便利屋日記 

 日頃感じた事を勝手に記してみました。便利屋の仕事との関係は必ずしもない場合もあります。

2007年10月・・・将棋対局
 私の趣味らしいものと言えば将棋がある。毎年、春と秋に交互に訪問して対局する相手、Mさんがいる。先日、秋の対局を楽しんだ。Mさんは私の先輩で、以前勤務していた会社に入社した時、配属先の上司であった。両方とも退職した後も将棋対局を通じて交流がある。幅の広い方で、囲碁の相手もいるとのこと。音楽の趣味が深く、以前は合唱団にも所属しておられ、私たち夫婦は何回かコンサートに招待された。私たちの教会での岸先生のコンサートにも来て頂いた。数年前に膵臓がんを患われ、一年程対局を休会したことがあるが、今は以前とあまり変りなく元気である。勝負へのこだわりも相当なものである。今回、私は四間飛車にこだわった。Mさんは前半でかなりリードしながら相手をし過ぎて、後半私に逆転された場面では、かなり悔しそうであった。
 対局に夢中になっていると、時間の経つのが速く、すぐ昼食である。近くの「そば屋」でおいしく食べながら、家族で「ディズニーシー」へ行かれた話しを伺った。「あそこは子供より大人向けだよ。ホテルオークラに一泊すると、ゆっくりできるよ。」家内と行って見ようかなという気になった。退職後、翻訳の仕事をしながら、悠々自適の生活を送っておられる様子が伺える。ご自分の体調やご家族の心配事もあると思うが、それはそれとしてマイペースで歩まれている。お手本にできれば良いなあと思う。
写真は昨年5月の対局風景。場所はMさん宅。
 

2006年8月・・・太陽光発電の実際
 その後どうなったか報告します。照明は予定通りAC100Vの蛍光灯に取り替えた。DC12VからAC100Vに変換するためにインバーターを追加した。オークションで安物の矩形波出力の物(300W)を3,000円で購入した。その為、蛍光灯は古いタイプのグロー方式である。インバーター方式の蛍光灯は点灯しないので注意が必要である。
 それでは実際にどの程度発電するのか、一番気になる事であるが、探してもその結果はあまり記されていない。そこで、参考の為に以下にまとめてみた。ソーラーパネルはシャープ製のND-153AR(150W)、仰角60度で方角は南東である。
  日付  天候    発電量         最大電力
  2/25 晴れ    28.2Ah 338.4Wh
  3/4  晴れ     30Ah  360Wh     100W
  3/11 晴れ    34.6Ah 415.2Wh
  4/15 晴れ    30Ah  360Wh
  6/10 曇り    21.3Ah 255.6Wh
  6/17 曇り    21.2Ah 254.4Wh
  7/15 晴れ後雨  22.8Ah 273.6Wh
  8/5  晴れ    40Ah  480Wh      95W

 

2006年2月・・・太陽光発電に挑戦
 作業場兼倉庫にまだ電気を引いていないので、今はやりの太陽光発電でまかなおうと試みた。必要なのは照明が殆どなので、東電とは関係なく、独立したシステムで構成した。つまり、ソーラーパネル(太陽電池)、ソーラーコントローラー(太陽電池充放電制御器)、バッテリー(12V,105Ah)、照明器具を用意した。殆どの物をインターネットショップやオークションで購入できた。ソーラーパネルはシャープ製のND-153AR(60,900円)、コントローラーは未来舎のPV-1212D1(14,175円)、バッテリーはACDelcoのM27MF(12,075円)である。ケーブルも含め照明器具を除いてほぼ10万円で揃えることができた。照明器具は12V、つまり車用の物にしようと考えたが、これがコスト高なのである。省エネを考えて、発光ダイオードの照明も考えたが、暗くて使えそうにないし、コスト高なのである。インバーターで100Vにすると、その分効率が悪くなると思ったが、12V配線のロスや照明器具のコストを考えると100Vにして、照明をつける方がよさそうである。今は12Vのハロゲンランプを点けているが、やがて100V照明に変えようと思っている。
  

