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華奴の「短歌あの日この日」 バックナンバー
2004年1月
1月31日(土)
「戻せ返せ」俊寛の声とジーパンがだくだく廻る洗濯機の中
夏目 雅代 (水甕 2004.2)
粉石鹸のあわあわ洗濯をするようになって尚更洗濯機のぐるぐるを覗くことが多くなって、ますます洗濯機のぐるぐるを見てるのが好きになった。渦巻きはじっと見ているとどこか異次元に引きこもれていきそうだ。実際見るたびに違う宇宙に連れて行かれる。朝起きると見ていた夢のことは思い出せないように 洗濯機を離れて日常の動きにもどると途端にその世界は消え失せてしまう。どこへ行っていたのかも忘れてしまう。渦のなかに地団駄を踏む俊寛が浮かんだこともあったような気がどうしてもする。洗濯機の水流を見つめるわずかな時間には時間のない空間のない私のない隙間が出現するという だいじなだいじなことを逃さず捉えた歌なんだ。
1月30日(金)
吸ひさしの煙草で北を指すときの北暗ければ望郷ならず
寺山 修司
銜え煙草の似合う男、いいね。まずジェームス ディーンを思い出す。職場に 銜え煙草がけっこう似合う人がいる。そうさなあ、みやちんの知ってるぽこやまぱきらさんに似てるから けっこうイケメンだよね。こないだ その人が銜えているものが もう一本あったの。しかも 煙草と同時に銜えてるねんで。なんやと思う? 爪楊枝と 煙草をくわえてはんねん。 んーん ふくざつう。どっちも火はついてなかったけど。
1月29日(木)
引きずり出す鉄板の見る見る黒く冷えゆくをたたき折りぬ
土屋 文明
夕飯を作る前に腹ごしらえ。おやつは冷凍しておいた<御座候>。あんこたっぷりの不回転焼き。型は回転しないで 手でひっくり返してるから 回転焼きとは言えないな。解凍は電子レンジだけより、餅網で少し焼いたほうが 皮がぱりっとして好き。浜松でも 待ち行列かな。デパ地下の行列のできる一角、<御座候>はいつも並んでる。
で、ここのレジの店員さんの捌き方がすばらしいの。ござそうろう、ってひとこと言うくらいのあっと言う間に ひと包み 包んでしまう早業。「たたっ」って 見る見るどころか ほんの一息でもうひと箱包んでしまってるんだから、おみごと、職人技よ。
1月28日(水)
白竜のうろこか雪かひとひらが黒猫の背にふわりと降りぬ
大高 多美子 (水甕 2003.5)
お昼休みに眺める窓の外はいいお天気。洗濯してくればよかったと悔いる。 こないだのような雪、カムイも窓から眺めてたかな。
1月27日(火)
オフィスのゴミ捨てにゆく 屑籠の図面に混じるわたくしのメモ
木下 憲子 歌集『シュピール』
職場のゴミ置き場にはヘルスメーターがあって 重さを計って ノートに記さねばならない。大きなゴミ袋だと ちょうどデジタル表示の部分が隠れてしまって見えない。こっそりかたっぽ靴を脱いで 体重ごと計る。ゴミ袋抱えた鶴女(つるじょ)です。掃き溜めに鶴 現る?! そこまでやる物好きおらんわな。だれか入ってきたらはずかしー。修正マーカーもないから、引き算忘れて 体重を書いてしまったらドツボ!
