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名古屋の路面電車1

 何度か書いたことだが、小さな頃から地図を「読む」のが好きだった。

 地図を、単なる地形を知るための道具としか感じない人には信じられない話だろうが、地図ほど面白い読み物はない。下手な歴史小説よりも歴史を語りかけて来るし、SF小説なみに未来も語る。想像力を掻き立てるという意味では、どんな小説よりも面白く、場合によってはドキュメンタリィにもなる。だから、暇なときに地図を見始めると時が経つのを忘れて、どんな長時間でも地図を読みふけることができる。

 地図を見る(読む)と言っても、1冊だけを眺めるのでなく、時代の違う、同じ場所のものを比較すると、いろいろな歴史が見えてくるのが最も楽しい。鉄道の変遷、道路の変化、地名の変化、それぞれが大きな歴史的事実を示しており、それに関係した様々な出来事を連想させ、さらに深く調べたくなってくる。そんなことから、地図を読むときには、傍らにインターネット接続されたPCを置いてあるのはもちろんのこと、鉄道関連の本だったり、統計白書だったり、といった一見無関係なような書物が並んでいたりする。無論、最近では、大半のことはネット検索ですぐに参照することができるため、ほとんどの場合はPCだけで良いのだが。

 さて、今回は、ふとしたことから路面電車のデータを入手し、地図と見比べていたことから話が始まる。

 かつて大都市には、当たり前のように路面電車が走っていた。名古屋でも当然のように全盛期があった。今回はそれらについて調査した結果である。
 一応、あらかじめ語っておくが、以下の内容は、図書館にでも行って、それなりの書籍を借りれば、難なく判る事実ばかりである。それを、あえて回りくどい方法で調べて満足しているだけの単なる暇つぶし(調査・想像・推理の楽しさ、とでも言っておこうか)の結果なのである。本当に単なる事実を知りたいだけならば、過去に調査を行った人の結果を読めば良いだけの話である。地図を読む、ということがどれだけ楽しいかを感じて貰えれば幸いである。

◇ ◇ ◇

 まず、名古屋の路面電車であるが、意外と知られていないことだが、東京よりも誕生が古い。放送用電波塔(テレビ塔)など、東京よりも古くから存在するものが名古屋の自慢だったりする。

 東京の路面電車の歴史は、1903年8月22日、馬車鉄道の東京馬車鉄道が動力を馬から電気に改めることで誕生した東京電車鉄道が、品川〜新橋間を開業したことに始まるのだが、名古屋は、それに遡ること5年ほど、1898年5月6日には、栄町線(笹島町〜県庁前)が開業している。もちろん、東京と同様に、その誕生は市営ではなく、名古屋電気鉄道(全く関係ないわけではないが現在の名鉄ではない)という会社が路線を引いている。電気鉄道としては日本で2番目であった。それでは、最初の電気鉄道はどこかと言うと、1895年2月1日 京都電気鉄道が伏見線を開業したのが始まりなのである。

 さて、名古屋の話に戻す。1898年に開業した路面電車は、その後、続々と路線を延ばし、1960年あたりでピークを迎える。無論、それまでにも休止した路線や、廃止した路線もあるが、最後の長大路線、東山公園〜星ヶ丘間の開業(1959年3月25日)により、総延長106.3kmになったのが最長だとされている。ところが最後の長大区間の開通のわずか2年後、1961年頃から、地下鉄工事、さらに地下鉄開業により廃止が続き、1974年4月1日に全線廃止となっている。
 私事ながら、1961年には生まれているし、74年と言えばオイルショックの年、充分記憶のある時代なのだが、その頃、大垣から名古屋は遠く、私の記憶の中に、名古屋の路面電車は全く無い。地下鉄が走っている街という記憶しか無いのである。

 廃止がなだれを打つ直前、1961年の路線を調べてみると、43路線(うち、非営業線2路線)であった。これらの路線の停留場名の一覧があったのだが、眺めていると昔の地名があって面白い。名古屋市内の特に中心部は、住所名の整理統合により消えた地名が多い。そこで、ふと地図を広げてみると、意外や意外、その停留場のあったと思われる場所が特定できるのである。もちろん、残っている地名を元に推測するだけであり、本当にそこにあったか確証は取れていない。しかし、残っているものである。それは、「交差点名」「バス停留所名」という形で。また、意外なことが判明したのは、「郵便局名」という形で残っている場合が多い。
 これら、街道探索に通ずるものがあってなかなか面白い。街道を歩いていて、道に迷ったら郵便局か小学校を探せ、と言うのが持論である。あとは酒屋などと言うのも旧街道を示している場合が多い。さらに、一里塚を探したければ交差点名標識かバス停を探せ、というのもある。何かと、これらの名称には、現代ではなくなってしまった地名を根強く残している場合が多い。

