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華奴の「短歌あの日この日」 バックナンバー
2004年7月
7月 26日(月) (27日〜1日までお休みします)
はめ殺しの窓に映れる千切れ雲 はまつてしまつてゐるのは誰だ
時田 則雄
職場に 若くてきれいな娘が珈琲豆を売りにやって来た。氷を持参で、サービスで三時にアイスコーヒーを淹れてくれる。若くてきれいなればこそ、ついつい 営業の攻めに応じてしまう。僕もあの娘なら応対したい、なんて隣の席の子が羨ましそうに呟く。あまり飲まない珈琲をついつい無理して飲んでしまって、あとから お腹が重たいなんて言ってた。かつて よその係でも はめられたらしい。 「毎月コーヒー豆持って来る っちゅうから その女の子が来ると思って、ほいほい契約したら、持って来るのは男。女の子は 始めだけやで。そういう戦法になってるねん。みんな 始めに来るのは たいてい けっこうかわいい娘や。」 珈琲豆が高いので うちの係では 契約には及ばなかったが。(はまってる 意味が違う?!)
しかし、若くてきれい、って どうしても 男だって女だってこころが弾むのよね。こないだの甲子園、ええとこなしやったけど、前の列に男前の学生がいて、それだけがええとこやった、なんて思ったのでした。息子がいれば、ちょうどこのくらいか、というほどなのにねえ。
7月 25日(日)
中元の時期にてあれば忙しげにクロネコ、ペリカン、カンガルー走る
島本 正齊
今日も暑かった。ちょっと雷と雨が来て、涼しくなったけど。
7月 24日(土)
この夏の蝉の多さよフライパンに肝もなづきも煎るごとく鳴く
藤井 幸子 歌集『落屑』
今日も暑いー。
7月 23日(金)
次々に縦縞がホームベース踏む春あけぼののモノクロの夢
藤井 幸子 歌集『落屑』
今日は 甲子園に行った。しかし 負け。私行ったとき 勝率いいはずやのに。
ほとんど盛り上がらず。9回 もう帰るぞ、というときに、アリアスがソロホームラン
。それくらい。ヤクルトの応援は 五万数千という中のほんのわずか百人くらいの一角にあのビニール傘が揺れていた。阪神は あんだけ応援あって、、、負け。
7月 22日(木)
わがものとならざる世界海の青諸手に掬えば青を失う
木下 憲子 歌集『シュピール』
今日のがっくり。意表をついてままならないこともあるものだ。みんなに都合がよくて合理的な方法なんだから当然受け入れられるものと思っていたら、意外な保守的な反応で肩すかしを食らったようだ。ま、人生 意外性があってこそ おもろいんよね。きっと明日は 思いがけずにいいことがあるのだ〜♪。
7月 21日(水)
わがものとならざる世界海の青諸手に掬えば青を失う
木下 憲子 歌集『シュピール』
今日のがっくり。意表をついてままならないこともあるものだ。みんなに都合がよくて合理的な方法なんだから当然受け入れられるものと思っていたら、意外な保守的な反応で肩すかしを食らったようだ。ま、人生 意外性があってこそ おもろいんよね。きっと明日は 思いがけずにいいことがあるのだ〜♪。
7月 20日(火)
てぶくろのはんたいを言へとくりかへす子を抱えあげさかさにつるす
真中 朋久 歌集『エウラキロン』
乳歯ぬけてドラキュラのごとくなりたるといへば挑みかかり来にけり
両腕にぶらさがる子がちからつきこぼれ落ちゆくまでを揺らしつ
こどもと戯れる様子がいきいきと想像できる。かわいー。
女童の髪を束ねてしかるのちその兄のうしろまへを直したり
父親を奪ひあひゐし幼子が額を合はせて眠り込みにき
まるで 映画のワンシーンのように 歌集にちりばめてあるのだ。市井の生活(たつき)として。こないだ リチャードギアを久々に見たくて
「運命の女」を見たのだが、こどもがダイニングテーブルの下でころがってゲームをやっているシーンから始まって、家庭のなかのこどもの存在というのが こんなふうにいろいろカットされて出てくる。 そして これもこどもとよく遊ぶ作者なればこその歌かな。子ども達とあやとりの下をくぐるような想像が絵本のように浮かび上がって楽しい。
