| ● 神の森 |
東の空が白み始めた頃、携帯のアラームが鳴り出した。 窓を開けると、若い緑の匂いが、すっと車内に広がった。 少し頭が重い。 夕べ、自宅を出たのが6時頃だった。 途中夕食を取り、最後の集落で酒とつまみを買い、ここまで来た。 地図を読みながら決めた、初めての場所。 上流に民家は無く、ブナの森が山を創っている。 昨日の雨も森が吸収し、濁りも出ていない。 明日の釣果に、何度も乾杯を繰り返した。 空には星が、水しぶきのように、散らばっている。 星の数だけ魚が居ることを期待し、寝袋に潜り込む。 酒でほてった身体がひんやりとして、気持ちがいい。 寝袋と体温が一緒になる頃、眠りに落ちていった。 どれぐらい、たっただろうか。 ざわめきで、眠りから引き戻された。 しかし、窓の外は風も無く、雨も降っていない。 おかしい。 さっき、確かに気配を感じた。 まだ目覚めていない身体を引きずり、車の外に出て見た。 ひやりとした、空気が身体にまとわりつき、森の中からは "シーン"と言う空気の音が聞こえる。 聞こえるはずのない音。 森の中からは、無数の視線が感じられる。 一枚の葉、一本の枝、幹、そして山全体から。 キュッと背筋に緊張が走る。 あわてて、車の中に戻る。 夕べ、川を守ってくれる山には、乾杯しなかった。 残っていた酒をコップに注ぎ、山と森に乾杯して、一気に飲み干した。 寝袋の中でじっとしていると、さっきの酒が眠気を誘ってくれた。 すっきりしない頭も、川辺に立つとなぜかシャンとする。 雲一つ無い空が、今日の釣果を約束しているようだ。 何か、特別な一日に成りそうな気がする。 |
| ● 待ち合わせ |
仕事が順調に進み、定時に会社を退社出来そうだ。 今日は、数日ぶりに天候も回復し、気温も20度以上に成ったかも知れない。 風も今の時期にしては穏やかな気がする。 社長は、軽米町に行っているが、連絡が来ない。 5時40分、会社のシャッターを降ろし、電話を転送設定に切り替えた。 駐車場から車を発進させ、バイパスを南下する。 今日も混雑がひどい。 今頃の時間が一番渋滞するから、俺は嫌いだ。 だか、今日はちょっとした待ち合わせが有るために、そうも行って居られない。 FMからはラジオドラマが流れている。 渋滞のイライラを緩和するには、ちょうど良い内容だ。 ウインカーを左折に出し、ハンドルを切る。 通いなれた道だ。 ラジオドラマが終わる頃、待ち合わせの場所に着いた。 駐車スペースを見つけ、エンジンを止めた。 回りはまだ明るい。 まだ、相手は来ていないようだ。 タバコに火を付け、ぼんやりとしていた。 夕暮れが近づいて来た頃、窓の外に気配がした。 車から降りて、辺りを見回した。 しかし、気のせいだったようだ。 橋の中程まで歩いた。 サングラス越しに見える川は、前日までの雨の為か、少し濁っている。 じっと水面を見つめるが、なにも変化はない。 肩にカゲロウが停まりすぐに飛び立った。 水面には沢山の虫が舞っている。 しばらくすると、サングラスの前をヘッドライトをつけた車が通りすぎた。 今日は、振られたようだ。 彼女は気まぐれだから...。 |
| ● 川真珠貝 |
釣りを続けていると、気に入った川や場所が見つかる。 ここに行けば絶対はずれが無いとか、行くと気持ちが休まるなど。 そんな川の一つです。 水蒸気で白くなった車の窓から、まだ暗い川をのぞいた。 昨日の夜に着いた時は、霧雨が降っていた。 しばらく雨が降っていなかったから、本当はもっと降って欲しかったが、釣りが出来ないのも困る。 それでもこの辺りは、山がしっかりしているから、極端に水位が下がる事は無い。 固まっている体をほぐしながら、ゆっくりと準備を始めた。 