 さて、路面電車に話を戻して、まず最初に最も古い栄町線をみてみよう。(以下の記述は、全く路面電車関連の書物に目を通さずに推察した結果である。後で本を入手したため、違いを記載する)

 笹島町:「笹島」と言う名の交差点が残っているが、「笹島町」というそのものの名称のバス停がある。
 柳橋:広小路通りを進んだところ、バス停「柳橋」、交差点「柳橋」
 納屋橋東:後に「納屋橋」と名称変更したようだが、「納屋橋東」という名の交差点がある。
 伏見通:現在は広小路伏見となっているが、当時、錦通りが無いから分ける必要がなかったのだろう。
 広小路本町:バス停、交差点名ともにあり。
 栄町:名鉄瀬戸線の駅名以外は、ほぼ「栄」に統一されているが、これは間違いなく栄のこと。
 武平町:さて、これが最初の難関だった。8年程、名古屋に暮らしていたが、栄〜新栄間に武平町などという地名を聞いたことが無かった。そもそも、調べてみるまで「たけひら」だと思っていた。何と、「ぶへいちょう」なのだそうだ。東区に武平町という地名が残っている。しかし、5丁目だけ。この地図の2個のビルだけが、武平町のようだ。5丁目しか残っていないので、特定できないが、おそらくこの辺りだったのだろう。交差点名は「中区役所」になっているが、交差している通りの名前は「武平通」
 東新町:バス停、交差点共に残っている。交差点名は「とおしんちょう」だが、停留場名は「ひがししんちょう」
 新栄町:現在の地下鉄「新栄町駅」があるのは、葵町交差点だが、広小路通りには、ちゃんと「新栄町」交差点がある。
 車道:「広小路車道」という名の交差点になっているが、錦通との区別のため。
 千種駅前(但し、1961年以前に廃止):交差点、バス停共にあり。

以上が栄町線の停留場。ほぼ、全駅の場所が特定できた。面白いように、交差点名、もしくはバス停名として生き残っているのである。(武平町だけが残念だが)

 栄町線は、覚王山線に連絡している。
 車道:バス停、交差点ともにあり(広小路車道)
 千種橋東:名称変更前の千種駅前のこと
 今池:バス停、交差点ともにあり
 仲田:バス停、交差点ともにあり
 池下:バス停、交差点ともにあり
 覚王山:バス停、交差点ともにあり

 さらに覚王山にて東山公園線に連絡している。
 覚王山:バス停、交差点ともにあり
 末盛通二丁目:バス停、交差点ともにあり(末盛通2)
 城山:バス停あり、交差点名は「城山八幡宮前」
 本山:バス停、交差点ともにあり
 唐山:交差点あり
 東山公園:バス停あり。交差点名は「東山公園前」または「東山公園口西」
 東山工業高校前:バス停あり。そもそも交差点が無い。
 星ヶ丘:バス停、交差点ともにあり

 本3線が、後の地下鉄1号線(東山線)に置き換わった線である。武平町を除いて、特に問題となる駅は無かった。このように、古い地名は、バス停名、交差点名として残っているのである。

◇ ◇ ◇

 
 とりあえず、上の例では、名古屋の地下鉄の幹線でもあり、路面電車としても最も古い、名古屋駅辺りから東に向かって進む路線についての例を示したが、この作業において、ほぼ、上記の、「交差点」「バス停」その他の情報から、路面電車停留場の特定ができそうだとの確信が得られたので、今度は古い順に、敷設された順にたどってみることにしよう。

■1898年5月6日開業 「栄町線」
 先に示したとおりなのだが、これは、廃止直前の1961年の記録を元にしている。開業当時はと言うと、まず、笹島町〜県庁前で開業となっている。・・・県庁前? 一体どこだ? さらに、伏見通という停留場が、御園町となっている。このあたりから解決しなければならない。

