〜作 品 解 説〜
「出 世 景 清」
(しゅっせ かげきよ)
★作品の成立事情
◆上 演=貞享2年(1685)二の替り。大阪竹本座。時代物五段。作者近松門左衛門・33歳。
「竹本座」の竹本義太夫との提携第1作。これには次のようないきさつがからんでいる。
貞享元年(1684)、義太夫が大阪・道頓堀に「竹本座」を旗揚げして、近松の「世継曽我」を上演、好評を博す。義太夫と浅からぬ因縁を持っていた京の宇治加賀掾がこれを知り、翌2年正月、道頓堀に進出して井原西鶴の「暦」を上演する。これを迎え討つ義太夫は「賢女の手習並に新暦」(けんじょのてならい ならびにしんごよみ)を出して対抗、有名な貞享2年の競演が始まる。この一戦、加賀掾方の「暦」が意外に不評で、結局は義太夫方の勝ちとなる。
正月興行に敗れた加賀掾は、続く二の替り興行でこんどは西鶴の「凱陣八島」(かいじんやしま)を出して再挑戦。これに対して義太夫が上演したのが、近松に初めて書いて貰った「出世景清」だった。しかし、まだ勝負がつかない3月24日、加賀掾の芝居小屋が火事を起こし、やむなく加賀掾は京に撤退する。「出世景清」は、こんな因縁の中で上演されたものである。
★執筆の動機・時代設定
◆景清物の先行作品には、幸若舞曲の「景清」と古浄瑠璃の「かげきよ」があり、この影響を強く受けながら近松門左衛門が書いた作で、東大寺の僧・公慶が貞亨元年、幕府に大仏殿造営の勧進を願い出、同2年大仏再興の大勧進(寄付集め)を始めたのを当て込んだものという。
◆時代設定=文治元年(1185)、屋島・壇の浦合戦で平家が滅亡して4年後、まだ源頼朝の覇権が安定していない時代。文治5年(1189)、奈良・東大寺の大仏再興工事の舞台から、ドラマは始まる。
★主な登場人物
◆悪七兵衛景清(あくしちびょうえ かげきよ)=平安末期の武将で、藤原景清とも平景清ともいう。生没年は不詳。体が大きくて、超人的な力を持つ。名前が登場するのは「平家物語」が最初で、屋島の合戦で源氏の武将と戦い、相手の錣(しころ)を引きちぎった話は知られるが、実像は明確でない。
◆阿古屋(あこや)=京都・清水坂に住む遊女。景清とねんごろになり、2人の子どもをもうける。子ども教育に熱心な母親だが、プライドが高く、景清を愛するあまりに嫉妬心も強い女性。思わぬ事の成り行きで景清を裏切る結果になり、子どもを殺し、自害する。
◆小野姫(おののひめ)=熱田大宮司の娘で景清の妻。阿古屋と張り合い三角関係を作るが、非常に夫思いの誠実な女性。
◆伊庭十郎(いばのじゅうぞう)=阿古屋の兄。軽輩の武士だが、欲のかたまりのような男で、褒美にありつこうと景清を訴え、悲劇の元を作る敵役。
◆畠山重忠(はたけやましげただ)=頼朝の信任厚く、誠実・剛直な人物。景清の襲撃をいち早く察知して、頼朝を守る智謀の将で、重忠本人もねらわれる。
★作品の梗概
[1段目] ◆熱田大宮司館の場・東大寺大仏殿の場
平家滅亡後、ひそかに源頼朝に一矢報いんとつけねらう景清は、熱田の大宮司の許で娘の小野姫を妻として隠れ住んでいたが、大仏殿再興工事で畠山重忠が奈良に来ていることを知り、頼朝を倒すにはまず重忠を討たんと、暇乞いをして奈良の都に行く。
奈良の都では、大仏殿の再興工事がたけなわで、ちょうど柱立ての祝い日。「めでたい、めでたい」とみんなが喜んでいる最中、景清は人足に身をやつして潜入する。しかし一段高いところにいた重忠に見破られ、取り囲んだ鎌倉武士との間で乱闘。囲いを破って景清はなんとか京に逃げ去る。
[2段目] ◆阿古屋住家の場・清水寺轟坊の場
京の都の阿古屋の家に辿りついた景清は、3年振りの再会に言葉巧みに阿古屋をなだめて、よりを戻す。濡れ場である。この景清探索の高札を見た阿古屋の兄の伊庭十蔵は、褒美にありつこうと阿古屋に訴人をけしかけるが、阿古屋は渋る。
そこへ小野姫からの文が届き、開いてみた文面に「遊女にお親しみか」という言葉。阿古屋は激昂し,嫉妬のあまり極度の混乱に陥って密訴に同意してしまう。
信心する清水寺に籠っている景清を、十蔵の訴えを聞いた六波羅の軍勢が取り囲むが、清水寺の荒法師たちの助力で、景清はあっという間に飛ぶようにして逃げ延びる。
[3段目] ◆六波羅の場・小野姫道行・六条河原の場
景清の行方を追う六波羅方は、ついに熱田の大宮司を捕まえて梶原源太が詮議する。そして大宮司が牢に入れられたと聞けば、景清はきっと名乗り出ると計略を立てる。
一方、夫の所在は分からず、父親は捕われて京に連れて行かれたきりの小野姫は、心配のあまり、乳母を連れて京へ旅立つ。
