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名古屋の路面電車5

 まだまだ続く。(1へ戻る2へ戻る3へ戻る4へ戻る

 大正に入ると、路線延長が一段落したのか、新規開通が若干減る。また前にも示したように、この当時の市域がまだ狭いために、市を超えて開発というのがまだまだ始まっていないのかもしれない。市街地の充実が中心となるが、一本だけ、下之一色線という郊外線が延びる。これは、まだ名古屋市内ではなかった漁師町、下之一色と名古屋市街を結ぶ線として敷かれたものであり、他の路面電車とは若干毛色の違う線である。ほぼ全線が単線、大半が専用軌道、道路との立体交差など、郊外電車に近い形態である。
 それでは、1913年と1914年開通分を調査してみよう。

■1913年10月17日開業 「中村線」 明治橋(笹島町〜笈瀬通間・のち笹島警察署前)〜中村公園前(中村電気軌道が敷設)
 開業駅は、次のとおり。
 明治橋〜笈瀬通〜太閤通三丁目〜大門通〜楠橋〜中村公園前

 明治橋とは、笹島町と笈瀬通の間とのことで、後に笹島警察署前に名称変更しているらしいから、場所としては、現在の中村警察署の辺りだろうか。(実際には、笹島警察署は、名古屋駅建設のために移転している)
 明治の地図で調べてみると、ほぼ合っていると思うのだが、道路がかなり変わっており、正確な場所は不明。
 それでは、「明治橋」の由来であるが、この辺りに大きな川は無い。従って、「明治橋」なる橋も存在しない。だとすると、考えられるのは鉄道を越える橋ではないかと当たりを付けて調べてみると、確かに、交通障害を解消する目的で、名古屋駅南側に立体交差を造った、その橋の名前が「明治橋」であることが判った。1901年に完成とのことである。その後、名古屋駅周辺の高架化が昭和12年(1937年)に行われているから、この時には撤去されているのであろう。その痕跡は(地図からは)発見できなかった。
 以降の停留場名は、難なく発見可能。微妙に名称が違ったりするが、ほぼ残っていると見て良い。但し、太閤通三丁目に当たるバス停だけが、「中村区役所」になっている。これは、行政上仕方がないのだろう。
 
廃止直前電停名 交差点名 バス停名 その他 備考
明治橋 - - - 後の笹島警察署前
笈瀬通 笈瀬通 笈瀬通 - -
太閤通三丁目 太閤通3 (中村区役所) - -
大門通 大門 大門通 - -
楠橋 楠橋 楠橋 - -
中村公園前 中村公園前 中村公園 - -

■1913年11月12日開業 「行幸線」 明道町〜景雲橋
■1913年11月12日延伸 「上江川線」 志摩町〜明道町
 従来からある「上江川線」が明道町まで延伸し、そこから景雲橋までの行幸線が開業する。同日のため、一緒に説明する。新たな停車場は、以下の通り。
  明道町、景雲橋

 明道町は問題無いが、景雲橋は、交差点名が、橋をはさんで両側に「東」「西」があり、バス停は無い。近い物としては「愛知県図書館」
 
開通当時名 廃止直前電停名 交差点名 バス停名 その他 備考
明道橋 明道町 明道町 明道町 - -
御園御門 景雲橋 景雲橋西・東 - - -

■1913年12月21日開業 「下之一色線」 新尾頭〜下之一色間
 さて次が大きな郊外線。停車場名は、次の通り。
新尾頭〜八幡西通〜五女子〜二女子〜長良橋〜長良本町〜松葉〜小本〜荒子〜中郷〜法花〜下之一色

 あまり馴染みの無い名前が続く。郊外へと続くことも理由の一つであるが、さらに馴染みが無い理由としては、この路線、専用線の部分が多く、道路を走っていない。結果、廃線となると、その跡形が道路には残っていない。つまり交差点の名前とか、バス停とかの名称としては残らない(ことが多い)のである。
 しかし、逆に、専用線区間において、廃線跡が生々しく、生活道路として残っていたりするので、現代の地図からも、比較的容易に「経路」だけはたどることができた。