 「県庁前」と聞いて、名古屋市の地理を知っている人ならば、おや? と思ったことだろう。県庁とは、現在、名古屋城のすぐ南、官庁街の東方にある。名古屋駅(笹島)から一直線に東に伸びる広小路通からは、かなり大きく外れている。この先、栄町線は、千種方面に延伸するわけだから、(現在の)県庁方向に曲がって路線が延びていたとは考えられず、昔は、栄周辺に県庁があったと考えるべきだろう。
 と言うわけで、路面電車探索から一転、今度は県庁舎探しになってしまった。
 あちこち探すうちに、昔の広小路通は、栄付近で終わっており、その正面には県庁舎が建っていた、との記述を発見した。本当だろうか。愛知県庁のページを探し回ったところ、ようやく、その紹介ページを発見した。

 このページによると、明治4年(1871年)、最初の県庁設置時には、旧竹腰邸を使用したため、現在の官公庁街、県警本部のある辺りだったらしい。
 それが、名古屋鎮台の兵隊増員に伴って、急遽、陸軍省に引き渡しとなり移転。東本願寺別院掛所に仮の庁舎として設置。ここはあくまで「仮」のため、明治10年(1877年)6月19日に、広小路通の終点(栄町筋の突き当たり)に西向きの庁舎が建設されたようだ。
 ところが、すぐに、政府による官営中央縦貫鉄道の中央線建設計画により、千種停車場設置の話が出て、広小路通を行き止まりにしている県庁庁舎が邪魔になる。再び庁舎の移転。七曲町旧第一師範学校跡地へ。これが明治33年(1900年)4月1日のこと。

 すなわち、路面電車開業時、1898年5月6日には、まだ、広小路通の突き当たりに県庁があったことになる。従って、最初の営業は、笹島町(名古屋駅付近)から、県庁までを結ぶ線として開始したわけである。その直後には県庁が移転してしまうため、県庁前〜武平町が延伸。(後に、武平町→久屋町→武平町と名称を変更しているようである)
 そして、無事、中央線千種駅(停車場)が開業すると、1903年1月31日、栄町線も延伸し、久屋町〜車道が営業を開始する。

 ようやく、疑問が解消した。

 ところで愛知県庁舎であるが、再び手狭になったということから移転をするのだが、次の移転先は、もう現在の場所であり、さらに庁舎自身も、昭和13年4月11日以来ずっと現在まで使い続けられている。それまで転々としていたのだが、ようやく安住の地を見つけたというわけか。
 愛知県庁本庁舎が、かなり独特のデザイン(人によっては恥ずかしいと言うが)であるのは、建造時代が、戦争拡大の時代、国威発揚などから、日本の伝統を建築に反映させる風潮だとか、名古屋城の外堀内のために城との調和に配慮だとか、いろいろ言われている。さらには、完成は昭和13年であるが、計画は大正14年からあり、調査が開始。ほぼ決定したのは、昭和3年には昭和天皇御大典の記念事業としての計画。まあ、そんなこんなで、和洋折衷の一風変わったデザインになっている。
 しかし、今となっては歴史的建造物であることは間違いなく、1998年7月23日には文化財保護法による国の文化財建造物に登録されてしまい、もはや建て直すこともできない。また、移転するしかないのか。

 さてさて、さらに大きく話を戻す。

 開業当時の停留場名であるが、終点の県庁前だけでなく、途中の名称も、違ったものが見つかった。
 廃止直前の名称は、先に示したとおり、

・笹島町、柳橋、納屋橋東、伏見通、広小路本町、栄町 武平町 ・・・

なのだが、開業当時は、

・笹島、柳橋、御園町、七間町、県庁前

だと言う。数も違うし、名前も最初の2つだけしか合っていない。御園町は、名古屋関係者ならばすぐにピンと来るであろう。伏見駅すぐ南西にある御園座。そう、伏見通の一本西側の細い通りが、御園通なのである。従って、上の停留場の関係は、納屋橋付近に無く、柳橋の次が御園町(伏見通)だったのだろう。それでは次の七間町とは・・・ これは知らなかったのだが、本町の一本東(東急インがある通り)の交差点名が、広小路七間町であった。現在の地名は、中区錦三丁目になってしまっているが、交差点名としては、しっかり残っていたのである。
 以上から、確かに、開業当時の停留場名(から推察される現在地)と廃止直前の停留場名の位置関係、また、現代に残る地名の関係は以下のようになる。
 
