届かなかった手紙


 <たか・みち>氏のお歌

9月のある日 わたしは2通の手紙を書きました。 ひとつは 『詩とメルヘン』に たか・みち というペンネームで登場する 歌人の森たかみち氏へ宛てたものでした。 私が私淑する、某魔女姐さまの叔父にあたるということで、紹介してもらったのでした。 (静岡の魔女でなくて、大阪の魔女なんです。どういうわけか、魔女にヨワイ華奴でやんす) それというのも 垂玉温泉の古い宿から 魔女に絵はがきを出したことがきっかけでした。 ひょんなことから 素敵な歌に出逢うことになったのです。

与謝野鉄幹と、北原白秋、吉井勇、木下杢太郎、平野万里らが 『五人の靴』の旅をした時に泊まった宿やねんで。 彼らも入った滝の下の露天風呂で混浴体験したどー。……と。 平成13年11月11日 前登志夫氏も来られたようで 色紙が飾ってあるどー。
「かなしみは明るさゆえにきたりけり一本の樹の翳らひにけり」

それで 魔女は<白秋、雨情に師事し、前登志夫氏とは旧知の仲という叔父さま>のことを 教えてくれたのです。「赤い鳥」に<森ほたる>の名で登場。 その<たか・みち>氏の歌 なんとも ええよお。 なんとも おだやかな心もちのお歌にすっかり参ってしまいました。 ちょっぴり さみしい せつないんだけど…。 自己陶酔でない 溺れないペーソス、というか…。 ほんでまた ほのぼのとしたイラストとぴったりやねん。 『詩とメルヘン』掲載のものを少しご紹介。 

青空を 雲が流れて 行くように 私もゆっくり 動いて行こう

降り出した 雨がぽつんと 眼を濡らす 泣けばいいよと 言ってるみたい

笹の葉は さわいでるつもり だろうけど ゆれてるだけで 山は静かだ

おだやかな お人柄など 言われたら 「ほんまかいな」と 鏡見なおす

勝ったけど 土俵の向こうへ 転げ落ちた 力士の足が バンザイをする

子どもらが 靴ごと上がった 公園の ベンチをハンカチで 払って掛ける

一人ひとり 力かぎりの 大相撲を あられ食べたべ 見ている私

輝いて 沈んで行く陽を まっすぐに 見ている私も 輝いている

靴の中に ちいさいこおろぎ 入ってて ここまで秋が しのび込んでた

山に来て 声いっぱいに 唄うのに 今日は落ち葉と 黙っていたい

今朝の夢 犬が「こんにちは」と言った 小さい声を いちんち思う

山みちの 芒がならんで おじぎして 私のお通り おむかえしてる

山小屋の 帽子忘れて 取りに戻る 帽子はベンチに 黙って待ってた

枯枝に 頭ぶつけて 痛かった はげしい音は 木が折れた音


 届かなかった手紙

そして もう1通は 闘病中の友人宛でした。  もうほんとうに重篤な末期癌で、手紙と言っても  もうきっと彼女が見ることもないだろうと思うとどんなことばも浮かばず、 ただのメモのようなものですが。 渡せなかった彼女の写真を娘さんにさしあげたかったので、 それだけ送っておこうと思ったのでした。なんとも奇妙な感覚で 書いた手紙でした。

その夜メールを開けると その彼女の訃報が届いていました。 私が ちょうどその手紙を書いていた頃に 彼女はこの世を去ったのです。 51歳でした。

水甕12月号に 彼女の最後の歌が載りました。名前には 黒々と傍線が引かれて。

八月              田中昌子

八月の鳥は何匹とびました葉桜毛虫をたっぷりたべて

モスラだよ信じて箱に入れてもつ可愛かったね水色の蛾です

ケリケリと育つ子かばいて騒ぐ親田んぼの中の鳧という鳥

馴れたのか毎朝窓辺で呼びかけるカラスの親分貫禄あるね

代筆を頼めた歌友に感謝する最後の歌です十二月号です

彼女の最後のさいごの歌は 歌友への感謝の歌でした。
手紙を出して1週間後、それは転居先不明で私のもとへ戻ってきました。  極限の病状でぎりぎりまで身辺の整理をし、最後の入院の前に居を移された とは聞いてはいたけれど……転送依頼の届けをしなかったのは あるいは 意図的な彼女の意志だったのかもしれない。見事な最期でした。

 会うということ

そして、また後日、森たかみち氏の娘さんから手紙が届きました。 父 森たかみちは 曇り空の昼下がり雲より遠くへ還りました、と。 あの日私は 終日 もうこの世にいない人に手紙を書いていたのです。 彼女の訃報を知ったときに、ふと <たか・みち>氏も、、もしやすでに、 まさか、、、と93歳というご高齢を思ってよからぬことが過ぎりましたが、まさか まさか、ほんとうに あの世のお方になっていらっしゃったとは、、、、。

ああ、なんでもっとはように出さんかったんやろう、と、、、悔やまれした。 なんでも タイミング逃したらあかんわねえ。 教えてもらったときに すぐ出してたら お会いすることも適うたかもしれんのにな あ。あああー 。まいったなー。 今回のことで、もう ほんまに 思い知らされました。

会いたい人には 会っとかなあかん。 そのうちそのうち 思てたら あっちゅうまやもんね。 年賀状で今年は今年はと言いつつ 何年もそのまま、とか。 それは 高齢にかぎらんもんね。 近いうちに 会いましょうね。

それから 人と出会う ってことは 有り難いことやねんなあ。 有り難い。 ほんまに uneasy to meat であって、 そう簡単に出逢えるもんやないんや。 <たか・みち>氏に会えなかったのは わたしの怠慢も理由のひとつやろうけど、 今生でのご縁がなかった。会えそうで 会えなかった… そう思うと、日々会って ことばを交わす誰彼も、 なんでもないことやと思てるけど、すごいことなんやろな、と思える。 今この世にたくさんいる人のなかで、「あなた」と会えたのですね、と。 ほんまに 一期一会と大事にしたい気にもなるわ。

それから <たか・みち>氏とは この世でお会いすることも、 手紙すらもなんら交流することはできなかったけれど、 <たか・みち>氏の作品で、私の方は 一方的ながら  お会いすることができたのだから、短歌 というものの 持つ力をあらためて思います。たくさんの出逢いを潜ませているのです。 <たか・みち>氏の 残された作品を通して これからも もっと近づいて会うことも可能なわけなのですからね。 短歌のふしぎな力を思います。 なんらかの作品というものは そうしたものだけれど、 短歌って とくに身近にその「人」を感じますもんね。

私は ある出逢いから短歌を始めることになったのですが、 そこからまた ほんとうに多くの素敵な出逢いにめぐまれました。 これからも たくさん素敵なものに会うのだ!!

会ふといふ愛しきものを草に会ふ書に会ふまして人にし会ふは /  宮 英子

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