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華奴の「短歌あの日この日」 バックナンバー
2003年3月
3月31(月)
さくらさくら桜生みたる父母
をわが父母といつかおもへる
水原 紫苑 歌集『うたうら』
潮岬をめぐっていて道沿いに見かけた桜は 花が白くて大ぶりのふっくらさんの桜がとても多かった。葉は薄緑。霞桜系かな。まあなんとおおらかな肝っ玉かあさん。これぞ、さ、く、ら、はやっぱり葉の紅いほそい花びらの山桜。ああ、咲いてるさいてるうー、ああ、ほれ、ほら、ほら、ほれ 咲いてるぅ! 自転車だからこそ、ほらすみれ、ほらたんぽぽ、ほらさくら、とわあわあ大騒ぎできるのだ。バスでつるっと通ってしまってはこうはいかない。こっちの桜、あっちのさくら、と一本いっぽん
ご挨拶できるのだ。ああ、ところが 興奮のあまり 不覚にも写真は撮っていなかった。ああ、いくら嘆いてもチャンス君は前髪しかなかった。うしろはハゲてるんだって。この日に撮るべきだったのだ。
3月30(日)
生きるといふ大きなること紫のすみれの色と今ひとつなり
五島 美代子 歌集『花激つ』
先週、潮岬をレンタサイクルでぐるりとめぐった。とてもいいお天気だった。たくさんのすみれに会った。群落になっているところもあったし、岩間に咲いているのもあったし、濃きも淡きも、、、
(でも、まだうまく撮れません。たくさん撮ったけど、ぼけたのばかり、、、。
かたばみも撮ったのに、失敗でした。またチャレンジします。)
3月29(土)
戦争を憎むと言へりしかりしかり然りしかりしかうしてきみはどうする
黒木 三千代 歌集『クウェート』
おいしいものも食べます。楽しい企てもします。馬鹿笑いもします。阪神勝って はしゃぎもします。でもでも、でもでも、
うれえるこころもうそじゃない。ど、どないしたらええんよ。誰からも責められるわけじゃないけれど、みんなきっと、いつもなにかどこかうちなる罪を思う。今日も 変わらぬ日常がありました。
3月28(金)
今やかの三つのベースに人満ちてそぞろに胸のうちさはぐかな
正岡 子規
このところ夫は毎日 私に言って聞かせていた。そうして 士気を高めるのか。
春を迎える高ぶりを抑えきれない様子で。
「あと一週間やぞ。」「あともう三日や。」「もうあさってや。」「明日や、明日やぞ。」
今日はその日、プロ野球開幕。
嗚呼、いきなり開幕戦黒星スタート。「まあええわ、巨人も負けよった。」と慰めとする、うちのトラさん。
打者、走者、直球、飛球、死球。今に現役のこの語を生んだ正岡子規。野球殿堂入りだって果たしているんだね。
開幕を待ちて暦の前に夫そぞろに胸のうちさはぐらし/華奴
3月27(木)
刈りこもの思い鎮むるかなしさか散らかる歌留多片しゆくとき
植松 法子
<百人一首は驚異の歌織物! 秘められた水無瀬絵図>
頂き物の「嵯峨乃焼き」というせんぺいの箱に とてもおもしろいリーフレットが入っていた。長岡京の「小倉山荘」という菓子店のもの。以下抜粋引用
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百人一首は不思議な歌集であると昔からいわれてきた。新古今時代の大歌人ともくされる藤原定家が、何万何千という歌の中からよりすぐった百首歌というには、思わず首をかしげたくなるような、あまりにも平凡な歌が多すぎる。ところが、この謎を解く重要なてがかりが定家自身の筆で書き残されている。それは百人一首の姉妹編にあたる『百人秀歌』の奥書に
「有名な歌人やすぐれた歌をたくさん漏らしている、用捨はわたしのこころにある。他からとやかく言わないで欲しい。」と記されている。つまりこの百首の歌は名歌を集めた歌集ではなく、ある特殊な意図のもとに歌を取捨選択したのである。
では、この「取捨はわたしの心に在り」との<心>とはいかなるものだったのか?