あやとりの手の下をくぐるがごときかな高圧線を仰ぎつつ過ぐ
7月 19日(月)
桃缶に缶切りの刃を入れしときわらわらと子らが寄りて来にけり
真中 朋久 歌集『エウラキロン』
この際 この歌集の子の出てくるかわいい歌シリーズをやってみよう。どれもめっちゃかわいいのに甘くならない詠いっぷりとちりばめ方がいいのよね。
わらわらとって 子のお友達も来てたのかとも思うけど、そうでなくっても わらわらと出てくるってのいいなあ。ごきぶりが出てきたらやだけど。桃の缶詰を開けるシーンって懐かしい。缶詰って 昔と今とまたニュアンスが違うけど、こどもにとって とっても珍しくって一大イベントってかんじで、ふしぎなわくわく感はきっと変わらない。パパが缶詰開けるぞ。この作者は とりたててはしゃぐわけでない何気なさで刃を入れしとき、家の中のどこにいたのか知らないが ちゃんと出てきたぞ、こどもたち。この作者は子どものいる家の空気感というのをよく表現する。
起きいでて仕事する朝に聞こえくる子らが寝床のしりとりのこゑ
子どもらのしりとりのこゑあらうことか「とんび」のあとに「貧乏」が来る
いくらかは熱下がりたるらしき子が暗き部屋に鈴をならしをり
少し離れた位置から見守るというか、つねに子の存在をこころの端に留めながらいる
感じながらいるという詠い方が 単にかわいいというのでなく 人情の機微っちゅうかとても深みが出るんやな。こころにくい。ほんで、そうした感覚がもたらした産物の優れた比喩の歌がこれだろう。
をさなごの泣くこゑがもれてくるほどのやはらかき夜の雨が来てゐる
7月 18日(日)
電球に触れて火傷を負ひにける子の小さき掌を流水にさらす
真中 朋久 歌集『エウラキロン』
みづのちから という一連より。ちっちゃなちっちゃなおてて。ちっちゃなちっちゃな爪のならんだちっちゃなおてて。いかにも幼気なかよわくいとしいおてて。電球で火傷という ちっちゃなおてての悲劇。痛々しい。何を思ったか電球にさわるというのが 何をするやらわからんおちびちゃんの好奇心とかわんぱくぶりとか見えるようで、なんともかわいい。それをなんとも静かに伝える。パパに抱えられて蛇口から迸る水を見つめた記憶は 思い出すことができなくても愛された記憶のひとつとしてしっかり刻まれたろうな。
7月 17日(土)
子がこゑに読むをし聞けばかな多きわが恋歌の下書きなりき
真中 朋久 歌集『エウラキロン』
なんてかわいいの。読めない漢字をとばしたりなんかして、すまし顔で。何読んでるんや、思たら、おおっ、おいおい、なんやなんや、それ! くくっ。笑てまうね。さて どんな歌だったんだろうな。かなを読みはじめてなんでも読みたいお子ちゃまが 手近に短歌を読んじゃうという環境はやっぱりすごいなあ。
まだぱらっと拾い読みながら、この歌集も父としての自画像がちらほらあって、こういうのも私にとっては <私の男前歌>の系統なんだな、という自覚に到った。
お祭りのとき、お隣のご主人がだんじりの梃子方で活躍されているのを、お嬢ちゃんは憧れと尊敬の眼差しで見ていた。「おとうさん、かっこいいねえ」って声をかけると、はにかみながらも とっても誇らしげに頷いた。お嬢ちゃんは 休憩のとき お父さんとお母さんが仲良くしてるのは 嬉しいんだけど お母さんにちょっとジェラシー みたいな。 一階下のお嬢ちゃんも「パパ大好きっ子」で パパにくっついて見てた。一階上のボクちゃんはママとくっついて見てて、パパはちょっと離れてたけど。マンションには まだちびっこがいっぱいいる。なにしろ、私は つい ちびっこのいるパパさん という男に注目してしまう癖があるらしいんだなあ。
ついにわがものにならざりしいきものよ子を持つ父という男前 /華奴
7月 16日(金)
子がこゑに読むをし聞けばかな多きわが恋歌の下書きなりき
真中 朋久 歌集『エウラキロン』
