橋本久雄の
プロフィ


元上水南保育園父母会会長 市民運動
元第十小学校PTA会長 小平・環境の会 虹と緑の500人リスト運動
第十小地区青少対常任委員 ごみ・環境ビジョン21 市民自治をめざす、三多摩議員ネットワーク 
小平市議会議員 市民オンブズマン・小平 自転車スイスイの会
厚生委員会、委員長 CIL(自立生活運動)・小平 練馬区介護人派遣センター
小平・村山・大和衛生組合議員 水と緑の会
会派「緑・ネット」(5人) いたわりの会
家族 小平・介護保険を考える会 ゴランPKOゴランPKO海外派兵に反対する三多摩行動
妻・息子(大学3年、大学2年) 小平ごみゼロフォーラム 市民の政治を考える三多摩フォーラム
スポーツ 一部事務組合の見直しを考える三多摩の会
サッカー・ジョギング うちなんちゅの怒りと共に三多摩市民の会
NPO法人、移動サービス・バイコアセルフ


 
 
橋本久雄はこんなことをして来ました。
         
1951 東京・世田谷区に生まれる
都立世田谷工業高校付属中学
区立池尻中学
都立武蔵高校
  71 早稲田大学教育学部入学
石川島播磨重工業・田無工場入社
  87 共同購入会いきいき広場を設立。
  89 小学校給食調理員の民間委託案を撤回させる。
  91 湾岸戦争の即時撤回停止を求める市内抗議行動を実施。
自主講座(環境、平和問題 計10回)開催。
  93 「市民の政治を考える三多摩フォーラム」設立
  95 地方議員ネットワーク「三多摩発´95」発足
   小平市議選立候補、落選
練馬区介護人派遣センターで重度の在宅障害者の介護
早朝5時起き、牛乳配達で活動費を捻出
日の出処分場問題に関わる
  96 「ごみから変える!市民環境情報センター準備室」設立
  97 「ごみ・環境ビジョン21」設立
  99 虹と緑の500人リスト運動設立
市民自治をめざす、三多摩議員ネットワーク設立
小平市議会議員選挙、当選
2000 731部隊遺跡保存のため、中国ハルピン周辺調査団に参加
  01 グローバルグリーン世界大会(オーストラリア・キャンベラ)に参加

環境派の風を地域から世界の運動につないで
〜 季刊誌「理戦」のインタビューに答えて 〜

    反PKOのデモにも取り組む

──議員になられたのはいつですか。

● 前回の統一地方選の時、99年からですから、まだ一期目なんです。

──その前は何をされていたんですか

●私は20歳過ぎに石川島播磨の田無工場に入りましてね。ジェットエンジンの生産やオーバーホールをやる工場です。自衛隊のFとかF104ファントムとかね。そういう自衛隊機や民間機のエンジンの組立を13年くら いやりました。その後、35歳の時に自然食品の共同購入を自分ではじめた。それを8年やりまして。95年の市議選にはじめて立候補して、これは落選したんです。その後、練馬区にある介護員派遣センターという重度の障害者の介護をする団体で働きながら、99年に向けて準備をしてきました。