百人一首の百首の歌を、タテ十首、ヨコ十首の正方形のマス目の中に、ある特殊な並べ方をすると、隣り合う歌どうしが、上下左右ともに共通語(合わせ言葉)によって、一つの隙間もなくぴったりと結びつくことを発見した。…略…この歌織物の右側七列分は、下の絵図のように自然の景色を詠み込んだ歌であり、しかもその合わせ言葉や歌詞で絵に置き換えてゆくと、おどろくべきことにまるで掛軸のような一幅の山紫水明の絵画がそのスペースにうかびでてくるのである。
じつは、この絵図は、実際にこの地上に存在する場所をきわめてリアルに描いている。その場所とは、新古今のふるさと、水無瀬の里、すなわち、現在の大阪府三島郡島本町と京都府乙訓郡大山崎町あたりである。
水無瀬は、京都の西南、長岡京の南に位置し、都にほど近い景勝の地で、全盛時代の後鳥羽上皇は平安の粋をきわめた壮麗華美な夢の宮殿、水無瀬離宮をここに建て、しばしば定家たちを召し集めて歌会を催した。
だが、承久三年、鎌倉幕府打倒のクーデターが挫折し、後鳥羽院が隠岐に配流されてのちは、主を失った離宮は荒廃するほかなかった。このとき定家は、和歌の資質をみとめられ、御子左家の低い地位から側近に加えてもらった大恩人である後鳥羽院への思いをこめて、百首歌を組み合わせ、歌言葉を絵の具がわりにして、水無瀬離宮や水無瀬の里の美しい景観をかきあげたのである。この歌織物こそ、孤独と絶望のふちにある後鳥羽院への心をこめた密かな贈物であり、後鳥羽院賛歌にほかならないのである。
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す、すっご〜い!! これは おもしろい。この水無瀬絵図の山桜は今もちゃんとあるらしいので、探しに行ってみようかな。
林直道著 『百人一首の秘密』(青木書店)
林直道著 『百人一首の世界』(青木書店)
林直道著 『芸術新潮』第三十八巻三号(新潮社)
3月26(水)
夕雲の鉛帯びたる青き色核にゆれゐるこの星包む
森 和代
今朝の朝ドラ「まんてん」で ヒロイン満天がとうとう宇宙の火の見櫓に立った。ほんなこてうつくしか丸くて青か地球じゃあ。ほんなこてきれえかあ星に住んじょっとやねえ。地球を包んでいる空気の青が ほんなこてきれえか青じゃって 言うちょうったとよ。
ほんとにほんとに きっときれいだろうなあ。それなのに、それなのに……。核に、××兵器に、戦争。
ちょうど今日届いた水甕4月号にみつけた歌 2首。
ほのぼのと宇宙に浮かびてゐる地球幾億万個の骨壺抱き
八高 恙子
3月25(火)
いかづちは地にやや近き空にありて大音声にこの世を叱る
藤井 常世 歌集『繭の歳月』
真夜中 恐ろしい音にびくりと目が覚めた。空爆だ、と思った。光った。また轟いた。雷だ。
旅先の床の中にいることに ようやく気がついて、起きあがってカーテンを開けると、大島の上を稲妻が走る。時折 閃光が海と島を分かつ。しばらく見ていたが、床に入って間遠になりゆく雷鳴を聞く。
今頃彼の地では ほんとうに爆音が響いているのだと思う。
次の日は 台風のような大嵐。ひがないちにち 宿の窓から海を眺めて過ごす。横殴りの雨が窓を叩く。遠く橋杭岩のあれは びしゃこ岩か、大岩の丈ほどにざっばーんと飛沫があがっているのが見える。ホテルのプールの噴水が踊る、おどる。ウインドサーフィンが ものすごいスピードで走る、はしる。あっ!光った。雷だ。き、危険!
