トップページ
バックナンバー目次
華奴の「短歌あの日この日」 バックナンバー
2003年5月
5月31日(土)
四十雀巣立ちてゆけば君とのみ二人青葉の中の夕昏れ
近藤 とし子 歌集『トレニアの秋』
ちょっと前の毎日新聞におもしろい写真と記事が載っていた。神戸摩耶山上寺、だったかな。ちょうど 巣箱のような形の賽銭箱に 四十雀が巣をつくっていて、お賽銭を入れないでください、という
張り紙がしてあるの。
5月30日(金)
天にたまはる二物の一つ風の日は風のにほひに恍たるこころ
塚本 邦雄
 今日は今年始めて上陸する台風で、風がつよい。商店街のアーケードもばたばた荒れる海原のよう。ベランダのものが飛ばないようにしなくては。スタンドに高く掲げているボウル状のプランターや鉢を下に降ろす。柘榴の花が咲いている。豌豆は柘榴に絡まりながら素枯れてゆきつつある。豆ご飯に入り損なったえんどう豆を土に埋めたら、しっかり育ってえんどう豆が実ったのだけれど。かつてアブラムシ対策に、顆粒状の薬を使ったことがあるものだから、食べる気にはならなくて、ごめんよ。
白いコンクリートにてんてんてんてん 目立つのは、カタバミの種。いっぱい落ちている。ちいさなちいさな種。胡麻よりうんとちいさい。この風に 土のあるところに 飛ばしてもらうといい。風よ、風、てんてんてんてん さらってゆけよ。
5月29日(木)
おもひがけず後退をする車窓にて過去があばかる 風景として
村木 道彦 「灯ともしごろを」
 今日のこと書いてね、楽しみ、なんて言われるとこれはなんだかけっこう書きにくいものだね。さて、今日のこと、どこを切り取ろうかしら。
連休中に、中学を卒業後29年ぶりの同窓会があった。あれから男達は何度も集まって飲んでいるという。今日は 当日来られなかったひとりのマドンナ(!)のために設けられた席でもある。口をついて出るのは、やっぱり「変わってない、まるっきりそのままやん。」端から見るとこんなおっさんおばはんの中学生であったはずはないのにね、どうしても自分たちには変わってないようにしか見えないのが不思議。
メンバーは、これって いったいどういうつながりの集まりなん? というような顔ぶれ。在学中の親交とはあまりかかわりなく、なんかとりあえずノリにまかせてっちゅうか。43歳 男盛り、副議長、次長、課長、所長、支店長、ディヴィジョンマネージャーと 名刺にはそれぞれいろんな肩書き。新地の帝王もいれば、宴会ゲームの達人だとか、、、。43歳 そっかあ、いい年齢だ。へえ〜 やっぱ 男はこれくらいが いちばんイイ時なのね、きっと。みんなそれぞれに いい男になってるやん。ちょうど中間管理職のしんどいときかな。仕事を離れてなんのしがらみも利害もない関係の気安さ、きっと そうしたなかで飲む味をしめたのだろう。暴露話や無邪気なシモネタも たわいなくただ楽しい。今日は 楽しかったね。そう、たまには それだけでいいじゃない。家に帰れば、パパまた酒くさあい、なんて鼻つままれたりなんかするのかもね。がんばれ、日本の男達よ。 (って いうほどの哀愁はまだないか、単なるお気楽酒飲みなんかい?)