   ソーラーパネル          ソーラーコントローラー         バッテリー

2006年1月・・・トイレの詰り
 寒い日の朝、トイレが詰まったので、何とかして欲しいとの電話があった。お宅を尋ねて問題のトイレに案内されると、ラバーカップが便器に置いてあった。詰りを取ろうと奮闘したけれど果たすことができず、呼ばれたのかなと思った。とするとてこずるかも知れない。外に出て、下水のますの蓋を取ると、汚水が一杯溜まっているではないか。原因は木の根が下水管をふさいでいるからと判明。夏にはよくあることだが、冬では珍しい。根を切り取り、溜まった汚物を流し、汚水の通りを良くして、作業完了。今回は寒いながらも、割合楽であった。下水路の詰まっている場所が中々判らず、下水を長くたどって、汚物まみれになって、やっと見つかったこともある。また、便器に携帯電話が落ちて、それが詰まり、何とかして欲しいと頼まれたことがあるが、それは期待に応えられなかった。ラバーカップを使って、押したり引いたりいくらやっても、携帯は出てこなかった。後から伺ったが、結局、水道屋さんに頼んで、便器を外し、携帯を取り出すことができたそうである。
2005年12月・・・混合栓の交換
 朝、メールをチェックしていたら、「台所の水が止まらないので何とかして欲しい。」と同じ団地に住む方から電話があった。水漏れかと思ったが話を詳しく伺うと、どうも蛇口を閉めても水が止まらないらしい。蛇口の栓を閉められない様子。そこで、応急処置として水道メーターのある場所の元栓を閉めてもらい、お宅に伺った。見ると、蛇口の栓をひねるキャップが緩んでいて、栓が回らず、閉められないのです。話を聞くと、どうも自分で元のキャップから別のキャップに取り替えたらしい。力をかけなくても、楽に閉められるのが理由のようですが、良く見るとキャップのレバーが、中央の出水口に当たるので、かえって使いづらい。そこで、最新の混合栓に交換することになった。
 日を改めて、新しい混合栓を用意してお宅に伺った。同じ団地の台所は、だいたい流し台の後ろに混合栓がついている。だから流し台を手前に引いて、交換作業をすることになる。この流し台が、ピッタリと取り付けられているので、手前に引くのが、一苦労なのです。やっと動かして、いざ元の混合栓を外そうとしたら、ナットが完全に錆びついて回らない。ナットがつぶれんばかりにスパナで回したがだめ。最後の手段、グラインダーでナットを切ることにした。家に引き返し、道具を用意してようやく外すことに成功。作業している時に、ご主人が帰って来て、風呂に入られると知らされ、一時あせりましたが、無事終了。
                