「なめとんか!」と一喝するように雷鳴が轟く。
そして、サーファーは さすがにほんのいっときだけ 帆を下ろしたけれど、また嵐の中を走り出したのだった。
3月20(木) 21日〜24日はお休みします。
かんたんに理解されてもこまるのよ朝は祈るし夜には憎む
江戸 雪 歌集『椿夜』
3月13日の「短歌あの日この日」を読んだ友達からメールが来て、驚いた。
<3月13日の川に流されたという分の友達って、私? 今は、そんなこと全然思わないよ。けど、攻撃的な気分の時なら「みせしめ」はありかもって、考えたかもって、思う。そんなこと絶対言うてないって自信はないねん。私、言うたんやったらどうしよう。自分の言動に責任を持たなあかんけど、昔言うて、忘れてたとしたら自分がこわい。無神経な私が出てこないように気をつけてるけど、勢いで物を言うたらあかんなぁ。もし私やったのなら反省して取り消します。めったに攻撃的な気分にはならないと思いたい。>
(許可を得て引用させてもらいました。)
違うちがう!慌てて電話した。
「警報を無視しての騒ぎということに 憤りを感じていたから、勢いでそういうことも言ってしまったかもしれない。今は とてもそうは思えないけれど、バイオリズムによってはとても攻撃的になってしまう自分があることも事実だし。でもでも、絶対そんなこと言うてない自分であってほしいと思う。そんなこと言わない自分でありたい。」
めちゃめちゃよおわかる、この気持ち。私も あのときは愚かな行為に怒っていたし、自業自得だと責める気持ちだったし、でも、それはそれで、残酷な映像を流すこととは別のことなのだとはっきり認識したのはあとになってのことだから。
あれを読んで 誰かが「自分のことかもしれない」と思うなんてことは考えてもみなかったから驚いたし、彼女が思うことは 私も書いた方でなくて読んだほうだったら、きっと同じことを思っただろうと気が付いて 驚いた。
実際の話のあのときの友達は どうだったのだろう。勢いで言ってしまったか、その時はほんとにそう思ったが今なら思わないか、今でもそう思うか。いつか聞いて見ようか…。
電話の友達と、ふたりでつくづく言い合った。見せしめなんて間違っても言わない考えもつかない そしてそんなこと言った心配なんてする必要もない
人になりたいけどなあ、、、、って。
3月19(水)
悲しみて一日ありしが薄き膜に包まれながら羊歯
は萌えゐん
真鍋美恵子 歌集『羊歯は萌えゐん』
リビングに観葉植物 ドラセナコンシンネの鉢がある。ドラセナは 2メートル近くに伸びていて、もう7年くらい経つから 元はどれくらいだったかも忘れてしまった。その鉢に なにやら見知らぬ植物が茂ってきた。この不審な植物が生えはじめたのは いつだったか。たぶん去年だろう。緑がきれいやから、ええんちゃう、と 好き勝手にさせていたら、これがつけあがるつけあがる。小さなかたばみくらいのはっぱで、はじめはコケなのかと思っていたら、みるみるりっぱなつやつやしたはっぱになって、うつくしいみどりをほこるようになった。しっかり寄せ植えにしたように 堂々とドラセナの足元にみどりを誇っている。きっと南国の植物だな、土に眠っていたタネ(種子)が急にむっくり目覚めたのかねえ、、って言ってたら、これ タネじゃなかったんだ。ある日 気が付くと、はっぱの裏にぶつぶつがいっぱーい! ぎゃ、これ胞子じゃん。こいつ、羊歯やったんかいな。今まで そんなの全然なかったのに。それに、毛むくじゃらのでっかい<こごみ>のようなのも出てきた。こごみや、いっぺん 喰うてみ、と言うが そんなん喰えるかいな。これ、のさばらしといてええんかな。みるみるうちにさらに巨大化しそうな勢いじゃ。ドラセナ 負けへんかな。だいじょうぶかいな。さてさて、どないしたもんやろ。