無頼たれ されどワイシャツ脱ぐときのむざむざと満身創痍のひとり
西瓜ぱくりと割るる爆笑この国の男それぞれ真紅の孤独
佐々木 幸綱
5月28日(水)
星の数ほどの出会いとすれ違い携帯メールニュースなあなた
足立 瑞穂 (水甕 2003.6)
 あの、わたしこう見えても携帯持ってないんです。ほんまです。困ったことに 信じてもらえないことがあって、かえって妙な不信感を抱かれたりなんかするんです。え?持ってないって、そらウソやろ。みたいに思われるんです。「今どき携帯持ってないひとはいてないよ。それはアンタ、番号教えてくれへんだけやで。」ときっと他人さんに吹き込まれたであろう お義母さん。家に来はったとき、家の電話の子機を見て、「あ、携帯あるの?」 いや、ちゃうちゃう、これは携帯ちゃうでえ、子機やで、ほんまやで。ほんまに携帯持ってないねんてば。
こないだ 男性に 携帯何番?と聞かれて、わたし携帯ないねん、と言うと、くすっと笑いよったがな。ちゃうちゃう、ほんまやねんて。教えてあげない、というかわりに婉曲的に拒否してるとかそんなんとちゃうねんで。そやけどそう受け取られることがあるんよね、これが。そういうことなのよ、こないだのニュースなあなた〜。また華奴の身持ちのいいお嬢様幻想ができあがったわ、ふふふ、、、。え、誰も思てへんてか。あ、そ。ほな、今から呑みに行って来ます。不良主婦〜。
5月27日(火)
降るように巨木の涙 朝な朝な泰山木の花びら拾う
足立 瑞穂 歌集『白いものばかり』
 今、向かいのお寺の庭に 泰山木が咲いているのが見える。少し黄色くなってきたようだ。お寺に勤めていたとき、奥の庭の掃除をしていて この泰山木の大きな葉を初めて身近に手にした。そう、つるつるなので、箒ではひっかからないから手で拾うのだ。ひんやりしっとり冷たいけれど あの手応えはいとおしかった。
5月26日(月)
土鳩
はどどつぽどどつぽ茨咲く野はねむたくてどどつぽどどつぽ
河野 裕子
鳩の鳴く声は 憂鬱だ。わたしが真っ先に思い出すのは、なぜか陰鬱な学校の図書室。鬱屈と叫びの詰まったような湿った暗い部屋。それから もうひとつ お寺にいたときのこと。というのは、結婚するまでの2年半程、尼寺の職員をしていたことがある。法隆寺の夢殿の奥の中宮寺。ずっと中宮寺の弥勒菩薩、あの微笑の半跏思惟像が好きだったのが、幸運にも身近にお仕えするご縁に恵まれた。そのときのこと。藤棚に頻繁に鳩がやってくるのを察知したベテラン職員のおばさん達が 箒をもって追っ払い始めた。永年の経験から 巣を作らせてしまう前に追っ払うという
掟になっているらしく 新人の私はどうすることもできないし、なんとも心苦しかった。尼寺の庭で そんな殺生な。藤棚ちょっと貸したげてもええのんちゃうん? と思ったのだけれど、それまでに 参拝客や建物への糞害など、現実問題いろいろと困ったことになったことがあって、結局そうなったらしい。もちろん 御前さま(ご門跡)のご意向ではなかったのだけれど、表の庭を守る者は固く掟を守り通していた。共生とは むずかしいものだ。鳩さん つけあがると 遠慮を知らんからなあ。
5月25日(日)
ぽろぽろと時が消えゆく橋にして橋にならぬ脚砂をこぼせり
林口 僥子
短歌結社水甕の全国大会のため白浜へ。ホテルから、白良浜を望む。橋杭岩のように並んだ岩も見える。ちょうど 砂祭りのイベントで、雪祭りの雪の像のように、浜には砂の彫像が作られると聞いた。が、砂の小山が並んでいるらしいのだが、像はまだつくっていないのだろうか、と 窓から見ながらずっと気になっていた。駅までの帰りのタクシーを途中で待ってもらって確かめたら、合点がいった。作るための砂の小山なのだと思っていた小山がそれだった。「雪祭りの雪の像のように」とは、ちと、いやかなり違うようだ。砂遊びの作品。さらさらの白い砂も海水で固まるそうだ。
(そうそう、氷上娘さんいわく、ピラミッドみたいだね、三角の山に 彫刻)