                     元の混合栓
2005年10月・・・立木の枝落し
 最近、日高市の旭ヶ丘や駒寺野新田で、新築住宅の建設が盛んです。そこに昔から土地を所有している方(Aさん)から、隣接地との境にある立木の枝を払うのと根元から切り倒す仕事を頼まれました。はみ出している枝を切り落し、枝だけで済まない木は根元から取り除くのです。不動産屋さんから隣接地に住宅を建てるからとAさんに要請があった由。以前は自分でやっていたが、もうできなくなったので、頼んだとの事。広い敷地の山林の中に古い倒木が、たくさんあった。切り落とした枝や木はこの山林の中に運び込めば良いのです。発電機とチェーンソーと剪定用のノコを用意して、Aさんと共同作業、数日かかりました。2階屋根より高いところの枝払いは、さすがに怖かったです。2連梯子を掛けて登り、片手で幹につかまり、もう一方の手で枝にノコをかけて切り落とします。一時も気をゆるすわけにいきませんから、神経も疲れます。Aさんは、「落ちないように気をつけてやってくれ。」と言いますが、「もっと上、もっと上。」と指示します。このあたりは、平地であるため怖いながらも、遠くまで見渡せます。田舎で子どもの頃、木に登って遊んだ記憶が戻ってきました。
 立木の切り倒しは、チェーンソーを使います。幸い隣接地は、今空き地になっているため、その方向に倒せば良いのです。比較的真っ直ぐ立っているので、倒す方を切り取っておき、反対側から切っていけば、だいたい思い通りの方向に倒れます。それでも倒れる瞬間は、予定通りにいかないこともありうるので、緊張します。逃げの体勢を作っておいて、倒します。おかげさまで無事終わることができ、Aさんにも感謝されました。ちょうど柿がたわわに実っていたので、おみやげに頂いて帰りました。
2005年8月・・・母の入院
 長い間、日記を記すのをさぼっていましたが、また始めます。
私の母はもう十年以上、パーキンソン氏病を患っています。郷里の宮崎県都城市で、妹と2人暮しです。この夏に食べ物の飲み込みが悪く、胃ろう(外部から流動食を胃に注入できるようにするもの)の手術をすることになりました。ところが、入院して一週間位してから、いざ手術をしようとしたら、高熱が出て中止になりました。後から考えると、肺が誤えん(飲み込みが悪く、肺に唾液や食べ物が入ってしまうこと)によって、炎症を起こしていたようです。その後、呼吸不全の状態に陥り、一時は意識がなく危ない場面もありましたが、気管挿管をして、次第に回復して来ました。意識が余りない時に、妹から電話があり急遽、家内と帰省しました。
 医者の説明。「誤えんによって肺の状態が悪くなり、呼吸不全に陥ったので、誤えんを防がないといけない。その為に、気管挿管をしたが、長く続けるには、気管切開をしなければならない。どうしますか?」選択の余地のない選択を迫られても困ってしまいます。「お願いします。」と言うしかありません。
 気管切開をした後は、順調に回復し、苦痛にゆがんでいた母の顔にも、穏やかな表情や笑い顔が出るようになって嬉しいのだが、声は失われてしまった。時々口を動かして何か言おうとしているが、分からない。でも気持ちは想像できる。母には悪いが、それで充分感謝しなければと思う。
                 
2005年3月・・・猫の世話
 隣町の住宅団地に住まわれている方から電話があり、ペットの猫に、1週間程、1日1回、餌をやる世話を頼まれた。海外旅行をするので、その間の世話をということである。その方の言われるには、今まで頼んでいた便利屋さんが、どうも廃業したようで、電話が通じないとのこと。便利屋さんも最近増えているので、競争が激しく、廃業するところが出ているのかも知れない。依頼者が出発される日は、朝、自分で餌をやるということなので、翌日から毎朝、餌をやることにした。「猫は用心深いから、なつくまで時間がかかるよ。」と、家内に言われていたが、さすがに餌をやる人はすぐ覚えるらしく、3日目からは、2匹の内の1匹は朝行くとすぐ近寄って来るようになった。もう1匹は用心深く、最後の日まで私が近寄ると逃げて行った。半ば頃、雪が積もった日があった。行けなくなると困るので、そんなに積もらない内にと、朝早めに出かけた。坂で車が滑りそうで、そろりそろりと車を走らせた。昼前には雪が解け出したので、遅目に行った方が良かったのかも知れない。とにかく、腹を空かせた猫に餌を無事にあげることができた。ホームレスの人が増えている昨今、住まう小屋と餌を毎日与えられている”猫ちゃんたち”は幸せだなと思う。
  

2005年2月・・・引越の後片付
 いつもごひいきにして頂いている不動産屋さんの紹介。今まで住んでいた家を引越して売却する為に、全て片付たいとの趣旨である。既に荷物は運んだ後で、2階のベランダと庭にある植木鉢を業者が残していったので、何とかして欲しいという事であった。ポリタンクの灯油と消火器も残されていた。始末の悪い物ばかりである。それでも、アルバイトのM君と片付に励んだ。植木鉢の土をこぼさないように、2階から一つ一つ吊り下ろした。ロープで植木鉢を巻いて吊り下ろす訳だが、バランスが取れず、これが結構難しい。かといって丁寧に時間をかけてという訳にはいかない。数は多かったが、何とか2時間で終わる。後は庭に土をまき、均して完了。ここに住んでいた方と思うが、年配のご婦人と依頼主の娘さんから丁寧にお礼を言われた。恐縮しながらも、終わった安堵感と喜びに包まれる。これからも宜しくとチラシを渡して、現場を後にした。