1月26日(月)
天を指す枝にほつほつ蕾つけ梅は一篇の詩となりて立つ
前川 真佐子 (水甕 2003.5)
今日も寒い。うちのベランダの梅にも蕾。
1月25日(日)
氷点のみづに冬陽の遍くて鷺・鴨・鶺鴒彩冴えとほる
藤井 幸子 (水甕 2003.5)
雪が降りました。寒い。
1月24日(土)
深沈と暮れて夜の星象嵌のブローチとなりわが胸飾れ
浦木 逸子 (水甕 2003.5)
きらきら〜〜〜〜
女4人飲茶コースで腹一杯になったのちは、美術館へ。<ヨーロッパの宝飾400年 煌めきのダイヤモンド>のチケットをもらったの。ダイヤモンドのオンパレード。
1月23日(金)
大寒の茶房「ヴィオラ」の壁に笑む水着の少女のアイス珈琲
小畑 庸子 (水甕 2003.5)
さぶぅ〜〜〜〜
この寒さ。昨日よりは 日が射す分マシだけど。このさぶい日に義父ちゃんと病院デートの日。バス待ちの間、じっとしていると凍えるから歩こうと、辺りを一周する。コートひらひらはしないけど、ぶくぶくのあったかい上着はイヤダと言い、頑固に帽子を拒み、手袋もじゃまくさいと拒み、頑固一徹義父ちゃんだ。手袋はポケットに手えいれるからええ、といい、それはこけた時アブナイからあかんと言っても聞きゃしない。この寒いちべたいのを耐えても じゃまくさがりのほうが優先するなんてなあ。昼は 鰻屋へ入った。お酒を呑むというので、私はなにかあてが欲しくなった。肝焼きは時間がかかるというので肝煮を。 私は お酒は冷やが好みだが、熱すぎずええ塩梅の燗でおいしかった。おいしい肝煮だったが、義父ちゃんはお気に召さなかったようで、黙って鉢を私の方に押しやった。ほんとなら なにか悪態をつくところなのに 私にはやっぱ気ぃつこてはるんや。ま、たまには 気ぃ使うこともあってええやろ。
1月22日(木)
あやまちて切りし小指を冬の夜の灯のもとにみるさむさかな
前田 夕暮
さぶぅ〜〜〜〜
この寒さ。朝、自転車置き場の水たまりが厚く凍っていた。夕方帰ってきても、しっかり凍ったままだった。最高気温、2度とかだもんね。昼間 ほんのいっときでしたが雪が降りましたね。夕方の生協の時も、ごーっつい風吹いて、さーっぶいさぶい。共同購入の分け分けするのも、たいへん。数分もしないうちに手が凍えてかじかんでしまった。こんな寒さは初めてだわい。わたしも あやまって指を切りました。親指の関節のほう。スライサーで蓮根スライスしていて、スライスしてしまいました。痛ーーー。
1月21日(水)
自動エレベーターのボタンを押す手がふと迷ふ真実ゆきたき階などあらず
富小路 禎子
迷う
おみやげのお菓子を食べた若い女の子が小声で言った。「ビミョー、この味、微妙ですよねえ。」落雁のなかに梅が入っていて、たしかに、微妙。コトバに迷うというより、ほんとはちょっと言うのは憚れるが、どうも、、、、、という、ニュアンスが含まれる、今どきの微妙なコトバだ。「微妙」なところで、迷うこと。今日は、郵便物の重さを量って料金を確かめるとき。デジタルでなくて、アナログの秤なので、針が境界のあたり、微妙な重さのときが困るのだ。どっちにするか判断を迷ったときどうします? という話になって、意見が分かれた。すみません、重い方にしてました。90円にしといたほうが無難だろうと。
1月20日(火)
紙ひとえ思いひとえにゆきちがいたり矢車のめぐる からから
平井 弘 歌集『前線』
「ないないパニック」
