ヴェルディ/仮面舞踏会

                  

  あらすじ&聴きどころ

 第一幕
 第一場
 ボストン総督ウォーウィック伯リッカルドの屋敷の広間。
大臣や側近の者たちが、総督の朝の接見をを待っている。ところがここには、リッカルドの反対派である、サミュエル(Bs)やトム(Bs)らもおり、リッカルドに対する恨みをささやいている。そこへリッカルド(T)登場。一同が挨拶をすると、小姓のオスカル(S)が今度の仮面舞踏会の招待客リストをリッカルドに渡す。彼はそのリストの中にアメリアの名を見つけ密かに喜ぶ。アメリアはリッカルドの腹心の部下レナートの妻であり、リッカルドは彼女に密かに思いを寄せているのである。側近たちの退場と入れ代わりに、レナート(Br)登場。「反対派の不穏な動きが心配です」と述べ、「あなたの幸福に忠誠を誓います」と歌う。

 第一幕に先立つ前奏曲は短いがまことに入念に書かれている。そしてこのオペラにおける様々な主題が現れる。まず、第一幕冒頭の側近のものたちの合唱の旋律、次にサミュエルやトムらの反対派の低音の不気味な旋律、リッカルドとアメリアの恋の旋律などなど。
幕開けで歌われる合唱はピアニシモで歌われるまことに精妙な合唱であるが、それに対峙するように反対派の合唱がこれまた密やかに低音で歌われる。ここでの対象はまことに鮮やかである。レナートの登場のアリアは旋律線こそ地味ながら、レナートの忠誠を体現したようなアリア。滋味豊かなヴェルディのメロディラインが光る。


 そこに判事長(T)が登場。町外れのあばらやでいかがわしい占いをしている、一人の黒人女の逮捕及び処刑を決める書類への署名をリッカルドに求める。しかし、オスカルは「輝く星を見てください」と、彼女の予言が見事なことを告げて弁護するので、その女占い師に興味を持ったリッカルドは、レナートの忠告を無視して、自分が漁師に変装してその占い師の所へ行くことを提案する。そして再び側近たちを迎え入れ、皆で変装して3時に占い師の館で落ち合おうことを歌う。当然反対派たちはそこでうまくすれば...とあらぬたくらみを歌う。

 オスカルはこの陰惨なオペラにおいて、唯一清々しさを吹き込む役である。最初のバラータもたゆたうような前半部とキラキラ歌う後半部の対照の妙で聴かせる。しかし、コロラトゥーラ的には難しい役である。幕切れの合唱はリッカルドの下降音型による急激なストレッタで始まり、何かフェスティバルのような華々しい音型でつづられていく。これも非常にアンサンブルが難しい曲である。



 第二場
 ボストン郊外の女占い師の家。
女子供らを前にした女占い師・ウルリカ(MsかA)がなにやら怪しげな祈祷をしている。そこへ漁師に扮したリッカルドが入ってくる。彼はしばらく占い客に紛れて見物と決め込む。そこへ水兵のシルヴァーノ(Br)登場。自分の運勢を見てもらうと、ウルリカは「すぐに金と名誉が得られるだろう」と告げる。それを聞いていたリッカルドは紙に任官の辞令を書き、金といっしょにシルヴァーノのポケットに入れる。それに気がついたシルヴァーノは大喜び。人々はウルリカの予言の確かさを讃える。

 ウルリカの登場の場面は、低音管楽器を使い見事におどろおどろしい情景を作り出している。アルトの指定がなされているウルリカだが音域は2オクターブ以上に渡り、不気味な三連符に乗った登場のアリアは低音とかけのぼる高音の見事さが要求されるアリアである。彼女はこの場だけの登場でありながら、このアリアに始まって、後にリッカルド・アメリアとも絡み、アンサンブルでも積極的な参加をする。非常にインパクトが強い役である。

 そこへアメリアの召使い(T)が登場。アメリアが来て占いを頼んでいることを伝えるので、ウルリカは人払いをしアメリアを招き入れる。リッカルドは物陰で見守ることにする。入ってきたアメリア(S)は「してなならぬ恋をあきらめる方法はないものか」とウルリカに聞く。「真夜中に絞首台のある不気味な場所に赴き、魔法の草を摘むことです」と言う。リッカルドは彼女も自分に対する愛に悩んでいたことを喜ぶとともに、密かにその場所に同行することを誓う。一方アメリアはあまりの恐ろしさに神へ祈り、その場を立ち去る。