2005年1月・・・作業場のコンクリート床作り         
 今までの所では、手狭でまた騒音の出る作業ができないという事で、作業場を昨年から求めていたが、ようやく実現した。1月の半ばに、ヨドコウの14坪程の車庫兼倉庫をカインズホームに建てて貰った。大型トラックで資材が運ばれ、5-6人の作業者が来て、1日で完成した。さすがに仕事が速い。
床をコンクリートで打つのも頼めたのだが、自分でやって見ることにした。アルバイトのM君と二人で土を削り、5-10cmの厚さで砕石を敷き詰めた。厚さ10-15cmのコンクリート床を設定してコンパネで囲いを作った。強度をつける為に、鉄筋のメッシュも入れた。生コンを均したり、平らにする為に叩いたりする道具を作り、十分な準備を整えた。いよいよ生コンを打つ当日、4人の助っ人を頼んだ。何しろ時間との勝負である。一輪車2台を使って、生コンを均すのは午前中に終わった。やれやれという事で、皆で昼食をおいしく頂いた。風もなく穏やかな天気の良い日で、話もはずんだ。午後は私一人で、金コテを使って仕上げをした。広いので、夕方までかかった。もう一人応援を頼めば良かったと後悔。翌日には、ひび割れができないように、水をやりに行ったが、出来映えは上々。これから、仕事に幅が出来るので、嬉しい。

             
                 新しい作業場
2003年1月・・・ニュージーランド旅行記
 会社を退職して、自由に旅行に行きたいと願っていたのが、やっと実現した。行くに当たっては、家内ではなく甥のA君を旅行に誘った。彼は高校を中退して、家にずっと閉じこもっていると聞いていたので、ニュージーランドの大自然を見せてあげたいと思ったからである。
第1日
 1月21日朝快晴。昨夜雨が降ったようだが、気持ち良く晴れている。宮崎からやってくるA君を羽田で迎える。定刻に着き、元気な顔を見て安心する。思ったより緊張もなさそう。二人で昼食を羽田で食べて、リムジンバスで成田に向かう。途中少し渋滞があったが、予定より早く成田に着いた。第二ターミナルに着く前に、身分証明書かパスポートの提示を求められたのに、初体験のA君は驚いた様子で、「僕は身分証明書や免許証を持っていないので、パスポートがあって良かったですよ。」と胸をなでおろしていた。時間の余裕を取りすぎたのか、ツアーの集合時刻まで2時間半もあり、退屈。熱くて乾燥していて喉が乾く。ようやく時間がきて、搭乗手続きをすませ、ニュージーランド(以下NZ)の入国カードの書き方の説明を受ける。
NZは農業国なので、食物に神経質で、肉野菜はもちろん、薬やあめ玉も申告してくださいとのこと。入国カードを書くのが面倒だからといって、旅行社に頼むと4000円かかるそうで、それはもったいない。シャトル便に乗って、C85の搭乗口に向かう。団体客で一杯。待ちくたびれたが定刻18:30に出発。NZのクライストチャーチまで11時間、機内は狭く乾燥している。用意したペットボトルの水を時々口に含んで、気をまぎらして少し眠ることができた。A君は30分程しか眠れなかったという。
第2日
 1月22日やや曇り空の中、クライストチャーチ空港にほぼ予定通り到着。一見冬枯れのような雑草が機内から見えたので、北半球と同じ冬と勘違いしそう。今は乾季で雨が降らないせいらしい。やや緊張した面持ちで出国審査を済ませて、外に出ると、夏だと納得した。日差しが強く、雲が出てくると蓋をしたように蒸し暑い。風が出てくると、涼しく感じる。デニスさんの運転するバスに乗ってクライストチャーチの観光に出発。道路に出ると日本車が多いのに気がつく。
左側通行で、日本からの中古車がたくさん輸入されているとのこと。後で聞いた話では全体の80%にもなるそうだ。庭園の盛んな町ということで、ジャニス・タレルさんという一般家庭の庭園を見学。庭園の芝生が綺麗で、その先にはエイボン川という小さな川がゆったりと流れていた。皆でケーキと飲み物をごちそうになった。私はコーヒー、A君は紅茶を頂いた。昨夜の長旅の疲れがとれたような気がした。
 バスで移動して
モナ・ベイルという美しい庭園を散歩した後、サイン・オブ・タカヘという高台にある建物を見学。そこからクライストチャーチの市内が一望できた。町の向こうに南太平洋の海が見えた。昼食はエイボン川の見えるレストランでバイキング。チキン、ポテト、ぱらぱらした米などあまりおいしくなく、おまけに狭いのに一苦労。A君もあまり食がすすまず、外に出てしまった。その後、博物館を見学、徒歩で免税店、大聖堂、ホテルへ移動。大聖堂はイギリス国教会で、NZでは少数派。塔の高さは54mもあり、写真に収めるのに一苦労。近くの広場では大道芸をやっていた。クライストチャーチは、最もイギリスらしい町ということであるが、トラムという路面電車が最近復活したらしい。乗ってはみなかったが、のんびりと市内を走る様子は楽しそう。
 夕食はホテルで、サーモンをおいしくいただいた。A君も満足した様子。同じテーブルについた中年夫婦とも話がはずんで、楽しい一時であった。夕食が終わって9時になるのに、まだ明るいので、免税店に行き、ひすいの首飾りをおみやげに買う。受け取りは帰りのオークランド空港で出国審査をした後になるとのこと。間違いないかちょっと心配だが、信用するしかない。