3月18(火)
戦争を待つ日の記憶に街とざし襟立て急げば若者のごと
近藤芳美 歌集『聖夜の列』
この歌は 昭和15年に召集を受けたこと、あるいは昭和10年代の雰囲気を詠っているという。言いようのない苦痛を伴う記憶。わたしの想像を超えたところにあるようだ。
最後通告 平成15年 3月18日、もはや 戦争を待つ ばかりに来てしまったのか。
戦後の復興を、ということば。絶句するのみ。
3月17(月)
そんなにいい子でなくていいからそのままでいいからおまへのままがいいから
小島 ゆかり 歌集『獅子座流星群』
今 友達のお薦めで読んでいる小説、天童荒太著『永遠の仔』。
虐待を受けたり親の教育方針に傷ついた子どもたちが語ることばは重い。現代人に鬱積した思いを少年少女に語らせているとも言える。
「みんながみんな、稼ぐ奴とか有名な奴、きれいな奴や、そういう奴と結婚したい奴……何者かになろうと焦ってさ、争ってる。でもみんな、本当はもう疲れてて、いやになってて、きっとこんな世界、誰も好きじゃないんだ……。だから最後は、互いにつぶし合って、終わりを迎えるんだ」
「頑張らないと生きる値打ちはないと、あなたたちは繰り返す。努力しないなら人生の意味はないと、叱咤する。でも、あなたたちが言う頑張り、努力する道は、際限なく欲望に満ちた暮らしをめざす道でもありはしない? 役に立つか立たないかで、すべてのいのちを判断し、生き残るためには、老いや障害は切り捨てても、嘘をつき約束を破っても、仕方がないよと言い逃れることのできる道でもありはしないの? そんな道に向かって、頑張り、努力することが、本当の幸せ? 答えを訊くと、うるさいとはねつける。変な子だと遠ざける。個性と、従順が、同時に求められている。実態のないまぼろしが、わたしを打ちのめす」
「あなたたちの世界では、人は、遙か昔にふたつにわけられていた。成功者と敗残者、有名人と無名人。あなたたちは、成功と有名の依存症なのよ。平和やボランティアの世界でさえ、偉人やスターを作らずにはいられないんだから。有名人や成功者、偉人たちを好む世界は、きっと一方で、軽蔑される者、嫌悪されて当然とされる者を作ってしまうのに」
「どんな奴だって、あんなふうに、こんなふうに、育てられるんだって。誰かは、金持ちにへいこら頭を下げる野郎になる。誰かは、成績を上げるためには、他人を蹴落としても平気になる。そして誰かは、他人を平気で殴れるし、殺せるようにもなる……みんな、そういうふうに育てられてゆくんだって。なかには、いい感じの大人になった奴もいるだろうけど、そういう人間は、幸運なんだ。たぶん自分じゃわかってねえだろうけど、すっげえ幸運なんだ、恵まれてんだ」
はっちんずぺーじ にも こんな詩が紹介されていた。
今 とても多くのひとがこういう ことばを欲しているらしい。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/1972/dairy/diary_200203.html
はっちんずぺーじ 今日のこころ
お前はお前でちょうどよい
顔も体も名前も姓も、お前はそれは丁度よい。
貧も食も親も子も 息子の嫁もその孫も、それはお前に丁度よい。
幸も不幸も喜びも、悲しみさえも丁度よい。
歩いたお前の人生は悪くもなければ良くもない。
お前にとって丁度よい。
地獄へいこうと極楽へいこうと いったところが丁度よい。
うぬぼれる要もなく卑下する要もなく上もなければ下もない
死ぬ日月さえも丁度よい。
お前はそれは 丁度よい。
3月16(日)
傘
を終日貼れるひとおもふ 生きゆくことはめんだうくさし
永井 陽子 歌集『小さなヴァイオリンが欲しくて』
今日もまた雨。休日の度に降る。
先日 病院におもしろいものがあった。「傘ぽん」!!