 ここでオーケストラががらりと引きしまる感じがする。そぞろな旋律と悲劇的なアメリアのレシタティーボ、リッカルドの密かな驚きが鮮やかに歌われる。アメリアの祈りの旋律はまさにしぼりたてのみずみずしいヴェルディライン(メロディラインと掛けてます。)後に第二幕の前奏曲でフルートでもたっぷり楽しめます。

 リッカルドの側近たち、サミュエル、トム、オスカルらが変装して登場。リッカルドは漁師らしく「次の航海は無事だろうか」と船歌を歌い、ウルリカに手を見せて運勢を尋ねる。ウルリカは「人々の上に立つ高貴のお手だ」と図らずもレナートの正体を言い当てるが、なぜかその後は言葉を濁す。しかし、人々のたっての望みに「しかし、この男は今日これから最初に握手する者に殺されるだろう」と不吉な予言をする。そこへ遅れてやってきたレナートがリッカルドの無事を見て、思わず握手する。リッカルドは一番の親友であり腹心のレナートが自分を殺すはずがないと安心する。そこへ、リッカルドがここにいることを知ったシルヴァーノたちが戻ってきて、皆で彼を讃える合唱を歌う。幕

 リッカルドの船歌は8分の6拍子の正にちょっとやくざな感じのいなせな船歌である。あんまり力入れて歌われると興ざめ。ちょっと歌い飛ばすくらいがいい感じの歌である。幕切れの合唱は行進曲風の勇ましい曲。これは直前にリッカルドによって歌われる嘲笑の歌のもとメロディーになっている。つまり、ここではヴァリエーションが先に出て、後にテーマが登場するという形になっている。



 第二幕
 ボストン郊外の寂しい荒れ地。真夜中である。
ヴェールで顔を隠したアメリアが登場。「あの草を摘んで恋を忘れたい」と悩みを歌う。そこへ、レナート登場。アメリアに恋心を打ち明ける。こばむアメリアだったがしだいに彼への思いを語る。

 第ニ幕に先立つ前奏曲はヴェルディの管弦楽技法がいかされたものである。総奏による激しい出だしに続いて、第一幕の第ニ場で現われたアメリアの祈りのテーマがフルートで纏綿と歌われる。しかし、低弦で不気味な相槌がなされるところは、「運命の力」の序曲と酷似した非常に対位法的な技法である。続く二重唱はこのオペラの白眉。大きく3つの部分に分かれる。まず出だしの二人のストレッタ的な掛け合いの部分。アメリアに寄せる想いを打ち明けるリッカルドを彼女は強く拒む。続く場面はゆったりとしており、二人はゆるやかな音域の行き来を見せながら、愛を確かめ合う。最後の部分はハープに乗りながらもヴェルディ独特の勇壮なテーマで永遠の愛を誓い合う二人。「ひとこと」でも述べているが、レガートもさることながら、結構高度なリズムと歌唱技巧が両者に要求される二重唱で完璧な演奏はなかなか難しいところである。しかし、聴いた後の一種の開放感はプッチーニの二重唱とは違うスッキリ爽快感があってまことに気持ち良いです。

 そこにリッカルドの安否を気遣って探しに来たレナートが登場。反対派の者たちがこのあたりに来ていることを知らせ、別の安全な道から帰ることを勧める。リッカルドはヴェールをかけたアメリアを無事町外れまで送ってくれるようレナートに頼んで去る。そこへサミュエルとトムら反対派が登場。リッカルドを逃がした腹いせに、不審な女性の正体を見せろと迫る。もはやこれまでと観念したアメリアはヴェールをとってこの場をおさめようとする。反対派は「自分の妻がリッカルドに寝取られた」とレナートを揶揄嘲笑する。レナートはあまりの出来事にうろたえるが、何故かサミュエルとトムに「自分の屋敷に来るように」と伝える。

 リッカルドとレナート、それにアメリアの三重唱になるわけだが、三者三様の感情を歌う、三連符を基にした早い音型で、一番高音域を歌うアメリアの部分はまさにアクロバティックである。しかも、ドラマティックさも要求されるので、おそらくアメリアにとっては一番至難な部分ではないだろうか。しかし、ヴェルディ相変わらずそれぞれが別のことを歌う場面はさすがに上手い。サミュエルとトムがレナートを揶揄する最終部分はわざと軽妙なスタカート音型に、呪わしい二人の声が絡むという構造。