捜し物をして、ないないとなったらどうしてもみつからないパニックって、ちょくちょくありませんか。そういうのって、ふっとしたときに、何でもないところから出てくる。お昼休みに 友達が言ってたのは、数えて洗濯機にいれた靴下が干す時にはひとつ足りない話。ないないない、、、でやっとあとで見つかったのは洗濯ばさみとか小物のはいった籠だったとか。で、今日の わたしの大パニックは、紙ひとえで、大騒ぎ、紙隠しの神隠しの巻。別の係のフロアーに行って、コピーより単価の安い輪転機をかけに行ったときのこと。2枚目の原稿を機械の後ろに落としたらしくて、何枚か落ちているのを拾ったのだが、どれも私の落としたものではない。あれ? ないないない、、、ないないない、、、なんで? どこいったん? ないないない、、、え゛ーーーーー、パ、パニック! 初めて使いに初めてやってきた部屋で、なおさら狐につままれたようだった。え、えらいこっちゃ。ないー、、、と一緒に探してもらったけれど、見つからず、???? 、、、、、ここしかないはずやねんけどない、ないない、、、、、、で、やっぱりここ、、、ともういちど、機械の後ろを斜めから覗くと、あったーーーーー!!! 白い壁にひったりへばりついていて、わからなかったのだ。ああん、みごとに隠れてやがった。きぃこちゃーん、またやってもた。あこがれの<慌てず騒がず>は 今年もやっぱり無理みたいですわ。お騒がせしました皆様には 申し訳ないす。おつきあいくださったおやさしい Iさん ありがとうございました。
もうひとつの「矢車のめぐる からから、、、」 どんな話でどこに行ってもどこまでも どうも噛み合わない相手がいるものだわ、平行線ですぶちこさん。
1月19日(月)
研究用の白きマウスを閉じこめし箱積まれおり深夜の駅に
間瀬 喬子 歌集『緋の尾』
西野留美子著『七三一部隊のはなし』を読んだので、この歌を見ても反応してしまった。友達の舅さんが七三一部隊だったとか言っていたので、このタイトルが目に入って手にとったもの。なんにも知らないことばかりだ。なんにも知らずに生きてる。ごめんなさい、、、、ってきぶん。
1月18日(日)
束ねゐる髪の根ふつと緩びたり古鏡のやうな月せり上がり
蒔田さくら子 歌集『截断言』
今朝 5時半頃、もちろんまだ暗い。辰の方角にすごい月を見たのだ。もちろん私はぐうぴい熟睡中だったが、トイレに立った夫が教えてくれた。月齢26の月(花王石鹸と逆向き)なんだけど、その輝きといったら、ぎらりと、ほんとに鏡の反射のように激しいの。驚いたわ。あんなに輝く月は初めてみた。なにしろ、夜明け前で太陽がすぐそこ、その下にいて照らしてるんだあ、って 実にリアルに宇宙を実感することができた。明日も見てみたいけど、起きられないだろうし、たぶん雨だと言ってるし、、、、なかなかチャンスはないかな、、、。
1月17日(土)
地震により倒れし家が夢に顕ち 南無不可思議光 なみだがあふるる
池田 はるみ
今日ダンナのご要望で借りた『ザ・コア』 なんと地震兵器の所為で地球滅亡の危機を招くという話だった。またまた映画は核兵器が地球を救うってんだからなあ・・・・・
1月16日(金)
千五百産み千人殺しし世のつづき 秋空といふはるか澄む水
米川 千嘉子 歌集『たましひに着る服なくて』
<葦原の千五百秋の瑞穂の国>
今日 仕事の書類で見た名前、「千五百さん」というひとがいた。 ちいほちゃん かわいい名だ。 こんな造語でなくてちゃんとした日本語の名前、やっぱり今時ではない、さすがにご高齢の方だった。1500歳ではないけれど。
1月15日(木)
連翹の花にとどろくむなぞこに浄く不断のわが泉あり
山田 あき
連翹の花の季節は まだまだ先だけど、泉のお話。職場の人が <トリビアの泉のへぇ〜ボタン>を探し求めていた。子どもが欲しがっているので、大阪中のマツザカヤ以外のデパートは全部あたって、おもちゃ屋さんも探しまわったけれど、見つからないという。どっかであったら教えてー、と叫んではったのだ。えべっさんのときの出店の当てもんも、何回もやってもとうとう当たらなかったそうな。私は 番組はあんまり見てないけれど、初詣のとき住吉大社で見つけて、へぇ〜ーーーーと思っていたので、気になって 近くのおもちゃやさんを覗いてみたら、一個だけあった。休みを挟んだので、もう見つかったかどうか聞いてからと思って数日 間をおいたら もう売れてしまっていた。よお売れるねんなあ。あんなんで、1900円もするんだ。「子どもはただテレビを見ながらボタン押したいだけなんやけどなあ」、と言いつつ願いをかなえてやりたい親心。ネットでも 画面上でクリックすると へエーって言うボタンがあったりする。大流行なんだ。
