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名古屋の路面電車9

 まだまだ続く。(1へ戻る2へ戻る3へ戻る4へ戻る5へ戻る6へ戻る7へ戻る8へ戻る

■1932年12月30日開業 「循環東線」 桜山町〜市立病院前
 前回紹介した、藤成線の桜山町から先、市立病院前までの開業である。このあたり、病院名も紛らわしいし、移転したり、それに合わせて停留場名が変更されたりで、各種資料がバラバラであり、どれが本当に正しいのか全く判らない。桜山町が後に「市大学病院」になった、という記録や、市立病院前が、「市立大学病院前」になっていたり、「市民病院前」になっていたり。開業当時の年から判断すると、まだ、市立大学病院にはなっていないため、市民病院前、でスタートしたと判断してよいだろう。
 「市民病院前」が「市立大学病院前」となり、移転後、「瑞穂通一丁目」に変わったのだろう。

 「名高商」とは、第六高等商業学校のことであろう。現:名古屋大学の経済学部の前身で、発足当時は、まだ名古屋市内ではなく、愛知郡呼続町大字瑞穂字川澄であったとある。つまり、現、市大病院の場所である。
 
廃止直前電停名 交差点名 バス停名 その他 備考
名高商前 - - - - -
市民病院 瑞穂通一丁目 瑞穂通1 - - -

■1933年8月24日開業 「大津町線」 大津橋〜市役所前
 ここも、従来からある停車場どおしをつないだだけで、新規開業停車場は無し。

■1934年9月11日開業 「水主町延長線」 水主町〜六反小学校前
 水主町から西方向へ延伸する。新規停車場は、六反小学校前。
  水主町〜六反小学校前
 六反小学校は、現在も存在している。バス停名からは「前」が省略されている。何故、数百メートル一区間だけ延長されたのだろうか。その後、1940年には、笹島線として、名古屋駅方面から伸びた路線が六反小学校前にて接続される。
 
開業当時名 廃止直前電停名 交差点名 バス停名 その他 備考
六反小学校前 六反小学校前 六反小学校前 六反小学校 - -

 しばらく新規開業路線は無く、1936年には中村線が市営化。そして次の新規開業は1937年になる。日中戦争(正しくは支那事変(日本政府の正式呼称))の始まりの年である。盧溝橋事件が7月7日だから、まだギリギリ穏やかな時代か。

■1937年2月27日開業 「東山公園線」 覚王山〜東山公園
 覚王山線がさらに伸び、ついに東山公園に到達する。路線としては別扱いで、東山公園線と呼ばれた。新たな停車場は、以下の通り。
  覚王山〜末盛通二丁目〜城山〜本山〜唐山〜東山公園

 覚王山を出ると坂を下り末盛通二丁目。愛知学院歯学部、その向かいに昔はマツヤデンキがあった。(現在の地図では見当たらない) 実は、この辺りに暮らしていたので非常に懐かしい場所である。マツヤデンキでは、オーブントースターやら、冷蔵庫やら、いろいろ購入した記憶がある。さて、次の城山は、バス停には残るものの、交差点名は「城山八幡宮前」
 続いて唐山、そして終点東山公園、と、連続で「山」が続く。末盛通二丁目を除くと、一つ前の覚王山も「山」 確かに起伏のある地域であるが、もはや宅地化されて長いのと、道路が谷間を縫って進むため、あまり「山」という感じはしない。
 唐山であるが、交差点には残るものの、バス停が発見できなかった。
 終点「東山公園」は、交差点としては、「東山公園前」と「東山公園口西」の二つがあるが、バス停に近いのは「〜口西」
 
廃止直前電停名 交差点名 バス停名 その他 備考
末盛通二丁目 末盛通2 末盛通2 - -
城山 - 城山 - -
本山 本山 本山 - -
唐山 唐山 - - -
東山公園 東山公園前 東山公園 - -

