◆上 演=亨保5年(1720)12月6日。大阪竹本座。世話物一段三巻。座本・竹田出雲。太夫・竹本政太夫。作者近松門左衛門・68歳。
近松が死去する4年前の最も円熟した時の作で、遊女との心中事件を描いた最後の作品である。
亨保5年10月14日夜、大阪・網島の大長寺で男女が心中、これを題材にして脚色したというが、実説は明らかでない。
神沢貞幹の「翁草」によると、亨保5年冬、近松が住吉新在家の酒楼に遊んでいる時、大阪から使いが来て「昨夜、網島の大長寺で情死があったので、すぐに浄瑠璃に書いてもらいたい。明日1日の稽古で興行したい」と頼んだ。
そうすると、近松は早駕籠(はやかご)に乗って大阪に帰り、駕籠から下りてそのままに筆をとり、駕籠にて走り書きした文章を「走り書」と書き出し、直ちに「謡の本は近衛流、野郎帽子は紫の」と書き続けたという。この話、あくまで後世の伝承で、信じ難いが、こんな話まで生んだ作品である。
金という非情の存在、遊女小春と妻おさんの女の義理を中心に描いた作品だが、構成がしっかりしている上、描写が洗練され、世話浄瑠璃の最高傑作とされている。
★主な登場人物
◆紙屋治兵衛=妻子があり、純情だが感情的に激しい性格。向こう見ずなところがある。遊女との恋にすべてを賭ける。
◆おさん=治兵衛の妻。夫が新地に通い、その留守を商売から子供の世話まで1人で切り回す、けなげな女房。しっかり者で、情にもろい。
◆小春=曽根崎新地・紀伊国屋の遊女。島の内の湯女だったが、最近この新地に移って来たばかり。
◆粉屋孫右衛門=治兵衛の兄。弟思いの篤実な人物。
◆身すがらの太兵衛=治兵衛の恋敵。金の力を自慢するイヤミな男。
[上の巻=曽根崎河庄の場]
なじみの紙屋治兵衛と心中を言い交わす紀伊国屋の遊女・小春は、治兵衛との逢瀬を親方から止められているが、今日は一見(いちげん)の侍客がついて、河内屋(河庄)に呼ばれる。
そこで、金の力に物をいわして治兵衛と小春を張り合う太兵衛に出会い、さんざん治兵衛の悪口を聞かされる。
客は頭巾をかぶった侍で、小春がもらす言葉から心中を決意していることを見抜き、止まるようにと親切な言葉をかける。
すると、小春は意外にも「私とても命は一つ。水くさい女と思い召すも恥づかしながら、その恥を捨てて死にともないのが第一」と打ち明け、治兵衛がそれを立ち聞きしてしまう。逆上した治兵衛は脇差を抜いて、外から小春に向けて突っ込むが届かず、逆に客に腕を格子にくくられる。
戻ってきた太兵衛にも罵倒され、殴られるが、侍客が太兵衛を懲らしめ、頭巾をとるとなんと治兵衛の兄の孫右衛門。兄がこんこんと諭す意見に、治兵衛は小春と手を切る決意をして起請文(誓いの紙)を打ちつける。
小春も起請文を返すが、その中に治兵衛の妻おさんから小春に宛てた手紙が入っており、孫右衛門はすべて小春の”愛想づかし”と察す。
[中の巻=天満紙屋内の場]
おさんが一手に取りし切っている天満の紙屋では、治兵衛が炬燵でうたた寝している。そこに
おさんの実母と孫右衛門が来て、天満の大尽が小春を請け出すとの噂を舅の五左衛門が聞いてきたが、それは治兵衛ではないかと確かめる。
治兵衛は、その大尽とは太兵衛のことで自分ではないと、改めて小春に縁切りの誓紙を書く。
しかし2人が帰ったあと、治兵衛が涙を流しながら「小春は、太兵衛に身請けされるなら、ものの見事に死んでみせようと言っていた」と話し、おさんは小春が死ぬ覚悟と知る。
そこで、おさんは小春に手紙を出して夫と手を切らせたことを打ち明け、それでは「女同士の義理が立たぬ」と小春を身請けのために金や質物を用意する。そこに舅の五左衛門が現われ、その様子に激怒して、おさんとの離縁を迫り、むりやりおさんを連れて帰る。
[下の巻=蜆川大和屋の場]
曽根崎新地の大和屋で治兵衛が小春とひそかに会い、心中の取り決めをしたあと、帰るとみせかけて舞い戻る。弟の身を案じる兄の孫右衛門らは治兵衛を探し回るが見つからない。治兵衛は兄に感謝しながら、小春とともに大和屋を脱出する。
この場面は、火の番が打つ拍子木に合わせて、2人が他人に気取られぬよう車戸を苦心して開ける緊迫した見せ場である。
