イスラム過激派関連事項とテロ事件の歴史
(2006年4月25日更新)
・・・・・・・このページはできるだけ更新のないことが望ましいのですが・・・・・・・

 赤色 はエジプト関連、  ピンク色 は日本関連、  茶色 はロシア関連 】

1967/06/10 第3次中東戦争でアラブ側の大敗北 <以後、世俗的な民族解放闘争や政治的運動に
        代わって、イスラムへの原点回帰(イスラム原理主義)の流れが大きくなる素地ができる>
1979/02/11 イラン革命。ホメイニ師勝利宣言。バクチアル政権崩壊。
1979/03/26 エジプトのサダト大統領がイスラエルとの平和条約を結ぶ
1979/11/10 サウジアラビアでメッカ聖モスク占拠事件(ヒジュラ歴1400年元日、約300人の武装集団が
        ハーリド国王の廃位とマフディ(救世主)の到来を告げる計画でアル・ハラム・モスクを占拠し、
        軍により鎮圧され、首謀者は処刑された。)
1979/12/27 ソ連によるアフガニスタンへの侵攻
1981/10/06 「ジハード団」により エジプトのサダト大統領暗殺される。
1983/10/23 「ヒズボラ」がレバノン・ベイルート駐留の米軍海兵隊本部に爆弾積載のトラックが突入し、
        ビルを倒壊させる。241名の米海兵隊員が死傷。(アメリカ軍のレバノン撤退のきっかけとなる)
                             

テロは1991年の湾岸戦争後に頻発するようになりした。湾岸戦争の後も、アメリカ軍がイスラムの聖地を持つサウジアラビアに駐留し続けていることが大きな素地となっているように思います。

1991/12/26 アルジェリアで初の複数政党制選挙でイスラム救国戦線(FIS)圧勝。
        欧米流の民主選挙ではイスラム原理主義政党が勝利するという事実に欧米諸国はジレンマ。
1991/02/09 1月の軍部によるクーデタ後の政権が全国に非常事態宣言し、FISに解散命令。欧米は容認。
        その後のテロと報復の応酬で10万人以上の犠牲者を出す。
1992/12/?? イエメン・アデンのホテルで米兵士を狙った爆弾事件
        (オーストリア人観光客2名死亡。ビンラディン関与とみられる最初の事件)
1992/12/?? ソマリアでアイディード将軍派がアメリカの進駐軍18名を殺害。死体を引きずり回すシーンが
        衛星中継される。(1993年、アメリカはソマリアから撤退。)
1993/02/23 ニューヨークの世界貿易センタービル爆破事件。8人死亡、1000人以上負傷。
1994/??/?? アフガニスタンでタリバンが結成される。
1994/12/10 第一次チェチェン戦争始まる。エリツィンの命令でロシア連邦軍が侵攻。
1995/06/26 エチオピア訪問中のエジプトのムバラク大統領暗殺未遂事件
1995/11/13 サウジアラビアの首都リヤドで国家警備隊施設爆破事件。米国人情報部員ら7人死亡。
1995/11/?? 在パキスタン・エジプト大使館爆破事件
1996/08/23 オサマ・ビンラディン「二聖地の国を占領する米国人に対する宣戦布告」
1996/08/31 第一次チェチェン戦争の終わり。(ダゲスタン・ハサブユルト合意)
1996/09/?? アフガニスタンではこの頃よりムハンマド・オマル師率いるタリバンがほぼ全土を支配
1996/06/25 サウジアラビア東部のダーランで米軍基地爆破事件。19人死亡、約390人負傷。
1997/09/18 エジプト・カイロ博物館前で観光バスに対してテロ事件 ドイツ人観光客9人を含む10人死亡。
1997/11/17 エジプト・ルクソールで観光客に対してテロ事件 日本人10名を含む観光客58人とエジプト
        人警官4人の計62人死亡。エジプト観光産業に大打撃を与える。
        (筆者は2001年8月に現場を訪れました。その時の旅行記は こちら )
1998/02/23 オサマ・ビンラディン「ユダヤ人と十字軍との聖戦のための世界イスラーム戦線」を結成し、
        「アメリカ人とその同盟者を民間人、軍人を問わず殺すことは、それが可能なすべての国にいるムス
         リムの個人的義務である」とのファトワ(教義判断)を発表する。
1998/07/20 タジキスタンで秋野豊氏殺害事件
1998/08/07 ケニアのナイロビ・タンザニアのダルエスサラームの両米大使館同時爆破事件。224人死亡。
1998/08/20 アメリカ(クリントン大統領)がアフガニスタンとスーダンに巡航ミサイルで報復攻撃
1999/02/16 ウズベキスタン首都タシケントの政府庁舎内と付近でカリモフ大統領暗殺を狙った爆弾テロ。
        大統領が政府庁舎に到着する数分前に起きた。約120人死傷。
1999/08/23 キルギス南部オシ州で日本人鉱山技師4人を含む7人を拉致事件。
        この犯人はウズベキスタンの過激派「ウズベキスタン・イスラム再生運動」であった。
        指導者ナマンゴニ野戦司令官は2001年11月の米軍によるアフガン空爆で死亡した模様。
1999/08/31 モスクワ・マネージ広場地下ショッピングモールで爆弾事件。1人死亡、40人負傷。
1999/09/04 ダゲスタンのブイナウスクで爆弾事件。64人のロシア兵および家族が死亡。
1999/09/09 モスクワのグリヤノフ通りのアパートで爆破事件。94人が死亡、164人が負傷。
1999/09/13 モスクワ、カシールスカヤ街道沿いのアパートで爆破事件。119人が死亡。
        エリツィン、全国的な「対テロリズム作戦」開始を宣言。
        「テロル99 我々は真実を知りたい」 は、99/8/31からの一連の事件を「血の9月」と称している。
1999/09/23 ロシア連邦軍がグロズヌイ空爆。第二次チェチェン戦争始まる。
2000/10/05 イエメン・アデンに寄港中の米駆逐艦爆破事件。17人死亡39人負傷
2001/03/?? アフガニスタンでバーミアンの石仏破壊
2001/09/09 アフガニスタンの反タリバン勢力「北部同盟」最高指導者マスード、自爆テロで殺害される
        (2日後の同時テロ事件と関連か?)
2001/09/11 世界貿易センタービルと国防総省への同時テロ事件