雨の日には たいていどこでも入口に 濡れた傘を入れるビニール袋が置かれている。あの細い袋に傘を入れるのは、なかなかめんどうなことだ。ところが「傘ぽん」は楽々袋に傘を入れることが出来るようになっている。傘袋装着装置。ぽんと差し込んで、横に引き抜くと、はいオッケー。みんな嬉しそうにやっていた。うちのお義父さんも たいそう気に入って、家に帰ってからもしきりに何度も感心して呟いていた。
「うーん、あれは便利やな。うまいこと よお考えたある。長生きはするもんや。ええもんでけた。」
生きゆくことはめんだうくさいけど、またちょっとしたことも おもしろくて感動的なのだ。
3月15日(土)
屈
まりて脳
の切片
を染
めながら通草
のはなをおもふなりけり
斎藤 茂吉
今日は『ひらのくひゃくねんし』の録音。ふたりで組んで同時校正という方法。ふたりとも同じパターンの間違いをするので 笑ってしまう。喜連東(きれひがし)に住んでいる彼女は 喜連西であっても きれひがし と読んでしまい、私は 南海平野線を かつて沿線に住んでいたことのある 南海高野線と読んでしまう。読む、というより 正しく見えていても口は先に きれひがし こうやせん と言ってしまっているのである。もしかして脳というものは 忠実(まめ)に働こうとはしないで ちょっとでも横着しようズルしようという方向に効率優先に機能するものなのかもしれない。できるだけ 習慣的に動ける部分はそれで行ってしまおうと働くようだ。意識的に研ぎ澄ましていなければ、エエ加減に処理をする。すでに存在するメモリにアクセスして済まそうとして、新しい情報を正しく認知する働きはさぼろうとする。どんなことがらに対するときも きっと同じなのだろう。まず経験から類推することは当然のことだが、それだけで脳の働きをさぼってはいけないのだ。嗚呼、ぼーっとしてたら あかんなあ。
3月14日(金)
今日といふ大き真珠を身に着けてほほゑみやまぬ母のみことよ
水原 紫苑 歌集『くわんおん』
さがしものというものは 探しているときにはなかなかみつからなくて、なぜかふっとあきらめたときに現れるものだ。こないだも 手帳が見つからないみつからないと顔色変えて探しているときには出てこなくて、なんどもなんども確かめたはずの鞄から、手品のように突如現れる。書類をめくるための<めくりっこ>(指サックのようなもの)も指からほろっと離れて飛んでったりして「どっか行った!」と みんなで捜索しているときにはとことん隠れてとおして出てこない。で、あきらめて新しいのを使い始めると、どっかのファイルにはさまっていたり、飴ちゃんのなかに埋もれていたり、まったくひょんなところから現れる。今日もひと騒動あって ひとつは見つけることができたが、まだひとつが隠れたままだ。で、「今日帰って服脱いだらほろっとでてきたりして、、」なんて 冗談言ってたら、こんな実話があったそうだ。
更衣室で着替えをしていたA子さんが 「大事なピアスがない!!」と言い出して、みんなで大騒ぎして捜索したが、どこにもない。お母さんからもらったホンモノの真珠でだいじなピアスだという。それこそ大捜査。どこにもない。あきらめるしかなかった。ところが、家に帰って、脱いだら……。ブラジャーの隙間に入ってました! とさ。その子は 胸が小さくて、ブラに隙間があって、「気が付きませんでした。すみませーーーん。」って。
大笑いの落ちがあったのでした。
3月13日(木)
胸の中に小さく畳むハンカチがかなしきときにはたはたとする
永守 恭子 歌集『象の鼻』
昨日は 頭痛の為 とうとうさぼりました。
かなしくて 泣きじゃくるようにひくひく胸がふるえるようなとき、この歌を思い出す。
胸の中に小さく畳むハンカチがかなしきときにはたはたとする
花八つ手、花柊に気づかざる人ゐてすこし付き合ひにくし
かつて こんなことがあった。警報がでている河原のキャンプ場で、警報を無視して寝ている間に川の水位が上がって、立ち往生、そして命を落とすというような事故があった。そのことに関して友達がこんなことを言った。警報を無視してそんな騒ぎを起こすなんて、見せしめに 人が流されている映像を放映すればいいんだ。川にのまれて消えるところを遠慮せずに映せ。と、言い切る。驚いて その時には反論できなかったことが今も悔やまれる。それは なにか違う。なにか欠けている。(3月20日につづきあり)
3月11日(火)