京の都に着いた小野姫は、父親が入れられた牢を探しているうちに、梶原源太に捕まり、景清の行方を追及されるが、白状しないため、厳重に縛り上げられて六条河原に引き出されて拷問を受ける。
小野姫は、裸にされ縄で縛られたうえ、十二段の梯子にくくりつけられ、水を次々にかけられて「白状せよ」と水責めの拷問。次いで木に吊り下げられての古木責めで、小野姫は息も絶え絶えになるが、もう駄目だというところに、景清が見物人を押しのけ、名乗り出る。
[4段目] ◆六波羅新牢の場
景清は、体がやっと入るほどの小さい頑丈な牢に入れられ、手かせ、足かせをしたまま、観音経を唱え続ける。小野姫は釈放され、近くに宿をとって景清の世話をするが、一方、阿古屋は景清が牢に入ったと聞くや、子ども2人を連れて牢屋を訪ね、許しを乞う。
しかし、いかほど謝っても景清の怒りはとけず、とうとう景清の面前で子ども2人を殺害し、自分も自害し果てる。ドラマ最高の愁嘆場である。
そこに姿を見せた伊庭十蔵が、景清をののしり、怒り狂った景清は、力任せに手かせ、足かせをバラバラに解いて、十蔵を胴の真中から二つに裂いて殺す。=挿し絵は、景清牢破りの図(古浄瑠璃の絵入り本「景清」から)
[5段目] ◆巨椋堤の場・三条縄手の場・清水寺轟坊の場
捕えた景清を処刑して、安心した頼朝は大仏供養のため奈良に向うが、重忠が駆けつけてきて、景清がまだ生きているという。頼朝は確かめるため京に向う。
頼朝は、自分の目で景清の首を検分し、みんなもよくよく見た途端、景清の首が千手観音の首に変わってびっくり。そこへ清水寺の僧がかけつけ、観音様の首がなくなっていることを知らせる。
信じられない現象に驚いた頼朝は、景清夫婦を呼び出して「お前の体には観音様が入れ替わっておられるので、二度と死刑にはできぬ」と罪を許す。ところが、頼朝が座を立とうとすると、やにわに景清が刀を抜いて斬ってかかり、制止されて初めて我に返った景清は「この両目があるせいだ」と、両方の目を抉り出し、日向の国に向かう。
★作品のテーマと特色
◎作品のテーマ
「出世景清」のテーマについて、廣末保・元法政大学教授は「近松序説〜近世悲劇の研究」の中で
@阿古屋と景清の葛藤
A頼朝に対する景清の復讐
の二つを挙げているが、作品全般の流れからみれば、阿古屋と景清の葛藤が中心であることが歴然としている。
◎新(当流)浄瑠璃の理由
近松は、それまでの浄瑠璃(古浄瑠璃)にない新趣向を各所に取り入れている。その主な点を挙げるとー。
@英雄豪傑的な従来の景清を、ただの「剛勇の士」とだけ捉えず、人間的な愛憎をからませ、大きな劇的人物に仕上げたこと。
A阿古屋は、これまでの古浄瑠璃では「阿古王(あこわう)」の名で、子どもまでなした景清を密訴して、利欲に走った”悪女”であった。
この阿古屋を近松は、プライド高く、嫉妬心も強い性格に新しく設定し、「愛憎に悩む女」に仕立てて、新しい一つの型を作ったこと。
Bその対極に、小野姫を誠実なやさしい女性として登場させ、三角関係を浮き出させたこと。近松は、小野姫に女主人公並みの道行もさせており、阿古屋よりも小野姫を中心に考えて書いている節も強いなどの点である。
この結果、3人の悲劇的な愛憎の葛藤が一本筋が通り、”新しい悲劇”の誕生を告げた画期的な作品になった。このため後世の書は、義太夫と組んだ「出世景清」を「新(当流)浄瑠璃の始まり」とし、それまでの「古浄瑠璃」と区別するようになったのである。
★作品をめぐる参考メモ
●題名の「出世」の意味=出世とは、世に現われ出ることだが、この題名には2つの意味が込められている。
@頼朝の赦免で、景清が世に出た意味。
A義太夫の新しい浄瑠璃・義太夫節の将来を祝福する意味。
●再演の記録=初演以来、義太夫節で再演の記録はない。昭和60年(1985)になって、やうやく文楽として国立文楽劇場で復活上演された。
●「出世景清」以後の「景清物」=次の3作品がある。
「大仏殿万代石楚」(だいぶつでん ばんだいのいしずえ)=亨保10年(1725)上演。西沢一風らの作。
「壇浦兜軍記」(だんのうら かぶとぐんき)=亨保17年(1732)上演。松田和吉らの作。
「嬢(むすめ)景清八島日記」=明和元年(1762)上演。若竹笛躬らの作。
この中で、とくに「壇浦兜軍記」は「出世景清」の改作で、近松が描いた阿古屋像が引き継がれ、3段目の「阿古屋琴責」が有名。景清の行方を詮議される阿古屋が、身の潔白を証明するため、琴・三味線・胡弓の3つの楽器を見事に演奏するという場面になっている。
[参考文献]
藤野義雄著「近松名作辞典」(桜楓社)
新編日本古典文学全集「近松門左衛門集B」(小学館)
廣末保著作集第2巻「近松序説」(影書房)ほか。