こんばんはみなさん はっちゃんです。6月8日(日)上記の神輿に行って
来ました。
【事前の段取り】
俗に品川のかっぱ祭といわれていますが、正確には東京都品川区荏原神社の
天王祭です。
この祭は「東京で唯一神輿の海中渡御が行なわれる」と神輿の本に載ってい
ました。是非行って見たいと思ったのは3月の終り頃だったでしょうか。とこ
ろが、はっちゃんの所属している「祭道」では毎年この日は鳥越神社に行って
いるので、こちらのほうは面識がありません。
いろいろつてをさがしたのですが、結局荏原神社に連絡をとり、地元の洲崎
町会のN会長を御紹介頂きました。その後N会長宅をお訪ねして、舟に乗って
神輿を担ぎたいとのお願いをし、快諾を得たのは5月7日の事でした。
【洲崎橋】
京急新馬場駅に朝8時集合、祭道の仲間3人が集まって、コンビニで酒を2
升買って、まずは神酒所にご挨拶。洲崎町会の神酒所は、荏原神社のすぐ近く
の寄木神社の境内にある町会の集会所です。寄木神社の境内は非常に狭いので
すが神輿蔵もちゃんと存りました。
服を脱いで仕度をしている間に9時になり、鳳の足元に「ごめんそうさま」
と呼ばれる御神面をつけた神輿が洲崎橋に向かって出発してしまいました。
あわてて追いかけて、神輿に追い付いたのは丁度神輿を舟に乗せるところで
した。目黒川の両側は高く垂直になったコンクリートの堤防。堤防にはアルミ
の欄干がついています。その欄干の一部が開くようになっていて、丸太で簡単
な梯子のような足場が組んであります。
足場を利用して、神輿を舟に降ろします。なかば担ぎながら、なかばすべら
せながら、ゆっくりゆっくりおろします。台輪で2尺5寸とやや小振りな神輿
とはいえ、垂直に近い足場を使って神輿を降ろすのですから大変です。
無事に神輿を舟に据え付けてから担ぎ手も舟に乗り込みます。一番足場に近
い舟は神輿、神主さん、町会役員の乗り込む御座船。青竹4本で神域を表わし
てあります。担ぎ手は、御座船を通って、さらに奥にいる、供奉船のほうに乗
り込みます。担ぎ手は40人位でしょうか。
【船渡御】
担ぎ手が乗り終るとすぐに舟は出発します。先頭に御座船、後ろに供奉船で
す。舟が出発するとすぐに近くの船着き場にいた、舟が近づいてきます。近く
の町会が仕立てた舟でお迎え船と言うのだそうです。囃子連の乗っている舟も
あります。太鼓、笛の音をバックに揺れる舟の上で踊っています。たいしたも
んですね。
舟は総勢で12漕位になったでしょうか。つかずはなれずしながら隊列を組ん
で、御台場へ向かいます。天候に恵まれ、海の風が体にさわやかです。
【御台場】
御台場につくと、そこにも何十人かの担ぎ手が待ち受けています。担ぎ手は
総計で3〜4百人になったのでしょう。はっちゃんたちも、足袋とシャツを脱
ぎ、絞め込一本になって舟から降ります。何人か元気のいいのは舟から飛び降
りました。結構深くて、首近くまで海に浸かっていました。
神輿を舟から降ろし、すぐに海中渡御がはじまりました。海中といっても、
浜辺をいったり来たりする感じで、水に浸かるのはせいぜい腰あたりまでで
す。
この神輿の担ぎ方は江戸前とは全く違い、棒の組み方からして違います。本
棒は2本台輪を貫通している所までは同じですが、本棒に横棒が前後3本づつ
取りついています。担ぎ手は左右各6本の棒に一箇所3〜4人向かい合って担
ぎます。同時に神輿に取りつける駕輿丁は36〜48人と言うことになります。
もう一つの大きな特徴は、神輿の胴につけた太鼓をたたきながら、笛を吹き
ながら担ぐ事です。太鼓はしぼり大鼓といわれ、馬の皮が張られているそ
うで、長い竹の揆でたたくバチン、バチンと言う重い音でした。これは品川囃
子と言うんだそうです。
掛け声は、「ヨイヤヨイヤあるいはエンヤエンヤという」とも本にあります
が、どうもはっちゃんの耳にはオイサオイサのように聞こえました。あとでN
会長に電話で聞いたところによれば、「本を書く人は適当に書いちゃうけど、
この祭では決まった掛け声はないヨ。子供なんかはワッショイだし、みんな担
ぎいいようにいっているだけなんだよ。だいたい品川囃子を聞きながら担ぐん
だから、掛け声をかけないのが本当だろう。」との事でした。ナルホド!