 直後の3月1日には、築地線、八事線、下之一色線が市営化する。

■1937年3月11日開業 「野立築地口線」 日比野〜築地口
 江川線の日比野から分岐し、築地口までが開業する。ちまちました短距離延伸が続いた中、久しぶりの長大路線開業である。新規開業は以下のとおり。
 日比野〜西郊通六丁目〜六番町〜六番町六丁目〜七番町〜東海通〜港車庫前〜港区役所前〜築地口
 日比野から築地口に至る路線ということは、現在の「地下鉄名港線」の前身と言える。

 さて、始点の日比野であるが、今では地下鉄駅で有名となった交差点名でもあるのだが、よくよく地図を見てみると、地名としての「ヒビノ」は、「比々野」であって「日比野」ではない。今回初めて知った。
 また、六番町も地下鉄駅名で有名だが、地名は「六番」であり、「町」が付かない。他にも「一番」「二番」「四番」「八番」があるが、「三番町」「五番町」「七番町」「九番町」には「町」が付く。さらに、「一番」には「町」が付かないが、「南一番町」には「町」が付く。なんとまぁ、ややこしい町。(さらに面倒なのは、七番町、九番町が港区で、他は熱田区)

 とにかく、六番町であるが、現在、六番は三丁目までしかなく、六丁目は無い。駅間距離から考えると、「六番3交差点」あたりだろうか。
 
開業当時電停名 廃止直前電停名 交差点名 バス停名 その他 備考
西郊通六丁目 西郊通六丁目 西郊通6 - - -
六番町 六番町 六番町 六番町 - -
六番町六丁目 六番町六丁目 - - - 不明
七番町 七番町 七番町 七番町 - -
東海通 東海通 東海通 東海通 - -
港車庫前 港車庫前 - - - -
港区役所前 港区役所前 港区役所前 - - -

 港車庫前が不明だったのだが、いろいろ調べてみると、2004年10月6日、つい最近、地下鉄港区役所前のバス停が「港車庫前」から「港区役所」に改称された、という記述を発見した。すると、港区役所前との関係はどうなってしまうのだろうか。

■1937年3月14日開業 「中村線」 笹島町〜笹島警察署前
■1937年3月14日開業 「広井町線」 名古屋駅前〜那古野町
■1937年4月16日開業 「笹島線」 名古屋駅前〜笹島町
 名古屋駅の高架化・移転に伴い、駅前周辺の再編が行われる。
 停車場としては、ほとんど登場した名前ばかりのため省略。

■1939年5月15日開業 「高岳線」 大曽根(旧駅)〜大曽根
 大曽根移転により配線が変わる。大きな変化ではないので省略。

■1940年5月28日開業 「笹島線」 笹島町〜六反小学校前
 笹島から省線鉄道に沿って南下し、六反小学校まで。新規開業は、一つ。
  笹島町〜下広井町〜六反小学校前
 交差点とバス停が、若干離れているが、両者存在。
 
開通当時名 廃止直前名 交差点名 バス停名 その他 備考
下広井町 下広井町 下広井町 下広井町 - -

■1940年5月28日開業 「大江線」 内田橋〜竜宮町
 本線開業に伴い、先に並行して敷かれていた熱田線が廃止となる。新規開業区間は、
  内田橋〜南陽通二丁目〜南陽通四丁目〜南陽通六丁目〜竜宮町
 面白味のない停留所名が続くが、とりあえず現存する。竜宮町は、熱田線当時は、「龍宮」という記載があったが、大江線では「竜宮」に統一されている。
 
開通当時名 廃止直前名 交差点名 バス停名 その他 備考
南陽通二丁目 南陽通二丁目 南陽通2 - - -
南陽通四丁目 南陽通四丁目 南陽通4 南陽通4 - -
南陽通六丁目 南陽通六丁目 南陽通6 南陽通6 - -
竜宮町 竜宮町 竜宮町 竜宮町 - -