9/11とその後のアメリカによる報復戦争後、テロはますます拡大・拡散しています。アメリカはテロを根絶するためにやっているはずなんですが、的はずれもいいとこです。アメリカは世界全体を戦場にしてしまうつもりなんでしょうか。アメリカのやり方はこれを見ても根本的に間違っていると思います。イラク攻撃ともなれば、最悪の展開だと思います。その後数年以内に、アメリカ本土は予想も付かない規模での報復を受ける可能性が高まることを危惧します。

2002/04/11 チュニジアのユダヤ教礼拝所近くで爆発テロでドイツ人観光客ら19人死亡。
2002/09/05 アフガニスタン・カブールの繁華街で自動車爆弾テロで30人死亡。
2002/10/06 イエメン沖でフランスのタンカーが爆発炎上(自爆テロ)
2002/10/10 チェチェン・グロズヌイの警察署で爆弾テロ。警察官13人以上死亡。
2002/10/12 インドネシア・バリ島クタ地区のディスコで爆弾テロ(日本人2名を含む202人死亡)
2002/10/23 モスクワの劇場をチェチェン武装勢力が占拠。26日、特殊部隊が鎮圧。観客ら約130人死亡。
2003/11/12 ビンラディンの「肉声」がカタールの放送局アルジャジーラで伝えられる。(ビンラディンの生存は確定的)
2002/11/28 ケニア・モンバサでイスラエル人経営のホテルに対して3人の自爆テロで死者15人。
        同時にイスラエルの飛行機に対して地対空ミサイルで攻撃。わずか1メートル差で難を逃れる。

(11月28日の2つの攻撃があった時間は、ちょうどイスラエルのリクードの党首選挙の投票開始とほぼ同時刻であった。翌11月29日は、1947年にイスラエルの建国につながる国連パレスティナ分割決議が採択された日である。ハシムの「パレスティナ問題を考える」を参考にしてみてください)

2002/12/27 チェチェン・グロズヌイの行政府庁舎で自爆テロ。72人以上死亡。
2003/02/11 カタールのアルジャジーラ放送局がビンラディンの録音テープを発表。攻撃対象6カ国を明言。
        6カ国は「サウジアラビア、パキスタン、モロッコ、ヨルダン、イエメン、ナイジェリア」
2003/03/04 フィリピン・ミンダナオ島の空港で爆発。21人死亡。