開業当時電停名 廃止直前電停名 交差点名 バス停名 その他 備考
笹島 笹島町 笹島 笹島 - ※1
柳橋 柳橋 柳橋 柳橋 - 橋は無し
- 納屋橋東 納屋橋東 納屋橋 - 橋あり
御園町 - 広小路御園 - 通り名 ※3
- 伏見通 広小路伏見 広小路伏見 - -
- 広小路本町 広小路本町 広小路本町 - -
七間町 - 広小路七間町 - - -
- 栄町 広小路栄 - -
県庁前 - - - - -
- 武平町 - - 武平通 武平町 ※2

※1 国有鉄道が高架化され現在地に移転する前、昭和12年以前には、名古屋駅は、名鉄百貨店から名鉄セブンあたりにあった。従って、笹島町というのは、名古屋駅前のことを指している。 

※2 但し、この地図によると、現在の中区役所交差点を背後に、西を向いているため、駅があったのは、現在に残る武平町よりは、広小路栄東交差点あたりだと推測される。

※3 別の資料によると、南園町、南桑名町、という停車場名もある。

■1901年2月19日開業 「押切線」
 この路線に関しては、開業当時の停留場名が判らない。廃止直前の名前は以下の通り。
  志摩町〜那古野町〜菊井町〜菊井通四丁目〜押切町
 
 今回は、まず最初からつまづいてしまった。志摩町という地名が現在残っていない。ようやく発見したのは、「名古屋市中村区志摩町」による検索で引っかかった、船橋株式会社の会社沿革のページ。「初代社長舟橋勝治が名古屋市中村区志摩町に於いて防水布製造販売(現在のレイン部門)を主に創業」との記述から、確かに町名変更前に、中村区に存在したことは判った。場所は、他の停留場名から推測するに、泥江町(ひじえちょう:難読地名かな? 名古屋人ならば誰でも読めるのだが)交差点付近のはず。
 そう言えば、この「泥江町」も、町名としては無くなってしまっている。交差点名ではしっかり残っているのだが。
 無くなった地名ということならば、現在の「名駅」という地名が怪しい。なぜなら、伏見通りをはさんで反対側は、那古野町一丁目と、由緒ある名前である。西側の名駅三丁目を丹念に地図を眺めて行くと、あった。ここにあるトヨタレンタリースがあるビルが「志摩ビル」という名前であった。恐らく、このあたりが志摩町だったのだろう。
 他は、特に問題もなく、交差点名かバス停名が発見できた。
 
廃止直前電停名 交差点名 バス停名 その他 備考
志摩町 - - 志摩ビル -
那古野町 那古野 那古野町 - -
菊井町 菊井町 菊井町 - -
菊井町四丁目 - 菊井通4 - ※4
押切町 押切町 押切町 - -

※4 藪下町、という名前の資料もあり。

■1901年2月19日開業 「上江川線」
 前述の押切線と同日開業である。しかも開業区間はと言うと、柳橋〜泥江町であり、押切線の起点と栄町線の途中駅。つまり、開業当時は、押切線と上江川線と別々でなく、1本だったと思われる。その後、志摩〜那古野間が廃止されたため(道路幅が狭かったらしい)、分離されてしまい、別路線となったのだろう。
 両駅とも、前述の通りなので省略する。

■1903年1月31日延長開業 「栄町線」
 栄町線が、久屋町〜西裏までが延長開業とある。はて? 久屋町とは? 県庁前駅だったものが、武平町になり、さらに久屋町になったのだろうか。久屋とは、現在の栄のシンボルとも言われる100m道路のことである。
 開業区間は、久屋町〜東新町〜新栄町〜西裏(後の「車道」)
である。
 東新町は、読み方が違うが交差点、バス停ともに現存している。新栄町は、そのものがある。終点の西裏であるが、これは現存する地名としては発見できなかった。しかし、これもネット検索(名古屋 東区 西裏)によると、「セクダム株式会社」というものを発見。「名古屋市東区西裏町(現葵三丁目)永和ビルにて創業設立」という記述があり、現在の「葵三丁目」が、西裏町であったことを示している。また、こんなページも発見。ここの新旧町名対照によると、確かに、西裏町が現在の葵三丁目の一部であることを示しており、さらに地図で見る限り、ここのことであろうと推測される。なお、上記の新旧町名対照では、東区のことをまとめてあるが、地図で示した葵三丁目は中区である。葵三丁目は、東区と中区に分割されて存在している。(葵二丁目も、一丁目も、一部が中区にある)
 