年をとるにしたがって、時間の過ぎるスピードが非常に速くなるのは、なぜか。佐藤勝彦理学博士曰く。「生物としての自分が、新たな情報をどの程度獲得したかというのが、時間の流れの速さを決めているように思う。オトナになると個々の情報処理としては非常に素早く処理している。新たに驚いたり、感動したり、ちょっと尊大かもしれないけれど、人間として学ぶ大きなことが、やはり少なくなっていると思う。こどものころは、学ぶことがあまりに多くて、たくさんの情報処理をするので、それが「時間の長さ」を感じさせるのではないか。今は、個々には細かな情報処理をたくさんしているが、人間として学ぶというような大きなものになると、スカスカというか、やはり少なくなっている。そうしたものが、心理的な時間というものを決めているような気がする。こどもの頃は新たな情報を得る能力も高くて、情報処理する能力も高い、とういことが効いている。」 なあるほどねえ。こどものへえ〜は おとなのへえ〜より もっとへえ〜 なんだろね。わたしも もっともっと へえ〜 したい。毎日感動のへえ〜がいいな。こんこんと湧け、わがむなぞこの泉よ。
1月14日(水)
しろがねの匙にて掬ふ月いろの冬シャーベット滑らかならず
小畑 庸子 歌集『梧桐』
朝の出勤時 バケツにはった薄氷のような月がまだあった。
シャーベット食べたいな。そうだ、土曜日つくろうっかな。
1月13日(火)
肉體に滲みくる夜の吹雪の荒れ流砂のごとき白き移動あり
齋藤 史 歌集『うたのゆくへ』
今朝起きると雨が降っていたが 夜が明けきるころには止んだ。ところが、夫が出かけようと自転車置き場に降りた途端にぽつぽつ降り始め、またざんざん降り始め、彼の自転車通勤のほんの15分ほどの間だけ、しっかり大嵐だった。雷は鳴るし、突風に傘の柄まで折れてさんざんな目にあったそうだ。着くとぴたっと止むのだ。いつもいつも雨の神さんに見張られている。寸分違わず彼の動きに合わせて雨が降る。いつもながら誠に見事だ。暮れの旅でもそうだった。旅では たいてい晴れ女の私の力が勝るのかあまり降られることもないのだが、こないだは完敗、負けた。鳥取砂丘。バスを降りるとぱらぱらっと霰が降り始めた。端の方の入り口から砂丘に入って歩き始めると、空が真っ暗になって、風と雨霰が激しくなった。前に進めない、息もできないほどの向かい風。傘を正面に翳して、突撃隊のかっこうで進む。が、あまりの風についに蹲って進めなくなる。打ちつける雨が砂を角のように鋭く立たせて、たちまち地表は 画鋲が蒔かれたようになった。そして、吹きつける霰がころがってゆく。砂紋を白く埋めてゆく。地面とほとんど平行に向かってくる雨霰。す、すごい。砂丘には何度も来たことがあるけれど、こんなのはじめて。「そないたいしたことない。ちゃっちい砂場や。」くらいに思ってなめとりました。たいへん失礼いたしました。お見それいたしました。参りました。ごめんなさい、ごめんなさい、とひたすら詫びるここち。なんかごーっつい広大な砂漠に来てしまった感じでした。すごいすごいじゃない。丘の上はひたすら遠く、海は遠く。とても進めなくなって、撤退〜!! 引き返して、道路まで来ると、これがまたぴたっと止むのです。な、なんやこれ。ずぶぬれずくずくで店に入って、ストーブにあたっていると、なんと陽まで差してくるではないですか。まったく われわれが突撃していた間だけの嵐、吹雪でした。見事じゃのお。そいでまた、餘部でもそうだった。餘部で降りて歩いて居る間、えらい雨で、お昼ご飯を食べに入って居る間は止んで、また出ると降り出した。おまけに餘部鉄橋の真下では バケツでぶっかけられるほどの水を疾駆する車にかけられるし、さんざんだった。 でも、あの体験で、砂丘が好きになった。今夜から明日は吹雪くのだろうな。
