遊び心研究室 研究報告
饅頭の歴史
〜解き明かされる饅頭とある主婦との赤い糸〜
 (2001/2/23)


【1:調査の発端】
 この調査の発端は、あるネット上の掲示板(Design Office ひつじ堂)での、2人の主婦の方の会話が発端となった。

 その掲示板の常連であるひよりさんは、「あんこを1kgもらって、なに作ろうかと考えている間に、気がつくと一人で全部食べてしまった」などと書いている甘いもの大好き主婦である。以前からの書き込みでおおよそ愛知県三河地方のかただと私は推定していた。
 そのひよりさんが、またしても「知人から羊羹3本、饅頭20個、そして数え切れないほどのきんつばを貰ってひどく幸せだ」と掲示板に書き込みをした。なんでも宮内庁御用達の製品であるらしい。
 で、それに対して別の常連の主婦まみママさんが「それって、虎屋?」って短い質問を入れた。すぐさま「塩瀬総本家」とひよりさんが答えた。

 それを見ていた私は「『塩瀬総本家』??なんじゃそりゃ?聞いたことないぞ、まぁもともと饅頭などには興味はないが、主婦の方々があたりまえの事のように会話しているとなると、こりゃ一般常識なのじゃろうか?それを知らないワシはきっとトンでもない厚顔無恥な常識知らずの間抜け人間なのじゃろうか?」といささか不安さえ覚えたのだ。

 ということで、全く知らない事って、調べたくなるのが人情である。
 さっそく、どこに店があるのか、どんな店なのか、どんな饅頭を作っているのかと、検索エンジンで「塩瀬総本家」のホームページを探し始めた。

 ところが、ヒットするのは、饅頭の起源・歴史についてのページばかりで、塩瀬総本家のホームページは見つからない。もし、塩瀬総本家のページが見つかれば、それで「あっ、そう」で終わるはずだったのが、塩瀬総本家のページが見つからないばっかりに、饅頭の歴史についての調査がまとまってしまったのである。

 ということで、日本における饅頭の起源を中心に報告するものである。


【2:饅頭の発案】
 伝説によると饅頭の発案者は、三国志で有名な蜀の軍師、諸葛亮孔明(181-234)だということになっている。孔明が南征の時に川が氾濫していて渡れず、人の頭を河神に捧げれば鎮まるという地元の風習を聞き、人頭の代わりに羊豚の肉を小麦粉で作った皮でくるんだものを人頭に見立てて捧げたというのが饅頭の始まりであるという。


【3:日本への伝来】
 上記のように、伝説とはいえ、饅頭の発案者が中国の諸葛亮孔明であるならば、日本の饅頭は中国から伝来したものか、あるいは中国の饅頭とは別に日本独自に発生したものかという問題になる。

 ところで、日本の饅頭には大きく分けて、虎屋系と塩瀬系の2系統の饅頭があることがわかった。びっくりである。両者で何がどう違うかは、報告により違いがあったりしてここで断言することは出来ない。私など「饅頭?穀類の粉で作った生地で、生地とは別の物体をくるんで丸くして食えるようにしたものなら、なんでも饅頭じゃないの?そうだ、たまに生地だけの単一のマテリアルで出来ているモノもあるね、え?それは団子だったっけ?」って思っているぐらい饅頭に無頓着だったから説明を読んでもピンと来ない。味わって食ったことなかったしな。

 だだ言えることは、日本の饅頭には大きく2つの系統が歴然として存在し、その2系統とも、起源は仏教関係者によって中国から伝えられたとされることで、日本古来のオリジナルではなくて、中国に由来する外来の食い物であり、それを改良発展させたものであるということである。

