〜作 品 解 説〜
「平 家 女 護 島」
(へいけ にょごのしま)
★作品の成立事情
◆上 演=享保4年(1719)8月12日。大阪竹本座。時代物五段。座本・竹田出雲。大夫・竹本政太夫ほか。作者・近松門左衛門。67歳。
「平家物語」や謡曲「俊寛」をもとに、虚実を取り混ぜて趣向をこらした作品。初演当時、競争相手の豊竹座では「頼光新跡目論」という作品を上演しており、「平家女護島」の3段目に井上播磨掾正本「頼光跡目論」のあからさまな転用があることから、豊竹座との競演を意識した作品といえる。
★作品のポイント
一貫した主人公はいないが、清盛に「愛妾になれ」と強要され自害する俊寛の妻東屋、赦免されながら妻の死を知って鬼界が島に止まる俊寛、平家一門の将来を憂える重盛、義理と忠義の板ばさみに苦しむ宗清、源氏再興を窺う常盤御前と牛若丸親子など、各段に様々な人物を配して描いている。
この作品は初演以来、通しで上演されたことはなく、2段目「鳥羽のつくり道」と「鬼界が島」または切の「鬼界が島」のみ繰り返し上演されている。近松がヤマ場として描いた3段目が複雑で、手が込みすぎているのに対し、2段目は俊寛を主人公に筋として分かり易く、内容も濃い点が観客に受け入れられたのであろう。
歌舞伎でも翌享保5年に大坂の竹嶋幸左衛門座で上演、大当たりしている。また、この「鬼界が島」を翻案増補した浄瑠璃作品に、宝暦7年の「姫小松子日の遊」(ひめこまつ ねのひのあそび)や安永9年の「立春姫小松」がある。
★主な登場人物
◆東 屋(あずまや)=俊寛僧都の妻。
◆能登守教経(のりつね)=平忠盛の4男教盛の子で、平家屈指の猛将。
◆俊 寛(しゅんかん)=後白河法皇の寵臣。鹿ケ谷の謀議に加担。
◆丹波少将成経(なりつね)=大納言藤原成親の長男で、父とともに鹿ケ谷の謀議に加担。
◆平判官康頼(やすより)=後白河法皇の近習。鹿ケ谷の謀議に加担。
◆海女の千鳥(ちどり)=近松の創作女性。可憐な島の娘で、成経と結ばれる。
◆弥平兵衛宗清(むねきよ)=平忠盛の子頼盛の家臣だが、この作品では源氏譜代の臣とされている。
◆常磐御前(ときわごぜん)=源義朝の妻で、牛若丸らの母。子の命乞いのため清盛の愛妾になる。
★作品の概要
●[1段目]=「六波羅清盛館の場」「六条河原の場」「六波羅清盛館の場」
南都・奈良を焼き払った平重衡は、大仏の首や源義朝の髑髏(どくろ)、衆徒の首とともに、鬼界が島に流された俊寛の妻東屋を生け捕りにして、京に帰る。
清盛は大仏の首や源義朝の髑髏を獄門にかけるように命じ、六条河原で瀬尾太郎兼康らが源義朝の髑髏などを砕こうとすると、大仏の首から文覚が現われ、髑髏を奪い去る。
また、清盛は東屋の容色に心を奪われ、側室になるように迫るが、東屋は清盛の要求をきっぱりと拒む。しかし時の最高権威者に背くこともできず、能登守教経が情けを示した貞女の道に従って、自害し果てる。
●[2段目]=「鳥羽の作り道の場」「鬼界が島」
中宮平産の代参に向う能登守教経は、鬼界が島への赦免の上使・丹左衛門基康と瀬尾太郎兼康と出会い、流人の丹波少将成経、平判官康頼、俊寛3人のうち許されるのは成経と康頼の2人だけと知ると、「重盛公の意向である」と俊寛にも赦免状を書いてやる。
