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■1908年9月17日延伸 「熱田線」
熱田駅前〜熱田伝馬町
ほぼ4ヶ月後には、熱田線が延伸する。追加された駅は、以下の通り。
熱田駅前〜熱田神宮前〜熱田伝馬町
「熱田神宮前」に相当する交差点、バス停は見当たらない。近い名前だと「神宮前北」という交差点名と、「神宮東門」バス停である。
熱田伝馬町は、伝馬町という交差点近くに、熱田伝馬町のバス停が残る。
| 廃止直前電停名 | 交差点名 | バス停名 | その他 | 備考 |
| 熱田神宮前 | 神宮前北 | - | - | ※12 |
| 熱田伝馬町 | 伝馬町 | 熱田伝馬町 | - | - |
※12 その後の調査(最後に示す参考資料)によると、神宮東門交差点の方が近いかもしれない。
■1910年2月23日開業 「公園線」
新栄町〜上前津
本路線の停留場名は以下の通り。
新栄町〜白山町〜老松町〜大学病院前〜鶴舞公園〜大池町〜上前津
まだ、国道19号が整備される前なのか、旧道、新栄町交差点を通る一本裏の通りを通って鶴舞公園を経由し、上前津に抜けるコースと思われる。この通りは、現在はバスが通っていないので、場所の特定が困難かもしれない。
まず最初に、新栄町の次、白山町から見て行こう。町名は新栄町二丁目になってしまっているが、交差点として、国道19号に「西白山」がある。このことから、東側一帯が白山だったのではないかと想像できる。バス停も、19号沿いにしかなく、西白山町である。ふと地図を見ると、白山郵便局がある。おそらく、この辺りであろう。
次の老松町も、見当たらない。やはりバス通りから外れると、名前が消えやすいのかもしれない。さんざん探し回ってようやく発見したのが、老松アパート。この辺りの地名が老松町であったことを示す、重要な遺産である。
次の大学病院前も、そのものの名前は発見できない。大学病院とは、今の名大病院のことに違いないが、名大病院西、という交差点があるのみで、バス停は、鶴舞公園北口しか無い。その次の「鶴舞公園」に該当するのは、おそらく鶴舞公園前交差点とバス停。両方とも「前」が追加されている。
ここから方向を西に変え、上前津方向に進む。現在で言えば地下鉄鶴舞線の通りに進む。次の大池町は、交差点名は無い。交差点で言うと、「中警察署」と「記念橋東」の間あたりにバス停「大池町」が残っている。ちなみに、現在の町名は、千代田である。
| 廃止直前電停名 | 交差点名 | バス停名 | その他 | 備考 |
| 白山町 | - | - | 白山郵便局 | - |
| 老松町 | - | - | 老松アパート | ※13 |
| 大学病院前 | 名大病院西 | - | - | - |
| 鶴舞公園 | 鶴舞公園前 | 鶴舞公園前 | - | - |
| 大池町 | - | 大池町 | - | - |
※13 東陰町、という名の資料もあり。
■1910年3月16日開業 「築港線」
熱田駅前〜築地口
一ヵ月後には港の方に新たな路線が誕生する。停車場名は、熱田駅前〜菖蒲池〜白鳥橋〜船方〜南一番町〜千年〜港明町
〜労災病院前〜港楽町〜港陽町〜築地口である。
まず最初の菖蒲池でつまづく。交差点名にもバス停名にも存在しない。前後の距離から考えて、この辺りに違いないのだが、全く痕跡が発見できない。熱田神宮の近くで、その他にも寺院が多く存在する地区であり、そのような名前の池があったのだろう。唯一検索にて発見できた情報としては、ゆうパックの取扱店として、熱田区旗屋2-26-11にある菖蒲池米店というのがあった。幹線道路から外れているが、このあたりに菖蒲池という池があった証拠の一つであろう。
次の白鳥橋は、実際の橋(白鳥橋)の手前(熱田神宮寄り)に、白鳥橋バス停がある。
その白鳥橋を渡って築地方面にすすむと、Y字路の交差点が船方交差点。その先、船方南交差点付近にバス停船方がある。後で述べるが、この船方交差点では、鋭角に曲る路線が後に誕生する。