なんてかわいいの。読めない漢字をとばしたりなんかして、すまし顔で。何読んでるんや、思たら、おおっ、おいおい、なんやなんや、それ! くくっ。笑てまうね。さて どんな歌だったんだろうな。かなを読みはじめてなんでも読みたいお子ちゃまが 手近に短歌を読んじゃうという環境はやっぱりすごいなあ。
まだぱらっと拾い読みながら、この歌集も父としての自画像がちらほらあって、こういうのも私にとっては <私の男前歌>の系統なんだな、という自覚に到った。
お祭りのとき、お隣のご主人がだんじりの梃子方で活躍されているのを、お嬢ちゃんは憧れと尊敬の眼差しで見ていた。「おとうさん、かっこいいねえ」って声をかけると、はにかみながらも とっても誇らしげに頷いた。お嬢ちゃんは 休憩のとき お父さんとお母さんが仲良くしてるのは 嬉しいんだけど お母さんにちょっとジェラシー みたいな。 一階下のお嬢ちゃんも「パパ大好きっ子」で パパにくっついて見てた。一階上のボクちゃんはママとくっついて見てて、パパはちょっと離れてたけど。マンションには まだちびっこがいっぱいいる。なにしろ、私は つい ちびっこのいるパパさん という男に注目してしまう癖があるらしいんだなあ。
ついにわがものにならざりしいきものよ子を持つ父という男前 /華奴
7月 15日(木)
不器用で間が悪いからリュックさえチャックが絡みビクともしない
徳岡 攻
今月の歌会で 自画像を詠う、だもんで、自画像が気になる。親しみが湧いちゃいますね、この方。
7月 14日(水)
どの年といふこともなき夏祭り直ぐ立つ藺草、見たかと思ふ
岡井 隆
祭りは 今日終わりました。 だんじり騒ぎは 昨日で終わり。夜中の2時にうちの前を通って帰って行くのも、ぱっと反応して目を覚ました。われながら、すっきゃなー。御輿も 今日宮入してもた。あとの祭り。御神輿しゃんしゃんきらきら よいよいしてもらうの見ると なんでこんなに嬉しいんやろうな。
7月 11日(日)
青空を滑空したりつややかに背をひらかせて遊ぶ水馬
本渡 真木子 (水甕 2004.7)
あ゛ー 暑いー。だもんで、水の涼やかな歌を。 というか、歌会のお題が水だもんで、水が気になるっちゅうわけです。 あめんぼ こないだジャカランダのあるお寺で見ました。 馬と言えば、今日 ちらっと見た競馬中継で、オジャマシマス なんて名前のお馬さんがいててんでえ。さて、わたしは ジョーバに乗らなくっちゃ。
7月 10日(土)
蝸牛・蛙・亀ら一滴の水あらば画帖をゆるり抜け出でむとす
石毛 田鶴子 (水甕 2004.7)
あ゛ー 暑いー。だもんで、水の涼やかな歌を。 というか、歌会のお題が水だもんで、水が気になるっちゅうわけです。水墨画であろうその絵の生き生きした様。
「描かれた蝸牛や蛙が一滴の水に抜け出て来るだろう」なんてすごい!
7月 9日(金)
伏流水胸うつはやさに噴き上がる川底うぐいの翳のたまゆら
沖松 高子 (水甕 2004.7)
あ゛ー 暑いー。だもんで、水の涼やかな歌を。 というか、歌会のお題が水だもんで、水が気になるっちゅうわけです。透明感、清涼感。あー、清水にふれたーい。
7月 8日(水)
目ばかりの蛙が天を仰ぎつつ祈りのごとき生殖おはる
大山 節子(水甕 2004.7)
昨夜は100歳の方のお通夜。近くのメモリアルホールに行く途中 突如 別世界出現。ほんのちょこっとした田圃があって、そこだけ蛙がげこげこ鳴いているのだ。こんな市内の一隅でも、壮大な天地の理がしっかりあって、蛙さんたちのこんな営みがあったのよねえ。げこげこ。
7月 6日(火)
プロ野球試合経過をパソコンの画面で見てはチマチマ喜ぶ
小林 真由美(水甕 2004.7)
彼女は きっと阪神が気になるのだ、今日もチマチマ喜んでいるに違いない。
7月 5日(月)
一時を墓前にありて去りがたく帰らんとして花に手を触る
松永 康男 (水甕 2004.7)
