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町華やかなりし時代

 現在の市町村の原型となるのは、明治21年に制定された市町村制とよばれる、明治憲法下の地方制度である。岐阜県では、翌年、明治22年(1889年)の7月1日に施行されている。

 この頃の記録というのは非常にあいまいな物が多く、何度調査してもどれが正確な情報だか不明な点が多い。町村制施行以前にも、「町」「村」という概念はあったが、さらにあいまいな情報しか入手できなかった。複数の情報を元に照らし合わせて間違いを正す作業を行うと、すぐに2ヶ月が経ってしまった。明治22年7月1日の大合併以前には、岐阜県だけでも1,389個もの町村があり(筆者調べ)、その一つ一つを照らし合わせる作業は非常に手間のかかる仕事であった。
 実際に、間違いがあるかもしれないが、それは複数の資料によって、異なる表記があったりするためであり、指摘はご容赦いただきたい。無論、完全に誤っているという情報に関しては積極的に募集する。

 さて、明治22年7月1日の市町村制施行により、大規模な合併が行われる。ここで市が一つ誕生し(当然、県都の岐阜市である)、町村数は一気に減るが、それでも964個と、今では考えられない数の町村が存在していた。ちなみに町が25個、村が928個である。当時の岐阜県の人口は100万人に満たない程度だったため、1,000個近い町村ということは、平均しても1,000人程度ということになる。現代で言えば、町内会程度の規模の村が点在していたわけである。
 おそらく岐阜県に限らず、全国各地が同様の時代であったと思われる。

 総務省の情報によると、明治21年時点で、全国には 71,314個の町村があったことになっており、(面倒な表現をしたのは、岐阜県だけを調べても、いくつか不明な点が残る(※1)のに、全国の集計が正しく行われているとは、とても思えないからである)翌年、明治22年には15,859個になっている。全国的には、1年で5分の1に減っていることになっているから、岐阜県が1,389個から964個という変化は非常に小さい方である。しかし、71,314個を道府県数で割ると平均1500個であったのが、明治22年には340個程度になったわけで、岐阜県の964個というのは、非常に多い数である。
 
※1 例えば、東○○村、西○○村、などと分けて書かれていたり、いなかったり、他にも南、北、上、下、中、など。さらに、合併期日が資料毎に異なり、町村制施行前に合併していたことになっていたり、後に合併したことになっていたり。繰り返される合併、特に先日の平成大合併によって、過去の自治体が持つ記録を破棄した場合が多く、公的機関の情報が減ってしまっているのが残念である。おそらく、各自治体に出向けば、もっと確実な情報が入手できると思われるのだが、なかなかそう簡単な話ではない。合併においても、大きな自治体に周辺が吸収される「編入合併」の場合には、比較的過去の情報を残すのだが、小さな自治体が対等に合併した場合、「新設合併」となり、新たな自治体が誕生した扱いになるので、公式ページでは、自治体の歴史が平成から始まっていたりする。

 岐阜県においては、市町村制施行により 1市、25町、9,38村でスタートしたわけだが、当然のことながら順次、村が減り町が増え、その町が減り市が増える、という順で現在に至る。村は減る一方かと言うと、必ずしもそうではなく、巨大な村の分割によって数が増えたり、町から一部地域が独立して増えたり、という歴史もある。
 町は、村から町へ変化し、増えるが、町どうしの合併、また町が発展して市に昇格、などの変化が最も多く、複雑な数の変化をしている。

 そこで、ちょっと興味を持ったのは、いつが最も町が多かったのだろうか、という話である。

 グラフを書いてみた。下に示すグラフは、市町村の数の変化である。横軸は合併等のあった年月日であるが、合併がある度に軸が取ってあるため、単純な時間軸ではない。また、村数は異常に多いため、縦軸は100までしか見ていないため、突然、昭和30年頃から村が登場している。