1月12日(月)
一枚をひろいて今日をかたちある葉っぱの記憶のなかに収めよ
永田 紅 歌集『北部キャンパスの日々』
この歌、昨日の新聞の「今朝の歌」に載っていた歌なので、ちょっとズルした気分だけど。葉っぱを一枚ひろう、そんな行為はきっと誰もが幾度かやっていることだろう。昔読んだ本の間から 葉っぱが一枚ひらり。三鈷の松がちくり、だったり。なんてことはありがちだね。日記は 毎日その日のなにかをひろっていく。今までに何度も、今年の目標は日記を付けること、と決めて一年やり通したことはないような気がする。そう言えば、10年日記も、いつのまにか忘れてしまって、たぶんもう期限切れくらいだ。でも、ずっと続けていた時期があった。小学校5,6年生のとき、担任の先生が、ずっと読んでくれて、ちょこっとコメントくれたりして、クラスのみんなが続けていた。私の日記帳は「美しい日々」というタイトルがついた、ハードカバーの結構上等な日記をだった。私は その日記を「ビビちゃん」と名付けて 「ビビちゃん」に話しかけるような形態で綴ったりしていた。先生も楽しみにしてくれて、自分も楽しんで続けられていた。その「美しい日々」という日記を おしまいまで書き尽くした時、先生が新しい日記を買ってくださった。当時流行っていた、ラブピースの黄色いかわいいダイアリーを選んで買ってきてくださったのだ。似顔絵を描けば、バカボンのパパそっくりの顔になるだろうなあ、という先生だった、けど、思えば、今の私の育成に大きく関わっている先生なんだな。道徳の時間とか、なにか空き時間ができたとき、その先生は 私に「レ・ミゼラブル」を朗読させた。私は 晩生で体は一番小さかったので、教卓に埋もれるように前に座って読むことを命じられた。放送部で読むことが好きだったけれど、さらに好きになることに先生が一役かっているわけだ。今思えば、たとえば先生二日酔いでしんどいとか、めんどくさいときとか、ネタに困ったときに、読ませていたのかもね、はは。そう言えば、3,4年の時の担任の先生は 道徳の資料を録音テープに吹き込むことを命じた。土曜日の午後、確か菓子パンかなにかを昼食に買ってくださって、教室にあるいは畳の宿直室に先生と二人で籠もる、オープンリールのテープデッキをがっちゃんがっちゃん操作する音が響いていたような記憶。今やってること、わたしの音訳のルーツはここにあったのだ。あの先生は ラジオ体操の手足が逆になったりして、当時すごいおばあさんのような気がしていたが、実はそんなおばあさんではなかったのだ。今はどうなさっているだろう。今はさすがにおばあさんだよな。
チューリップの球根植えつつ連々とわれを育てし人らを思う /華奴
1月11日(日)
約束があって生れて来たような気持ちになって火を吹き起こす
山崎 方代
約束はなんでしたっけ柏手を打って聞いても思い出せない/華奴
さあて、約束は思い出せないので、決めた。今年の目標は 腹筋を鍛えて 腹の脂肪を取る。
1月10日(土)
生きながら針に貫かれし蝶のごと悶えつゝなほ飛ばむとぞする
原 阿佐緒 歌集『涙痕』
今日は歌会だった。今日の資料に引かれた歌。原阿佐緒の写真集も見せてもらった。すごい美貌のひと。きれいな人だ。与謝野晶子より十ほど若いひとで、「男や社会に翻弄されながらも歌に恋に奔放無垢に生きた美貌の歌人」だったそうな。映画にも一本だけ出演したそうな。息子は 映画監督 原千秋、映画俳優 原保美。映画ファンの幸ちゃんはご存じかもね。 この歌、針をはずしてやらなきゃ、とどうしてもこのシーンの残像が残ってしまって困る。はずしましょう。
