
南京虐殺はでっち上げと確信している」
のトピックでの私の発言(145)
( 70’までの岡村氏の志と著作権 )
1970年までの岡村氏の志と著作権(1:00
投稿者: hatopigeon 2002年2月26日 午後 6時00分
メッセージ: 8300 / 8303
●岡村寧次中将の回想録
(『岡村寧次大将資料(上)』原書房、1970年、291頁)
上海に上陸して一、二日の間の、先遣の宮崎参謀、中支那派遣軍特務部長原田少将、杭州特務機関長萩原少佐から聴取しったところを統合すれば、次のとおりであった。
一、南京攻略時、数万の市民にたいする掠奪強姦等の大暴行があったことは事実である。
一、第一線部隊は給養を名として俘虜を殺してしまう弊がある。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
その当の岡村寧次氏は、1966年にお亡くなりに成っているのですが、1970年頃のご本の出版に関しましては、裁判で出版差し止めに至っている筈で御座いますよ。
私などの聞き及んでいるお話では、小さな記念館をお作りに成ることを考えた時に、ご家族の人々がマネージャーの様に一緒に携わっていて、その内容に関してはご家族の人々が詳しく知っていて、一部を捏造して出版する様な動きを知って、そのご家族が裁判を起こして当然の事として、その出版は差し止めに至っていた様です。
実際のところ、
「数万の市民にたいする掠奪強姦等の大暴行があったことは事実である。」
「給養を名として俘虜を殺してしまう弊がある。」
この様なところが活字として出版されていれば、朝日新聞などは躍起と成って大見出しで新聞を印刷していたでしょう。
だけど全然その様な新聞記事は御座いませんでしたでしょ?
そして又、左翼系出版社の書籍が引用することも、御座いませんでしたでしょ。
どうして無かったのかと言いますと、実際には公式に出版されたり、一般市民が目にする事は無かったからなのです。
因みに、他の部分に関しても言及させて頂きたいと思う次第です。
‐‐‐‐‐
吉見義明『従軍慰安婦』P43-44
たとえば一九三七年、武漢攻略作戦を指揮していた第一一軍の岡村寧次司令官は、慰安所設置を考慮した当人であったにもかかわらす、指揮下の各部隊の状況について、次のようにいわざるをえなかったのである。
現在の各兵団は、ほとんどみな慰安婦団を随行し、兵站の一分隊となっている有様である。第六師団の如きは、慰安婦団を同行しながら、強姦罪は後を絶たない有様である。(『岡村寧次大将資料』戦場回想編)
‐‐‐‐‐
この「『岡村寧次大将資料』戦場回想編」と言うのは、「稲葉正夫編『岡村寧次大将資料』上巻・戦場回想篇・原書房・一九七〇年」の事ですよね。
「三〇二頁」あたりを見ますと、長崎県知事に依頼して女性たちを送って貰っている様です。
参照させて頂いたページ:
http://www.jca.apc.org/taiwan-ianfu-support/resources/19990714sojou.html
--------------------------------------------------------------------------------
これは georgia_00 さんの メッセージ 8293 に対する返信です
1970年までの岡村氏の志と著作権(2:00
投稿者: hatopigeon 2002年2月26日 午後 6時01分
メッセージ: 8301 / 8303
ですが私などは、それは戦闘で大怪我をして動けなく成った兵士達の妻やご家族の人々の扱いに関する事であったと聞いています。
実際、第二次上海事変では死傷者が急増した時期が有って、相手側爆撃機の発進基地で有った武漢を抑えた後は、暫く落ち着いていたでしょう。
その時の状況から判断して、重傷の患者を元気付ける為に、その様な特別の計らいが講じられた様です。
そして、その時にその婦女子に対する強姦事件が発生したと言う事は聞いていますが、それは相手側の軍勢がどこに潜んでいるのか解らない状況で有ったので、出来るだけ将兵で警護しているが、どうも完全には警護しきれなかったと言う事で、無理をしないで外務省側の判断に従っていれば良かった、と言うお話で有ったと思います。
どうしてまた、あなた様に於かれましては、日本人がわざわざ中国に渡って性的民族解放を仕掛けると言う事をしなければ成らなかったと、その様にお考えに成るのか理解しにくいと感じました。
日本に移住されてから、治安の良かった中国では経験した事の無い治安の悪さに驚き、その治安の悪さの諸悪の根源が旧日本軍に有ったと、その様な考え方でもされているのでしょうか。
確かに最近は、治安の低下が酷くてまるで戦乱の世の様ですが、1970年頃は奇跡的な治安大国と言われるほどに、治安は良かったですよ。
ですから、あなた様が解釈された様な、強姦虐殺大量生産の軍隊としての旧日本軍と言うイメージは全く無かったと言うより、とてもとても、考えられない事でしたよ。
時折、便意隊的に、その種の出版物や宣伝行為が有った様ですが、裁判で出版差し止めに成るとかで、殆ど事実として知られる事は無かったと思います。
日本名久米氏や渡辺氏がテレビ朝日のキャスターに成った1985年頃から、いくらが真実っぽいお話として議論される様に成ったのですよ。
ですから1970年頃に、あなた様の解釈した内容の出版物が公に出回っていた事は、大和民族の日本人の一般市民社会の中では知られていなかったと言えるでしょう。
概して1970年当時の中国では、1930年代に30万人とか300万人の命が奪われたかどうかと言う話題よりも、1960年代に発生した2,000万人規模の貧困餓死者をどうやって止めようかと言う事が話題に成っていました。
つまり古典農法をやめて旧日本軍が進めていた灌漑農法や市場経済を導入するかどうかで大きく替わろうとしていた時代で有ったでしょ?