 第三幕 
 レナートの屋敷
 レナートが妻の不倫をなじり、アメリアに死を命じる。アメリアは身の潔白を弁明しするが、レナートは聞き入れないので、「死ぬ前に一度息子に会わせてほしい」と懇願する。それを許し妻を退出させた後、レナートは壁のリッカルドの肖像画を見ながら、「貴様こそこの心を汚すもの」と憤怒のたけを述べる。

 極めて緊張感の高い音楽のに導かれて、二人の対話が始まる。インテンポを守ろうとするレナートの声部とテンポを引きずるアメリアの声部が彼らの感情を表出して見事である。
アメリアのアリアは有名なものであるが、最初の悲痛なチェロ独奏のメロディが印象的。声楽的技巧よりも感情表出で聴かせるアリアである。続くレナートのアリアは最初はリッカルドに対する憤怒を激しく歌い、やがてアメリアのアリアがチェロ独奏と管楽器で挿入される、そしてアメリアとの愛の日々の回想に入るという、これまた感情表現が要求されるものである。ちょうどパターン的には「リゴレット」のアリアに似ているが、特にハープとフルートがからむ後半部はノーブルなバリトンが要求される名アリアである。


 サミュエルとトムが登場。レナートは彼らと共にリッカルドへの復讐を誓う。リッカルドを暗殺する役を決めるため、くじを引くことにするがその役目をレナートはアメリアにさせる。アメリアはレナートと書いた紙を引き当てる。喜ぶレナートと悲嘆にくれるアメリア。彼女は密かにこの計画をリッカルドに伝える決意をする。そこへ小姓オスカルが登場。リッカルド主催の仮面舞踏会の出席状を持ってくる。

 サミュエルとトム、レナートが意志を同じくし、暗殺を誓うメロディは行進曲風のユニゾンでまず勇ましく提示される。これは後にアメリアが加わり同じメロディで歌われるが、アメリアが対位法的にからんでいくのが見事である。なおこの行進曲は第一幕のレナートの忠誠のアリアの変形であることは一種の皮肉でもあろう。オスカルの二つ目のアリアはこれまた至難なコロラトゥーラで正確な跳躍とスタカートが要求される。最後の五重唱はこの華やかなオスカルと、復讐を誓う3人、悲嘆にくれるアメリアというそれぞれの想いが違って歌われる。



 第二場
 リッカルドの屋敷・書斎
 リッカルドはアメリアのことがレナートに知れたことも、レナート邸で起こっていることも全く知らない。彼はアメリアとのことをあきらめることを思い、二人をイギリス本国に帰すことを決意する。しかし、オスカルにアメリアの舞踏会への出席を聞かされた彼はあきらめきれない気持ちを歌う。

 リッカルドの最大の見せ場である。言ってみれば美しいカヴァティーナ部分だけのアリアだが、オスカル登場後の激しい部分がまさに真骨頂だとわたしは思う。冒頭の何回も出てくる冒頭のリッカルドのテーマの下降音階がここでは火を吹くような上昇アルペジオ型で提示され、私なぞはいつもこの部分で鳥肌が立つ。もちろん誰の演奏を聴いてもということはヴェルディの天才のなせる技である。



 第三場
 舞踏会
 多くの参加者で盛り上がっている。オスカルに変装を見破られてしまったレナートは、「リッカルドはどんな服を着ているか」と尋ねる。オスカルは「どんな衣装か知りたい?」とはぐらかすが、「黒のマントとばらをつけている」と答える。リッカルドにヴェールをかぶったアメリアが近づく、彼女は彼に暗殺者に気をつけてという。リッカルドは「あなたを愛しているが、レナートとともにイギリスに赴任するように」と言って別れようとした時、レナートが近寄りリッカルドを刺す。リッカルドは虫の息でアメリアの潔白、暗殺者の特赦、そしてレナートの辞令を取り出して皆を許すと言って息絶える。人々はなんとのろわしい夜と合唱。幕。

