上毛の謎(群馬県はなぜ上毛か?)

(98/9/16)


この話は,97年11月,群馬県出身S君(高知県)へのメールを元に再編集したものです。


 群馬県といえば、「上毛高原」「上毛新聞」「上毛高原牛乳」ですよね。
 発音は「じょうもう」と発音しますが・・・・
 以前私、この「上毛」というのにひどく興味を持ちまして、いろいろ調べてみました。
 ○「上毛」地方とはどこを指すか?  ○「上毛」に対して「下毛」はあるのか?
 取材は、職場内の群馬県出身者に対する対面調査、上毛高原駅の駅員と対面調査、上毛高原駅近辺の商店の人に対する対面調査、群馬県民に片っ端から対面調査等を2年間程度にわたって行いました。

 しかし、いずれも決め手になる情報はなく、結局、草木ダム近くの「草木レイク」か、近くの宿舎の図書室で群馬県やその地方の歴史の本でおおよそが判明しました。
 以下、調査結果を記載します。
  1.  その昔、関東地方北部は「毛の国」(けのくに)と呼ばれていた。
     南九州は「火の国」、北陸地方は「越の国」(こしのくに),山陽の東部は「吉備の国」等といったレベルの話です。

  2.  「毛の国」は面積が広く、一つ縄で「毛の国」と呼ぶには不都合が生じてきたので、便宜上「毛の国」を東西2つに分けて呼ぶようになった。
     つまり今の群馬県側を「上つ毛の国」(かみつけのくに)、今の栃木県側を「下つ毛の国」(しもつけのくに)である。要するに京都に近い方が「上」(かみ)であり、遠い方が「下」(しも)である。

  3.  ところで、「毛の国」が東西に分割されたとき、平仮名はまだなかったので、「上つ毛の国」「下つ毛の国」をそれぞれ、「上毛野国」「下毛野国」と漢字表記した。

  4.  時代は下がって、「上野国」「下野国」と漢字表記し「かみつけのくに」「しもつけのくに」と読むようになった。
     なぜか、ここに至って、本来の「毛」が漢字表記から落ちてしまう。

  5.  平安時代後期、足利尊氏、新田義貞の時代、両地方は豪族が割拠しお互い侵略、奪略を繰り返し、やがて住民同士間で対立感情が発生する。

  6.  さらに時代は下がって群馬県と栃木県の間で「八木節紛争」が始まり,両者のお互いに対する感情は悪化の一途をたどる。

  7.  群馬県民は歴史をほじくり返し、自分たちを「上毛」と表記した。
     その時、なぜか読み方が、「かみつけ」であるはずが、「じょうもう」と呼んだ。
     これは、暗に、栃木県を「下毛」(かもう)と、陰毛呼ばわりするためだと推定する。

  8.  群馬県民は自分たちの地方を「上毛」と呼ぶようになった経緯を忘れてしまい、当然の様に、群馬県地方を「上毛」と呼んでいるのが現在である。
     私が推測するに、これは栃木県民に対する嫌がらせの意味合いも深層にあると思う。

 以上が私の約2年間にわたる調査と分析の結果です。

S君より以下の返事を頂いております。
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K大のSです

 群馬の情報ありがとうございました。
 ぼくも「上毛」について知識がなくて、群馬県民としては知っておくべきだろうと思い両親に尋ねたことがありましたが、知っておらず、機会があったら調べたいなと思っていたのですが、やはり、県民の大多数は由来を知らないようです。

 確かに、「下毛新聞」というのは聞いたことがありません。
 ないですよね?

 高校時代に、足利高校との”対抗戦”(”たいこう”という字は忘れてしまいましたが、確かこうだったと思います)というものがありました。

 太田高校と足利高校とで3年に一度、スポーツで対戦し、全校生徒が参加、綱引き、騎馬戦もあります。
 新田氏と足利氏の旗も登場しました。
 会場はその回毎にかわり、ぼくが出た年は足利高校でやりました。
 僕は綱引きに出場しました。
 総合の勝敗は忘れましたが、楽しかったです。
 (1日でやるので授業がありません)

大変有益な情報をありがとうございました。
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