 こうしてみると、徐々に町が増え、村が急速に減り、市が増加して現在に至る様子が良く分かる。さて、最も町が多かったのは、Aで示した昭和7年10月1日から昭和9年7月31日までのの57個。その後、もう一度BからCの区間、昭和24年から昭和25年にかけて同じく57個であった。
 Dの区間で50個のまま変化していないのは、この時期、村が町へ編入する合併ばかりが続き、町の数が変化しなかった時代なのである。その後、一旦、町は減るものの、昭和40年代には村が町へ変化する時代がやってきて、村は急速に減少、再び町が増加という傾向があり、その後、今度は町が市へ変化するために急速に数を減らしていく。1000個近くあった村は、とうとう最後の1つに。

 前の57個の時代(昭和7〜9年)は、「市」が岐阜市と大垣市の2個のみ、後の57個の時代(昭和24〜25年)は、高山市と多治見市が追加された4市の時代である。

 それでは昭和7年を見てみよう。どんな町があったのだろうか。

 まずは、岐阜市付近の「稲葉郡」 「旧厚見郡」地域に「加納町」が、まだ岐阜市に吸収されずに単独で存在している。この頃の町役場跡が、中山道沿いに残っているため、見たことがある人も多いだろう。稲葉郡の元となっている、他の「旧方縣郡」「各務郡」地域には、一つもない。岐阜市の勢力が強いために、他に単独で大きな町となった物が無いのだろうか。
 次に「羽島郡」 ここは、「羽栗郡」と「中島郡」が合体した郡であるが、羽栗郡地域に、「笠松町」「竹ヶ鼻町」がある。竹ヶ鼻町は、その後合併により名前を変え、「羽島市」となった中心部である。今でも、名鉄の竹鼻線という名称に痕跡がある。中島郡地域には町は無い。

 次、西濃地区に移る。「海津郡」 「海西郡」と「下石津郡」その他が合体したものであるが、「高須町」「今尾町」がある。
 「養老郡」 「多藝郡」と「上石津郡」の合体。ここには「高田町」がある。
 「不破郡」 ここは「垂井町」「関ヶ原町」そして、大垣市に吸収される前の「赤坂町」がある。
 「安八郡」 ここは「墨俣町」「大藪町」「神戸町」がある。
 「揖斐郡」 「池田郡」と「大野郡」の合体である。大野郡側に「揖斐町」「大野町」がある。

 「本巣郡」には、「北方町」「山県郡」には「高富町」
 「武儀郡」には「美濃町」「関町」「菅田町」(後に益田郡に移動する)「金山町」(同じく後に益田郡に移動する)と、4つも町があった。
 「郡上郡」には、「八幡町」「白鳥町」、 「加茂郡」には、「太田町」「八百津町」「下麻生町」「川辺町」「古井町」があった。中濃部には、町が多い。

 次、東濃部に移るとさらに多くなる。「可児郡」には、「御嵩町」「兼山町」「広見町」「今渡町」「豊岡町」が、次の「土岐郡」においては、「多治見町」「土岐津町」「笠原町」「妻木町」「下石町」「駄知町」「瑞浪町「土岐町」「泉町」の9個もある。
 「恵那郡」も多い。「明知町」「岩村町」「中津町」「長島町」「陶町」「大井町」「苗木町」「坂下町」「付知町」の9個である。

 次に飛騨國に移る。「大野郡」において、「高山町」「大名田町」 「益田郡」「下呂町」「萩原町」「小坂町」の3つ、最後の「吉城郡」に、「古川町」「船津町」がある。

 以上、57個であるが、岐阜県の現状を知る者が見ると、何か見えてこないだろうか。現在、飛騨と美濃を分類して考えるのは当然として、美濃を、西濃、中濃、(岐阜)、東濃、という分割をする。そして、東濃地区には、小さい市が多く、岐阜から西側には、市が無かった。ようやく平成の合併によって、瑞穂市だとか本巣市、山県市、海津市、といった市が誕生したが、ほんの数年前までは、岐阜の西側には大垣市しか無かった。(羽島市も、西と言えば西だが、これを入れても、2個しか無かった)
 この東西の違いが、そのまま現在の構成の元になっているとも言えるのだが、それにしても東濃地区の町の数が多い。また、これだけ多くの町が合体して市になったのなら、もっと大きな市ができていそうなものだが、多治見市ぐらいしか大きな町が無い。
 悪く言えば、小さな町が沢山できてしまったためにまとまりが悪くなり、中途半端な市が沢山できてしまったのではないか。だいたい、土岐市と瑞浪市など、最初から1個になるべきであったと思う。知らない人が多いが、この2つの市の成り立ちは非常に面倒な話である。
 当初「土岐村」と名乗っていた村は、町制施行時に「土岐町」と改称する。その後、別の「土岐村」は、町制施行により「土岐町」となる。その後、「土岐町」は、「瑞浪町」と合併し、「瑞浪土岐町」が誕生。「瑞浪土岐町」はその他周辺を取り込んで市制施行して、「瑞浪市」が誕生。「土岐津町」はと言うと、1年後に周辺地域を取り込んで市制施行し「土岐市」の誕生。