 第一場の後半から、舞台裏で舞踏会の音楽が聞こえはじめ多くの場合切れ目無く第二場に移行する。それにしてもヴェルディはこうした舞踏会の安物の音楽がとてもうまい。(ちなみにほめてますが)「椿姫」にしても「リゴレット」にしても、いかにも舞踏会用のちょうどいいチープさをたたえた曲をうまく配置する。オスカルの3つ目のアリアはこれはわりとしっとりとしたものだが、しゃれたワルツになっているのは舞踏会だからだろうか。圧巻は最後の場面。まずアメリアとリッカルドの対話の裏では、なんと弦楽四重奏が伴奏である。(多くの場合音量の問題から弦楽合奏にすることもあるが)このメロディがシンプルながら長調と短調をみごとにたゆたう。それに弦のソロの頼りなげではかない音色がこの場の薄倖をよく表現していてなかなか秀逸な趣向である。最後の合唱はこれまたヴェルディらしからぬ清らかさ。聴いててうっとりしてしまうできである


 ひとこと
 
 1858年、ナポリのサン・カルロ座の支配人トレルリから新作を依頼される。
彼は最初「リア王」への作曲を考えるが断念し、代わりにスェーデン国王・ギュスターヴ3世の暗殺事件を扱った、ウジェーヌ・スクリーブの戯曲「ギュスターヴ3世」のオペラ化を開始する。この台本はこれまでオーベールが「ギュスターヴ3世、または仮面舞踏会」で、メルカダンテが「摂政」で数々オペラ化されている人気の台本であった。しかし、当時フランス革命の思想的余波を心配していたナポリの検閲当局は、この国王暗殺の不穏な台本を通さず、内容の大幅な書き直しを命じた。これが裁判ざたになるまでもつれたためヴェルディはナポリでの上演を断念し、代わりに法王直轄で検閲が比較的きびしくないローマのアポロ座での上演を考える。ちなみにここでの検閲は場所の設定をヨーロッパ以外にするということだけだった。そこでヴェルディは舞台をアメリカのボストンに移し、スェーデン国王グスターヴォ3世をボストン総督リッカルドという設定にした。それにともなって各役柄は以下のように名称・設定変更された。
 
 グスターヴォ3世=リッカルド
 アンカルストレーム伯爵=レナート
 ホーン伯爵=トム
 リッピング伯爵=サミュエル
 アルヴィドソン夫人=ウルリカ
 クリスティアーノ=シルヴァーノ
 近年では、これにともなう語句の変更などももとに戻して、ストックホルムを舞台とした上演も行われている。

 このオペラを聴くといつも思うのは、ヴェルディ、もしかして曲を最初に作って後で歌詞を当てはめてない?ってこと。もちろんこれはいわれのないいいがかりであることは断っておくが(別に調べたわけでもないし)、こう考える理由というのは、まず場面に音楽がきちんと合っているかということ。特に第一幕第一場の最後のストレッタ的合唱とか、第2幕の三重唱とか、第3幕の復讐の行進曲とかなど。結果的にすばらしい音楽なんだけど何か発想が曲が先のような気がしてならないのである。もう一つその例証として言えることは、このオペラはアンサンブルが非常に歌いにくい。特にアメリアのパートなぞはよっぽどリズム感が優れた歌手じゃないと、録音でさえ素人並の出来になってしまう。第2幕の三重唱なんて、アメリアを歌うべき豊麗なヴェルディアンソプラノにとっては正に死ぬ苦しみの難しさ。これは、どう考えても声や言葉を優先しているとは私には考えられないのである。
 
 これもいいかげんな類推ではあるが、当時ヴェルディはワーグナーに対する意識があったのではないかと思う。1858年といえば新進気鋭の作曲家ワーグナーは、当時パリで初期の代表作を次々と発表しており、まだライトモティーフの発想はともかく、管弦楽と声が融合した独自の音楽を作り上げていた時期である。当然ヴェルディも意識して、例えばイタリアオペラ伝統のカヴァティーナ〜カヴァレッタ方式の廃止とかもこのオペラに取りこんでいるらしいけど、結局それがまだ熟していないというのが私の解釈である。とはいえこのオペラにおける管弦楽は彼の気負いも合ってか、並々ならぬ出来である。きっと管弦楽だけで聴いても(つまり絶対音楽としても)かなり水準が高い。しかし、それが結局これまでの彼の作品のように、火を吹く感情やドラマが、そのまま音楽につながっていくというわけではなく、メロディの美しさが、ドラマの感動を高めるという形になっているのだろう。また、このオペラではライトモティーフの活用(ワーグナーほど高度ではないが)も意欲的で、リッカルド・アメリア・レナードの主題が相互に絡んで音楽を形作っているのは圧巻である。この後の「アイーダ」や「オテロ」がかなり楽劇に近づくことを考えれば、このオペラはイタリアオペラの良さがワーグナーの影響と一番よい形で結びついたものといえるかもしれない。
 