こないだ こんなお墓の話を聞いた。フクロモモンガのお墓。ハムスターを買いに行った奥さんがペットショップで出会ったのは お目目の真っ黒くりくりのフクロモモンガ。一目でフクロモモンガの虜になった奥さん、フクロモモンガの番を買って帰りました。それから、モモンガは モモちゃん、ンガちゃんと名付けられ可愛がられ幸せな毎日を送り、次々と子孫も残してこの世を去りました。なんと14匹。桃太郎、モモジロウ、、、、といろいろ名前をつけたけどもう終いにはどれがどれやらわけわからんなったそうな。今はもうみんなこの世を去りました。親父さんのお墓の近くに ペット用の墓地があって、彼らのお墓がちゃんとあるそうで、墓石にはちゃんと、フクロモモンガ モモ、ンガ、桃太郎、モモジロウ、、、、とか名前が彫ってあるそうです。「親父も モモンガのこと好きやったから喜んどるやろ。向こうで、モモンガと遊んどるわ。」
「じゃあ、お父さんのお墓詣りのときには、ちゃんと、モモンガのお墓詣りもするんやね。」と言うと、
「いや、モモンガの墓詣りのついでに親父の墓に行くんや。」
なあんて、ええ落ちつけてくれはりましたが、ま、ほんまは去りがたい親父さんのお墓から、さ、ほな、モモちゃんとこ行こか、ときっしょがついて ヨロシイなあ。なんかこう、彼岸此岸が明るく繋がっているようで とてもいいシーンだなあと思うのであります。
7月 4日(日)
真白に染め抜かれたる紋付きの羽織さらりと落語家は脱ぐ
吉川 弘太郎 (水甕 2004.7)
あ、しもた、今日は 近所のお寺で 桂文枝一門の四季寄席 ”ゆかた”があったのだった。浴衣か着物 着て行こう、思ってたのに、忘れてた。文枝も来たのになあ。古着だけどきれいな麻の着物を見つけたんで着ようと思ってたのに。
羽織の脱ぎ方の一番かっこいいのは 春団治。なんともみごとにしゅるっと。あれって やっぱり練習するんやろうなあ。もさもさーっと やってたらみっともないもんなあ。
7月 3日(土)
入江深く漂着したるポリ容器の背負う藍いろ文字はハングル
小畑 庸子 (水甕 2004.7)
昨日、仕事は休んでおきながら、昼に義父さんと飲んだ酔いの醒めたころ夕暮れにのこのこ出かけて行き、打ち上げに参加、鶴橋の焼き肉屋へ。
従業員が韓国人で、カタコトのニホンゴをしゃべっていると、なんだかホンマモンの焼き肉屋ってかんじで、
よさそうな気がしてしまう、そこが味噌でもあろう。どこも韓国人らしき若者がいる。実は、ほんまは、日本人の学生が カタコトニホンゴを練習してたりなんかしーて。
拉致被害者の子女達も きっと日本語を少しずつ話し始めているのだろう。日本海の海岸を歩いていると、その流れ着いたゴミはハングルがいっぱい。密入国不審者に注意の看板があったり、どうしても小暗い怖ろしいものを感じたものだが、この歌の<背負う藍いろ>は いろいろなことを思わせる。日本と半島の間の深い藍色の海。彼らの過去と未来に背負うものの大きさ。
7月 2日(金)
手巻きせし煙草一本吸ひたりし父の記憶はなべて戦の日
山田 きみ江 (水甕 2004.7)
今日は 義父と病院デート。昼餉に入った店には坪庭がある。オープン当時より木や灯籠の石もだいぶ庭に馴染んできたようだ。おもしろい植木鉢があった。剽軽な顔の鉢に、芝草のような緑がひょいひょい生えていて、ちょうど、河童のように見えるのだ。ねえねえ、義父さん、おもしろい鉢あるよ、あれ、見える? あの椰子の実の鉢の向こう、 と お義父はんにふると、おとうはんの目は 河童鉢に到達するまでに、椰子の実の方に奪われてしまった。そして、ビルマで椰子の実のジュースを飲んだ話を始めた。捕虜になる前のこと。ショウアイだかなんだかいう小柄な現地の人に十銭を渡して、椰子の実を採って来てもらって、その腰の鉈で割ってもらう。今、飲んでみたい? と聞くと、いやあ、そんな旨いもんでもなかったわ、と。
7月 1日(木)
五月の陽しんと通れるぶな(木ヘンに無)の森抜くれば馬場に馬眠りをり
砂田 暁子 (つるばら十号)
五月のぶなの森 とうとう 今年は 行ってないぞお、恋しい。