         モナ・ベイル



         大聖堂



          トラム

第3日
 1月23日朝6時半、気持ち良く目覚める。半袖にしたが、外に出ると肌寒い。朝食はバイキング。おいしく食べることができた。A君も良く眠れたようで、朝食がすすんだ。今日は1号線を南西に走り、ジェラルディンを経由して、テカポ湖畔、プカキ湖畔を走り、マウントクックまで300km位バスで行く。途中、セスナ遊覧飛行がオプションであるとのことだが、怖いので乗らない。
 NZは人口400万人、2030年をめどに500万人を目指しているため、出産、育児を奨励しており、3−4人の子供の家族が多いとのこと。また
移民も年間35−50千人受け入れている。言葉や資格の障害が低いオーストラリア、アメリカに出ていく人が多くて、人口が増えていないらしい。2代続けて女性首相ということだが、人口が少ないので、男女、年齢の区別をしてはいられないという証しか。
 ジェラルディンで休憩をとり、79号線に入る。ここは定年後暮らしている人が増えたらしいが、天気が安定しており、つり、ハイキングができるのがその理由である。NZは一般道路で100km/hまで出せるので、高速道路は少ない。防風林にユーカリの木が使われているが、オーストラリアから持ってきたものである。確かイスラエルでも見た気がする。火事になると油が多いので消えにくい。鹿の放牧も多く見かける。カナダから連れてきて放し飼いしたところ、増え過ぎて駆除したが、その角や肉が輸出されるようになり、15年前から放牧するようになったそうだ。羊よりも付加価値が高い。最近ではダチョウの放牧もされている。
 テカポ湖畔に着いて、石造りの教会を訪ねる。
小さな教会の窓から眺める湖と南アルプスの山並は素晴らしい。昼食はこの教会のすぐ近くにあるレストランでサーモン丼をいただく。日本人が作っているのか、味噌汁も出ておいしかった。テカポ湖を離れて細長いプカキ湖畔を走り、マウントクックを目指す。マウントクックの頂上は雲に隠れて見えず、麓だけが見えていた。エベレストに初めて登頂したヒラリー卿はここで訓練を積んだそうだ。今日の目的地ハーミテージホテルに夕方着いた。夕方といっても5時頃だから、まだ全然明るい。8時過ぎまでねばって、部屋のベランダからマウントクックの頂上を撮ることができた。


