私の娘は、桜の季節に産まれました。予定日より2ヶ月以上も早い、
妊娠8ヶ月での早産でした。出産直後はじめて対面した娘は、産声
をあげず、呼吸も出来ず、体重が1,500gを満たない、すぐに消えて
しまいそうな小さな存在でした。その時、私は「ちゃんと産んであげら
れなくてごめんな」という気持ちでいっぱいで、溢れる涙がおさえられず、分娩台の上で子供のように、うゎんうゎんと泣き続けました。
娘はすぐに新生児集中治療室(NICU)に運ばれ、人工呼吸器に繋が
れ、何とかイノチを保っていました。その後、自分で呼吸をするように
なったのですが、まだまだ完全ではなく、人工呼吸器から離れることが
出来ませんでした。娘と同じくらい小さく生まれた赤ちゃんたちは、すぐ
に人工呼吸器をはずせるのに...何で?そう疑問に思い始めた頃、
医師より娘の病状について話がありました。なんらかのショックで脳に大きなダメージを受けていること。そのため唾を飲み込んだり、乳首に
吸いつくという原始的な(人間が生きていく上で最低限必要な)反射が
失われているということ。そして今後も、その反射が出る可能性は極め
て低いということ...など、とても丁寧に冷静に話してくれました。でも 私の頭の中はパニックでした。「脳にダメージ?それって障害児ってこ
と?そんなん嘘や。嘘やろ?いやや。ぜったい、いや!信じへん!」
子供が障害をもってしまったことではなく、障害児をもってしまった私が
かわいそうでした。障害児を育てなくてはいけないことがイヤでした。
自分の人生が滅茶苦茶に壊されそうで、とても恐ろしかったのです。
「この子さえいなければ、こんなに苦しまなくてもいいのに...」 そんなことまでも考えていました。もう自分の事でいっぱいいっぱいでした。
そして「なんで私だけ、こんなに辛い思いをせなあかんの?」という強い
怒りがこみあげてきました。NICUにいる元気そうな赤ちゃんに嫉妬の
ような感情を抱くようにもなりました。私の心はグチャグチャで、どうにも
なりませんでした。
ちょうどその頃、いつものようにNICUで面会をしている時に、娘が痰を喉につまらせて死にかけたのです(そんな事、NICUでは日常茶飯事
だったのかも知れませんが)。どんどん青白くなっていく娘の顔を見て、
「死んだらあかん!絶対あかん!」 私はショックで泣き叫んでいました。
娘が息を吹き返した時、私はホッとすると同時に、この娘が自分にとっ
て本当にかけがえのない存在だと(やっと)気がついたのです。こんな
情けない母親なのに、この娘は一生懸命生きようとしている。この娘と
一緒に生きていこうと、その時はじめて思えたのです。「一緒に生きて
行かなしゃあないな。」 という”あきらめ”に似た気持ちだったのかも
知れません。
その後、順調に大きくなり、呼吸も安定したので、誕生から丸1年経っ
た次の桜の季節に家に帰ることができました。重い障害は相変わらず
ですが、温かい家族やたくさんの出会いの中で、娘はすくすくと育って
います。あの苦しんだ時期には二度と戻りたくありませんが、でもあの
時期があったからこそ、今こうして楽しく暮らしていけるんだと思います。
今は心の底から「よくぞ私のところに来てくれた!」と思っています。
もうすぐ、また桜の季節が廻ってきます。今年も、とびっきりキレイな
桜を見に行こうと思っています。いつも私の傍で、精一杯生きてくれて
いるこの娘を連れて。