 もう一つ、このオペラの特徴として脇役の充実があげられる。つまりオスカルとウルリカのそれである。前者はこの陰惨なドラマに一種のすがすがしさを、後者はいっそうの陰鬱さを、恋愛の情に悩む主人公たちにからんでドラマに奥行きを与えている。だからこそ、この二つの役の出来もオペラ全体の出来に影響を及ぼすと思う。

 

  私の聴いたCD

    (注)指揮者/オケ/@リッカルドAアメリアBレナートCオスカルDウルリカ
     

 ムーティ/ニューフィルハーモニアo/@ドミンゴAアーロヨBカップッチルリCグリストDコッソット
     
 指揮者の勝利って感じでしょうか。ここでの若いムーティは無理なことは何一つしてなくて、感情の赴くままに音楽を走らせて非常に見事です。歌手たちも好演でほぼ隙がない配役です。まずこれまた若いドミンゴの火を噴くような、しかも気品のあるリッカルドはききもの。でも、もうちょっと力を抜いてくれても良かったけどね。
 アーロヨも信じられないくらいの美声で、しかもソルフェージュでいえば最高のアメリアです。いくつかの至難なフレーズも乱れることなく歌いきっていて見事なもの。ただ、中身があるかと聴かれればちょっと疑問ですが。だから、二重唱は音楽的には完璧って所ですね。
 カップッチルリはやっぱり直情的な男らしさっていう点では申し分ないんだけど、もう少し変化球あってもいいかなってっていうのはぜいたくか。グリストのオスカルはこの役の中では一番ではないでしょうか。テクニック的にも音域的にも彼女の声に合ってるし、何よりも爽快感ただよう歌唱は、ある評論家に言わせれば「小股の切れ上がったオスカル」です。コッソットのウルリカはいいんだけど、声出すぎ。また、この役のおどろおどろしさに合ってるかといえばちょっと疑問が残る。事実彼女実演ではあんましこの役歌ってないみたいだし。
 ところで、この盤では終幕のアメリアとリッカルドの対話の伴奏部分、弦楽四重奏で演奏してます。スコアにはピッコロオーケストラと指示があって、実演でも何本かの弦楽合奏でやるのが普通なんだけど、それがはかなげな感じを出してて非常にグッドです。この曲を非常にきちんと音楽にした演奏だと思います。


 ショルティ/ローマ聖チェチーリア音楽院o/@ベルゴンツィAニルソンBマックニールCスタールマンDシミオナート
 
 結構キャストにうならさせられる演奏ですね。この盤は実はユッシ・ビヨルリンクがリッカルドを歌う予定だったらしいです。ていうか、第一幕までは順調に録音されたそうですが、彼と指揮者の折り合いが悪く、ビヨルリンクが怒って降りてしまい、その後急逝してしまったらしいです。もし実現してたらすばらしい演奏になっただろうに...ニルソンとあわせてスエーデンコンビで。
 さてその代役にたったベルゴンツィですが、これもまんざら悪くはありません。彼特有の少し振りかぶったような歌い方が、ここでは威厳につながっていて、リッカルドの高貴な感じを出しています。特に面白いのはウルリカの場で、彼女の予言をせせら笑いながら歌うところ。彼独自の歌い方で、笑いを巧妙に交えながら歌ってまして、面白いです。ニルソンのアメリアは高音や声量は完璧なんですが、情感に乏しいのはいつもながら。また、イタリア語の発音の不明瞭さも気になるところです。しかし、堂々たるアメリアですが。
 マックニールにレナートは相変らず、声だけは響いててもこれまた情感に欠けてます。彼を聴いて巧いと思ったためしがないんですが、せめて役に見合う感情表現が欲しいところです。スタールマンのオスカルもシミオナートのウルリカも、きれいに歌えてはいるんですが、どうもクールな印象が付きまとう。ショルティとベルゴンツィの熱い演奏を周囲が冷静に見ているといった感のある演奏です。