開業当時名 廃止直前名 交差点名 バス停名 その他 備考
久屋町 (武平町) 広小路久屋東 - - -
東新町 東新町 東新町 東新町深夜バス - ※5
新栄町 新栄町 新栄町 新栄町 - -
西裏 - - - - -
- 車道 広小路車道 広小路車道 - -

※5 東田町、という名前の資料もあり。

■1908年5月3日開業 「熱田線」
 栄町〜熱田駅前 開業。廃止直前の駅名は以下の通り。
 栄町〜南大津通(白川通大津)〜矢場町〜赤門通〜上前津〜下前津〜東別院〜古沢町〜金山橋〜沢上町〜高蔵〜熱田駅前
 栄から熱田に向かって大津通りを南下する路線。最初の電停、南大津通は、1966年以降、白川通大津に名称変更している。南大津通という地名は発見できなかったが、交差点、バス停ともに発見。しかし、かなり位置が違っている。駅間距離から考えると、交差点名の方が当時の電停を指していると思われる。(バス停名の方では、次の矢場町に近すぎる)
 次の矢場町も、交差点、バス停ともに現存するのだが、やはり位置が違っている。バス停の矢場町は、地下鉄の矢場町駅に引っ張られていると考えられる。(大津通ではなく、久屋大通にある。さらに、大津通りにも矢場町バス停があるのだが、こちらは若宮大通を越えて、大須の方にある)
 赤門通は、交差点名として「赤門通」があるのだが、これは裏門前町通の方にあり、場所が違う。交差点名の「赤門」のあたりだと思われる。
 上前津は、交差点バス停共にあるのだが、バス停は、若干、赤門寄り。駅間のバランスを考えると、交差点の方が正しいと思われる。
 東別院は、バス停の方に「前」が付いているが、間違いなさそう。古沢町は、交差点名は、地図からは判断できなかったがバス停名を発見。
 金山は、再開発で大きく変貌してしまったため、良く判らないが、金山橋交差点よりは、金山交差点の方が近いのではないだろうか。(駅間距離の関係から推測)
 沢上町は、交差点は沢上、バス停は沢上町。但し、バス停も大きく離れて3箇所にある。(ほぼ、沢上交差点を中心に3方向に分散している)
 最後の熱田駅前は、交差点名にはあるが、その付近のバス停名は、「熱田区役所」 その手前のバス停が「熱田駅」であった。
 以上、大した問題もなく、発見できた。要するに、路面電車が廃止されて変わりにバスが走っているということだろう。電停名をそのまま引き継いでいても不思議はない。

 街道歩きをしていても気になるのだが、バス通りというのは、時代を経てもさほど変化が無い。隣に広い通りが新たにできても、何故か昔ながらの通りを通っていることが多い。この路線に関してもそうであった。そういうことからも、路面電車を追跡するにはバス通りを追うのが一番である。
 
廃止直前名 交差点名 バス停名 その他 備考
白川通大津 白川通大津 白川通大津 - ※6
矢場町 矢場町 矢場町 - バス停は場所が違う
赤門通 赤門 - - ※7
上前津 上前津 上前津 - -
下前津 下前津 下前津 - ※8
東別院 東別院 東別院前 - -
古沢町 - 古沢町 - ※9
金山橋 金山橋 金山 - 金山交差点か?
沢上町 沢上 沢上町 ※10
高蔵 高蔵 高蔵 ※11
熱田駅前 熱田駅前 熱田駅

※6 松坂屋前、という名の資料もあり。
※7 三輪町、という名の資料もあり。
※8 不二見町、という名の資料もあり。
※9 税務署前、専売局前、と二つに分かれていた資料もあり。
※10 沢上車庫前、という資料もあり。
※11 高倉、という記述の資料もあり。

まだまだ続くが、今回はここまで。(その2へ進む



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2007.2.28
2007.3.02 更新