タクシーの運ちゃんがあれこれ教えてくれた。昭和25年頃、今走っている道はなく ハイカラな人達がサンドスキーをやっていたという。向かいのマンションのベランダに吹き溜まるほど砂は風に飛ばされるから、減る一方。砂はどこから持ってくるかと言うと、オーストラリア。こないだドラマ『グッドラック』の最終回のロケで、キムタクが来たときの騒ぎはたいへんだったと。イラクの戦争のためハワイロケを避けて、代わりの白浜。ドラマでは松の木が映っていたそうだ。
5月22日(木) (2日間おやすみします)
抱くとき髪に湿りののこりいて美しかりし野の雨を言う
岡井 隆
髪を切りに行った。そこのサロンには シャンプーロボットがある。ロボットと言っても、お湯加減はいかが?とか どこかかゆいところはありますか? などとは聞いてくれない。ちょうど 車の洗車のようなもので、仰向けにじっと寝ていると、叩きつけるような嵐のような水流や春雨のようにやわらかくとか 強弱のシャワーが生え際から後頭部まで前後に動いて洗ってくれる。なにかかぶせられているらしいのは わかるのだけれど、被っているところは見たことがないのでわからない。きっとヘルメット状になっているのだろう。シャワーの移動が マッサージ機のように自分で調節できたらいいのになあ。ああ、そこそこそこやがな、そこちょっとまった〜、と思っても、無情にも移動しつづけて行ってしまうのだもの。最初の軽い洗髪のときが、そのシャンプーロボットで、仕上げのしっかりシャンプーの時は 人間の手でやってもらえる。その時もまた、そこのシャンプー台は変わっていて、仰向けにならないで、ほとんど上体を起こしたままわずかに顔を上向ける程度でシャンプーするようになっている。後頭部あたりから首をがっしり台にのっけて、晒し首みたいな状況。座席のスライドで高さなりなんなり調節するらしいけれど、これが合わなかったのか、途中でたまらなく首が肩が痛くなった。頸椎のいかれている私には とてもじゃないががまんできましぇーん。たまらずもがくように動いてしまった。あー いっぺんで めっちゃ凝り凝りになってもたやんけー。ほんならと、仰向けになれるロボットのある台に移動させられ つづきをやってもらった。あー もお懲り懲り。
5月21日(水)
てのひらのくぼみにかこふ草蛍移さむとしてひかりをこぼす
高嶋 健一 歌集『方嚮』
曇りがちの空模様。新幹線からの富士山を見ることも忘れていたけれど、たぶん見えなかっただろう。静岡、真勝寺にて 水甕運営委員長 高嶋先生の告別式。わたしが水甕に入って最初の2年間の選が 高嶋先生だった。いつも特選に採っていただいたことが、今も短歌を続けていることにつながっているのは間違いない。伊豆の旅行の途中で 清水の歌会に飛び入り参加させていただいたことがあった。あんなにやさしい喋り方する人は ほかには知らない。とてもこころしづかでやさしいやさしい話し方をなさる。草蛍の歌の歌碑が 清水市の船越堤公園にある。ぴかぴかの黒御影石に先生の流麗な自筆。二人の少女がてのひらにほたるをかこっているような姿のかわいらしい像もある。すぐうしろにせせらぎがあって 源氏蛍の棲息するホタルの里。わたしが訪ったのは 残念ながら春だったので、いつか またホタルの季節に行ってみたい。桜の歌をたくさんお詠みになった先生の法名は 生前から決めていたという 釈桜健。ご冥福をお祈りします。
5月20日(火)
ブナの森を過ぎりしほどにひんやりと肌にさやりぬ婚の制度は
東 めぐみ
ほほ、継続と言ったしりから おやすみしました。文字通り、明日のことはわからない。昨日は 夫がぎっくり腰の騒ぎで…。幸い軽度のようですが。自転車で 立ち漕ぎでペダルを踏み込もうとした瞬間に、あ゛!! 硝子の腰なんですの。
うちの向かいの○○屋さん、というのが、実はたくさんある。マンションの正面側と自分ちのベランダ側とで 向かいのお寿司やさん、向かいの本屋さん、向かいの中華屋さん、向かいの新聞屋さん、向かいの郵便局。向かいの本屋さんは、文具も少し置いているような昔ながらのお店。お祝儀袋は、そこで買うと奥さんがきれいな字で書いてくれるからと、義母に頼まれた。もうけっこうご高齢だけど、そうやって頼まれるのは甲斐のあることだろう。今日は大安で 夫の従兄のお宅に 娘さんの結婚お祝いに伺った。うちも今年はちょうど10年目。早いものだわ。
5月18日(日)