2003年3月20日〜4月9日 米英によるイラク戦争

2003/04/09 イラクの首都バグダード、アメリカ軍により陥落。(サダム・フセイン政権、完全崩壊)
2003/05/01 米ブッシュ大統領、イラクでの大規模戦闘の終結を宣言。
2003/05/12 チェチェン・北西部ズナメンスコエの連邦保安局支部の入ったビルで自爆テロ。60人以上死亡。
2003/05/12 サウジアラビア・リヤドの外国人居留地区で連続自爆テロ、34人死亡。
2003/05/15 パキスタン南部カラチの米英系ガソリンスタンド21カ所で小型爆弾が爆発 
2003/05/16 モロッコ・カサブランカの5ヶ所で同時自爆テロ、41人死亡。
         5ヶ所(ユダヤ人センター、ユダヤ人墓地、サフィールホテル、スペイン・レストラン、スペイン文化センター)
2003/06/05 北オセチアでロシア軍関係者の乗ったバスを狙った自爆テロ。17人以上死亡。
2003/07/04 パキスタン・クエッタのシーア派モスクで爆弾テロ。47人死亡。
2003/07/05 モスクワ郊外トゥシノの野外コンサート場で自爆テロ。15人以上死亡。
2003/08/01 北オセチア・モズドクの軍病院で自爆テロ。約50人死亡。
2003/08/05 インドネシア・ジャカルタの米国系ホテル(JWマリオット・ホテル)で爆発。11人死亡。
2003/08/25 インド・ムンバイで連続爆弾テロ。52人死亡。
2003/08/25 ロシア南部クラスノダールで爆発。通行人など3人死亡。
2003/09/03 スターブロポリ地方で、列車が爆破される。7人死亡。
2003/10/18 アルジャジーラ放送局、ビンラディンの声明発表。
       日本
、イギリス、イタリア、スペイン、オーストラリア、ポーランドの6カ国の名を挙げ、
        「この過酷な戦争に参加する全ての国に対し、われわれは適当な時期と場所で対応する権利がある」と
        イラクを占領する米国への協力に警告。ビンラディンが初めて、日本に対する攻撃に言及。
2003/11/09 サウジアラビア・リヤドの外国人居住区で自爆テロ。18人死亡。
2003/11/15 トルコ・イスタンブルのユダヤ教礼拝所(シナゴーグ)2ヶ所で自爆テロ。25人死亡。
        (そのうち、ネベ・シャローム・シナゴーグはイスタンブルで最大のシナゴーグ)
2003/11/15 アルカイダ関係者を名のる者がロンドン発行のアラビア語紙「アルクッズ・アルアラビ」宛に
        上記事件の犯行を認めるeメールを送付。その中で、「ブッシュ米国大統領とその従者たち、
        特に英国、イタリア、オーストラリア及び日本に対して、暴政の都の中心で、死の車を目の当たり
        にすることになるであろうことを告げる。」
        アルカイーダが初めて日本の首都・東京に対する攻撃に言及する。
2003/11/20 イスタンブル新市街でイギリス系銀行HSBCと英国総領事館近くで自爆テロ。
        英総領事ら少なくとも27人死亡。負傷者400人以上
        (この日は、米ブッシュ大統領と英ブレア首相の首脳会談がロンドンで行われました。)

アメリカによるイラク戦争終結宣言(2003.5.1)後、ますますテロは激しさを増しています。全世界のアメリカの同盟国全体に広まる勢いです。武力で押さえ込めば押さえ込むほど、テロはますます凶暴化します。これ以上の双方の犠牲者を出さないためには、軍事優先のアメリカの政策の根本的転換が不可欠だと思います。

イラク国内の諸事件はテロと呼ぶ事ができるか疑問に感じます。いまだ戦争中とも考えられるからです。従って、この年表にはイラク国内の諸事件については記載していません。
2003年11月29日、イラク駐在の日本人外交官2名が攻撃を受け、死亡しました。
(これで、10月18日のビンラディン声明のなかで挙げられた6カ国全てに被害者が出たことになります。)

2003/12/05 スターブロポリ地方で列車が爆破される。44人以上死亡。
2003/12/09 モスクワのホテル・ナショナルの玄関前で女性2人による自爆テロ。死者6名。
        100メートルほど離れた下院ビルを標的にしたものと考えられている。
        150メートルほど南にはクレムリンがあるモスクワの中心部である。
        (12/07に下院選挙があり、プーチン与党が勝利したばかり)
2003/12/25 ラワルピンジでパキスタン・ムシャラフ大統領暗殺未遂事件。二人による自爆テロ。
        大統領の車は損傷したが、間一髪で無事だった。(近くの通行人ら14人以上死亡)
2003/12/29 1999年9月のモスクワでの一連のテロはロシア連邦保安局(FSB)による工作である、と主張する
        元FSB職員リトビネンコ氏の著作「FSBがロシアを爆破する」がロシア当局により没収される。