続いて道行の「名残の橋尽し」。死に場所を求めてさまよう2人は、梅田橋を渡って、桜橋、蜆橋、大江橋から天神橋に。通い慣れた天神橋のすぐ近くには、治兵衛の家があるのに背を向けて橋を渡り、天満橋、京橋などを通って網島の大長寺辺の水門の上の堤に着く。
[網島の場]
小春は「2人一緒に死んでは、おさんに義理が立たぬ」と、治兵衛に離れたところで死んでくれと頼む。2人とも髪をばっさりと切って出家姿になり、「これで立てる義理もない」と治兵衛が堤の上で小春を刺し殺した後、自分はその下の水門の木に腰紐を結び、首を吊って死ぬ。
この作品の中心を流れるテーマは「女同士の義理」である。おさんは、心中を約束している小春に手紙を出して「夫の命を助けてくれ」と頼む。これに対して小春は愛想づかしの「縁切り」を約束するが、夫の治兵衛から「小春は死んでしまう」と聞いて「この人を殺しては、女同士の義理が立たぬ」と、今度はおさんが犠牲になっても、小春を身請けして助けようとする。
最大の聞かせ場、見せ場で、ここでいう「義理」とは、他者を生かすことである。そのあと、おさんは夫から「小春を身請けしたあと、お前はどうするのか」と問われ「ハテなんとしょう。子供の乳母か、飯炊きか、隠居なりともしましょう」と答える。遊女とはいえ、相手の誠実さに報いねばならぬという女性の苦悩を描き出している。
名文としても知られる。原文の感触をそのサワリだけほんの少しー。
「頃は十月 十五夜の 月にも見へぬ
身の上は 心の闇のしるしかや
今置く霜は明日消ゆる はかなく譬(たとえ)のそれよりも
先に消え行く 閨(ねや)の内
いとしかはひと締めて寝し 移り香も
なんとながれの蜆(しじみ)川」
(「十五夜の月の光によっても、自分たちの身の上を見通すことができないのは、心の闇のせいだろうか。2人の命は、はかない霜よりも先に消えていく。閨の中でいとし、かわいいと抱きしめて寝た移り香も、今はなんとなろう」)。
「西に見て朝夕渡る この橋の天神橋はその昔
菅丞相(かんしょうじょう)と申せし時
筑紫(つくし)へ流され給ひしに 君を慕ひて大宰府へ
たった一飛び梅田橋 あと追ひ松の緑橋
別れを嘆き 悲しみて 後にこがるる桜橋
今に話を聞渡る 一首の歌の御威徳(おんいとく)
かかる尊きあら神の 氏子と生れし身をもちて
そなたを殺し 我も死ぬ〜」
菅原道真の飛び梅伝説から、治兵衛が朝夕渡った天神橋を引き出し、梅田橋、緑橋、桜橋と「橋尽し」が続く。内容的には、はかない二人の命の嘆きだが、あまり気取りのない、どちらかといえば、あっさりした文章になっている。
妻子ある男性と遊女の恋の趣向は、近松が先に試みた「心中重井筒」と同じ。治兵衛の兄・孫右衛門が侍姿に変装して、相手の心をためすところは、先行の歌舞伎「河原心中」(元禄16年)やライバルだった紀海音の浄瑠璃「梅田心中」(正徳年中)から借りている。
また、遊女小春へおさんが出した手紙の趣向は、江島其磧の浮世草子「傾城禁短気」(宝永8年)が、夫の廓通いを止めさせるよう遊女に頼む場面を書いていることから、ここから取ったと見られる。
近松は、こうした趣向取りをうまく流用または借用して脚色しているが、とくに紀海音の「梅田心中」からは筋書き・人物設定・場面構成などほとんどそのまま借りており、「全体の筋を盗んだ盗作といえる」(諏訪春雄氏)という厳しい意見もある。
●題名の由来=老子の「天網恢々(てんもうかいかい)疎にして漏らさず」(悪いことをすれば、必ず天罰が下る)の諺から「天の網」をとって、地名の網島にもかけた。
●曽根崎新地=大阪城北の蜆川沿いにあった遊廓。宝永5年(1708)に堂島新地が移されたもので、市中の湯女もまとめられた。大阪にあった幕府公認の新町遊廓に比べると、かなり格下で、亨保ごろに繁昌したという。
●ヒットした改作物=原作はあまり人気が出ず、その後もほとんど上演されず。その代わりに改作物が作られて、世間の注目を浴び、繰り返し上演された。
その中でも、安永7年(1778)上演の近松半二・竹田文吉合作「心中紙屋治兵衛」は、原作を骨子として部分的に改訂と増補を加えたもので、分かりやすく、舞台技巧も優れている。
これの「紙屋内の場」に手を加えた寛政3年(1791)の「天網島時雨炬燵(しぐれのこたつ)」もよく上演されている。
|
|
|
|
|
|