向かい合った担ぎ手どうしが棒を大きく肩で揺する、担ぎも見られました。
この担ぎは以前伊勢へ行ったときに、大崎の居木(イルギ)神社の神輿がこの
担ぎ方でした。品川あたりの担ぎ方なのだそうです。体を神輿に向ける担ぎ方
は、神輿の進む方向が定まっていない、前後、左右に彷徨するような担ぎ方に
は向いているのかもしれません。
御台場の浜辺で約一時間、海中渡御した神輿はまた舟にのって洲崎橋にもど
ります。
【町内渡御】
足場を使って神輿を担ぎあげ(神輿を担いだまま梯子をよじ登るのです。)
今度は町内渡御に移ります。洲崎橋から寄木神社を前で一休み、さらに細いと
おりを直進、利田(かがた)神社まで行って引き返してきます。海中渡御の後な
ので疲れが出ているし、舟から降りた後抜けた担ぎ手も多いので、往復1時間
位の道中は、結構辛いものがありました。
「お〜い元気がないぞ〜」「チョイチョイが出ないぞ(向かい合って肩で棒
を揺する担ぎです)」の声も担ぎ手から出るのですが、皆苦笑しながら担ぎま
す。だって交替がほとんどいないんですから。
でもがんばって担いで寄木神社までもどり、三本絞めて神輿を納めて、寄木
神社の石段に腰掛けて昼食のお稲荷さんと、ビールにありつきました。
【三基の神輿】
寄木神社の前には、御仮屋があって、大中小三基の神輿が並んでいます。土
曜日の午後には3基そろって、荏原神社まで行って、宮入りして御払いを受け
てくるのだそうです。
一基目は大きさ1尺5寸位の子供神輿。
次にはさっき担いで来た中神輿。唐破風屋根で台輪の大きさ2尺5寸の神輿
です。「御神面海中渡御神輿」の札が掲げられていて、茶色の御神面も取りつ
けられています。
三基目は大きさ3尺3寸の大神輿です。(2冊調べた神輿の本には、どちら
も3尺と出ていましたが、N会長にお聞きしたところ台輪で3尺3寸あるそう
です。)この神輿も「御神面海中渡御神輿」の札が掛けられていました。昔は
この神輿で海中渡御をしたのだそうですが、海が遠のき、舟で海辺まで行くよ
うになってから、中神輿で海中渡御をしているのだそうです。江戸時代からの
伝統を守るためには、大変な苦労があるのですねぇ。
この日の夕方からの町内の渡御は、御神面を付け替えて、大神輿の方を担ぐ
のだそうです。
【三箇所の神社】
この祭には、荏原神社、寄木神社、利田神社と3箇所の神社が出てきますが
その関係がよく判りません。そこで再度N会長にお聞きしました。(しつこく
何度も電話をしてすみませんでした。)
かっぱ祭は、荏原神社の祭礼で、神主さんや、御神面は荏原神社のものなん
だそうです。ところが、神輿は寄木神社の神輿で、神輿がない荏原神社は、寄
木神社の神輿を借りて、御神面の海中渡御をしている格好なのだそうです。ど
うりで昭和50年代の写真を見ると、御座船には「荏原神社」と「寄木神社」の
両方の幟が立てられていました。そして寄木神社には昔から神主さんはいま
せんでした。
東品川の運河の一番奥にある、利田神社の場所が町会のはずれで、ここから
海側は全て埋立地なんだそうです。町会のなかにある神社なので、神輿がそこ
までいくのです。洲崎町会の花掛けには利田神社から酒2升振る舞われている
旨掲げられていました。
また「御神面」について、神輿の本(江戸神輿 小澤宏之 講談社)に
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宝歴元年(1751)6月8日、葛飾に住む百姓が品川海岸にて、能面を拾
い上げた。この能面が素盞鳴尊によく似ているということで、荏原神社へ奉納
された。神社では会場で拾ったお面なのだから。ときどき海へお帰しすべきだ
として、翌年、神輿につけて海中渡御を行なった所、海苔は大豊作、漁も大漁
が続いた。依頼これを神面とし「ごめんそうさま」の名で人々にうやまわれ、
毎年神輿の屋根につけて海中渡御を行なうこととなった。
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とありました。
【海水湯】
食事を終えて、町会からもらった入浴券をもって、近くの銭湯「海水湯」へ
行き、海の水と汗で汚れた体を流しました。露天風呂やスナックコーナーも備
えた綺麗な銭湯でした。海水の成分で体に非常に暖まり、疲労回復と、健康保
持にいいんだそうです。
実は先ほど御台場で、神輿を舟から下ろすときに、早く担ごうとあせる担ぎ
手を制しているN会長が、担ぎ棒と船縁の間はさまれそうになったことがあり
ました。下にいて見ていた我々は、一瞬ひやりとしたのですが、次の瞬間N会
長が鮮やかに、体をそらせてすり抜けました。それを見て、安心すると共に、
白髪のお齢とは見えない体の柔らかさに、舌を巻いていたのです。その秘密は
毎日の海水湯にあるのかもしれない。と一人納得したのでした。
はっちゃん QZM02610@nifty.comでした
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