        (「FSBがロシアを爆破する」の全文は こちら に掲載されている。)
2004/02/06 モスクワ中心部の地下鉄ザモスクボレツカヤ線パベレツカヤ駅近くで列車内で爆弾テロ。
        (39人以上死亡)
(03/14にはロシアの大統領選挙が予定されている)
2004/02/27 フィリピン・マニラ近海で客船が炎上、116人が死亡・行方不明。(アブサヤフが犯行認める)
2004/03/11 スペイン・マドリードで4本の列車爆破の同時テロ。200人以上死亡。約1500人負傷。
        アルカイダ系を名乗るグループ「アブ・ハフス・アル・マスリ隊」の犯行声明。
        日本を含めた、アメリカ合衆国に協力する諸国に次のように言及する。
        「誰がスペインや英国、日本、イタリアをわれわれの攻撃から守ってくれるのか」
    03/12 スペイン全土でスペイン人の4人に一人が参加した、1100万人の反テロのデモ行進。
    03/14 スペイン総選挙で与党・国民党敗北。
        (勝利した社会労働党はイラクからのスペイン兵の引き上げを決定。
        結果的に、今回のテロがスペイン軍のイラク撤兵につながった。
        テロリストにとっては、テロの効果が絶大であることを再確認したはずだ。)
2004/03/18 ロンドン発行のアラビア語紙「アル・クドゥス・アル・アラビ」紙に「アブ・ハフス・アル・マスリ隊」が声明。
        「ブッシュ米大統領と同盟関係を結んだばかりに政治的将来を台無しにした」とスペインの
        与党、国民党が総選挙で敗北したことに言及。
        「我々は新しい攻撃を準備している。死の旅団はすぐ近くにおり、適当な場所で適当な時期に鉄拳を
        下す。次は日本か、米国か、イタリアか、英国か、サウジアラビアか、オーストラリアか」と警告。
        スペインについては、「新政権がイスラム情勢に干渉しないことを確認したら、全作戦を中止する」
2004/03/22 イスラエルの暗殺作戦で、「ハマス」創設者のヤシン師が暗殺される。(後継にランティシ師が就任)
2004/03/27 タイ最南部のナラティワット県で爆弾事件。約30人が負傷。
2004/03/28 ウズベキスタン中部のブハラの民家で爆発事件。10名死亡。爆弾製造中の誤爆。
2004/03/29 ウズベキスタンの首都タシケントのヤッカサライ地区で警察官襲撃事件。警察官3名が死亡。
        午前8時頃と8時半頃、タシケントのチョルスー市場等において、2件の自爆テロ事件が発生。
        犯人2名を含む6名が死亡(ウズベキスタンで初めての自爆テロ)。
2004/03/30 タシケント近くのキブライスキー地方にある交通警察の検問所等で爆発事件が発生。
2004/04/07 イラクで武装グループが日本人3人を拉致し、自衛隊のイラクからの撤退を要求。(04/15に解放)
2004/04/14 イラクで武装グループが日本人2人を拉致(04/17に解放)。
2004/04/17 イスラエルの暗殺作戦で、「ハマス」新指導者のランティシ師が暗殺される。
2004/04/21 サウジアラビアの首都リヤドの内務省庁舎前で自動車自爆テロ。10人以上死亡、100人以上負傷。
2004/04/28 タイ最南部の3県でイスラム武装グループが警察署襲撃。実行グループ100人以上死亡。
2004/04/28 シリアの首都ダマスクスで武装グループと警官が銃撃戦。4人死亡。(警察国家シリアで異例の事件)
2004/05/01 サウジアラビア西部の都市ヤンブーの石油化学施設の事務所が襲撃され、米国人ら7人死亡。
        (サウジの石油関連施設では初めてのテロ)
2004/05/09 チェチェン・グロズヌイのスタジアムで、対独戦勝記念日の式典中に爆発。
        カディロフ大統領ら30人以上死亡。
ロシアの日刊紙 УТРО(ウートロ) の 生々しい画像集
        (プーチン大統領は5月7日に2期目の大統領就任式を行ったばかり)