次は南一番町。ここも交差点、バス停共にある。次の千年も同様。港明町は、交差点は「港明1」だが、バス停にその名が残る。労災病院前は、両方とも健在。やはりバス通りは判りやすい。
港楽町は、交差点名が発見できず。「盲人情報文化センター」という名前に変わったのかもしれない。港陽町も同様、交差点名が判らない。
最後の築地口は、交差点・バス停共にあり、地下鉄の駅、さらには名四国道のインターチェンジまでもある、交通の要所である。
| 廃止直前電停名 | 交差点名 | バス停名 | その他 | 備考 |
| 菖蒲池 | - | - | 菖蒲池米店 | ※14 |
| 白鳥橋 | 白鳥橋東 | 白鳥橋 | 白鳥橋 | ※15 |
| 船方 | 船方 | 船方 | - | - |
| 南一番町 | 南一番町 | 南一番町 | - | ※16 |
| 千年 | 千年 | 千年 | - | - |
| 港明町 | 港明1 | 港明町 | - | ※17 |
| 労災病院前 | 労災病院前 | 労災病院前 | - | - |
| 港楽町 | - | 港楽町 | - | - |
| 港陽町 | - | 港陽町 | - | - |
| 築地口 | 築地口 | 築地口 | 地下鉄駅、IC | - |
※14 旗屋町、という名の資料もあり。
※15 白鳥町、という名の資料もあり。さらに、船方の手前にもう一つ停留場が描かれているものもあり。
※16 祐誓寺前、という名の資料もあり。
※17 前新田、築地電車前、港橋、築港、という名の資料もあり。数が異なるのでどれに対応しているか不明。
■1910年7月15日延伸 「熱田線」
内田橋〜東築地(熱田電気軌道が敷設)
続いて開業するのは熱田線の延伸部。内田橋〜東築地なのだが、内田橋とは、開業中の熱田伝馬町の次の駅にあたるところ。熱田伝馬町〜内田橋間が後からの開業となっている。
ということから、恐らく、内田橋で河を越える部分の建設が遅れたと考えられる。つまり内田橋停留場は、河を越えたところのはず。探すと、確かに橋を渡ったところにバス停、交差点共にある。ちなみに、この内田橋とは、旧東海道の七里の渡し跡が見渡せる橋である。
さて、この熱田線延伸部であるが、平行して幹線ができたために早期に廃止された(1940年5月28日廃止)区間であり、停車場の名前が判らない。終点の東築地しか判らなかったのだが、その終点の名前から考えて、海沿い(川沿い)を走っていたと思われる。バス停「東築地」があるが、これは名四国道のバスなので、全く関係無い。しかし、恐らくb所としては近いと思われる。
(追記 2007/3/2 : その後偶然、停留場名が入った路線図を発見した。但し、他の文献と異なる箇所もあり、必ずしも正しいとは限らない。「映像で綴る名古屋の400年」の、路面電車路線図にあるのだが、このサイト、作りが悪く、非常に見にくいので、ダイレクトに前述のリンクでたどるのをお勧めする。
さて、この路線図によると、内田橋の次は、明治新田、氷室新田、開東橋、龍宮町、そして終点、南陽館前となっている。明治新田は、現在の地名、明治の元になっている明治新田であるから、この辺りか。次の氷室新田は、「南区の地名」によると、「山崎川の祐竹橋から西へ国道247号(知多街道)を横切り、南西方向に氷室町、三条にかけて幅100m程の東西に細長い場所」だそうだ。この記述から推測すると、この辺りか。から龍宮町にかけて、ほとんど不明である。最後の南陽館前に関しては後述する)
| 開通当時名 | 廃止直前名 | 交差点名 | バス停名 | その他 | 備考 |
| 熱田神戸橋 | 内田橋 | 内田橋 | 内田橋 | 内田橋 | - |
| 東築地 | 東築地 | - | (東築地) | - | 名四国道バス |
まだまだ続くが、今回はここまで。(その3へ進む)
(いかがでしょうか? 面白ければ続けます)