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開業当時の東武鉄道北越谷駅・蒲生駅
昭和53年4月1日発行の「オール東都」第13号(編集 東都住宅)に、
「市制二十周年にちなんで駅今昔」という記事がありましたので、感想を
2点程述べさせて頂きます。
▲昭和53年4月1日発行 「オール東都」第13号 編集 東都住宅
◆文明開化の先端をいく鉄道開通に越ヶ谷、大沢とも駅誘致合戦を演じましたが、越ヶ谷側には鉄道が
走ると便利になってドロボーが多くなる、という物騒なデマが飛んで消極的になったという話もありま
すが実際は松沢大沢町長が駅舎敷地をポンと寄附するなど積極的に運動を進めて成功したのが真実のよ
うです。(上記記事より引用)
現在の東武鉄道北越谷駅(開業当時は越ヶ谷駅で後に武州大沢駅と改称)の敷地は、当時の初代大沢町長
松沢久次郎が、妻の父方の祖父である大房村(現在の北越谷4丁目)久右衛門(天保12年(1841)没)
より相続した土地を、大沢町に駅を誘致する為に東武鉄道に寄附したものです。
 参考までに松沢久次郎の妻の母方の祖父は、文化12年(1815)11月より大沢宿で年寄を勤めた
柏屋大垣弥平太知方(俳号は氷佳)(安政5年(1858)没)です。
 この記事が書かれた昭和53年(1978)当時は、松沢久次郎が東武鉄道に土地を寄附した事実を知
る住民が少なからず存在したようですが、平成20年(2008)現在では登記簿を閲覧しても古過ぎて
確認不可能な事柄ですので、是非その事実を後世に伝えていくべきであると思われます。
◆次にその年の十二月二十日に蒲生駅がオープンしましたが当時の駅舎は越ヶ谷側寄りの三軒茶屋とい
う場所で八年後に現在地に移転しました。東武ではその頃多くの参拝客を集めて賑っていた大相模不動
尊の縁日を当てこんで毎年九月四日の大会式には臨時電車を増発して三割引きの往復乗車券を発行して
います。(上記記事より引用) (サイト管理者註:臨時電車は臨時蒸気機関車の引く客車の間違いの筈)
開業当時の蒲生駅が、現在の新越谷駅付近の「三軒茶屋」に存在していたという事実は、この記事が書
かれた11歳の時に既に読んでいた筈ですが、全く忘れてしまっていたので衝撃的でした。
 日光街道の「三軒茶屋」より大相模不動尊(大聖寺)へと、古道である「不動道」が通じていた事は、
「NPO法人越谷市郷土研究会」副会長の加藤幸一氏の研究により判明していますが、「三軒茶屋」付
近にあった東武鉄道蒲生駅と「不動道」との関係は、今後の研究成果が待たれる所です。
※ 開業当時の蒲生駅は、現在の新越谷駅の南でダイエー南越谷店の少し北辺りにあり、線路の西側で
当時の蒲生駅前にあった「停車場(ていしゃば)」という屋号で呼ばれたお宅の方が、現在もいらっしゃ
るそうです。(NPO法人 越谷市郷土研究会 副会長 加藤幸一氏よりの情報)
※ 参考文献 昭和53年4月1日発行 「オール東都」第13号 編集 東都住宅
加藤 幸一(2008) 「今はなき不動道」
※ 参考サイト 『弥十郎のはなし』 サイト内 「越谷の古道(PDF表示)」
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