 時は1940年代に入り、いよいよ本格的に戦争時代へと突入する。こんな時代にも路線延伸が行われるのは、この辺り一帯が工業地域だからだろうか。三菱重工などの重工業地帯である。

■1941年5月1日開業 「大江線」 竜宮町〜東橋
 前年開通の大江線が延伸する。川を渡り、一駅進む。これで、より一層、工業地帯への通勤が便利になる。
 
開通当時名 廃止直前名 交差点名 バス停名 その他 備考
東橋 東橋 東橋 東橋 - -

■1941年5月16日開業 「循環東線」 市立病院前〜新瑞橋
 新規開業区間は、
  市立大学病院前(瑞穂通一丁目)〜瑞穂通三丁目(瑞穂区役所前)〜 瑞穂通四丁目〜瑞穂運動場前〜瑞穂通七丁目〜新瑞橋

 瑞穂運動場前は、以前、地下鉄駅名も「瑞穂運動場」だったのだが、名城線が全線開通したとき、より近い駅ができてしまったために改称している。従って、「〜西」になってしまった。新規開業した駅は、「〜東」
 時代の違いなのか、面白味の無い名前ばかりになる。
 
開通当時名 廃止直前名 交差点名 バス停名 その他 備考
市立大学病院前 瑞穂通一丁目 瑞穂通1 瑞穂通1 - 市大病院前交差点もあり
瑞穂通三丁目 瑞穂区役所前 瑞穂区役所 瑞穂区役所 - 地名は三丁目
瑞穂通四丁目 瑞穂通四丁目 瑞穂通4 瑞穂通4 - -
瑞穂運動場前 瑞穂運動場前 瑞穂運動場西 瑞穂運動場西 - -
瑞穂通七丁目 瑞穂通七丁目 瑞穂通7 瑞穂通7 - -
新瑞橋 新瑞橋 新瑞橋 新瑞橋 - -

■1941年12月30日開業 「築地線支線」 稲永町〜西稲永
 新規開業区間は、
  稲永町〜港西小学校前〜西稲永
 稲永から先に延伸。路線名としては「支線」

 「港西小学校前」と思われる場所を見ると、「稲永小学校」というものがある。この二つの関係を調べてみた
 港西小学校は、昭和3年に築地尋常小学校分教場として開設されたのが始まりで、昭和15年3月に港西尋常小学校として独立。築地線支線の開業が昭和16年(1941年)だから、確かに、港西(尋常)小学校が成立している。その後、昭和22年に港西小学校と改称され、昭和26年に分校が開設(今の稲永小学校)、昭和51年、分校が稲永小学校として独立、とある。

 おや?

 確かに、今の稲永小学校は、港西小学校分校であった歴史はあるが、開設は昭和26年。開通当時に存在していたようには思えない。ついでに調べると、築地線支線の廃止は1971年12月1日、つまり昭和46年。分校が稲永小学校として独立する前のことだ。つまり、「港西小学校前」の名称は、廃止直前の名称ということになるのだろう。
 すると、港西小学校の本校がどこにあるのか気になるところだが、…自分で書いてて忘れていた。直前の記事、「名古屋の路面電車8」にて記載しているではないか。下之一色線の大宮司電停のあった場所

 本校が駅名に採用してもらえなかったのに、分校が駅名に採用されていたわけだ。
 
開通当時名 廃止直前名 交差点名 バス停名 その他 備考
? 港西小学校前 - - - 稲永小学校?
西稲永 西稲永 西稲永 西稲永 - -

◇  ◇  ◇

 以上で、1941年が終了。いよいよ東條内閣も成立し、真珠湾攻撃、太平洋戦争が開戦する。
 こんな時代だと言うのに、まだまだ路線が延伸していたと言うことか。

まだまだ続くが、今回はここまで。(その10へ進む

(いかがでしょうか? 面白ければ続けます)



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2007.3.06