
第44巻 第9号 1999年9月25日 市立大町山岳博物館 |
山村冬系譜
廃屋1 |
| ユーモアと人間愛 金田国武
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公募展での受賞作が大へんすばらしいものであっても、同一作者の全く傾向の違う作品や、力を抜いた売絵に接したとき、「一体この作者の芸術感はどうなっているのだろうか…」と思われ、素晴らしい受賞作も急に色あせてしまうことがある。その点羽田智千代さんの作品はどんな小品でも時空を超えた鮮血が正確に脈打ち、一貫として全人格がキラキラ輝いている。
羽田さんは「大町みずえ会」で40年以上子供たちの絵や版画をみてきたが、「教えることより教えられることの方が多いですよ。」とはにかみながら言う。ある時期、子供たちの絵の素晴らしさに自信をなくし、数年絵筆を断ったこともあったという。
またその時分郡外の小学校でよその組の美術の時間を受け持っていたが、ある時子供たちにつくらせた花瓶の中で、ゆがんではいても個性的な作品を「大へんよくできた」とほめてやったそうですか、次週その教室へ行ってみると、その作品がどこにも無い。不思議に思って聞いてみると、担任の先生が、「こんなにゆがんでいては、みっともないぞー」と作り直させたという。この考えの違いの中に、羽田芸術の神髄がひそんでいるのではなかろうか。
羽田さんは昭和四十年代からモノクロ版画の単純幽遠な美にひかれ墨一色で心象風景を追求し続けてきたが、地域活動にも積極的な羽田さんだから、その目はおのずと社会現象へ向きに公害や営利主義の渦巻く世紀末のなかから、芸術的アイロニーを通 して二十一世紀へ明るい橋渡しをしようとする。
鳥や虫の視点からユーモアをもって表現しているのは、版画家羽田智千代さんのあたたかい人間愛のあらわれにほかならない。
(きんた くにたけ、日本現代詩人会会員)
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私の中で遊ぶ子どもの心 羽田智千代
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| "山村冬系譜"
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「これは青具峠から見た景色ですか。」この版画を見てくれた何人もから聞かれたことばだ。
ところが当の本人とっては、これ程答えに窮する質問はない。
私の風景版画は特定の景色を写生したものではないからである。いわば私が創った風景なのである。つまり私の心象風景である。私も時々あちこちに写
生にも出掛けるし、写真にも収めて来る。でもそれは飽くまで絵を創るための資料でしかない。そうして集めた資料が、やがて私の中にイメージを拡げながら、組み合わされたり、新たに創り出されたりして、次第に私の風景として板面
に姿を現し始める。更に幾多の紆余曲折を経て、漸くできあがる。できあがった風景は、その時の私がいちばん美しいと考え、こんな風景を観たいと願っているものだと信じている。
こうした絵創りは、直接目の前に対象があって、見て描く絵と比べて生みの苦しみは少々大きいように思う。できあがるのでは苦しみの連続でもある。でも、作者が楽しんで創ったものでなくては、見てくれる人も楽しませることはできないと常々思っている。"絵を作る楽しみ"
は、山登りのそれと同じではないかと密かに考えている。大方苦しみの方が多いか、尾根に眺望が開けた時、あがて頂上に立った時に、歓喜に心躍り、登りの苦しみは一気に忘れ、眺望の素晴らしさに
忽ち酔い痴れるてしまう。それまでの苦しみが大きければ大きい程、その喜びは大きいように思う。
絵を創り出すときも、苦しんだ揚句に、自分の考えていた以上のイメージの絵ができた時の喜びは、山頂で見た眺望の美しさに抱く感動と比べても決して劣ることはない。
苦しみ、喜びの織り成す交響曲に酔う心地よさのようなものが、絵創りの楽しみだと思っている。
気に入った風景を創り出すことは苦しいけれども、わが心の赴くままに創作できる自由があって、楽しんで創れるし、展覧会などに出品しても同じような作品に出合うことは、滅多になく、この面
でも快いものがある。
こんなにして創られた私の世界であり、これが私の風景版画である。
だから、「青具峠の景色ですね。」と言われれば、「そうですね。」と応じ、「小谷の風景ですね。」と聞かれれば、また「そうですね。」と曖昧に答えている。
自分でもおかしく思うことがあるが、敢えて説明することもないと思っている。
私は以上のような版画創りを『山湖描心』と称している |
廃屋にひかれて |
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十年程前、白馬村の西を南北に貫いている千国街道脇で、朽ち始めたくず屋の民家を見た。かつては、親・子・孫三世代、あるいは四世代の大所帯で暮らしていたであろう歴史のいっぱい詰まった立派な家である。悲嬉こもごも、心に焼きついている幾つかの思い出の刻まれた家が、間もなく跡形もなくこの地球上から消え失せていくであろうことに、たまらない淋しさを覚えた。そう思って改めてあちこちを歩いてみると、同じように崩れかけたものや、人気のないままにひっそりと建っている幾つものくず屋が目につく。その中の一軒を、美麻村の街道沿いに見つけ、その行く末を見届けることにした。二年半にわたって二十数回通
った。その時々に見る朽ちていく姿は、老いさらばえた人間の末路と重なって見え、もの言わぬ
だけに悲しく、やり切れなかった。スケッチする手が震え、カメラの焦点がぶれそうになることもあった。今思い出してみても胸の痛みをおぼえる。今はそこに近代的な新しい家が建っている。どんな人が、どんな暮らしをしているのだろうか。以前、そこに建っていたくず屋の歴史とどう繋がっているのだろうか。気になるところである。
そして、トキやニホンタンポポを初じめ多くの生物が絶滅の危機に瀕している事実にも、思いが拡がっていく。
こうした気遣いの中で生まれたのが、廃屋の『山居想刻』シリーズである。
前述のような、重く、やり切れぬ思いを如何に託すことができるのかを自らに問いつつ製作した。ある時は明るい陽光と対比したり、あるときはどっしりとした蔵をかたわらに置いてみたり、ある時は夜の帷の中に置いて怪しげな雰囲気をと、考えたりした。わが思いが伝わったかどうか甚だ疑わしい。
『山居想刻』未だ道遠しの感が深い。そして、実景を基にした創作表現の難しさを思い知らされている。実景から離れられぬ
うちは、作者が自らの思いを託すどころか、逆に引きずり込まれ、作者自身が埋めつぶされてしまう結果
になり兼ねないと感じている。
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