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2007年・7月 はいからの旅で 小諸へ
2007年7月21日下記のような日帰りバス旅行に友人を誘って行ってきました。


総勢13名。ご夫婦が一組、友人と二人連れが2組、あとは一人旅。しかも13人中二人が男性で、
残りは女性ばかり。その上だいたい70才以上のようでした。
朝起きた時は小雨が降っていました。首都高速から関越自動車堂へ進みましたが、
窓から外の景色は曇り空でまったく見えません。
日本ならではのトラックがいました。

暫くすると熱々のお茶のサービスです。 下右は高坂サービスエリアではす。
今日から子供達は夏休み、林間学校にでも行くのでしょうか、先生に引率された小中学生が一杯でした。

しばらく走ると道路の上に屋根が付いていました。これは両側にゴルフ場があるからだそうです。
高坂を過ぎてからですから上信越自動車道のどこかかもしれません。

幾つものトンネルを抜けると、太陽が顔をだしていましたが、山には雲が懸かっていました。
バスのガイドさんはしきりに榛名山も妙義山も浅間山も山が見えない事を残念がっていました。

小諸で高速道路をおり、間もなく 中棚荘 に到着しました。
藤村ゆかりの宿として売り出しています。
初めは中棚鉱泉として多くの人に開放し、後に温泉旅館になったと、女将さんが言っていました。
現在は五代目です。鉱泉を探しているときは藤村も一緒になって掘ったとか。
中棚はこの辺りの地名です。
駐車場で車を降り玄関までは坂を下りていきます。

坂の途中右に石段の小道がついています。これを上がって行くと、水明楼 があります。


昔はごく普通に見られた日本家屋です。


下左は台所で壁は石で固めてありました。右は書庫だそうです。

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昔は藁葺きの家だったようです。 パンフレットから拝借しました。 |
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藤村が泊まった頃の建物(大正館)で現在も使われ、 |
玄関前の木の切り株と水引草。

昔の雰囲気を残す玄関。

ロビーと右は島崎藤村が滞在していた客室。

その後新しい中棚荘(平成館)の玄関を入り、中を抜けて。


一旦建物の外へ、ビニールのトンネルをくぐり、昼食場所のはりこし亭へ。

江戸時代末期に造られ、藍染業を営んでいた築130年の古民家を移築したたてものです。



見た目は大変豪華なお料理。

当店お奨めの流水香し(木曽)と、デザート(西瓜とわらび餅の上にソフトクリーム)

玄関に人の目を引く焼き物がありました。何かなと思い訊ねてみたら、現代作家の造った照明器具だそうです。
家の外にいくつも置いてありました。なーんだ。

はりこし亭の名前の由来。
藤村の『千曲川のスケッチ』にも、「君はまだ“ハリコシ”なぞという物を食ったことがあるまい」という一節があります。
そもそも、このハリコシとは蕎麦粉でつくった餅のこと。炉端の熱い灰の中で焼いて食べたといいます。
梁よりも高く上げて練り込んだほうが美味しいことよりこの名がついたそうです。
店内の立派なケヤキの梁ともイメ−ジが重なります。
今でははりこし饅頭と言うようで、食べられるかなと思いましたが有りませんでした。
昼食後バスで5分程の小諸駅近くのシェイクスピア美術館へ。
シェイクスピア美術館
ここは下のパンフレットでも判りますように「偉大な文学を美術で鑑賞」できる美術館、
山中己充人氏のコレクション「戯曲の名場面が描かれた古典版画」が常設展示されています。
【コレクション代表作品】
「お気に召すまま」「ハムレット」「ジュリアス・シーザー」「リア王」「マクベス」
「ヴェニスの商人」「真夏の夜の夢」「オセロ」「ロミオとジュリエット」他


古典版画は黒一色で、その上に1枚づつ色をつけたそうです。
山中館長の話を聞き、古典版画を鑑賞しました。
直ぐ隣の小諸義塾記念館へ
小諸義塾記念館

明治26年、木村熊二が開いた私塾が、小諸義塾。 |
記念館の隣に「惜別の歌」の歌碑があります。


ボタンを押すと曲も流れます。この歌は島崎藤村の高楼という詩がもとになっています。
作曲されたのは私の古くからの友人です。この歌をご存知ないかたは、
http://bunbun.boo.jp/okera/saso/sekibetu_uta.htm でどうぞ。
帰りの道路はスイスイと予定より1時間半も早く東京駅前に着きました。
この「はいからの旅」は珍しいところへ連れて行ってくれます。食事もありきたりでは有りません。
時間的にゆったりしています。所謂 お土産やへは寄りません。
料金はちょっと高めです。今回は14,800円でした。
終わり
2007年7月23日作成