継続は一つの力と信じつつ我が道行かむたとへ下手でも
宮本 惠司 (水甕浜松支社誌
第一二三号 かたしろ)
届いたばかりの支社誌。「継続」の話してたとこなので、今日はこれに惹かれるの。力強い味方。
5月17日(土)
君に逢う以前のぼくに遭いたくて海へのバスに揺られていたり
永田 和宏
君に逢う以前のぼくに遭うための海へのバス。なんて、いいねえ。そんなロマンのあるバスでなくって、現実的なバスの話なんだけど。大阪市は地下鉄・市バスの高齢者フリーパスがあるので、バスはいつも高齢者でいっぱい。 バスは運転手によって ずいぶんとあたりはずれが大きい。わずか30分足らずと言えども、乗り心地で気分はおおいに左右される。思いっきり揺れまくりーの、まるで嫌がらせのような急発進急停車のひどい運転をされることもある。昨日はそれに近かった。乗りこんで座席につくまえに、もう義父ちゃんはなぶられるようにぐらりと揺らされる。運ちゃんはランボウ、ならいいけど、乱暴なのだ。そういうときはミラーに移る顔を見てしまう。んーん、やっぱただただしかめ面のコワイ顔してはるわ。なにも見ようとしていないような閉ざされた顔。やさしい運転手の時は やっぱりほんとに顔つきが違うんだよね。生き生きした目で周囲に細心の注意を払っている様子。そういう運転手さんは、老人の押し車を乗せるのを手伝うとお礼を言ってくれたり、こまめにマイクを使って言葉をかけてくれたりもする。いつも車内の様子や安全運転に気遣ってくれる運転手の顔は やっぱり違う。いい顔してはるわあ。
5月16日(金)
夜おそく停車場に入り
立ち坐り
やがて出でゆきぬ帽なき男
石川 啄木
唐突ながら、帽子の鳩目はなんのためにあるかご存知? バスの中で 気が付いたのだけど、女性の帽子には鳩目はあまりなくて、男性の帽子にはほとんど鳩目がついている。
あれはなあに? 通気性のため?
ある時 バスの中で知りました。鳩目の役目を。
痩男帽子の鳩目より抜きて銜えたるものあな妻楊枝/華奴
今日は 義父ちゃんと病院デート。バスの床に妻楊枝が一本転がっていた。
あの時のおっちゃんの妻楊枝かもしれない。一本落としてしまったときの予備もまた鳩目にしのばせているのかな。
5月15日(木)
砂糖黍売る少年もこの水にまぬがれがたき一生送らん
佐藤 志満 歌集『白夜』
かたばみさんの砂糖漬けの話から思い出したお菓子がある。蓮の実の砂糖漬け。これは とてもおいしかった。味はちょっと銀杏にも似た感じだけど、やっぱり蓮根にも似ている。鶸色の鈴のようで、なんとなく有り難い。ふしぎな懐かしいような味がした。もうひとつは、桃林堂の五智果というお菓子。四季折々の菜果を菓子にと、金柑、人参、牛蒡、ふき、梨、いちじく、茄子、セロリー、椎茸等の砂糖漬。
大阪の八尾市(やお)に本店がある。行ったことはあるはずなのだが、記憶にない。検索してみると、茅葺きの建物のままだそうで、写真を載せているサイトもあった。へー、青山と上野にも店があるではないか。当時若かりしころは、砂糖漬けなんて砂糖の味しかしないんじゃないかと、食べず嫌いだった。今なら すこしその滋味がわかるかもしれない。野菜チップが好きだったけれど、それよりも味があるのかも。お干菓子にええわねえ、お抹茶と。
名前の由来は仏教の五智如来の五智からという。洒落てるなあ。
(おまえはそんなんにヨワイんやから、、とまただんなに言われるわ。)
密教で大日如来のそなえている5つの智慧を5つの如来にあてはめたものが五智如来。
大日如来、「法界体性智(ほっかいたいしょうち)」
(清らかで明確な絶対真理、最高の智慧、統合された智慧、他の四智として現れる)
阿閃如来、「大円鏡智(だいえんきょうち)」
(鏡にものが映じるように、あらゆるものをありのままに認識する清浄なる智慧)
宝生如来、「平等性智(びょうどうしょうち)」(あらゆる存在の平等を観ずる智慧)
不空成就如来、「成所作智(じょうしょさち)」(自分や他人の為に、すべきことを成就させる智慧)
阿弥陀如来、「妙観察智(みょうかんさっち)(諸々の事象を正しく観察する智慧)
(検索して調べてみました。佛教関係のHPは 読み出すとハマってしまってなかなかやめられなくて困る。それがなんぼでもあるのよねえ。)