 ヴォットー/ミラノ・スカラ座o/@ディ・ステーファノAカラスBゴッビCラッティDバルビエリ
 
 モノラルですが、非常に優れた演奏です。まず特筆すべきはカラスのアメリア。アメリアは必ずしもカラスを必要としない役だと思うんですけど、彼女は自分の意志をしっかりもった女性としてこの人妻を演じています。特に、第ニ幕第一場の彼女のモノローグ。声だけでオーケストラと対峙し、この緊張感を作り上げる。正に感服ものですね。それから第三幕第一場の悲哀。あの第二幕第一場の三重唱の歌いだし(すごくリズム的にも声域的にもやなところ)を、実に思いつめた表情をこめて歌っている。誰もが歌うことで精一杯のこの役を、しいかり自分のものにしているカラスの歌唱は、アメリアにまったく新しい側面を与えた演奏だと思います。
 ディ・ステーファノのリッカルドはスカラのライブではちょっとまちがったりしてるけど、ここではそのよく伸びる声を使って、若々しいリッカルドを歌ってます。本当に美しくイタリア語を歌い上げるこの人の持ち味が、きちんと生かされていると思います。ゴッビのレナートは最初の忠誠のアリアから、腹に一物あるように聴こえるのはどうか...悪者になってからはいいんだけど、それまでのレナート像は彼のちょっと投げやりで、荒い歌いかたが裏目に出ているような気がします。
 エウジェニア・ラッティは自分的に好きなセカンドソプラノです。声量とか音色とかあんましよくはないんだけど、地味溢れる古風な声が結構好きです。(あと同じくカラスの「夢遊病の女」などに出てます。) ここのオスカルも声楽的には技術はともかく、控えめな歌唱が返って面白い味を出していると思います。バルビエリはあの独特な乱暴な歌い方(ちなみにほめてます)がここではウルリカのどす黒さを硬質に表して見事。アンサンブルでもカラスと対等に張り合ってます。    


 アバド/ミラノ・スカラ座o/@ドミンゴAリッチャレルリBブルゾンCグルベロヴァーDオブラスツォワ
 
 定番と言われている演奏。たしかにキャストにしても傷がないし、完璧な演奏ではある。しかし、何か作為的なものを感じてしまうのは私だけだろうか。テンポの設定やディナーミクを取ってみても、妙にまとまりすぎていて開放感が無いのである。まあ欲を言っているのかもしれないが、それにしてもこの情動うごめくオペラにとってきちんとしすぎているということはやはりどうかと思うのである。その原因は指揮者だけにあるとはいいがたいかもしれないが、アバドの演奏態度が原因の多くの部分を占めていることは確かであろう。
 ドミンゴはムーティ盤に比べると、若さという点で衰えているかもしれないが、その分滋味豊かな伯爵を聴かせる。したがって終幕における心理描写など、見事なものである。リッチャレルリは薄倖なアメリアを歌いだして見事なものだが、高音部になると声が開いてしまって、求心力がなくなるのが気になるところ。また、音楽と言葉の捉え方が、少々通り一遍で、ステレオタイプに聴こえるところがある。ブルゾンは、いつもと変わらず声で勝負している。特に第二幕で伯爵に追っ手の存在を教える部分は、どの盤よりも緊迫感あふれている。オブラスツォワはスカラでブーイングを受けた因縁のウルリカ(でも、あれは彼女がウルリカをまだ歌うべきではないという意味が込められた、好意的ブーイングだったらしいが)だが、いぶし銀のように輝く彼女の独特のメゾが生きていて素晴らしい演奏である。グルベロヴァーは世間的に評判はいいが、せかされるテンポのせいもあって、力を出し切れていないような気がする。オスカルのフレーズは独特のキラキラ感が必要な部分もあり、そこで彼女は高音域のどんな短いパッセージでも歌ってしまうので少々ウェッティな印象を与える。もう少し本当に軽いソプラノに譲る役ではあろう。脇役ではあるがトムをライモンディが歌ってきりっと引き締めているのが印象的である。
 けなすような形になったが、このオペラの姿をすっきりと示したという意味では、ムーティ盤と並んでいい演奏だと言えると思う。