2004/05/27 イラク・バグダッド郊外のマハムディヤで日本人フリージャーナリスト2人が襲撃され、死亡。
2004/06/21 ロシア南部イングーシ共和国の首都ナズランで武装集団が政府庁舎を襲撃。90人以上死亡。
2004/05/29 サウジアラビア東部のアルハバルで外国人居住区が襲撃され、22人死亡。
2004/07/30 ウズベキスタンの首都タシケントの米、イスラエル両大使館と最高検察庁前で自爆テロ3件発生。
2004/08/24 モスクワ・ドモジェドボ空港発のロシアの旅客機2機がほぼ同時に墜落。90人死亡。
        (8月29日、チェチェン共和国でカディロフ共和国大統領暗殺に伴う大統領選挙が行われる予定)
2004/08/31 モスクワの地下鉄リシスカヤ駅近くで女性の自爆テロ。10人死亡、50人以上負傷。
      (08/24と08/31の事件については「イスランブリ旅団」から犯行声明が出された。「イスランブリ旅団」は
      1981/10/6、サダト・エジプト大統領を暗殺した「ジハード団」のメンバー、ハリド・イスランブリ(事件後に処刑)
      にちなんで命名されている。ハリド・イスランブリの兄は現在、アフガニスタンに潜伏している模様)
2004/09/01 ロシア南部の北オセチア共和国ベスランで武装集団が学校を占拠。1000人以上を人質に。
   
09/03 ロシア軍が突入。死者330人以上、負傷者700人以上。       
2004/09/09 インドネシア・ジャカルタのオーストラリア大使館前で自動車自爆。死者9人、負傷者100人以上。
2004/10/07 エジプト・シナイ半島のリゾート地タバのヒルトンホテルで自動車自爆テロ。
       イスラエル人を中心に約50人死亡。

        (エジプトでのテロ事件は1997年11月17日のルクソール事件以来のこと)
2004/10/26 イラクにおいて拉致された一人の日本人男性旅行者のビデオ映像が報道される。
2004/10/30 上記日本人旅行者の遺体がバグダッドで発見される。
2004/12/06 サウジアラビア・ジッダで米総領事館、襲撃される。館員5名他9名が死亡。
2005/02/16 ゴス米中央情報局(CIA)長官が上院情報特別委員会で言明。
    「アルカイダなどが化学、生物、放射能、核兵器を使おうとするのは時間の問題かもしれない」
    (こんな世界に誰がした?)(怒)
2005/04/07 エジプト・カイロの繁華街「ハン・ハリーリ」バザールで自爆テロ。
    米、仏人ら4人が死亡、外国人など約20人が負傷。(4月9日のイラク・フセイン政権崩壊2周年を前に)
    バザールの中央を貫くムスキ通り西端付近で発生。私もハンハリーリを訪れました(2001年、その旅行記
    カイロでは、1997年9月18日のカイロ博物館前での観光バス事件以来のテロ。(2001年、カイロ博物館入口
      
2005/04/30 カイロ博物館近くで自爆テロ、男性犯人1人は自爆。観光客ら7人負傷。
        カイロ南部シタデル地区で観光バス襲撃事件。負傷者なし。女性犯人2人は銃で自殺の情報。
        [エジプトでのテロは、観光客を狙う傾向があるので、不気味な感じがする。]
2005/05/08 イラク西部ヒートでイギリス系警備会社の車列が攻撃され、日本人一人が拉致される。
        05/28、インターネット上で上記日本人の遺体のビデオ映像が流される。
2005/05/13 ウズベキスタン東部アンディジャンで反政府暴動。軍の無差別発砲で700人以上死亡。
2005/07/07 ロンドンで地下鉄3ヶ所とダブルデッカーバス1台、同時爆破。50人以上死亡。約700人負傷。
2005/07/21 ロンドンで地下鉄3ヶ所とダブルデッカーバス1台、小規模爆発と爆破未遂事件。人的被害なし。
2005/07/23 エジプト東部シャルムエルシェイクのホテルなど3ヶ所で同時爆弾テロ。少なくとも88人死亡。
2005/10/01 インドネシア・バリ島のクタ地区、ジンバラン地区のレストランで同時自爆テロ。
        日本人1名を含む23人死亡、100人以上負傷。
2005/10/29 インドの首都ニューデリーの市場など3ヶ所で爆弾テロ。約50人以上死亡。
2005/11/09 ヨルダンの首都アンマンの高級ホテル3ヶ所で同時自爆テロ、57人以上死亡。
2005/11/15 パキスタン、カラチのケンタッキー・フライド・チキン前で、自動車爆弾。2人以上死亡。
2006/04/24 エジプト・ダハブのレストラン、カフェ、スーパーマーケットの3カ所で爆弾爆発
        23人死亡、約60人負傷。

