どうしてまたわたしが短歌始めることになったのか。
それは、キーパーソン「鈴木稔さん」、キーワード 「郡山城址」だったのです。
私は 東住吉区の早川福祉会館というところで、視覚障害者向けの
テープ図書の作成や対面朗読ということをしています。その対面朗読で 鈴木稔さんに
お会いしたことがそもそもの始まりなのです。
鈴木さんは 戦争で失明されましたが、ずっと短歌を詠み続けてこられた方で、
昭和 年には歌会始めの選に入り、宮中に召されたこともある方です。
その時の歌は
義足の音今朝も工場に響かせて少年工がひとり水撒く
新聞歌壇でも ご活躍されました。
自分では読もうとは思ってもみなかった本と出会うのが、対面朗読、音訳活動の
役得なのです。
近代短歌も現代短歌もまるで縁のなかった私にとって、短歌はとても新鮮でした。
鈴木さんは お会いする度に「短歌はいいですよ、水野さんもやってみませんか」と
短歌のすばらしさを熱く語って勧めてくださるのです。
鈴木さんの穏やかでやさしい風貌(しかも男前)と語りにすっかり魅せられて
こちらがご依頼のものをお読みするよりもほとんど鈴木さんのお話に聞き入っていた
ものでした。鈴木さんは そうやって短歌の布教活動をなさっていたのです。
で、ある日、「吟行会に行きませんか」と誘ってくださいました。
その行き先が 郡山城址であったのが おおきなポイントなのです。
大阪城や、姫路城、伏見城、岸和田城、どれであっても
きっと行かなかったでしょう。
なつかしの母校の校歌に唄った冠山城頭影高く…あまりのなつかしさと
そんなところで「吟行会」などという不可思議さに興味をそそられ、また
あまり熱心にお誘い下さるのとで ついに参加と相成りました。
なにもわからないものだから 即詠の吟行会だろうと コワイモノなし。
食後に歌を作る時間が設けられていて、それぞれが押し黙って孤の世界に入り、
思い思いの場所で決められた時間内に歌を作る。久々に緊張感のある、どきどきの時間を
過ごしたのです。
短歌をやっている人達、ってどんなんや…とちょっとびびっていたのですが、
みなさんとても気さくな方ばかりで、安心しました。
トクに 選者の先生。ここが 大きな分かれ道。だって、先生が コワイヒトやったら
絶対二度と行ってないし、この先生だったから 私は短歌にハマル道へと
進んだのでした。
水甕の選者でもある藤川先生は 大和郡山市在住。
で、息子さんが3年後輩の同窓生。
先生の出身校は与謝野晶子と一緒で 私の兄と一緒。
先生のご主人の出身校は 私のダンナと一緒。妙な高校つながりがあるのです。
(こういうことって、たいした意味なくてもなんか嬉しかったりする)
藤川先生が 郡山の三の丸会館で 歌会をもたれているので、これまたなつかしの
三の丸に行こうと 参加するようになったのです。
二十数年前のあほがきは りっぱに更正してまじめに短歌なんぞをしに
三の丸に行っておりまあす。