 ディヴィス/コヴェントガーデン王立歌劇場o/@カレラスAカバリエBヴィクセルCガザリアンDペイン 
 
 若き日のカレラスを聴くための盤か。まだ病を得る前のカレラスは本当にみずみずしい美しさを湛えている。ある意味テノールが主役のこのオペラにとっては、そのことは重要な要素を占めている。しかし、残念なことにその他のキャストに問題がありすぎる。
 カバリエは、相変わらず弱音を駆使して見事な歌いぶり。第3幕冒頭のアリアなど、まさに陶然としてしまう。だが、これと両刃の刃であるところの彼女のリズム感の欠如(欠如というか独自の解釈?)が全体の足をひっぱり、例えばアンサンブルで彼女が絡むとことろ(例えば第二幕二重唱からフィナーレ)になると俄然テンポが落ちたりして、音楽の流れと求心力が止まってしまうところがある。これはやはりいかに彼女の声が美しくても致命的なことでる。ヴィクセルはまたいつものように、表面的な悪の表出は大変結構だが、感情表現が声と連動していなくて、いつもながら「しらける」演奏。どっちもどっちなんだが比較すると今回はマックニールの方が上だったりする。ペインは声が重いし高音にものびがない。ガザリアンは女性らしさが表に出過ぎる。要は二人ともミスキャストに近いような気がする。
 それでも、カレラスの歌声の魅力には抗しがたいので、そのためだけにこの盤を聴くことは多いです。どう考えてもベストキャストと言うよりは、フィリップスの持ち駒を使ってのやむなきキャスティングの感がある演奏だと思う。それで、ディヴィスがいい演奏を繰り広げてるかといえば伴奏に終始していると感じますが...


 バルトレッティ/ローマ聖チェチーリア音楽院o/@パバロッティAテバルディBミルンズCドーナトDレスニック

 何かテバルディの衰えがいつも表に出されるディスクであるが、本当にきちんと聴いていってるんだろうか?
 確かにテバルディ当時48歳で衰えが早かった彼女の、しかも最晩年期の録音になる。だからハイCとか最盛期のころから危うかった音域では確かに苦しいところも散見される。しかし、彼女がそれを補って歌う様子・努力はすごいものだと思う。当時新進のパバロッティとからんでもおよそ風格と言う面で劣りはしないと思う。だから、ある意味理想のアメリアである。そして、カバリエのようにできないからといってテンポを落とすと言う対症的演奏になっていないところもすごいと思う。
 そのパバロッティは実に心地良く歌っている。まるで空気を吐くようになめらかな伯爵像である。後年の演奏に聴かれるような滋味はないにしても、第ニ幕第三場のアリアなど輝きはかなうものなしという感じです。ミルンズもめずらしくここでは好調。あまり器用ではない声を彼なりに使って、苦悩と言うよりは男らしく若々しいレナート像を作っている。
 脇役二人も大変よい出来。ドナートのみずみずしいオスカルは特筆に価する。彼女活躍の場がドイツ圏だったために、あんましイタリアオオペラ録音してないんだけど、たとえばムゼッタとか歌ったらいい味出してくれてたと思うんだけど。レスニクのウルリカは高音域はちょときついもののおどろおどろしさではベストの出来。特に闇に響くような低音域を聴くと、他のウルリカが物足りなくなります。
 バルトレッティも評価が低い歌劇指揮者だが、ここでは新旧それぞれの個性を統一して見事な演奏を繰り広げていると思います。ちょうど、ダブルDeccaでもでたことだし、実は結構お薦めの盤ですね。

 トスカニーニ盤。ガヴァッツェーニ/ポッジ/ステルラのDG盤。ラインスドルフ/ベルゴンツィ/プライスのRCA盤。また、最近のショルティ/パバロッティ/M・プライス盤。カラヤン/ドミンゴ/バーストウ盤。リッチ/リーチ/クライダー盤など未聴です。お聞きになられた方、ぜひ感想をお聞かせください。

  私の観た映像

 パタネ/メトロポリタン歌劇場o/@パバロッティAリッチャレルリBキリコCブレゲンDベリーニ
     演出:モシンスキー           
  
 メトの旧盤。ボストンを舞台にしたほうの演奏である。
 パバロッティの歌と演技が光る。あとで述べる11年後の演奏に比べて、ここではありあまる声に渾身の力をぶつけて見事な演奏である。リッチャレルリは声的にはCDの範囲を超えていないのだが、やはり容姿が美しいのが映像では映える。追い詰められて苦悩に悩む人妻像をよく演じている。キリコはどうみてもリッチャレルリの父親に見えてしまってしょうがない。それに、声と演技が初めから腹に一物あるように見えてしまうのも、キャラクター的に損をしている。
 ブレゲンのオスカルは背丈もかわいらしく、うってつけの配役だが、ちょっとこせこせした歌いかたが違和感を感じる。それにちょっと指揮者見すぎじゃない?ベリーニのウルリカは凄みに欠けるし、アンサンブルでも声量的に埋没してしまうのでちょっと物足りない。
 演出は極めてオーソドックスなもので、くすんだ色調を基調に落ち着いた舞台づくりをしている。