 ご理解いただけただろうか。つまり、土岐市の元は、土岐口村で、土岐村は、瑞浪市になったのである。
 その名残なのか、瑞浪市には土岐町がある。
 
■街道と町

 人が多く集まる要因となっているのは、やはり流通が大きく、街道とは切り離せない。岐阜県を縦断している最も大きな街道、中山道との関係を見てみよう。
 
 最も西の宿。滋賀県との県境に近いところ、今須宿から始まる。この今須村は、残念ながら町になることなく、関ヶ原と合併して消滅している。次の関ヶ原宿は、関ヶ原町垂井宿、赤坂宿ともに垂井町、赤坂町。しかし、赤坂は大垣に吸収されて消滅。
 次の美江寺宿は、明治22年の町村制施行時に美江寺村になるものの、今須と同様に合併により消滅している。合体してできた村は船木村で、その後、巣南町となり、現在は瑞穂市の一部である。
 河渡宿も、周辺と合併し合渡村、と微妙な名前に変更。その後、岐阜市に吸収される。
 加納宿は、加納町として独立するものの、最終的には岐阜市へ。
 鵜沼宿は、鵜沼村から鵜沼町になったものの、前述の昭和7年には間に合わず、昭和18年町制施行。その後、各務原市へ。
 太田宿は、明治22年の町村制施行時には、いきなり太田町として誕生。初代「町」の一つである。その後、市制施行時には、太田の名前を捨てて「美濃加茂市」となる。駅名の「美濃太田」として残る。
 伏見宿は、長らく伏見村として存在し、昭和24年にようやく町制施行。しかし、その後、御嵩町らと合併し、御嵩町へ。
 御嵩宿は、明治22年の町村制施行時にいきなり御嵩町として華々しくデビュー。しかし、その後吸収合併し町域を拡大するも、未だ御嵩町。
 細久手宿は、村にすらならず。日吉村の一部だろうか。その後、瑞浪市発足時に吸収され瑞浪市に。
 大湫宿は、大湫村として存在するも、町村制施行時には、釜戸村と合併して余戸村に。よって公式には、村としては存在していない。(法律上の町村制の村として、という意味) しかし、その後再び分裂して、大湫村が誕生し、最終的には細久手と同様に、瑞浪市へ。
 大井宿。大井村は、村として発足するも、翌年には大井町へ。長らく町時代を経て、昭和29年に市制施行で恵那市へ。
 中津川宿は、中津川町として発足。しかし、明治30年の駒場村、手賀野村との合併により、中津町へと名前を変える。その後、昭和26年に苗木町と合併するときに、再び中津川町と変更、市制施行によって中津川市へとなる。よって、前述の昭和7年時点では、中津川町は存在せず、扱いが微妙。
 最後の落合宿は、落合村として発足。しかし、その後ずっと村のままで、最終的には昭和31年に中津川市へ吸収され消滅。
 次の馬籠宿は、当時、岐阜県ではないので省略。
 
中山道宿場町 現在の所属自治体 備考
今須宿 関ヶ原 名称消滅
関ヶ原宿 関ヶ原 町名として存続
垂井宿 垂井 町名として存続
赤坂宿 大垣 名称消滅
美江寺宿 瑞穂 名称消滅
河渡宿 岐阜 名称消滅
加納宿 岐阜 名称消滅
鵜沼宿 各務原 名称消滅
太田宿 美濃加茂 名称消滅
伏見宿 御嵩 名称消滅
御嵩宿 御嵩 町名として存続
細久手宿 瑞浪 名称消滅
大湫宿 瑞浪 名称消滅
大井宿 恵那 名称消滅
中津川宿 中津川 市名として存続
落合宿 中津川 名称消滅

