水甕社内評 同人欄の短歌を読む (水甕2004年9月号に掲載)


       ○銀鈴集 夏目雅代さんの作品より
・鎧坂下りて露地の突当り明治明るむごとく井戸あり
 ・豆絞りの手拭掛かるポンプよりしたたる細き時間を掬ふ
樋口一葉が顔を洗ったであろうという井戸。細く小暗い露地の向こうに日の射すひとところがあり、そこに井戸が見える。明治明るむごとく、という表現に魅了される。ぱっと眼前にありありと 明治という時代の確かな生き証人のような井戸が現れた、その存在感が端的な表現に集約された。知らないはずの明治、なのに懐かしさに胸をつかれるようでもある。フィルター代わりの手拭いだろうか。豆絞りの染め柄という具体がチャームポイントとなっている。つーっと細くつたって、そして雫と滴る。明治の井戸と時間空間を共にして見つめる時間。現在の作者はほんの少し掬ってみたのだという。現在に細く繋がるなにかをじっと探りあてようとしているようだ。

・したたかに一葉顔を洗ひけむ井戸の根方に黄の花咲けり
 ・鈍行といふなまぬるき揺れの間に木蓮を過ぎ金雀枝も過ぐ    夏目 雅代
「したたかに」「なまぬるき」この主観の一語が芯になり、「私性」の強い写生歌になっていておもしろい。よく邪魔者扱いされる主観の語も使い方次第らしい。主観の語が活きる歌のスタイルだと思う。一行随想録。

・ひもじさのきりきり尖る靴先に早稲田通りの春の雨降る
 若い娘の履くパンプスで凶器のように尖ったデザインのものをよく見かける。細い靴に押し込められた爪先。そんな靴を思い起こした。その極端さが なにかに餓えたようなきりきり尖った精神の有り様を思わせる。猟奇的な渇き。そこに降る細いやわらかい春の雨。きっと針が光るような雨。危険な切っ先なのか、柔く痛々しい小動物なのか、きらきらしているばかりで判別しがたい若い娘のさまを描いて、冷たく薄ら寒くもある。

         ○一炬集より
歌合風に歌を並べて歌の成り立ちのようなものを探ってみる。

・草叢にかぼちゃ一つが転がりぬ馬車の役目を解かれしごとく   平山 澄恵
・巻き堅きキャベツ両手にさげて登る坂の夕陽におぼるるごとく  京元 公子
野菜対決。個性的な写生的切り取りからの一首。無造作に捨て置かれたようでもあるのに、そのかぼちゃの存在感を童話の世界に置いておもしろく伝える。一方キャベツをさげて歩く日常の一齣から。ずっしりとして手に食い込むような重みに、なかなか浮上できずにあっぷあっぷ。夕陽におぼるるごとくとユーモラスに実景を伝える。

・目ばかりの蛙が天を仰ぎつつ祈りのごとき生殖おはる      大山 節子
・祈ること少なくなりし手を揃え梅干し用の紫蘇を揉みおり    上川原紀人
祈り対決。小さな世界を見つめて 一行に壮大な天地の理をはらませた写生歌。一方は日常を選んで描かれた自画像。祈るように、ではなく、祈ること少なくなりしと言うことで、多くのこと思わせる巧みさが陳腐な報告詠にさせないところらしい。

・女郎蜘蛛は身を食み終えて白蝶の羽ひらひらと宙に降らせり   北山 泰子
・つと逢魔が刻の囚へし老蝶があつけなく翅折れて土に平たき   山下 富美
これも蝶の最期を見つめた写生。

        ○間歩集、三径集より
・薄ら毛のわれのかうべによく似たる早春の丘車窓に続く     大家 勤
・大空を掴んだような気になって大あくびしているあほな吾    長谷川康子
どちらも自画像をユーモラスに描いた。そよそよと車窓の風に薄ら毛もゆらいでいるか。 やわらかな春の丘を自己犠牲のもとに(?) 巧く描いた。春は眠い。大あくびをおおらかに詠いあげた。「あほな吾」は投げ出してしまったようでもあって賛否両論ありそうだが。

・黄砂降り牛糞の山に餌を漁る鶫よろぼう程の風吹く     筒井 孝子
・山ざくらよんべの風にあおられてみどりの苔に点々と白   日置 京子
どんな風が吹いているかという具体がとてもおもしろい。鶫のよろける場所というのがまた危うい。見えない風が見える。その具体の選択に個性が出るのだろう。よんべの風という言い回しとかな表記が歌を引き立てた。

・缶ビールのプルタブ引けば溢れ出づ君と僕との昔の恋が    桑原安之助
・光りつつ二本の棒が絡み合ひ編む襟巻きはきみ絞めるため   田中真砂子
軽やかに君との恋を懐かしむ。ライトヴァース風な詠いっぷりになおさら男の純情さが増すようだ。対する一方の女のシニカルさには笑ってしまう。

・体操服の少女ら集いて待つごとし木蓮の白いっせいに咲く   谷 幸
・雪の白さに木蓮は地に散り敷きて死者蘇る春を寒くす     長 あき子
木蓮の咲いた白と散った白。少女の直喩が 素直に明るく響く。散った木蓮の下の句は理屈で出来たようでいて、詩的に納得させられるフレーズになっている。

次埋草に好きな歌。

・ひらひらと手を振ることの淋しさの其処此処にありて春を深むる  規工川カホリ
・りんごの木の剪定終えし老人が雪山に向かい深く礼する      藤本 則子

        ○俊英集、作品集より
・蝸牛・蛙・亀ら一滴の水あらば画帖をゆるり抜け出でむとす    石毛田鶴子
 ・青空を滑空したりつややかに背をひらかせて遊ぶ水馬       本渡真木子
水墨画であろうその絵の生き生きした様を 「描かれた蝸牛や蛙が一滴の水に抜け出て来るだろう」と言う。「ゆるり抜け出す」という表現が個別的直感的感覚を確かに手渡す。水馬はじっと観察することで紡ぎだされたものと思われる。ひとつひとつのことばが響きあってまた新たな世界が構築されるような作りだと思う。空を映す水面を飛んでいる発見だけではなく、さらに言葉によってたわいない眼前の事実以上に詩的世界が広げられた。

・袋裂け中より飛び出す聖護院ワッハワッハと坂転げゆく     小中 田鶴
・滑り落ちる屋根よりの雪まだ溶けず誰も来ぬ日はとろおり淋し  内田 ヨシ子
聖護院大根が転がったという出来事をきっかけに、こんなに愉快に楽しく詠いあげた。 雪が滑り落ちる音に淋しさも歌も触発された。 「とろおり」がキーワードである。

・蚊帳吊りて確かに亡妻は寝てゐたり炬燵に覚めてあたり見回す   井村十四秋
・ひたひたと亡夫が恋わるる玉くしげ二上山の遠く霧らえば     松本 不二子
恋うとは語らずして、語る思慕。しんみりせつない。蚊帳、炬燵という具体的な小物が利いている。また、恋うと言う方の歌は、二上山の景を巧く添わせている。玉くしげの枕詞も大切な思い出をしまっている箱を思わせてことばの連なりが魅力的な歌である。


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