5月14日(水)
美容師のうなじに情欲湧かせつつサ行動詞の活用暗唱
小林 幹也 歌集『裸子植物』
南方熊楠のことを書いた本を探していて、ふと見つけたのが『日本奇人・稀人事典』(東京堂出版)。あ、きっとこれにも載っているだろうと手にとると、もちろん熊楠は載っていた。のだが、始めの目的を忘れてつい読みふけっていた。帯には「偉人達の知られざる裏世界、そのケタはずれの奇人・稀人ぶり?!」 (「各人物を疎外的に扱うのではなく、逆に抱擁的に見ていく視点を」「奇人に尊敬を親愛の情を込めて」というスタンスです。)酒と金と女にまつわる奇行も もちろんたんとあるある。石川啄木から若羽黒朋明まで芸術家や文学者や政治家など52人を紹介しているが、イロの道絡みのエピソードが いちばん多いかもしれない。乱行を隠さない伊藤博文、責め絵の伊藤晴雨、少年愛の稲垣足穂、江戸川乱歩、、、、、、、。傑出した人というのは やっぱり 好きな事があって、好きな事には徹底してうちこんでいるんやね。それも半端じゃないわ。(イロの道に限らず)
5月13日(火)
人間の温かさうれし暖冬の暖かさ嫌ひ 紅葉せざる樹よ
伊藤 一彦 歌集『柘榴笑ふな』
昨日 橿原市今井町で見学させてもらった 県指定文化財である山尾家住宅。そのお宅は 桂小五郎 いや木戸孝允がよく宿泊していたということで 直筆の扁額が掛けられていた。
「人在春風忘喜温」(右から人在…だったと思う、、、)
「春風を忘れるほど温かい人がいて喜んでいる」というお世話になった山尾家への謝意を表しているような、なんかそんな解説があったような。春風を忘れるほどって、春風どころじゃないってことかな。春風って 高杉晋作の名前だったり 彼らの中では 特別な意味がいろいろありそうだけど。
今日ふれた人の温かさ。白杖を持つ友達と地下鉄のホームで エレベータどっちやろって おたおたしてたら、察知して こっちですよって教えてくれる人が居て助かったわ。頼りない手引きで どもならんわ、でもそういうときには また助けてくれるひとが現れるもんだわさ。
5月12日(月)
ひつじ草
音たてて花閉ざしたり少し考えを変え立ちあがる
岡井 隆
今日は あるなりゆきから、奈良の橿原市今井町をぶらぶらしてきた。で、橿原神宮に足をのばしてみた。みどりがきれい。池には睡蓮(ひつじ草)が咲いていた。
今日の成果といえば、八木駅近くの 念願の だんご庄のきなこ団子が買えたこと。今日と同じメンバーで明日香に行った帰り、以前にこれを探し求めて本店にたどり着いたら 定休日だったか売り切れ御免の閉店だかどっちかで とうとうありつけなかったのだった。今日こそはと、思いがかなったのでした。この おだんご おいしいのだ。だんご庄のだんご。
5月11日(日)
鍾乳洞見物これも新妻の手引き岩肌湿るばかりぞ
小林 幹也 歌集『裸子植物』
歌集をぱらぱらしていて唐突に思い出したのだが、最高にわくわく楽しかった洞窟探検。洞川の蟷螂の窟(とうろうの岩屋)と蝙蝠(こうもり)の窟。修験道の始祖 役行者が、今から1300年前の飛鳥時代に、「大峰山一之行場」として開いた修行の場。これが 中は照明がなくて真っ暗でなにも見えない天然のままのちいさな鍾乳洞。天井は低くてうかうかしてると頭はぶつけるし、足元はすべるし こわいこわい、スリル満点。入口近くの管理小屋に仙人みたいなおじいさんがいて、大きな懐中電灯を貸してくれるのだけど、ふたりでひとつだったし、だんなはびびる、わたしゃはしゃぐ、わあわあ言いながらの探検。洞川といえば、ぜひお薦めポイントですわ。「出る杭は打たれる」の教えの修行場ですって。
5月10日(土)
寂しくてひとり笑えば卓袱台の上の茶碗が笑い出したり
山崎 方代
ストレスにさらされると分泌されるホルモン、コルチゾールというのが唾液中にあるそうで、その量を調べることで、ストレスが解消されたかどうかわかるという。落語を聞く前と後で変化がある。で、ふだんからよく声に出して笑う人ほど、落語を聞いたあとでは コルチゾールが減っているそうな。ふだんからよく笑っていると 笑う効果も効率がよくなるということ。笑ってるかい、イェーイ!