       ちいさな教会



       ハーミテージホテル



         マウントクック
第4日
 今日はフッカーバレーという
マウントクックに繋がる氷河の谷をハイキング。こちらに通算10年くらい滞在しているという若い男性のガイドさんが案内して下さった。氷河の溶けた水が勢いよく流れる川を遡ること1時間半。氷河が溶けた白い濁り水には岩粉が含まれる。プカキ湖に注ぎ込むと、岩粉が水面に漂い、屈折の関係で独特の青緑色に見える。この色は世界中どこでも同じだそうである。氷河の先端は土砂に覆われて白くはないが、羊羹を切ったような形で判る。氷河の厚さは100m位で、途中、つり橋もあり、素晴らしい眺めである。A君もすごいとの感想。自生している様々な草花の説明をしてもらったが、書き留められなかった。ただ、シダと乾燥植物が共生しているのには驚かされた。マウントクックの見える地点で昼食。熱い紅茶をガイドさんに入れて頂いた。帰り道、ハーミテージホテルが遠くに見えた。山際に立ち、周りの景観に合わせた色合いで、目立たない上品な感じである。
 午後、今日の宿泊地であるクィーンズタウン(女王の住むのにふさわしい町という意味)に向けて8号線を走る。オマラマで休憩しておいしいフッカーポッキーというアイスクリームを頂く。途中ワナカ湖に立ち寄ったが、小雨で散策もそこそこにバスに引き上げる。閑散としていたが、クリスマスシーズンには3万人も集まるマリンレジャーのできるリゾート地とのこと。夕方リッジスクィーンズタウンホテルに到着。夕食は街中のレストランで摂るために外出したが、長袖のシャツでも寒い。日差しのある昼間は暑いのにである。A君が「異常気象ですね。」というから、「いや、これがNZでは普通らしい。」と答えた。



   マウントクックの見える地点で昼食



      素晴らしい眺めを背景に
第5日
 朝7時にホテルを出発して、今日の目玉、いや私にとってはこの旅行の目玉であるミルフォードサウンズに向かう。片道300kmあるそうだが、直線では80kmしかない。つまり道路が大回りをしているらしい。始めの内はのワカティプ湖(巨人が横たわっているという意味)岸を走る。全長84kmもある巨大な氷河湖である。気圧の変化で北と南の水位が上がったり下がったりするそうだ。ワカティプ湖を離れるとテアナウ湖までしばらく、牧場が続く。行けども行けども、羊と防風林の風景が続く。時々鹿の放牧を見かける。先日皇太子様が宿泊されたというテアナウの町で休憩したが、ハプニングが起こる。バスのファンベルトが切れたらしい。急遽修理のため、他社のバスに分乗することになった。私の乗ったのはリアルジャーニイという会社のバスである。突然の乗客に元の乗客は迷惑顔であったが。南緯45度(稚内が北緯45度)辺りにあるミラー湖で休憩した後しばらくしたら、修理が終わった私たちのバスが追いつき、また元に戻った次第。
 
ミルフォードサウンズに着き、1時間半のクルーズ。昼食の弁当を乗船してすぐに食べ、デッキに出て素晴らしい景色を堪能する。フィヨルドの高さ、深さは本当にすごい。落差の有る滝も素晴らしい。A君も「すごい、すごい。」の連発であった。ミルフォードサウンズは年間7000−8000mmの雨が降り、天気に恵まれるのは珍しいそうだ。アザラシも姿を見せて、歓迎してくれた。空港が近くにあり、セスナ機が離着陸していた。このセスナ機に乗って帰るオプションもあり、数人の方が乗られたようだ。もちろん私は怖いので、乗っていない。

 

       クルーズに出発



      落差の大きい滝

第6日
 朝ホテルを出発して、今日は国内線で南島から北島のオークランドに移動する。クィーンズタウンからクライストチャーチへプロペラ機で飛び、クライストチャーチからオークランドへジェット機で飛ぶ。待ち時間も含めて約3時間で到着。北へ来ただけに日差しが強く、正午で気温は21度。今までと違って、車が多く、人口もオークランド地方だけで120万人、全体の1/3を占める。南太平洋とタスマン海にはさまれ、天然の良港に恵まれた古くからある近代都市である。マウントイーデン、ローズガーデン、ビクトリアマーケット、ハーバーブリッジ、ウォーターフロントを巡る市内観光。
オークランドはマウントイーデンのような死火山からなる丘陵が多く、坂の多い街である。ウォーターフロントには、丁度アメリカズカップに向けてたくさんのヨットが世界中から集まって、賑わっていた。夕方最後のホテル、セントラルエアポートに到着。夕食の時、カメラを忘れたが、A君が代わりに取りに行ってくれて助かった。