針千本抜いて銀河へ飛び立たすアサギマダラは千のゆらぎへ /華奴
1月9日(金)
「童貞に抜かせちゃ駄目よシャンパンの栓がシャンデリアを撃ち落とす」
穂村 弘 歌集『ドライ ドライ アイス』
今日は 職場の新年ロッカーパーティ。お酒が入ると豹変するひとがいると聞いたけど、なあんだ、一次会ではみんな紳士淑女のままだった。だれのことかな? 青年がみんなの注目を集める中 スパークリングワインを抜いたそのとき、ちょうど思い出した歌がこれ。彼の真上がちょうど照明灯だった。彼は 期待(?!)を裏切って 実に静かに栓を抜いた。うーん、そっかあ、彼は ああ見えても○○じゃないのか……。いかんいかん、セクハラおばはんだあ。
1月8日(木)
飲食ののちに立つなる空壜のしばしばは遠き泪の如し
葛原 妙子 歌集『葡萄木立』
明日は 資源ゴミの日だ。隔週なので忘れないようにしなくっちゃ、溜まってる。缶麦酒の缶、踏んづけなくちゃ。資源ゴミの日はいつも マンションのゴミ置き場でホームレスのおじさんと、おはようございます、と挨拶を交わす。さ、寒い。明日も風邪ひかんと来てはるかな。
1月7日(水)
夜がもつ紋章のごと月冴えて夫にも親にもわれは属さぬ
新井 貞子 歌集『幻野祭』
お月さんが好き。
1月6日(火)
シュレッダーに私の今日を刻みたる紙さわさわと青みどりなり
足立 瑞穂 歌集『白いものばかり』
大食いのシュレッダーにがんがん食わせた。食うわ、食うわの大食漢。でも、一度にたくさんは飲み込めなくて、すぐに喉をつまらせる。だから 少量ずつ、でも、噛み噛みを休ませないように矢継ぎ早に、がんがん。フォアグラにするために食わせてるあのシーンを思い出す。膨大な量の切り屑、これ再生に使わないのかなあ、もったいなーい。シュレッダーがなかったころは、もしかして、日がな一日 ちぎちぎ、ちぎちぎやってたのかしら。うーん、思えば、事務機器や事務用品は進化して、昔からするとなんちゅう楽になったもんだねえ。書類の準備だって、コピー機自ら、ソートして、パンチまでやってくれるし、両面だって、お任せでじゃんじゃんやってくれるし、エライねえ。なんだって、指一本だもんね。ファイルだって、前からもバックもオッケーよって気前のいい構造。追加ファイルに泣くこともないのね。封筒は締めるだけで、糊もいらないし。文字修正も今は白テープだけど、昔は、刷毛で塗ったり修正ペンをしゃかしゃか振ってたのよねえ。今さら、そんなこと言って、いつの時代のOLかい?! あ、しかし、今の職場は綴り紐も健在で、千枚通しまであるのです。たこ焼きひっくり返すようなアレ。たこ焼きと言えば、今日の月。14.11。帰る方角にぽっかり。
1月5日(月)
蒼穹を幾たびこえる縄とびの少女の脚のリズムくずれず
吉保 佳子 (水甕 2003.4)
今年は 運動不足解消に縄跳びをやるぞ、と決心していた きぃこちゃん。やってますか? わたしも ジョギングのつもりで 近々 夜に走ってってお届けしようと思ってます。おみやげのチョロQ。家まで歩かずに走れるでせうか。ま、無理、だよね。
1月4日(日)
上弦の月にとどかぬかなしみの地に渦巻きて鐘を揺すりぬ
屋嘉 宗彦 (水甕 2003.4)
大晦日 紅白が終わる前に家をでた。除夜の鐘の音に振り向くと、大きな半月。見通しの良い道の先、西の空低く 上弦の月が明るく照っていた。地震や戦争。おおきなかなしみに揺れる彼の地にも月は照るのだろう。
今日は初泳ぎ。明日からは9時5時のバイトが始まって正月も終わりだな。ばたばたの日常が始まる。
1月3日(土)
大空の凧になりたし繋がるる糸にいのちをびんびん張りて
塩山 栄子 歌集『柿明かり』
大和川の河原に凧があがっていた。あー、凧揚げしたいなあー。<いのちをびんびん張って> いいねえ。そうだ。いのちをびんびん張って行こう!!