使い慣れた道具ばかりだから、すべてが体にしっくりとくる。 空も、夜から朝へと準備を始めたようだ。 気持ちを整えるために、お気に入りの缶コーヒーを開けた。 キャップをかぶると準備完了。 いつもの入渓点まで、五分ほど川岸を下る。 釣り人の踏み後が、しっかり付いているが、かまわない。 今日は、俺が一番乗りだ。 川に降り立ち、パイロット・フライを結び第一投。 これが一番緊張する。 ここで、木に引っかけたりすると、一日中何となく調子が出なかったりする。 又、第一投で魚が出たりすると、出来すぎた感じにもなる。 無事にキャストをし、魚が出ることもなく、いつも通りにスタートした。 この川は、川真珠貝が生息している事で有名だ。 地元の小学校では、長年にわたり観察を続けていると、テレビの番組で見たことがある。 しかし、最近は水質の悪化や繁殖の仲介となるヤマメの影響か解らないが、個体数が減ってきているようだ。 入渓点から少し釣り上がると、川真珠貝が生息している場所がある。 川底に並んでいる貝は、容易に見つける事が出来る。 水の透明度も高いので、偏光レンズを通して見れば、少し開けた口の中の、白っぽい部分が見える。 貝を踏まないように、気を付けて歩かなければ。 大きな淵に、たどり着いた。 川通しは無理なので、一度道路まで上がらなければならない。 数年前に、ちょうどこの場所に来たときに、蛇に逢ったことが有る。 夏の暑いさかりだったから、蛇も涼みに来ていたのだろうか。 川岸の一抱えも有るような岩の上で、ちょうど木漏れ日が当たっていた。 気持ち良さそうに、寝そべっている。 なんか、じゃまをするのが可愛そうなので、50メートルほど下流の急な坂まで戻って道路に出た。 今日はまだ気温も低いから、出て来ていないだろう。 岩の上を見ても何もいない。 けれども、ちょっと岩の横を見ると、蛇の抜け殻があった。 綺麗に脱皮している。 1メートル以上は有るだろうか。 せっかく寝ているのを起こすのも可愛そうだから、50メートルほど引き返した。 日も少し西に傾いてきた頃、右から支流が入っている所まで来た。 橋のたもとの雑貨屋に、飲み物の自動販売機が有る。 水分補給にちょうど良いと、一度川から上がった。 店の中をのぞくが、人の気配はしない。 棚の上には、洗濯石鹸・トイレットペーパー・魚や果物の缶詰・インスタントラーメン・電球などが並べられている。 缶コーヒーを飲んで一息ついた。 意外なほど、のどが渇いていたのか、とてもうまかった。 気温も最高で25度を超えただろうか。 店の横には、町内の連絡掲示版があった。 それによると、熊が数日前に、この地区に出没したようだ。 出来れば、逢いたくないよな。 今日は朝から十分に釣りが出来たから、そろそろ切り上げることにした。 車の場所までは、3キロくらいだろうか。 車まで戻り、早い食事の準備を始めた。 スパゲッティーとワインとソーセージとチーズの簡単なものだ。 ワインが空になる頃には、辺りは真っ暗です。 小さなランタンの明かりでは、自分の手の届く範囲だけが照らされています。 聞こえるのは、川の音だけです。 なんとなく川の方を見ていると、光が走りました。 しばらくたって、また光が走りました。 確かめるために、川岸まで行ってみると、蛍がいっぱい居ました。 何匹くらいでしょうか、二百・三百って、くらいでしょうか。 こんなに蛍を見たのは、小さい頃に田んぼで見たとき以来です。 私の家の周りが田んぼだった頃は、毎年当たり前のように見ていました。 いつの間にか、家の中に入り込んでいた事も有りました。 蛍を楽しみながら、2本目のワインに手を付けてしまいました。 酔っぱらわないうちに、片づけをしてしまいましょう。 明日も魚に遊んでもらわないと...。 |