──早くから市民運動にかかわってこられたんですか。
●そうですね。三多摩を中心に、いろいろな市民運動をずっとやってきました。
石川島で働いていた時は労働運動をやっていたんですけどね。石川島というのは、昔でいう中立労連傘下の全造船という最左翼の労働運動があったところです。それがIMF・JCにどんどん解体されてしまって。私が入った時はもう労働運動は弱くなっていた。私は少数派のグループに属していたんですが、そこで労働運動の限界というか、中から変えていくのはちょっと無理だなということを感じた。それで外でいろいろなことをやってみたくなって、共同購入運動を始めたんです。
 共同購入運動は自分一人で始めたんですけれど、グループとしては八王子が中心になった大きなグループでした。食の問題を通していろいろな市民運動をやっていこうということで、原発の問題とか、輸入食品の問題とか、そんなのをずっとやってきた。三多摩には日の出の処分場の問題もありますし、圏央道の問題とか、横田基地の問題とか、大きな問題がいろいろあります。そういうことに取り組んだり、小平市では学校給食調理員の民間委託の問題もやってきた。
 小平という町には、陸上自衛隊の小平駐屯地があります。その同じ一角の南側が警察学校です。それから日立武蔵があって、ブリジストンがある。企業城下町であると同時に、昔でいう軍都なんですよ。戦前はいわゆる練兵場があって。小平駐屯地には経理学校と調査学校というのがありました。経理学校というのは、従軍慰安所を作った時の経営のノウハウを教えるなんてことをやってたし、調査学校というのは、陸軍中野学校と同じような機能で、スパイの養成をやっていた。今も調査学校では、諜報活動の訓練をやっています。全国から優秀な自衛隊員が集まってきて、ここで語学研修を受けたりするわけです。
 今、中東のゴラン高原に自衛隊員が50人規模でPKOとして派遣されていて、もう6年になります。彼らもここと練馬で訓練を受けて派兵されている。半年交替で、北海道とか九州とか、それぞれの方面からの部隊ごとに展開してるんです。これについては六年前から小平市内で、半年ごとに抗議のデモをやっています。「ゴランPKO海外派兵に反対する三多摩行動」というのがあって。今年に入ってからは1月23日にデモをしました。大雪が降った日だったので、あまり人がこなかったんですが。最低で10人ぐらい、最大で50人くらい集まります。こういうデモも結構注目されてるというか、そんなに悪い反応ではありません。
 あとは94年から「市民の政治を考える三多摩フォーラム」というグループを作っていて、市民や議員15人くらいですが、三多摩のいろいろな運動をやっています。それから「ごみ・環境ビジョン21」というごみ問題に関するNPOも作ってる。これは国分寺に事務所があって、三多摩を中心に、300人位会員がいます。もう一つ、「市民自治をめざす三多摩議員ネットワーク」というのがあって、22自治体、30人の無所属の議員でグループを作っています。

──議員になろうと思ったのはなぜ。
●そういう市民運動とか政治活動をやってきて、やはり議員と市民が一体となって運動を作っていかないと政治は変わらないと思うようになったということですね。実は私は初めて投票に行ったのは40歳くらいになってからなんです。今、49歳ですけれども。それまでは一度も行かなかった。投票なんて行ってもほとんど意味がないと考えていて。
 しかしシステムを作るというのはやはり議会が作るわけですから、その中にも自分たちと考えの同じ人たちを送り込んでいかないと、政治というのは変わらないんだと。それを託すべき人がいないから、自分でやってしまえ、というのが議員になろうと思ったきっかけです。

 牛乳配達のバイトをしながら
 


──すぐに決められたんですか。
●ええ。家族はいい顔はしなかったけどね(笑)。
 落選してからの4年間は本当に大変だったんです。前の共同購入の仕事は他の人に譲ることにしていたから、どうしようかといろいろ考えて、障害者介護の仕事に誘われていったんですけどね。それは給料も安くて。子供もいますし、家に金は入れなくちゃいけないし、だから自分の活動費を稼ぐために、牛乳配達のバイトもした。週に3日、朝5時前に起きて2時間牛乳配達をして、それから朝飯を食べて、8時過ぎに出て介護をやる。ただ介護自体は、不規則な勤務で夜勤があるかわりに昼間フリーになることもあったんで、その時間にビラまきをやったり、個別訪問をやったりできました。

──支持基盤というのは。
●一回目に出た時には小学校のPTAの会長などもしていたので、おかあさん達だとかね。でもそれは票としてはそんなにあるわけではないから、あとは自分で開拓したわけです。住んでいる周辺で、学校区で6000世帯くらいあるんですけれど、そこを中心にビラ入れをやって、あとは電話帳をつかって片っ端から電話をかけて、掘り起こしをやりました。少なくとも1000票くらいはそれで入ったんじゃないかな。

──当選ラインはどの位なんですか。

●1500取ればいけるかな。前回はちょっと足りなくて1300位だった。今回は1500が最低で、私が1600弱です。だからまあ、お尻から数えた方が早いんですが。
 年に四回、ニュースを2万枚くらい配って、週に一回駅頭で演説をやって、というスタイルで、あとはその電話と、自転車にのぼりを立てて回って。選挙はそんな感じです。組織というのはないんでね。