 さて、日本の饅頭は大きく分けて虎屋系と塩瀬系の2つがあると書いたが、その2つで中国からの伝来に関しての歴史が異なる。

 一般的に史実として認定度が高そうと思えるのは、塩瀬系にまつわる話で室町時代の初期、南北朝時代に、中国の人、林浄因(りんじょういん)が日本に伝えたという説である。

 虎屋系については、鎌倉時代に中国帰りの聖一(しょういち)国師が博多の茶屋の主人に製法を伝授したというものであるが、こちらは、伝説の域を超えられぬ説のようである。


【4:林浄因と塩瀬総本家】
 まず最初に、史実として認定度が高いと判断される塩瀬系の南北朝時代説について述べる。

1. 林浄因、奈良にて日本初の饅頭を作る
 暦応4年1341年(*)、建仁寺第三十五世、徳見竜山禅師が中国から帰国するさい、杭州出身で、禅師に帰依していた林浄因(りんじょういん)が禅師に従って来日した。浄因は奈良に住み、日本で初めて饅頭を作り販売をした。後村上天皇(後醍醐天皇の息子1328-1368)に饅頭を献じたことが縁で、宮中に仕える女性と結婚、二男二女をもうける。漢国(かんごう)神社社頭の林小路で店を開いて大繁盛したが1358年禅師が亡くなり、翌年、浄因は妻子を残して帰国してしまった。しかし饅頭の製造販売は家業として子孫によって受け継がれた。

 現在、奈良駅のほど近くの漢国(かんごう)神社の内部に、林神社がある。そこに林浄因は饅頭の始祖として祭られており、毎年、浄因の命日4月19日には、全国から饅頭業界関係者が集まり饅頭祭りが行われている。

 *)1341年:1350年との報告もある

2. 林一族三河国塩瀬村に移住
 浄因の孫、紹伴(*)は応仁の乱(1467-1478)をさけ(*)、三河国設楽郡塩瀬村に疎開し、一族は塩瀬姓を名乗るようになった。このことから林一族のつくる饅頭を“塩瀬饅頭”と呼ぶようになった。

 このころ饅頭の皮を山芋を使って膨らませる製法を中国から導入した。以来山芋を用いた薯蕷(とろろ)饅頭の系譜はすべて“塩瀬饅頭”とも呼ばれる。

 この設楽郡塩瀬村とは、現在の南設楽郡鳳来町(武田騎馬軍団と織田・徳川の鉄砲隊が激突した長篠の戦い(1575)があったところ)の塩瀬という集落(JR長篠城駅から国道257号線を北西に約13km、左折)であるらしい。詳しくは後述する。

 *)浄因の孫、紹伴:林浄因5代目との報告もある。また表記を紹袢とする報告もある。
 *)応仁の乱をさけ:奈良に住んでいた一族がなぜ京都の応仁の乱をさけなければならなかったのか?ちょっと疑問。

3. 京都進出
 紹伴は1447年頃、京都に出て饅頭を販売、足利義政 (1435-1490) に饅頭を献上し「日本第一番本饅頭所」の看板を授かる。紹伴の子、宗味は、千利休(1522-1591)とも親交があり縁戚にもなった。現在も烏丸三条付近を饅頭屋町と称するのは、一族がそこに店を構えたことによる。京都五山の一つ建仁寺には、一族の墓所、饅頭屋始祖林家墓(*)がある。

 *)そこに店を構えた:烏丸三条に店を構えたのが紹伴からなのか宗味からなのかは不明
 *)林家:寛政十年(1798)浄空に至って林一族の家系は断絶したとの報告もある。


4. 現在の塩瀬総本家
 林浄因からつづく「塩瀬」は家康の江戸開府(1603)に伴い、江戸に出店する。この系譜は代々受け継がれ現在東京都中央区明石町7-14( TEL 03-3541-0776)にある「塩瀬総本家」(*)に繋がっている。
 1986年、林浄因の故郷、杭州西湖聚景園に浄因から数えて34代目当主川島英子氏によって林浄因の顕彰碑が立てられた。祖先への感謝を込め、そこで毎年地元の人たちに紅白饅頭を配るのが恒例であるとのことである。

 *)塩瀬総本家:いつ本店を東京に移したのか、京都に店が残っているのかは不明

 以上は私のWebでの調査であるが、これらの事情は上記、34代目の塩瀬総本家当主、川島英子氏が詳細に調査されたようで、『塩瀬六百五十年のあゆみ―まんじゅうの歴史』(川島英子著,1996)にまとめられていることが分かったが、非売品である。