島では、俊寛のもとに成経と康頼が訪れ、成経が島の娘千鳥と結ばれたことを報告、これを祝って夫婦固めの盃をしているところに、赦免船が到着する。
俊寛は赦免状に名がなく、一瞬色を失うが、重盛の配慮で帰参を許されたと知って喜ぶ。しかし、妻が自害したことを聞かされた俊寛は、成経と夫婦になった千鳥が乗船を拒否され、悲しみに暮れる姿を見て、千鳥を乗船させるため、上使の瀬尾を切り殺して罪を犯し、自分1人だけ島に残る運命を選ぶ。一番の愁嘆場である。
●[3段目]=「清盛館の場」「朱雀(しゅしゃか)の御所の場」
病床の重盛を慰めるため、早乙女が招かれ田植えが催される。その歌から常磐御前の乱行を知った重盛は、元源氏方の弥平兵衛宗清にその詮議を命じる。
常磐御前の住む朱雀の御所では、腰元の笛竹(実は牛若丸)と御髪上げの雛鶴が往来の男を品定めして、呼び入れている。頬被りした宗清も声をかけられて潜入、常磐御前を詮議すると、この乱行は牛若丸に挙兵させるための味方を得る企てと知る。
平氏と源氏両方に恩義のある宗清は、どうすべきか板ばさみになって苦悶するが、雛鶴(実は宗清の娘・松枝)が父の心中を思い図って、父を突き刺し、常磐御前親子を逃がす。
●[4段目]=「船路の道行」「敷名の浦の場」「清盛館の場」
成経、康頼、千鳥の乗った鬼界が島からの船が敷名の浦に着くと、清盛と法皇が乗った厳島参詣の船と出会う。清盛は敵対する法皇を殺そうと海に投げ込むが、海女の千鳥が飛び込んで法皇を助ける。激怒した清盛は千鳥を踏み殺してしまう。
このあと、妖怪に取り憑かれて熱病に苦しむようになった清盛は、自害した東屋と踏み殺した千鳥の亡霊に悩まされ、源氏の挙兵が告げられる中で、ついに焦熱地獄のうちに悶死する。
●[5段目]=「文覚仮寝の場」
一方、文覚は院宣を下すため、伊豆の国に向かう途中、義朝の髑髏を枕に仮寝して、その夢の中で頼朝の挙兵から壇ノ浦の戦いまで平家の滅ぶ有様をまざまざと見る。この夢を正八幡のお告げとばかり、文覚は勇みんで伊豆への道を急ぐのであった。
★新しい俊寛像を創造
「平家物語」や謡曲「俊寛」では、清盛の憎しみから俊寛1人だけ赦免されず、置き去りにされて、最後の最後まで船にすがりついて嘆く、情けない俊寛であった。
これに対し、近松の俊寛は赦免されたものの妻の自害を知り、千鳥が船に乗れないことが分かると、新たな罪を犯して島に残るという自らの意思で運命を選ぶ俊寛になっている。
そこには、崇高な自己犠牲心が見られるが、そんな俊寛でも決意したあと、なお未練を吹っ切れずに歎き悲しむ人間的な姿も見せるところに、近松の人間洞察の筆の冴えがある。
★題名「女護島」の由来
3段目の「朱雀(しゅしゃか)の御所の場」は、男を呼び込んで色欲にふけったという千姫の吉田御殿の巷説を下敷きにした、清盛の愛妾・常磐御前の乱行だが、この中に「朱雀の御所は女護の島」との記述があり、これが出所となっている。
女護の島とは、女性ばかりの島の意味だが、この3段目は観客の興味を引く部分とはいえ、いたずらに話を混乱に陥れているとの指摘もある。
また、この作品の各段で東屋、千鳥、常磐御前ら女性が活躍する場面が多いことから、この題名が出たのではないかとの説もある。
[参考文献]
藤野義雄著「近松名作辞典」(桜楓社)
新編日本古典文学全集「近松門左衛門集B」(小学館)
金沢康隆著「歌舞伎名作事典」(青蛙房)ほか。