5月9日(金)
しろたえのヨーグルトまずこの朝快楽のごとく喉におとす
藤井 清子 歌集『薔薇冠』
昨日はずいぶん寒くて 今日は日中暑いくらいだった。どうも気温の変動に弱いようで、鼻の調子がわるい。耳鼻科は相変わらず繁盛している。グルジアのヨーグルトをあげたご近所の人が、今年はあのヨーグルトのお陰で 花粉症がほとんどでなかったよと言っていた。どう考えても、他に考えられない。これは やっぱりあのヨーグルトの所為としか思えない、って。効くひとには ほんとに効くらしい。私はもう2年になるかな、そんなにしっかり食べていないからか、そんな効果はわからない。もっとちゃんと食べようかな。
5月8日(木)
夜のふけにわが聞きてゐる耳鳴りありこの耳鳴りはラとシの音す
多田 零 歌集『茉莉花のために』
日常生活の身近な音に音階があるということに、気がついているひとは気がついてついているのだろう。キョンナムさんの 『ポッカリ月が出ましたら』に、なんとあの白竜がプライベートコンサートの出前をしてくれる感動的な話「白いコンサート」がある。その話のなかで 白竜が ギターのチューニングに何を使ったか。電話の受話器を外して聞こえるツゥーというあの音は、ドレミで言えばソの音だそうだ。「すいません、受話器を貸してくれますか」って言って、チューニングするなんて、素人目にはやっぱかっこいいなあ。
キョンナムさんって、すごい超おっちょこちょいのドジの天然ぼけ、めちゃ安心したわ。いてるやん、こんなやつも、って。財布を忘れても何を忘れても命さえ忘れなきゃ、ってのがキャッチフレーズだというくらい。わたしも わたしのぼけぶりをいつも喜んでくれる人がいてるから、こんでかめへんねん! えっへん!
5月7日(水)
ハンバーガー包むみたいに紙おむつ替えれば庭にこおろぎが鳴く
吉川 宏志 歌集『青蝉』
同級生たちの只今のシチュエーションは 同じ年齢でもさまざまである。どう見てもいっかにもいいパパさんってヤツもいれば、年齢不詳のにいちゃんもいれば、「あれ、だれや? 先生か?」とだれもわからないくらいに変貌を遂げたヤツもいた。あれから、道行くおっさんをみるとついその中学生時代を想像してみる癖がついてしまった。女子は てんで変わってない気がする。そう思うのは 欲目か きっと自分達だけであって、ハタからみれば どう見てもりっぱなおばさんなんだろうけれどね。
子供はまだ幼い子がいたり、もう高校生や、成人してる子もいるとかいろいろ。極端なのは、「今日が (ヨメハンが)出産予定日」で来られないというヤツと、既に十ヶ月の孫がいるというヤツ。未婚離婚再婚とりどり。離婚しても女子は 子どもと暮らして、再婚はせず、男子は 再婚をしているというケースが多いようだ。
恋人に死なれたり、幼子を事故でなくしたり、みんないろいろあったさなあ。こどもはいてへんねん、と言うと、「いてないほうがいいよ」と亡くしたこどもの話を笑顔で話してくれたヤツがいた。笑って話せるまでの道のりは相当なもんだろけど。
5月6日(火)
葬列にはじめて並ぶ日は小雨 友と身を寄せ制服姿で
五十嵐 きよみ 歌集『あなたに似た人』
中学を卒業して29年。すでに幾人かの同級生が他界している。同窓会の宴の前に黙祷を捧げた。八十余名が息をひそめる静けさ。閉ざされているはずの窓から鶯の囀りが聞こえた。彼らの中で、一番先に逝ってしまったS子のことを思い出す。高校一年だったろう。バイクの二人乗りでの事故だった。ショックだった。はじめて接する身近な死だった。その夜は 小学生のとき以来はじめて母の部屋で眠ったことを覚えている。告別式から戻っても泣きやまない、とても落ち着きそうにない娘を見かねた母がそうさせたのか、それとも自分の方からそうしたのか、いきさつは記憶にないのだが、いずれにしてもずいぶん幼かったのか。かなしいばかりではない、なにがなんだかわからない生と死の境がわからないことに怯えていたのか。あれはなんだったんだろう。もう思い出すこともできない。