──地元の市民運動が母体ではないんですか。
●小平市というのは、市民運動があまりないところなんです。共産党と旧社会党が拮抗しているような町というのは市民運動もそれなりに活発なんですが、さっき言ったように、企業城下町だし、自衛隊とか警察学校があるということで、地主が強い町だったんですね。一回目の時なんかは各町ごとに保守系議員が一人ずつ出るようなことで。前回はだいぶ崩れてはきたけれど、まだ若干残っています。議会も圧倒的に与党会派が強いんですよ。与野党でいうと、三対一くらいの割合ですね。
 だから市民運動の人たちが選挙の中心を担うというような形にはなかなかならなくて。もちろん個人的なつながりで応援には来てくれるんですが。

──つまり自分一人でやられたという形なんですね。
●ほとんどそうです。一人で掘り起こすというのは、結構たいへんですけど。 私なんかはこの年になると、人物で浮動票を得るというのがほぼ不可能なわけです。20代の男性だとか、女性だったら、もっと票になるんですけど。40すぎのオジサンが見た目で浮動票を得るというわけにいかないので、内容で勝負するしかない。だから私がとった票というのは、内容を理解して入れてくれた人が多いと思う。浮動票も2割位はあったみたいですけれど。わりと固い票と言えるのかな。そういう意味では、毎週金曜日に駅頭でやった演説が結構効果があった。

   一部事務組合の報酬二重取り問題

──議員になってみていかがですか。
●やっぱり開かれていない、というのが第一印象ですね。議会自身が。市民にわからないことが多すぎるし、そういうことを積極的に知らせていこうというスタンスが議会の中にない。
 例えば今問題にしていることですけれども、一部事務組合の報酬の二重取り問題というのがあります。一部事務組合というのは、ある程度広域にわたる公的な事業を近隣のいくつかの自治体が共同して運営するものです。日の出処分場を管理している「東京都三多摩地域廃棄物広域処分組合」というのも25市1町で構成される一部事務組合です。この管理者というのを、例えば「昭和病院組合」だったら小平市長が兼任している。で、そこから報酬をもらっているんです。議員もそこに入って、報酬をもらっている人がいる。その報酬が非常に高いんですね。
 この一部事務組合なんていうのは、年に3回しか議会が開かれない。6時間ぐらいです。それで市長は70万円くらい報酬をもらっちゃう。時給にすると11万円ですよ。そのほかのも合わせると、市長は全部で340万円もらっている。小平市以外に、7つの一部事務組合から報酬をもらっているんです。そういう管理者の報酬のために、小平市だけで年間一千万円を超える支出がある。
 そんなことは、もちろん市民には知らせない。市民が知ったら、当然怒りますよ。ところがそれを、議会の人たちは当たり前のことだと言う。市長も議員も。市民の目線で見たら明らかにおかしいことが、議会の中ではまかり通ってしまっているわけです。
 この問題については「一部事務組合制度を見直す三多摩議員の会」というのをつくって、報酬をゼロにしろと要求しています。これは新聞にも取り上げられて、大きな反響がある。報酬ゼロにはならないかもしれないけど、減額せざるをえない状況には追い込んでいます。
 だから僕らがやる仕事というのは、考え方で対立することは当然あるけれども、それ以前に、議会運営をもっと地域に開いていく、市民に知らせていくこと自身が、政治を変える柱になる。常識で考えて、時給11万はおかしいですから。制度として、条例で決まっていることだからおかしくない、と言われればその通りだけれども、市民の目線で考えて、町を変えていくことが必要なんじゃないか。
 どうしても議会に入ると、そういう視点がなくなってしまう。優遇されるというか、先生と言われるわけでしょ。いろいろな便宜がはかられたり、ちやほやされてね。そういうことを自分に言い聞かせて活動しないとだめだと思ってます。

──自分の受けている既得権を暴くというのが、なかなかできないんですね
●この場合は私は一部事務組合の議員ではないから、言いやすいんです。大会派からおいしいポストをとっていきますから、一人会派は入れない。だから言いたいことを言えるということもあるんですが(笑)。
 議員でも、70万にはならないですが、40万くらいの報酬はとる。それを二つとかやって、年間100万くらいもらっちゃえば、なかなか言えなくなる。そういう形で、無所属の議員なんかもからめ取られていってしまうわけです。どんなに良いことを言っても、そこには触れないとかね。牙を抜かれていってしまう。そういう状況の中で頑張り続けるということのしんどさはあります。