男らは皆戦争に死ねよとて陣痛のきはみわれは憎みゐき
辰巳 泰子 歌集『アトム・ハート・マザー』
花粉か風邪か喉の痛み。これではビールも飲めない。
今日も耳鼻科の待合室は 園児とその母親で賑わっている。母親が子どもに諭すことばが否応なく耳に入る。
「そんな乱暴したらあかん。男の子は女の子守ったらなあかんねんで。わかったわかった、つよいのわかったから。つよいのはな、守るためやねんで。」
また別の母親が別の子に言っている。
「男の子は女の子にやさしいしたげてね。」
「○○くん男やろ。強いな。えらいな。」
いまもってこんなふうに育てられていることに驚く。男は強くあらねば、守らねばとたたき込まれている。これは ひょっとして、母の陣痛の恨みなのだろうか。
3月10日(月)
木の花の花粉ゆたかに降る午後は誰のものでもなき君を呼ぶ
米川 千嘉子 歌集『夏空の櫂』
寒いけれど、降るものは降っているようだ。目が痒い。今日 職場で端末を叩いていると、天井からぱらりとなにかが降ってきた。天井のボードの剥がれた欠片だった。え〜?! おいおい、なんやねん、だいじょうぶなんかいな。先頃 どこかの小学校の教室の天井が落ちて来たというニュースをやっていたのを思い出した。あーこわ。雨漏りがするのに、修理を怠っていたという。しなくてもいい取り壊しをしようとしたり、しなくちゃならない修理さえしなかったり、なんでそうなるの?!だよね。いつも 天井は落ちないという大前提を信じて生きているけれど……。職場の天井は 新築だし、そんなことはないだろうけど。
3月9日(日)
ぼうぼうと春の雪降るこの町に貯金をしつつぼくは生きてる
吉川 宏志
今日もとびきり寒い。風がめっぽう強くて、雪も降った。いづみやカード5%割引の日。カード番号の抽選もあるから、寒くても行ってみたけど、はずれ。週間朝日の臨時増刊、「いい病院全国ランキング2003」夫にこれを頼まれて、昨日から3件目の本屋。売り切れ。
みんな買うんだな。
3月8日(土)
トーストが黒こげになるこのことはなかつたといふことにしませう
香川 ヒサ 歌集『マテシス』
また今日もやってしまいました。毎日なんかやるなーとあきれはてられる。朝から うるめは炭にしてしまうし、本日の用事をスコーンと失念してしまって、電話もらうまで全く気がつかないというアホをやってしまいました。実は、今日は 歌会の日だったのですが、自分で案内はがきや、詠草集を送っておきながら、きょうはお休みだあと呑気にくつろいでおりました。慌てて駆けつけるという失態。水曜くらいまではしっかりそのつもりでいたはずなのに、どっかですっとんでしまったのだった。アブナイアブナイ。
3月7日(金)
燈に照ればつね仰ぐより大きくて五重の塔は夜空にふかし
前川 佐美雄
今日は 病院めぐり3件。義父ちゃんとの病院デートと、帰って今度は自分の花粉症耳鼻科と、歯の詰め物が取れて歯医者へ。へてから、原付の免許更新へ警察署へ行く。更新手続きに2250円の大阪府証紙を貼る。50円は 大阪城の意匠。2000円も大阪城、お掘と遠景にOBPかもしかして府庁なのか。で、200円は 五重の塔。大阪で五重の塔言うたら、まあそら四天王寺さんやわな。そやけど、いっぺん聞いてみたろ。今証紙を買った会計の窓口。
「あの、しょうもないこと聞いてすみません。あのね、これ どこですか?」
「はい、今これをもらったところへ持っていってください。」
「ちゃうねんちゃうねん。あの、この証紙のとこどこですか。これとこれと大阪城でぇ…」
「あ、、、ちょっとぉ、、、、」窓口の女性が 奥の上司に聞きに行く。
「いやあ、すみません、ちょっとわかりませんねん。(^^;)(^^;)」
ふたりともとても困った恐縮した顔。
「は、いや、そ、そうですか、、はは、、、(^^;) はは、、、そんなもんなんかなあ、、、いや、どうも、、、、」
いやあ、おちょくるつもりやなかってんけどな。それとも偽造防止のためお答えできませんってこたないよな。毎日見る証紙の意匠がいったいどこなのか考えて見たこともないという驚きの顔。そんなこと聞くアホもいてへんねんなあ。そっかあ、そういうもんかあ。そやなあ。そういえば、自分だって身近で珍しくもなんともなくって、なんの注意も払わないでいるものって、たくさんあるなあ。この意匠考えた人、構図とかアングルとかいろいろ練ったんやろうになあ、気の毒〜。
で、こういうのをなんと言うか。ショウシセンバン!!