5月5日(月)
ぼくたちは勝手に育ったさ 制服にセメントの粉すりつけながら
加藤治郎 歌集『サニー・サイド・アップ』
当時ぼくたちは勝手に育っているんだと思っていた。中学生時代。30年前のことははるかとおくで、まるで前世のことのように感じる。でも、みんなみんなあのときのつづきなんだ。この肉体は何億個の細胞だか知らないが、すっかりまるごとまったくあのときとは違う。だけど確かにみんなあのときのつづきなんだ。ふしぎだなあ。あの高慢ちきでおおらかで神経質でおこりんぼではしゃぎ屋だったぼくたちの時間。いっしょに過ごした同士たちは おとなになっていた。でも、変わっちゃいない。あの年齢ではもうすでに変わらないものができているというか、あるということなのだ。中学生って侮れない。
5月4日(日)
試験管の破片をふたり拾うとき音階のごとく燃えるひまわり
穂村 弘
今日は 中学校の同窓会だった。卒業してなんと29年ぶり。
な〜んかまだふしぎなきぶんにひたっているところ。いろんなこと思い出したり。
5月3日(土)
花の名を読めば異国の声となる吾ら逃避のごとく薔薇園
安永 蕗子
今日は中之島公園へ吟行会。新しくなった公会堂で歌会。ちょうど中之島まつりで フリーマーケットやさまざまなイベントでたいへんな賑わい。楡の木下に「なにわの語り部」の語りを聞くこともできた。適塾を廻ってきて、薔薇園へ。薔薇は 咲いているのもあったけど ほとんどつぼみ。つぼみは 大挙して声をころして待ち伏せている。ホームレスの人達はひとところに囲われていた。
5月2日(金)
ちひさき守宮部屋のおもてに出さむとし指に左右のもがきありつも
多田 零 歌集『茉莉花のために』
今日届いた歌集にみつけた歌。
昨日、ちょうど守宮の話でちょっともりあがったのだった。ユーモラスなうごきと吸盤あんよがかわいい。でも、やもり の漢字がだれも思い出せなかったのだった。そういえば、やもりには 久しく遭わない。お寺にいた守宮の障子のシルエット、あれはおもしろかったなあ。
タイミングというか、ふしぎと人と出会すという日がある。今日は、それ。
にこにこセンターに向かう途中には 義父ちゃんとばったり、区役所では
まさにぶつかるようにして友達に出会した。ふしぎだなあ。ほんのちょっとでもずれていたら会えないのに。
5月1日(木)
ドン・ガバチョの切手十枚買ひてよりひようたん島の住人となる
隅 さだ子 (水甕 2003.5)
♪な〜みをちゃぷちゃぷ、ちゃぷちゃぷ、す〜いす〜い……ひょっこりひょうたんじ〜ま〜〜……
いちど体の中にめぐりはじめた曲が 一日中ぬけなくて ずっと流れているってことは よくあることだ。今朝はコマーシャルで聞いた曲が 体内に流れ始めた。
♪ぎ〜んらぎ〜ら太陽が〜……
古い記憶を刺激してしまったらしい。で、お弁当を作りながら、つい、♪ぎ〜んらぎ〜ら太陽が〜……と呟いていた。すると、夫は、
「え? なんでわかったん?」と驚いた。
自分の中に流れていたものを見透かされたみたいに思ったらしい。なんでそれが自分のなかに流れているのかも夫は自覚すらなかったのだ。
「さっき コマーシャルでやってたやん。」
「あ、そ」(昭和天皇かい?!)