   公共事業で景気回復という発想からの脱却を

──議会ではほかにどのようなことを。
●私が一番言っていかなくちゃいけないと思っているのは、公共事業をやって、消費を拡大して景気をよくしていくんだという発想を、変えていく必要があるということ。今、国と自治体を合わせて借金が666兆円になると言われていますが、自治体だけで見ても、地方交付税にかかわる借金が38兆円くらいある。この交付税の借金を地方自治体に肩代わりさせようという動きがあるんです。
 国も自治体も借金漬けで成り立たなくなっている。もう限界にきているわけですけれど、それを解消する方法として、いまだに景気対策ということをさかんに言う。だけどもう、明らかにそういう時代じゃない。景気を良くして経済成長を、というのではなくて、経済が成長することと人々の暮らしが豊かになることは別なんだということをはっきりさせていかなくちゃいけない。
 例えば日産の大合理化で、日産自身は大幅な黒字になったわけです。だけど日産を支えていた労働者はどうなったかというと、リストラされ、首をきられ、ひどい状況にある。内橋克人さんの言葉を借りれば、企業がつぶれても人間がつぶれない社会をどうつくっていくのかが、今問われていることだと思うんです。消費を拡大するのではなくて、モノを大切にして無駄をなくして暮らしていく。今はそういうライフスタイルや社会システムをつくっていく絶好のチャンスでもある。
 だからそういう議論を、地方議会の中でもおこしていく。借金の地方への肩代わりというような動きに対して、市議会として意見書をあげるとか、市長として要望書を出すとか、そういうことはできるわけですから。地方議会から国政に対してもっとものを申していくことが必要だと思います。
 反グローバリズムとか反経済至上主義とかGDP神話からの脱却ということを基本にすえた政治潮流をつくる必要があると思っているんです。

──それを地方議会からつくっていくと。
●既成政党はそういうふうには言わないんでね。共産党も含めて、すべて景気を回復させて消費を拡大させようという主張なわけです。それに対して、経済成長がなくても、内部ではいろいろな、モノの動きや産業がおきたりということはあるわけですから、人は豊かに暮らしていけるんだということを、具体的に政策として言っていかなくてはいけない。要するに、ヨーロッパの緑の党とは違った形で、環境を基本とした政治勢力を作っていくことが必要なのではないかと思います。
 例えば護憲を言う人はいるんだけど、護憲を言う人は環境は言わない。だけど、環境から護憲を語ることはできるわけですね。環境というのは命の問題だから。間口としてはずっと広い。環境という視点から物事の成り立ちや経済システムを見直していくと、結構おもしろい。そういう政策論議や学習会をやっていこう、といろんな人に言っているんです。

──市議としての活動に手応えはありますか。
●地方議会というのは結構いろいろなことができる。市長とも直接やりあえるし。一部事務組合の問題でも、市長とか助役が興奮してしまうくらいのやりとりをしましたけど、やはり力を発揮できます。具体的に市民の方と直接やりとりができるのも面白いです。
 誰もが地域で当たり前に暮らせる社会をつくろう、というのが私のメインスローガンなんですが、その点では落選期間中の、介護の仕事が自分の実になったということもあります。その介護の仕事は荒木義昭さんという、日本の障害者運動の草分けの人が中心になっていて、練馬区介護人派遣センターといいます.この人から、障害者と健常者が地域の中で一緒に生きていくことの意味と問題をいろいろ教えられた。これがすごく良かったです。自分の中にリアリティができた。
 今の状況というのはいろいろな意味で厳しい状況ではあるけれども、地域の中から具体的に訴えていくことによって、町を変えたり社会を変えたりする可能性は出てきていると思う。新しい政治思想と言ったら大げさだけれども、政策が求められている。それに今まで十分には応えてこられなかった。既成政党や既成の組織を批判することで、自分たちの立場を表現するという少数派の運動が長く続いてきたわけです。そうではなくて、やはり本当に意味があるのは、自分たちはどうやるか、どうしたいのかを積極的に言っていくことなんじゃないか。そういう意味でわれわれが試されているし、問われている。そういう時代なんだと思います。
                         2001年2月15日 事務所にて

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