日本国内も同様に、それが最も大きな話題に成っていたと思います。
実際のところ中国国内や韓国国内に於いても、戦争系の資料館が出来たのは、貧困餓死が止まった後の1983年頃からでしょ?
--------------------------------------------------------------------------------
これは georgia_00 さんの メッセージ 8293 に対する返信です
1970年までの岡村氏の志と著作権(3:00
投稿者: hatopigeon 2002年2月26日 午後 6時02分
メッセージ: 8302 / 8303
中国本土でもその様な熱の入っていなかった話題ですから、日本国内ではそれほど現実っぽくは認識されていなかったと言えるでしょう。
東京裁判では確かに30万人大虐殺事件と言う事に成っていますが、それは日本の国が主権を返して頂く時に、敗戦した軍隊の将軍と幹部として、勝利した軍隊とその国民に対して戦争終結の意志を現す為に処刑を受ける時の、象徴的な理由付けとして受け入れられた事で有ったと言えると思います。
つまり、
「自分達は処刑を受けて命を捧げるので、戦争が継続して多くの人間の命が奪われる事を回避する様に、寛大な処置と判断をお願いします。」
好むと好まざるとに関わらず、最終的には、その様な思いと願いを込めて、処刑場で命を落としたものでしょう。
勿論、基本的には当時は、それが真実と判断出来たと言う事も有ったり、戦勝国側が自由に報復的措置を加える事が出来る状勢に有ると言う事も有ったと思います。
しかしながら、大和民族の市民社会は、大和民族の市民社会として存在していたのです。
つまりそこには、民間人としては自由な判断が有り、自分達なりの情報が有り、自分達なりの認識が有ったのです。
当然の事として、米国国民社会の認識とは異なりましたし、中国国民社会の認識とは異なりましたし、もちろんあなた様の認識とも異なっていたのです。
どうかその、国や民族が異なれば当然の事として、異なった価値観や認識が存在している事をお認めに成って頂ければ幸いです。
‐‐‐‐‐
岡村は三八年に起きた次のような事実をのべている。第一一軍参謀長は波田支隊に「略奪強姦少からず」、飛行場建設を請け負った村長の妻と娘まで輪姦したため、工事が進まなくなったと報告してきた。これに怒った岡村司令官が犯人を逮捕するように命令したところ、憲兵隊長は、被害者が親告しないので強姦罪は成立せず、「不起訴とするを至当とするとの意見を平然と述べ」、軍法務部長も同じ意見を述べたので、岡村は唖然としてという(『岡村寧次大将資料』戦場回想編)
‐‐‐‐‐
こちらに関しましても、岡村氏がお話した内容が、著しく変えられている部分が何カ所も有ると言う事で、確かその出版物は出版差し止めの判決が出ていたと思いますよ。
そして裁判の後、3年ぐらい経ってから当たり障りの無い情景描写的な内容で出版された事が有ったと思います。
実際はどうなのでしょうか。
--------------------------------------------------------------------------------
これは georgia_00 さんの メッセージ 8293 に対する返信です
1970年までの岡村氏の志と著作権(4:00
投稿者: hatopigeon 2002年2月26日 午後 6時02分
メッセージ: 8303 / 8303
強姦被害者は旧日本軍の下請け業者の妻と娘で、地元の加害者側を裁きにくかった事で、作業員社会が二分してやる気を無くして工事停止の状態に成ったと言うことなのでは無かったですか?
もしこの1970年版の書籍を根拠に、国民の外交保護権を蔑ろにする様に謝罪要求論を展開するに当たっては、業者のお名前だけでも明記して頂ければ幸いです。
そもそもあなた様が引用されている出版物の内容は、岡村寧次氏自身がお認めに成った内容で有る事が、間違い無いのでしょうか。
論理的に考えれば、その1970年版の書籍が一般的に公に出版された書籍で有るならば、同じ様に岡村記念館からの史料の入手として、同じ1970年代に左翼系の出版物が、一斉に取り上げない筈が無いのですよね。
しかしながら、占領時代に宣伝活動用に創設されてその後に華僑資本に譲渡された「原書房」以外には、引用している実例が無いのでは御座いませんか?
私などは1985年頃に、その原書房に関する事を聞いていたのですが、その当時までは岡村資料館の史料をその様に転用した書籍は無かったと記憶しています。
これは、私達の同胞民族の人々がお国の人々の為に命を投じて行動して下さっていたその精一杯の行動が、そのお国の人々を苦しめる為に悪用されるかされないかの大きな問題で御座います。
もしこのまま、「いわゆる1961ベトナム」と同じプロセスを辿る始末に成って、多くの内戦犠牲者が発生する様な事態に至るとすれば、この様な問題も端緒の一端として存在していた事に成り、言わばお国の人々のお国の暮らしを防衛する為に命を投じたその勇気と志と行動が、後にお国の人々を血達磨にする為に利用されたと言う事に成るのです。
その様な嗜虐的な行為が、国内に持ち込まれていた形に成るのです。
その様な理由から、間接的にはこの問題は、350万人の流した血と、その人々の同胞の社会一億人ほどから、お国や領土を奪って、韓国側や中国側に割譲してくれてやった様な領土作用を、私達の固有の領土で有る日本列島に招聘できるかどうか、と言う問題とも言えましょう。
言わばその様な、領土に風穴を開ける事が出来るかどうかと言う問題でも御座いますので、後世の混乱を回避する為にも、その言葉の言質や書籍の出所の確認に関して、充分なクロスチェックと説明責任の果たされる事を、切にお願いする次第です。
御深慮頂ければ幸いです。
--------------------------------------------------------------------------------
これは georgia_00 さんの メッセージ 8293 に対する返信です