【無念にもテロで亡くなった方々に対し、謹んで哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り致します。】


ウサマ・ビンラディン              (2002.2.7更新)
1957年、サウジアラビアのリアドで生まれる。父親はイエメン出身で、サウジアラビア最大の建設会社「ビンラディン・グループ」を一代で築く。父が多数の妻を持ったため、52人兄弟の17男と伝えられている。ビンラディンの母親だけがパレスティナ人だった。その出自がアメリカやイスラエルへの強い敵意を生んだとの指摘もある。16歳からイスラム原理主義者と接触。サウジアラビアの大学(キング・アブド・アル=アズィーズ大学)で経営学などを学ぶ。そこで、パレスティナのイスラム学者アブド・アッラー・アッザームと知り合い、彼からイスラムへの侵略者に対するジハードの義務という思想を学ぶ。1979年のソ連によるアフガニスタン侵攻の際、対ソ連のゲリラ戦に参加。この時にはアメリカの援助を受ける。1980年代には、ビンラディンはアッザームとともにパキスタンとアフガニスタンで対ソ連のジハード及びその後方支援を行う。ビンラディンは自らジハードの戦場に赴くと同時に、私財を投じたり、湾岸諸国をまわって寄付金を募り、イスラム世界から続々と集まった義勇兵への財政援助を行った。1988年頃に「アルカイダ」といわれるイスラム義勇兵を受け入れて訓練を施す組織をつくる。これが今日のイスラム過激派のテロ組織の供給源となる。この組織は現在55カ国に広がる緩やかな結合体となっている。「アルカイダ」とはアラビア語で「基地」を意味する。1989年のソ連軍撤退後にサウジアラビアに帰国したが、1991年の湾岸戦争でイスラム教の聖地メッカを抱える自国サウジアラビアが米軍の駐留を認めたことに反発。1994年にロンドンで「諫言・イスラム法的権利擁護機関」を結成し、サウジアラビア政府の打倒を訴える公然たる反政府活動を開始した。このことを受け、1994年にサウジアラビアの国籍を剥奪された。1991年から1996年までスーダンに移住。そこで、建設業、農場経営、銀行経営に専念する。スーダンでは、スーダンのイスラム原理主義指導者ハッサン・トラビ師との関係を深める。しかし、アメリカとサウジアラビア政府の圧力を受けてスーダンはビンラディンの追放を決定する。その後、ビンラディンはアフガニスタンのタリバン政権の元に行くのである。ビンラディンには4人の妻、13人か14人の子供がいるといわれる。1996年にはタリバンが支配するアフガニスタンに移住。タリバンの最高指導者ムハンマド・オマル師との密接な関係を持つ。1996年8月23日に、「二聖地の国を占領する米国人に対する宣戦布告」との声明を発表する。さらに、 1998年2月23日、オサマ・ビンラディンは「ユダヤ人と十字軍との聖戦のための世界イスラーム戦線」を結成し、「アメリカ人とその同盟者を民間人、軍人を問わず殺すことは、それが可能なすべての国にいるムスリムの個人的義務である」とのファトワ(教義判断)を発表する。このファトワにはエジプトのジハード団のアイマン・ザワヒリも署名している。 1998年10月には、ビンラディンのこどもの一人はムハンマド・オマル師の親戚と結婚し、姻族関係までできた。最近のテロ関与の疑いがある事件としては、1998年8月7日にケニアとタンザニアでの米大使館同時爆破事件で、米ニューヨーク連邦大陪審から殺人罪などで起訴される。2001年2月にビンラディンの次男がエジプト出身のイスラム過激派「ジハード団」の最高幹部(モハメド・アテフ:2001年にアメリカのアフガニスタン空爆で死亡の模様)の娘と結婚。その時には、タリバンの拠点のカンダハルで盛大な披露宴を催し、そのビデオがアラブ・マスコミに配られたという。2001年4月に、パキスタンのペシャワルで開かれた「イスラム・ウラマー協会」の集会で「アフガニスタンは真のイスラム体制をもった世界唯一の国であり、すべてのムスリムはオマル最高指導者に忠誠を尽くすべきである。」とのビンラディンの録音メッセージが披露された。そして、2001年9月11日のテロ事件後、アメリカは間髪入れずにこの犯人をビンラディンと決めつけ、10月7日よりアフガニスタン空爆を開始した。2002年11月12日にカタールの放送局アルジャジーラから彼の肉声が伝えられ、生存が確定的との見方。

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