今日も朝から天気がええ。住吉さんでも行くか。って、またまたー。神さん詣りとめたら罰あたりますよってなー。またまた ちゃりんこツアーで住吉さんに。フィットネススタジオでバイク漕いでるより、やっぱり外を走ってるほうがええっちゅうことで、いつもこうなりますのんや。まあ、住吉さんはちょっとした目標地点ですわ。今日は ちょっと人出もましになってるやろ、と言うてたけど、それでもまだけっこう多いなあ、さすがに、住吉さんや。
1月2日(金)
厨より炭切る音のひびききて潮のごとし新しき年
宮 柊二
<新しき年>とぴしっと身の引き締まるような清々しいあらたまる思い、かつては感じていた記憶はある。恋しいなあ、あの感覚。いつからか感じることができなくなっている。来年は 師走から盛り上げていって感じられるようなシチュエーションを演出して なんかこうぴしっとやりたいなあ。なんやずるずるどこにも区切りがなくて、尚更一年が早く過ぎるような。とりあえず注連飾りや重箱や屠蘇器だとかそれらしく出しても やっぱりもっと意識的に厳粛な気持ちをつくっていかんとあかんのやろうな。儀式的な形をもっときちんと心から大事にするべきだったよなあ。今年の目標その1にしよう。そのときなると またばたばたずるずる、、、、だったりして。
正月2日は 私の実家に行くことになっている。結婚以来ずっとお決まり。夫と父の囲碁の対決の日。巨人ファンの父と阪神ファンの夫の対戦。夫は 今日も終日 頭から湯気を出していた。衰える一方のはずの父にまだ追いつけないでいる。写真は猿と兎の勝負だけど、阪神巨人で虎と兎だし、干支で言えば兎と馬のふたりの勝負なんだな、これ。どうでもええ話や、すんませーん。
1月1日(木)
海じほに注してながるる川水のしづけさに似て年あらたまる
宮 柊二
例年通り、とおに日が上るまで朝寝して、それから、近くに住む夫の両親の家に行って新年を祝う。初詣は 除夜の鐘とともに家を出て杭全神社ですますので 昼からは ごろごろするのが習いなのだが、今年は違った。起きると、まぶしい日が燦々、ええ天気や。「今日は朝から天気がええ。住吉さんでも行くか。」と夫が言う。このセリフは 落語の「住吉籠」 へえ、籠! 屁え嗅ご! の酔っぱらいのセリフ。私はそれも承知の上で「うん、行く行くー。」としっぽをふった。 「えー? ほんまに住吉さん 行くんかー?」と夫。 「なんや、もう またいきなり元旦早々うそつきか。」というわたしのことばが効いたらしい。夫は行く気もないのに、○○行くか、××行こか、と言ってみるのがいつもの癖なのだ。わんこに散歩行こか、散歩行くぞ、と言うておちょくるのと一緒やないか。
ところが今日は 昼から、ほんまに、よし住吉さん行くぞ、とおっしゃる。不用意な一言の責任をとるらしい。ええこころがけや。いやいや、やっぱり住吉さんは 人多すぎやから、変更、高津神社と天満宮から大阪城を廻る。いつもの愛車 ちゃりんこで40キロは走ったでしょう。せやけど 高津さんも天神さんも えらい人やったわ。どちらも並ばねばならず とてもやないけど正面にたどりつけそうにもなくて 遠くからの参拝。みんなすごいな。あんなん並ぶんや、何十分も。高津さんとこ 優雅に整然と並んでるなんかふしぎな光景だった。天神さんとこは 並ぶどころやあれへん おしくらまんじゅう状態。夫は 落語の高津の冨籤の噺が妙にお気に入りで、ねの1365番 あ、あたた、あたた、あ当たったー、、とつぶやきつつ、あやかって当たりますようにとお参りする。本殿は混んでて無理なので、空いてるとこ、と高倉稲荷とかなんやなんでもええからと回りの社に。混んでるとこは 神さんも忙しいから願いもなかなか聞いてくれへんねんて。高倉稲荷も 落語 稲荷車で出てきますな。天神さんとこは 正面で巫女さんが阿国のように舞を舞っているのが、鳥居の外の遠くからでも見えるくらい 華麗なパーフォーマンスのサービス。たいていどこもお神楽は 奥でやってるものだけれど、賽銭取るのにあれだけの人を待たせるからに サービスなんやろかな。ここの巫女さんの仕事は大舞台やわ。しかし、人多い。みんな信心深い?! 落語の初天神みたいに ゆっくりみたらし団子屋のおっちゃん なぶって遊ぶようなこともやってられへん、えらい人で 歩くだけでせいいっぱいや。
街は元旦のしづけさというかんじでもない。車も けっこうたくさん走ってる。なんか昔のお正月のしづまりって ないなあ。店もけっこう開いてるし、人はみんな出たがりになったからやろか。