 以上16宿を順番に眺めてみたのだが、予想に反して、宿場町がそのまま発展したものは少ないように思える。前述の「町が最も多く存在していた昭和7年」において、宿を起源とし、宿の名称を冠した町は、たったの7個。しかも、その後どうなったかと言うと、市まで昇格したのが唯一中津川市のみ。(これも、途中、一旦、中津町になっているため微妙) その他の町に至っては、他の周辺との合併によって名称消滅か、未だ町のままの反面名前が残るか、のいずれかである。
 
 同じ時代の幹線街道である東海道とは全く違う歴史を辿っている。東海道の場合、大半の宿場は、そのまま町から市へと変化し、その名を留めている。(無論、例外も多い)※2

※2
 品川(区)-川崎(市)-神奈川(区)-保土ヶ谷(区)-戸塚(区)-藤沢(市)-平塚(市)-大磯(町)-小田原(市)-箱根(町)-三島(市)-沼津(市)-原-吉原-蒲原-由比-興津-江尻-府中-鞠子-岡部(町)-藤枝(市)-島田(市)-金谷-日坂-掛川(市)-袋井(市)-見附-浜松(市)-舞阪-新居(町)-白須賀-二川-吉田-御油-赤坂-藤川-岡崎(市)-池鯉鮒(市・・・微妙)-鳴海-宮-桑名(市)-四日市(市)-石薬師-庄野-亀山(市)-関-坂下-土山-水口-石部-草津(市)-大津(市)

 うむ、並べてみると、あまり大差ないか。巨大な都市が多いため、そう思ったものの、平成の大合併によって、宿場名を含む町が吸収されて名称を無くしている場合が多いようにも思える。
 
 市区が、22個、町が4個、あとは消滅していた。
 
■交通機関と町

 それでは、明治以降の交通が関係しているのかと昭和7年の鉄道網を重ねてみた。
 まず、昭和7年時点で存在していた町を、岐阜県の地図にプロットしてみた。

 やはり東側(東濃)方面に集中している様子が判る。ここに、昭和7年当時に開業していた鉄道網を重ねてみた。


 黒色が国鉄線(正しくは省線鉄道線)、緑は未開業線(その後開業し現存、あるいは廃線になったものを含む)、紺色は、私鉄線を示している。
 確かに、面白いように赤丸の町の位置を辿っている様子が判る。人が多いから鉄道が敷かれたのか、鉄道が敷かれたから人が増えたのか。
 いずれにしろ、昭和初期の人口密集地区は、鉄道と強く関連があることが判る。
 それでは、最後に、「駅名」という観点から調べてみよう。町の名称が、その鉄道駅の名前として用いられているものを、全57町について全て抽出してみた。
 