【5:鎌倉時代説】
 では次に虎屋系の鎌倉時代説である。
 これは、史実というより、伝説といったような雰囲気で、史実かもしれぬが、それを裏付ける資料に乏しいということのようだ。

 鎌倉時代1241年、東福寺開祖の聖一(しょういち)国師(1202-1280)が中国より帰国する。その後聖一国師は承天寺を建立するため博多に出向く。その地で、茶屋の主人栗波(くりは)吉右衛門に饅頭の製法を伝授したというものである。

 その時『御饅頭所』の看板を揮毫し吉右衛門に渡し、吉右衛門は「虎屋」という屋号で饅頭屋を開業したという。その看板が現在東京赤坂の虎屋にあるという報告を見つけたが、虎屋のホームページでは聖一国師や看板に関する記述は見つけられず、饅頭の伝来は室町時代であろうというスタンスになっている。

 別の頁では、聖一国師はうどん屋の神様であり、うどんも小麦粉で作ることから、小麦粉から、饅頭状の食い物が作られた可能性はあるとの推察を見つけたが、私の調査では聖一国師が「うどん屋の神」という報告が他では見あたらない。ただ京都東福寺に「聖一国師製粉の図」というのがあり、製粉と聖一国師は関係がありそうである。

 なお聖一国師は、静岡にお茶を伝えた「お茶の神様」という報告は多数あり、現在の静岡市足久保に聖一国師がお茶の実を植えたのが、静岡茶の始まりとされている(最初に日本にお茶を伝えたのは栄西(1141-1215))。


【6:塩瀬村はどこか】
 さて、塩瀬饅頭の名前の由来となった三河国設楽郡塩瀬村が現在のどこになるのかの調査の結果を報告する。

 まず、三省堂Web Dictionary のコンサイス日本地名辞典で「塩瀬」を全文検索にかけた。
 この辞書には現在の自治体名と、現在の自治体が合併吸収した過去の自治体名を検索できるようだ。しかし集落名については網羅していない。試しに私の実家の集落の名前を検索してみたが全くヒットなし。

 この辞書での「塩瀬」の検索結果は、愛知県内では「塩瀬」という地名はヒットしなかった。つまり、明治以降の自治体の制度が確立した頃にはすでに「塩瀬」という名は、自治体名としてはなかったということである。

 しかたないので、昭文社の愛知県分県地図を引っぱり出しテーブルの上に広げて、塩瀬という集落名をくまなく探すという非電子的な戦術の決行を決意する。

 実際に広げてみると、設楽郡は現在北設楽郡と南設楽郡に分かれていて、その両者を併せると、愛知県の東北部をかなりの範囲でしめる広大なエリアであることが確認できた。さて、この中から「塩瀬」を探すわけだ。一瞬めまいがした。
 が、それも5分ぐらいで終わった。幸いなことに、鳳来町の中心部から北西へ13kmぐらいに、確かに塩瀬という集落があるのを発見する。

 さて、この「塩瀬」が三河国設楽郡塩瀬村の塩瀬なのだろうか?
 この調査の発端となったひよりさんは、掲示板の中での発言などから、愛知県三河地方の住人と推定していたので、もしかしたら、この塩瀬集落について何か情報をもっていらっしゃるかと、あるいは、鳳来町あたりに知り合いでもいらっしゃるかと、これまでの饅頭に関する調査と併せて、この塩瀬発見の報告をしてみた。

 すると、ひよりさんから、当日のうちに、なんと「その塩瀬って私の実家のすぐ近く!」と返事があった。私も大興奮であった。すぐに実家のお父さんに確認の電話を入れてくれたようだ。翌日、ひよりさんから取材結果として「その塩瀬は饅頭の塩瀬に間違いないようだ。数年前塩瀬総本家の女社長さんが来て詳しく調べて帰ったことがある。社長さんは調査結果をもとに本を書かれたが非売品だ。」というお父さんからの情報を頂いた。