     オークランドのヨットハーバー



    セントラルエアポートホテルの中庭

第7日
 今日はNZ観光最後の日で、ワイトモ鍾乳洞のつちぼたるを見に、バスで南下する。途中生花の栽培されているラマラマを通る。ピンクのランが日本向けには多いそうだ。ボンベイの丘は赤土に覆われているが、野菜の栽培に適しているそうだ。日本向けにカボチャ、ニンジン、タマネギなどが作られている。ワイカト川はNZで最も長く、タウポ湖から高低差600mでゆっくりと流れる。NZの電力は南島の水力発電が大部分で、北島に供給しているそうだ。原子力発電などは絶対にしない。バスはワイカト川沿いに走り、また牧草地のある酪農地帯をひた走る。あのハイセイコーの母はNZ産とのこと。全体で羊5000万頭、牛800万頭が飼われているそうだ。クリスマスツリーに使われるという
ノンホークパインツリー(南洋杉)が良く目に付いた。枝が十字に分かれる木で、家に持って帰って植えてみたいものである。
 ワイトモには900個の鍾乳洞があり、3個しか公開されていない。この鍾乳洞につちぼたるが生息している。ほたるのように暗闇で光っているのだが、点滅しているわけではない。強い光や大きいな音にびっくりすると20時間は光らないそうだ。鍾乳洞の天井に一面光を放っていて、小さな舟に乗って見上げながら、鑑賞するという次第。残念ながら写真はとれないのである。昼食はローズランドというレストランでバーベキューランチ。
 NZの最後の夜は南半球で最も高いという
スカイタワーで、オークランドの夜景を見ながら、シーフードバイキングを頂いた。ホテルに帰ってから、南十字星を見たいと思って、11時、1時、4時に起きて外に出たが、雲があり星は見えず。昨夜は良く見えたという。残念である。また見に来いということか。
第8日
 朝9時40分、オークランド空港を離陸して、成田に午後4時半に予定通り到着。成田に着陸する前、雲の間を通り抜ける時、虹が見えた。神様からの恵みをたくさん頂いた旅だったと思う。A君も楽しかった由。




  空港近くのノンホークパインツリー(南洋杉)
  アメリカズカップの看板



     スカイタワーからの夜景

2002年6月・・・骨折してしまった・・・2連はしごに注意
 忘れもしない6月4日、雨どいを掃除しようとして、はしごから落ちて左腕上腕部(ひじと肩の間)を骨折してしまった。その日は天気が良くて午後から近所の依頼主の家を訪ねた。2階の屋根にある雨どいなので、2連はしごでないと届かない。はしごは長くて多少重いので、少々面倒だが、1時間もあれば、終わるだろうとの見込みで作業に取りかかった。予定通りに終わったと思って、はしごを片づけようとしたら、もう一箇所お願いしたいとのこと。裏の方なので、はしごを畳んで運び、もう一度延ばし屋根にかけて昇り始め、雨どいを覗ける所まできた時だった。突然するするっと上はしごが滑り落ちはじめた。雨どいが目の前から消えて、壁が通り過ぎ、隣の家との垣根が見え、何かにつかまろうとしたように思うが、気がついたらはしごを背にして尻もちをついていた。呆然としながらも気を取り直し、痛い所を点検したら何と左腕が何か頼りない。ぶらんとして自分の腕ではないかのよう。完全に折れていることを知った瞬間だった。それから大変。大きな音で驚いた依頼主が家から飛び出してきた。私は痛さと恥ずかしさとで、何とも言いようがなかったが、一目で事情を理解して、親切にも車で私の家まで送ってくださった。
 2連はしごの上はしごが何故滑り落ちたか?ロック金具が何故はずれたか?この原因はどうしてもつきとめなければならない。「もしはしごが不良品だったら訴えなければ。」と意気込んでいたが、どうも使い方に問題があったよう。表と裏を逆に使っていた。表と裏を逆に使うと何故ロック金具が外れるのかは分からない。「裏側は足を滑らせやすい」との注意ラベルはある。もし
表と裏を逆に使うとロック金具が外れやすいのであれば、もっと注意を喚起するラベルが必要だと思う。「そんなの常識だよ」と一笑にふされるのが落ちか。