初めての心中物「曽根崎心中」の執筆は、近松にとってまったくの新しい挑戦でした。
ドラマ化までの背景を考えてみましょう。
世話物にパターンがあった!
近松は、浄瑠璃から歌舞伎に変わり、また浄瑠璃に復帰するその第一作に当たったから、大幅な意識の革新を迫られたのは当然だと思われます。
これまでの浄瑠璃の観客は、とかく荒唐無稽で波乱万丈の浄瑠璃しか知らない。この観客を相手に、これまでの浄瑠璃とは違う、また歌舞伎とも違う、内容・表現ともに新しい作品を作り上げねばならない。このような気負いがあったに違いありません。
しかし、どのようにドラマを仕上げるか。近松の頭にすぐ具体的な方法論が浮かんだとは考えられません。ゆっくり構えてはおられない心中事件の際物だけに、近松は悩んだでしょう。そこでピーンときたのが歌舞伎の「世話狂言」の手法です。
世話狂言は、基本的には筋中心・素材中心主義、つまり早い話が事件の筋だけを追うものだった。現実に起こった事件を速報的に描写するのには、ぴったりの方法です。
近松研究者の諏訪春雄氏も
「曽根崎心中の成立には、その上演形式、場面構成、趣向、素材などの諸方面において、当時の世話狂言に負う所が大であった」(「近松世話浄瑠璃の研究」)
と指摘しています。
また、信多純一氏は「近松の世界」の中で、「曽根崎心中」は
「これまで、この実説がよく判らないまま、事実に近い創作のように考えられ勝ちでしたが、最近の研究で、近松が先行の歌舞伎や時代物の一部などを駆使して、自由に作劇したものであることが判りかけてきました」
と書いています。
つまり、当時の心中物には一つの形ができていたというのです。信多氏の研究では、「曽根崎心中」より三年前の世話狂言に、借金で恥をかかされた男が遊女と死の道行をする構成がよく似たものがあり、前年には三十三ヶ所の観音めぐりから始まる世話狂言がすでに上演されていたのです。
一方、浄瑠璃でも、切浄瑠璃の形式や心中物の構成がほぼ出来上がっていたようです。
近松は、これらのパターンを自由に使って作品を書き上げたもので、何から何まですべて彼の独創で、新しい書き下ろしとは言えないのです。
ただ、近松が違っていたのは、歌舞伎の世話狂言などの作り方を下地にしても、心中物の際物的な興味はできるだけ薄めて、男女二人の愛の貫徹をバックボーンにしたことです。その結果、すごく単純明快な「曽根崎心中」の筋書きができ上がり、彼独特の発想と文才で最後まで二人の愛を暖かく歌い上げたのです。
実際の人形浄瑠璃では、新しい演出方法を取り入れました。
冒頭のお初の三十三ヶ所観音めぐりと竹本義太夫の出語り、さらに辰松八郎兵衛の人形の出遣いです。これは「曽根崎心中・大当たり」の項で、すでに記しました。
また、歌舞伎から着想を得た手法を使いました。中の巻の天満屋の場で、縁の下に隠れた徳兵衛が、お初の足に心中合意の意思を伝える有名な場面。そして同じ天満屋の場の最後の場面で、音を立てぬようにして車戸から脱出するところなど、人形浄瑠璃では初めての新しい演出です。
ストーリーには、実説にない場面もかなり入れました。徳兵衛と親方の叔父との対立、弱気ながらふてぶてしい敵役の九平次の出現など、近松が創り出して、主人公との葛藤の元を作ったのです。
また世話狂言によく出てくる異見事(主人公なりの周囲の人が、意見を言って戒める)を採用せず、もっぱら心中の二人に焦点を合わす方法を採るなど、新しい工夫を盛り込んだのです。
これらの新機軸と同時に、近松は道行文の発想も一大転換したと考えておかしくはないでしょう。
道行文の重要性は、誰よりも知っています。とくに今回は「死」というものを眼前にした男女の道行で、いままでに書いた経験がありません。文章化には頭を痛めたでしょう。
近松は、現実にあった事件の道行を描くのに、リアルな客観描写を採用しました。これは、時代浄瑠璃の道行文にはなかった描写法ですが、筋中心・素材中心を重視するなら、打ってつけの方法です。
現実世界の"素材"を冷静に見据えて選び、そして有効に使いました。(詳しくは、作品編「死の道行」名文考をご覧下さい)
それは「鐘の音」であったり「草木の霜」であったりしましたが、当時の観客が持っていた日常体験だけで、十分に追体験できるように、難解だった道行の文句を分かり易くしたのです。
詞章的にも、わずらわしい文飾を抑え、飾り気のない文体で通しました。掛詞(かかりことば)や縁語(えんご)による回りくどい表現や名詞で終る体言止めなどを極力避け、従来の虚構的・舞踊的な修飾要素も締め出し、簡潔にしたのです。
評論家の唐木順三氏は「日本人の心の歴史」の中で、近松の道行文について次のように書いています。
「私は、近松の道行は成功した稀有な例と思う。…… 作者と語り手と操りとの呼吸がぴたりと合うことによって、稀有な成功がもたらされたと思う」
「一歩誤れば滑稽になってしまうような誇張され、装飾された文句が、義太夫のしぶくて太い語り口によって、反って生命を得、巧みな操りによって『哀傷の抒情』が聴衆の胸を打ったのであると、私はそう思う」
聴衆は、語りと三味線と人形が一体となった甘美な幻想の中で、その快い調べに酔ったのです。陶酔の境地を呼んだのです。近松は「曽根崎心中」の死の道行で、哀愁と甘美な幻想を掻き立てる、せつせつたる名文を世に送りました。
[参考資料]
諏訪春雄「近松世話浄瑠璃の研究」(笠間書院)
芸能史研究会編「日本芸能史」(法政大学出版局)
阪口弘之編「浄瑠璃の世界」(世界思想社)
高木浩志「文楽の芸」(東京書籍)など。
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