 まぁ私も興奮だが、ひよりさんの方はもっとびっくりされたことだろう。なにせ、甘い物大好きで、饅頭や羊羹をもらってニコニコしていたら、いきなり「あなたが食っているその饅頭は、あなた自身と赤い糸でつながっていたのだ!」と全然関係ないところから突然指摘されたわけだから。あわててお父さんに問いだたすと「うむ・・・お前には今まで黙っていて済まなかった。実はそのとおりなのじゃ。」とか言われて・・・さぞやショックだった事だろう。

 もしかして、ひよりさんには、塩瀬に移り住んだ林浄因の子孫の血が混じっているということもあり得ない話ではない。甘いモノ大好きなのも、もしかしたら、この血がひよりさんを甘いものに駆り立てるのかもしれぬ。まさに赤い糸である。

 現在、鳳来町でも、自分たちの住んでいるところが饅頭由来の土地ということについては、塩瀬総本家の社長の取材に対応した人たちが、その取材によって初めて知ったという状況で、ほとんどの方々はこのことについてご存じない状況であるらしい。


【7:考察】
 林浄因が饅頭の起源と言われるのは、史実と、現在の饅頭との関係がはっきりしているせいであろう。

 林浄因以前にも饅頭のようなものが日本にもあったと思われるが広まらなかったり、伝承されなかったものと思われる。かたや林浄因やその一族は宮中や政治的有力者とのつながりが強く、一気に広まり、饅頭が認知されたものと思われる。

 林浄因に起因する「塩瀬総本家」の名前の由来となった、鳳来町塩瀬において、現在地元と饅頭との関係が一般に知られていないというのは、はなはだもったいない話である。鳳来町と塩瀬総本家とジョイントで饅頭を使って町おこし村おこしのネタにすればいいのではないか。世の中町おこしをしようにも独自性のあるネタがないところが多いのに、この話を利用しない手はないと思う。(まぁ地元にも饅頭業者の方々がいて、地元以外の別の企業の宣伝になってしまう危険性が高いのが、ちょっとつらいところではあるが・・・)

 また、今回の調査で、奈良、京都、東京、そして中国杭州と饅頭にまつわる関係地が広く分布し、また諸葛亮孔明、後村上天皇、足利義政、千利休などと歴史上の人物も数多く登場する。鳳来町で地元の小学生にふるさとの歴史に関する社会科の資料として利用するということは、大変有意義なことだと考える。


【8:あとがき】
 今回の調査を調査結果として報告するには、既往のページの数多くの報告を寄せ集めただけの報告となり少し面白味には欠けるようにもある。しかし調査の成果以上に、調査の発端がひよりさんにあり、調査の結果は思いもかけずそのひよりさん張本人と饅頭が赤い糸で結ばれていたということが明らかになったという点で、経緯に何か因縁じみたものを感じて驚いている。ワシが驚くぐらいだから当のひよりさんは大変な驚きだったと思う。

 それも多くの偶然か重なっての結果である。その偶然とは、まず、ひつじ堂さんの掲示板があったこと。ひよりさんがそこで甘党だと自白していたこと。ひよりさんが羊羹や饅頭をたくさんもらったと書いたこと。まみママさんが「それって虎屋?」って聞いたこと。私が「塩瀬総本家」について全く知らなかったこと。「塩瀬総本家」のホームページがなかったこと。塩瀬総本家当主が塩瀬を数年前に調査していたこと。ひよりさんのお父さんが、当主の調査について知っておられたこと。などなどの偶然が重なりに重なり、ついに発端になったひよりさんにとって、ご自分が大好きな饅頭と自分との赤い糸が解き明かされる結果となったのだ。

 この報告を、ひよりさんと、ひよりさんのお父さんに捧げます。

2001年2月吉日 遊び心研究室 harry 謹白
harry.hayashi@nifty.ne.jp

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【参考サイト・引用サイト】
 今回の調査では以下のサイトを参考にさせて頂きました。
 有意義な情報発信をされておられるみなさんに感謝と敬意を表し、紹介させて頂きます。