 まず最初の新尾頭であるが、元々ある尾頭橋と連絡していたものの、少し離れて存在していたらしい。
 そこから先、しばらくはバス停名に残っている。長良本町を過ぎたところで、道が緩やかに左カーブしている箇所がある。ここが、専用線跡と思われる。と言うのも、その道をたどって進むと、次の停車場名、松葉というバス停が存在するからである。その先、小本本町というバス停がある。停車場「小本」だろうか。そこでバス通りは路線を変更するが、路面電車は真っ直ぐ進むと考えられる。すると、やがてゆっくりと方向を西に変え、西名古屋港線、現在の「あおなみ線」を横断する。この辺りが、荒子信号所か。一瞬、路線跡を見失うが、よくよく先を見渡すと、荒子1交差点の辺りから、再び、線跡らしきものに繋がっている様子が伺える
 荒子公園で、途絶えているようだが、さらに先は続いている。恐らく、この「荒子町バス停」辺りが「荒子停車場」 交差点名では「高畑2」になっている。北東から南西にむかって数本の道路が斜めに走っているが、これのいずれかが専用線の跡ではなかろうか。そのあたりをたどって進むと、中郷、法華と続く。法華は、地名では「華」の字を使っているが、開業当時から停車場名は「花」を使っていたらしい。
 やがて一色大橋の所に出て、終点「下之一色」到着である。下之一色は、対岸が中心であるが、橋を架けることができず、名古屋側に駅があったそうだから、今の一色大橋東交差点の辺りであったと思われる。

 かなり推測が入ったが、何とかたどることができた。
 
開業当時電停名 廃止直前電停名 交差点名 バス停名 その他 備考
新尾頭 尾頭橋 尾頭橋 尾頭橋 - -
八幡西通 八幡西通 - 八幡西通 -
五女子 五女子 五女子 五女子 - -
二女子 二女子 - 二女子 - -
長良橋 長良橋 長良橋 長良橋 - -
長良本町 長良本町 - 長良本町 - -
松葉 松葉 - 松葉 - -
小本 小本 - 小本本町? - -
荒子 荒子 - 荒子町 - -
中郷 中郷 - - 地名:中郷4 -
法花 法花 法華1 - - -
下之一色 下之一色 一色大橋東 - 地名: -

■1914年8月20日延伸 「行幸線」 景雲橋〜名古屋城
 1913年を終え、続いて1914年分である。行幸線が延伸し、名古屋城まで進む。新たに開業するのは、二区間のみ。景雲橋〜外堀四丁目〜名古屋城

 外堀四丁目は、開業当時の停車場名には存在するが、廃止直前からは無くなっている。通りの名前が外堀通なのだが、地名としては残っておらず、丸ノ内になっている。距離的に考えてバス停「外堀通」あたりだろうか。
 次の名古屋城も特定不能。名古屋城と名乗っていることから、このあたりで唯一渡れる橋がある、本町橋あたりだろうか。開業当時、本町御門だったという記録もあるから、おそらく間違いないであろう。
 
開通当時名 廃止直前名 交差点名 バス停名 その他 備考
外堀四丁目 - - 外堀通 - -
本町御門 名古屋城 - - 不明 -

■1914年11月5日開業 「東片端線」 名古屋城〜東片端
 先に紹介した、行幸線の続きになる区間である。名古屋城を起点として、大津橋〜東外堀町〜東片端と繋がる。東外堀町は、開業当時は、「裁判所前」だったようである。しかし、その裁判所は現在そこになく、市制資料館として使われている。公式ページに、その旨の記述があった。
 
開通当時名 廃止直前名 交差点名 バス停名 その他 備考
大津橋 大津橋 大津橋 大津橋 - -
裁判所前 東外堀通 - - 市制資料館 -
東片端 東片端 東片端 東片端 - -

■1914年11月5日開業 「高岳線」 東新町〜清水口
 栄町線の東新町から北方向に伸びる線である。直前に紹介した、東片端線の東片端を経由して清水口まで。新たに開業する停車場は、東新町〜高岳町〜東片端〜清水口 である。東片端は、上で紹介したので、高岳町と清水口のみである。
 
開通当時名 廃止直前名 交差点名 バス停名 その他 備考
高岳院前 高岳町 高岳 高岳 - -
東片端 東片端 東片端 東片端 - -
主税町 - 主税町3 - 町名 -
清水口 清水口 清水口 清水口 - -

◇  ◇  ◇

 以上で、1913年と1914年の開通分が終了である。

 再び、1914年の市域と重ねてみた。まだ、市域にはほとんど変化が無く、市の領域を超えて路線が伸びている様子がわかる。

まだまだ続くが、今回はここまで。(その6へ進む

(いかがでしょうか? 面白ければ続けます)



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2007.3.03