのドラマは十代で見ていたのだが、すでに古いのが好きだったらしい。そう言えば昔、 理想の男はと問われれば、鶴田浩二と答えていた。