 上段はホームページ
 下段は該当するページ

全国名菓探訪
http://www.meikatanbou.com
http://www.meikatanbou.com/chi_/chi_s/chi_s01.htm
 (諸葛亮孔明・林浄因・聖一国師・虎屋系・塩瀬系など)

浦野エマージュホームページ 
http://www.kcn.ne.jp/~urano
http://www.kcn.ne.jp/~urano/kankou/naramati/mati2.html
 (漢国神社・林神社・饅頭祭り)

奈良大和路の祭りを撮る<椿本歯科のホームページ>
http://www1.kcn.ne.jp/~ku-tsu
http://www1.kcn.ne.jp/~ku-tsu/matsuri2/manju.html
 (漢林神社・林神社・饅頭祭り)

御座候
http://village.infoweb.ne.jp/~gozasoro
http://village.infoweb.ne.jp/~gozasoro/si25.htm
 (林神社)

極める京
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kajyu
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kajyu/gozan.html
 (建仁寺・饅頭始祖林家墓・塩瀬村)

GNL(GREEN&LUCKY NET)からこんにちは
http://www2u.biglobe.ne.jp/~gln
http://www2u.biglobe.ne.jp/~gln/55/5511/551107.htm
(林浄因・塩瀬村・塩瀬系・聖一国師・虎屋系)

花乃舎
http://www.thetown.ne.jp/hananoya
http://www.thetown.ne.jp/hananoya/02.html
(林浄因・塩瀬村・塩瀬系・虎屋系・聖一国師・栗波吉衛門)

筑波大学附属図書館
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/exhibition/jyousetu/tsukubane/manjyuudesu.html
 (塩瀬・林浄因)

日清食品株式会社
http://www.nissinfoods.co.jp
http://www.nissinfoods.co.jp/main/men_cult/culture/05/text_05.html
(林浄因・塩瀬総本家)

随想舎
http://www.zuisousha.co.jp
http://www.zuisousha.co.jp/jihi95-99.htm
 (『塩瀬六百五十年のあゆみ―まんじゅうの歴史』川島英子)

全国和菓子協会
http://www.wagashi.or.jp/
http://www.wagashi.or.jp/origin.htm
 (諸葛亮孔明)

格闘帝国
http://home8.highway.ne.jp/kakutei/index.htm
http://home8.highway.ne.jp/kakutei/sangoku/koumei.htm
 (諸葛亮孔明)

和菓子屋 菓匠 美松 (南舘 尚のページにようこそ)
http://www.asahi-net.or.jp/~am2h-mnmd/
http://www.asahi-net.or.jp/~am2h-mnmd/yurai.htm
 (諸葛亮孔明)

マイ奈良
http://www.mynara.co.jp
http://www.mynara.co.jp/1DPic/d1-25.html
 (林神社・林浄因・杭州・諸葛亮孔明)

三井広報委員会
http://www.mki.co.jp/mitsuiPR/
http://www.mki.co.jp/mitsuiPR/graph/114/graph05.htm
 (林浄因・塩瀬総本家・杭州)

とらや
http://www.toraya-group.co.jp/top.htm
 (虎屋)

鳴海餅本店
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/sekihan/
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/sekihan/kigen.html
 (林浄因・林紹伴)

松月堂の紹介
http://www.sala.or.jp/~matu/
http://www.sala.or.jp/~matu/matu62.htm
 (聖一国師)

静岡市ホームページ
http://www.city.shizuoka.shizuoka.jp/
http://www.city.shizuoka.shizuoka.jp/tea/tea6.html
 (聖一国師)

三省堂Web Dictionary
http://www.sanseido.net
 (コンサイス日本地名事典:塩瀬という地名の検索)
 (大辞林:歴史上の人物の生没年、事件の年代など)

Design office ひつじ堂
http://www.hm2.aitai.ne.jp/~hitujido/
 (発端となったひよりさんとまみママさんの会話)

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