 レヴァイン/メトロポリタン歌劇場o/@パバロッティAミッロBヌッチCブラックウエルDクィヴァー
        演出:ファッジョーニ
 メトの新盤。スットクホルムを舞台にした方の演奏である。
 考えてみたらこっちは国王なんだから、より一層の気品を歌いださなければならない。すこし落ち着いたパバロッティは相変らず危なげなくこなしている。ただし、容姿が少しデカすぎるところがリアリズムに欠けるかもしれん。ミッロはメトの常連ながら毀誉褒貶激しい人だが、私的には彼女のこってりした歌声は好きである。多少感情表現希薄になるところも感じられるが、それを演技力で補ってあまりある。第二幕冒頭などホロリとさせられてしまう。(関係ないけど、彼女ベッド・ミドラーに似てると思うのは私だけ?)
 ヌッチはあの独特の口の形の発声がいつも気になるのだが(どうして誰もこのことについて言わないのだろう?かなり気になるのに)、どちらかというと知的なレナート作りをしている。実はこの3人わりとリズム感よくて、第二幕の三重唱とか割と聴かせる。
 ブロックウエルは結構歌えてるんだけど、少しキレに欠けるきらいがある。クィヴァーはまことに豊麗な声で歌っているが、もっとどろどろすべきだと思う。私は個人的にヴァーレットあたりがこの役を歌うのが一番いいだろうと思ってるんだけど。
 旧盤と同じくシックな作りの舞台だが、第三幕の舞踏会の場のバレエ挿入などは、いっそう華やかである。それにしても、ウルリカの家立派過ぎて工場みたいに見えるのが気になるところ。

 
 ショルティ/ウィーンpo/@ドミンゴAバーストウBヌッチCヨーDクィヴァー
        演出:シュレシンガー
 ザルツブルグ音楽祭のライブ。本来ならカラヤンが振るはずだった演奏である。ストックホルムを舞台としている。
 ドミンゴが長いガウンを着た気品はやはりパバロッティを上回ってしまう。かっこいいのである。だからその分歌でパバロッティに劣っていても五分五分か。でも声のありかたとか違うんで同列には述べられないけど。後年のカラヤンは絶対に容姿も歌手選択の重要な要素として扱っていたと思う。バーストウの起用はそうとしか考えられない。彼女はイギリスで随分キャリアが長い歌手だが、やっとここでメジャーデヴューである。声は独特のしわがれ声(ちょっと失礼か。少し障害物があるような発声?)で必ずしも聴きやすくないが、上背の高さがすばらしい。ドミンゴと並ぶと圧倒的な迫力である。したがって、ドレスがよく似合う。絵的な部分も評価すればとてもいいアメリアである。
 ヌッチはここではメトの2年前でありながらとっても若いいでたちで、恋の鞘当が認識できてとてもよい。声の調子もここでのほうがよいようだ。
 新進スミ・ヨーのオスカルは、慎重さが気になってしまうが、それでも十分かわいらしいオスカル。ちょっと声量の無さが気になるところ。これまた新進クィヴァーもここでの方が出来がよい。
 演出は舞台を大きく使って見事。最初の場面ではエスキモーみたいな人も登場して、スェーデンの雰囲気を出している。そして最後の幕はめずらしくグスターヴォがピストルで(しかも2回も)撃たれる。回り舞台を使ってなかなか見せてくれる。

 
 ディ・ファブリティース/NHK交響楽団/@ベルゴンツィAステルラBザナージCグリエルミDダニエリ
              演出:ノフリ
 1967年のイタリア歌劇団公演のライブ。何分にも時代だけあって、演出上は物足りない。
 ベルゴンツィ全盛期の声はすばらしい。ここではライブの高揚感も伴って、いっそうの熱い演奏を繰り広げている。しかし、思ったより彼は背が高くないので、かつらを高く結い上げているのはほほえましいかぎり。ステルラは大変美しいのだが、いつものように歌が平板のなのでキャラクター的に不満が残る。発声もすばらしいのだが...ザナージのレナートは予想よりもいい出来、その明るい声をよく生かしている。グリエルミのオスカルはチャーミングだが、今となっては技術的に物足りない。ダニエリのウルリカもちょっと声量不足の上、おばさんみたいである。まあ、ベルゴンツィを堪能する映像ですか。