所属郡 昭和7年の町 代表路線 備考
稲葉郡 加納町 加納駅 名鉄本線 現存
羽島郡 笠松町 笠松駅 名鉄本線 現存
竹ヶ鼻町 竹鼻駅 名鉄竹鼻線 現存
海津郡 高須町 - - -
今尾町 - - -
養老郡 高田町 美濃高田駅 養老線 現存(養老鉄道)
不破郡 垂井町 垂井駅 東海道本線 現存
関ヶ原町 関ヶ原駅 東海道本線 現存
赤坂町 美濃赤坂駅 東海道本線※3 現存
安八郡 墨俣町 - - -
大藪町 - - -
神戸町 広神戸駅 伊勢電気鉄道養老線
※4
現存(養老鉄道)
揖斐郡 揖斐町 本揖斐駅
揖斐駅
名鉄揖斐線
伊勢電気鉄道養老線
2005年廃止
現存(養老鉄道)
大野町 (黒野駅) 名鉄揖斐線 2005年廃止(名鉄)
本巣郡 北方町 北方千歳駅
(北方真桑)※5
名鉄揖斐線
樽見鉄道
2005年廃止(名鉄)
現存
山県郡 高富町 高富駅 名鉄(名岐鉄道)
高富線
1960年廃止(廃止当時は名鉄)
武儀郡 美濃町 美濃駅 国鉄越美南線 現存(長良川鉄道)
関町 関駅 国鉄越美南線 現存(長良川鉄道)
菅田町 - - -
金山町 飛騨金山駅 国鉄高山本線 現存(JR)
郡上郡 八幡町 郡上八幡駅 国鉄越美南線 現存(長良川鉄道)
白鳥町 美濃白鳥駅 国鉄越美南線 現存(長良川鉄道)
加茂郡 太田町 美濃太田駅 国鉄高山本線 現存(JR)
八百津町 八百津駅 東美鉄道八百津線 2001年廃止(名鉄)
下麻生町 下麻生駅 国鉄高山本線 現存(JR)
川辺町 中川辺駅 国鉄高山本線 現存(JR)
古井町 古井(こび)駅 国鉄高山本線 現存(JR)
可児郡 御嵩町 御嵩駅 東美鉄道広見線 現存(名鉄)
兼山町 兼山駅 東美鉄道八百津線 2001年廃止(名鉄)
広見町 広見駅(可児駅) 国鉄太多線 現存(JR)
今渡町 日本ライン今渡駅 東美鉄道広見線 現存(名鉄)
豊岡町 - - -
土岐郡 多治見町 多治見駅 国鉄中央本線 現存(JR)
土岐津町 土岐市駅 国鉄中央本線 現存(JR)
笠原町 笠原駅 東濃鉄道笠原線 1978年廃止
妻木町 - - -
下石町 下石駅 駄知鉄道 1974年廃止
駄知町 駄知駅 駄知鉄道 1974年廃止
瑞浪町 瑞浪駅 国鉄中央本線 現存(JR)
土岐町 - - -
泉町 - - -
恵那郡 明知町 明知駅※6 国鉄明知線 現存(明知鉄道)
岩村町 岩村停留所 岩村鉄道 1935年廃止
中津町 中津川駅 国鉄中央本線 現存(JR)
長島町 - - -
陶町 - - -
大井町 大井停留所
大井駅(現恵那駅)
岩村鉄道
国鉄中央本線
1935年廃止
現存(JR)
苗木町 苗木駅 北恵那鉄道 1978年廃止
坂下町 坂下駅 国鉄中央本線 現存(JR)
付知町 下付知駅 北恵那鉄道 1978年廃止
大野郡 高山町 高山駅※7 国鉄高山本線 現存(JR)
大名田町 - - -
益田郡 下呂町 下呂駅 国鉄高山本線 現存(JR)
萩原町 飛騨萩原駅 国鉄高山本線 現存(JR)
小坂町 飛騨小坂※8 国鉄高山本線 現存(JR)
吉城郡 古川町 飛騨古川※7 国鉄高山本線 現存(JR)
船津町 - - -

※3 赤坂支線と呼ぶ場合もあるが、正式には「本線」である。
※4 地元では揖斐線と呼ぶ場合もあるが、正式には「養老線」である。
※5 北方の名前が付いているが、実は北方町ではない。隣の本巣市(真正町)にある。
※6 現在は「明智駅」だが、国鉄時代は「明知駅」が正しい。
※7 正確に言うと、昭和7年の時点では、まだ高山駅付近は敷設工事中で、開業していない。
※8 ここも正確には、昭和8年に開通した区間。

 これは、「名前」を元に調べたため、実際の街の中心部などとは直接関係がない場合もある。また、非常に駅の近くが町の中心部であっても、駅名が異なる場合には示していない。

 やはり近代の街道、鉄路の影響はかなり強いことが判るだろう。考えようによっては、人がいるから鉄道が通るという話なのかもしれない。しかし、駅名に着目すれば、影響力というのが強く感じる。意外な駅名が着いているのは、元々の町の名前だったりする。「美濃加茂市」の中心駅が「美濃太田駅」であるのも、元の町名が太田であることを知っていれば、特に違和感はない。逆に、広見駅は「可児駅」と変更してしまった。無論、「美濃太田駅」が、「美濃加茂駅」に改称してしまったら、「太多線」の名称をどうするか、という問題まで発生するから、容易に変更できないのだろうが。



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2008.1.31