3月6日(木)
野に捨てた黒い手袋も起きあがり指指に黄な花咲かせだす
齋藤 史 『魚歌』
いつもの手袋は黒い手袋。今日の手袋は 黄色の手袋。昨日 自転車置き場で手袋が片方しかないことにはじめて気がついて 仕方なく右手は寒風にさらして帰った。やっぱりたまらなく冷たいものだ。朝、職場に着いてみると、窓辺の棚で 黒い手袋が手招きしていた。
3月5日(水)
ブルカ脱げば頬に流るる春風よ葡萄の新芽も揺らしゆくべし
木村 草弥
お昼休みに郵便局へと走った。こちらが自転車でのすれ違いざまだったこともあるが、職場の知人に会釈をしたのにどうも気がついてくれないようすだった。そうだ、私はマスクをしているのだ。目だけではわからなかったようだ。 はて? どこのどいつや、という不審な表情で過ぎていった。戻るとフロアーに彼女が来ていたので おいおい、わからんかったやろ、とマスクのまま前に立つと、「あーあんたかいな」と納得してくれた。あー 私の100万ボルトの瞳がわからなかったのか。
ブルカをまとった人達は 目だけで識別するのだろう、か、、ね。
イラク攻撃反対!!イラク攻撃反対!!イラク攻撃反対!!イラク攻撃反対!!
3月4日(火)
ぎゅっと抱く きゅっと幽けく疼きくる淡雪のごとき感性なれば
勝部 祐子 歌集『解体』
今日の寒の戻りの極端さにはまいってしまう。弥生三月雪が降る。時折吹雪く。わあ、すごいすごいね、と学校の教室じゃあるまいにオフィスはいろめきたつ。窓際の喫煙コーナーに男達も寄ってくる。しかし ショータイムは短い。相棒がお手洗いから戻って来たときには、もうやんでいた。「あーあ、いま、すっごい雪やったのにぃ。」 雪国にはないひとこまだろうね。
3月3日(月)
はろばろと紀の海に雛を流しをる阿太の翁に夢変若
かへれ
前 登志夫 歌集『縄文紀』
詞書き
「吉野阿太に住む翁は、今も雛流しの行事を守れり。詩歌をたしなみ、桃牛と号す。亀多亀雄翁__その名を呟きて、いくたびかわれ心をほうと海原に放ちき。」
今もどなたかが引き継いでおられるのだろうか。
二十歳を過ぎてからの幼年期(!?)私は 多くの時間を吉野で過ごした。と言っても、住んだわけではないのだけれど、大事な時を過ごした吉野は ふるさとのような気がしている。兎を追ったことはないけど、アカゲラを追跡した彼の山、小鮒じゃなくて、うぐいやハヤを釣りし彼の川。
3月2日(日)
白い手紙がとどいて明日は春となるうすいがらすも磨いて待たう
齋藤 史 歌集『魚歌』
今日は 泳ぎに行こうと思ったら、リニューアルオープン前の見学会で泳げない日だった。ではではと、デジカメ持って、平野郷内をお散歩。うららか、あったか、花粉いっぱい。マスクして、白い嘴の烏天狗になって。ひらのの町並み、町屋なんかも撮りたいんだけど、やっぱりこのかっこうじゃ、よけいにアヤシイよね。今日は視察のみ。もう咲いている沈丁花もあった。たいていは まだ蕾。公園で ちいさい春みっけ。白い小花が 咲いてる咲いてる。はこべちゃん。明日は 春一番が吹くらしい。
3月1日(土)
水の上の白梅ふっと青白し四十暗がりにくき日の暮れ
水野 法子
弥生三月雨ではじまる。今日は 時折 空ごと落ちてきそうな大雨が降る。お向かいの全興寺の梅も 叩き落とされているんじゃなかろうか。休みの一日ももう暮れた。ニュース奈良のお水取りも雨ん中。傘をさしている。傘は火の粉で穴だらけじゃないかい?