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名古屋の路面電車 その後

 まだまだ続く。(1へ戻る2へ戻る3へ戻る4へ戻る5へ戻る6へ戻る7へ戻る8へ戻る9へ戻る10へ戻る11へ戻る

 調子に乗って続けてしまった路面電車の調査であるが、その後、持っていたはずなのに見失っていた名古屋の古地図を発見し、不明だった点が続々と明らかになってきたので、総まとめをする。
 この古地図は、昭和8年6月発行の名古屋市街図である。細かい町名までが記載されているのだが、路面電車に関しては、路線が、赤で記入されているものの、主要電停が丸印で描かれているのみで、電停名が記載されていない。また昭和8年ということから、名古屋市域がまだ狭いが、周辺町村も、ある程度描かれている。

 さて、順番に見て行こう。

■栄周辺(名古屋の路面電車1

 ここでは「武平町」を探してみよう。下の図であるが、「南武平町」という町名しか見当たらない。しかし、そのすぐ西に市役所があり(青色丸領域)、北には愛知県庁がある。その中央、広小路通には、四角形のロータリーのような空間があり、「花壇」と書かれている。ここが昔の県庁跡地だろうか。左にある細長く青で塗りつぶした領域が、現在の100m道路、久屋大通である。ちょうど、一区画を潰して造られていることが判る。
 

 
■志摩町(名古屋の路面電車1

 「志摩」という名前は、ビルの名前にしか発見できなかったが、古地図によると、(摩の文字が省略されているが)難なく見つけることができた。左にある高田派別院の位置が変わっていないことから、現在地図と比較できる。円頓寺商店街の通りのところである。

■西浦(名古屋の路面電車1

 千種駅周辺に「西浦」という名前は発見できなかった。これを探してみると、中央本線よりも東側に発見できた。また、千種駅であるが、昭和8年は移転前のため、現在地よりもかなり南に描かれている。路面電車が駅前まで延長されている様子が判る。現在の駅は、「西」の文字の辺りである。

■老松町(名古屋の路面電車2

 老松町は、小さな町かと思ったら、通りに沿って存在していた。今では、この通りの代わりに国道19号線が整備されてしまい、この道が分断されている状態のため、道の存在が薄くなると同時に、町名も消えたのだろう。

■菖蒲池(名古屋の路面電車2

 米屋の名前で発見、という快挙であった菖蒲池だが、古地図からは発見できなかった。
 しかし、それよりも、菖蒲池と思われる付近に発見した、「白鳥陵」というのが気になる。


 
■月見坂(名古屋の路面電車3

 路面電車の終点電停にあえて「月見坂」と書かれている。やはり開業当時は月見坂が正しかったようだ。覚王山日泰寺の参道正面に位置する。しかし、この時代、まだタイ王国はシャム国のため、「覚王山日暹寺」である。
 意外に知られていないことだが、遺骨仏舎利(仏教開祖釈迦・ゴータマ・シッダルータの遺骨のこと)が、シャム国国王ラマ五世から日本に贈られたとき、受け入れ先でもめた結果、名古屋に来たのである。そんな歴史から、この日泰寺は、どの宗派にも属していない超宗派であり、各宗派(現在19宗派が参加)の管長が、三年交代で住職を務めている。
 右側に手書きで記入されているような線が、この後に整備された姫ヶ池通りであろう。日泰寺のすぐ裏にある池が「姫ヶ池」なのだが、私がこの地に暮らしていた当時はまだ残っていたのだが、先日近くを通ったら埋めたれられて消滅していた。


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■南陽館前(名古屋の路面電車6

 「現在の東築地小の場所」という記載を発見し、場所は特定できていたのだが、一応調べてみると、ちゃんと予想通りの場所に「南陽館」の文字があり、電停が描かれていた。


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■宮町その他(名古屋の路面電車7

 再び栄周辺である。「宮町」は町内会の名前で残っていたが、古地図によれば、宮町、東桜町、杉町の3本が順に並んでいる様子が判った。開業当初、宮町、杉町にあったものが、後期には東桜町に統一されたのだろう。


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■下之一色線関連(名古屋の路面電車7

 この範囲まで地図にあったのだが、まだまだ開拓時代で、町名が書かれていなかったので、地図は省略する。
 「西ノ割」の地名だけが描かれていた。「大宮司」と思われる場所には、「宝神町」の名があった。関連しているかどうかは不明。

■島退(名古屋の路面電車7

 東郊通一丁目の古い名称である「島退」は、古地図から発見できた。既に「東郊通」という地名も生まれているようだ。地図右上に八幡山があるが、これは現在も残る古墳である。グランドというのも、陸上競技場として残るが、間の「聞天閣」とか書かれているものは、現在野球場になっている。
 

 
■東川端町(名古屋の路面電車7

 東川端町は川に沿った地名であり、場所の特定はできない。下の地図では、「河」の字になっており、下の方に端、町と続くが、かなり細長い町である。

■矢田(名古屋の路面電車11

 矢田町十五丁目、矢田町十丁目は、完全に消滅してしまい全く場所が判らなかったのだが、古地図では簡単に発見できた。カネボウ(鐘ヶ渕紡績)の工場跡が、現在のナゴヤドーム。矢田町十四丁目あたりが現在のイオンの場所のようだから、十五丁目は、ドームから伸びるデッキの南側ということになりそうだ。現在の地名では矢田南3丁目である。


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 志賀住宅前なども探してみたのだが、あいにく、それらしき物は発見できない。何故なら地図が古すぎるのだ。確かに昭和8年と言えば、現在から考えればかなり古い情報を持っていると思えるのだが、路面電車が最後に走っていたのは昭和40年代。その間には戦争もあり、大きく変化してしまっている。従って、今回使った昭和8年の地図では、「名古屋の路面電車9」より前のあたりまでしか対応できないのである。

 実は、昭和40年後半の名古屋の詳細地図も持っていたのだが、今現在発見できていない。部屋の奥深くに眠っているはずなのだが・・・ また発見したら、確認してみようかな、と思っている。



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2007.3.16