〜作 品 解 説〜
「冥 途 の 飛 脚」
(めいどのひきゃく)
★作品の成立事情
◆上 演=正徳元年(1711)7月以前。大阪竹本座初演。世話物3巻。座本竹田出雲。太夫竹本筑後掾・61歳。作者近松門左衛門・59歳。
近松中期の代表作で、「曽根崎心中」「心中天の網島」と並ぶ3大傑作の一つである。「封印切り(ふういんぎり)」「新口村(にのくちむら)」とも呼ばれる。
伊賀藩城代家老日記の「永保記事略」によると、宝永7年(1710)正月25日、大和新口村の小百姓四兵衛の息子・清八が大阪に養子に出て、亀屋忠兵衛と名乗っていたが、金銀を盗み、遊女を請け出して駆け落ちし、大和上里村(現・香芝市)の親類宅に潜んでいるところを逮捕された事件があった。
これが恐らく実説で、翌年の正徳元年早々には、この事件を劇化した歌舞伎「けいせい九品浄土」が京都の都万太夫座で上演されている。
近松は、これらの材料を取り入れたうえ、独自の構想を加え、作品を構成したものと見られる。
★主な登場人物
◆亀屋忠兵衛=大阪の飛脚屋・亀屋の養子。なじみの遊女・梅川を身請けするため、金に困ったあげく、預かった公金の封印を切る犯罪を犯す。愚かな破滅型の若者だが、”男の一分”に命をかけた純情一途な男に仕立てられている。
◆遊女・梅川=大阪にあった新町遊廓の槌屋の格子女郎だが、利発で心やさしく、忠兵衛に純愛を捧げる女性。細かい心配りがドラマを盛り上げる。
◆勝木孫右衛門=忠兵衛の実父。親子の愛情をいっぱいに込めた理想的な老人。下の巻「新口村の場」の主役でもある。近松の作品には、ひんぱんにこのタイプの老人が登場する。
◆丹波屋八右衛門=忠兵衛の友達。侠気のある思いやりのある友人の一面と、忠兵衛の悪事をばらすあくどさも併せ持つ。やや特異な存在だが、敵役ではない。
★作品の梗概
[上の巻=飛脚屋亀屋の場]
大金を扱う飛脚屋亀屋に、為替の催促が舞い込むようになり、亀屋の後家で忠兵衛の養母の妙閑は心配する。養子の忠兵衛はなじみの遊女・梅川に入れ込んで新町通い。店に戻りかけるが敷居が高い。そこに友人の八右衛門がやってきて、届かぬ50両の為替を催促される。
忠兵衛は、梅川の身請けを引き止める手付け金に遣ったことを打ち明け、猶予を乞う。そこを妙閑に見つかって叱責されるので、八右衛門に鬢水(びんすい)入れを小判包みに見せかけて渡し、その場をとりつくろう。そのあと、お屋敷に届ける300両を懐に出かけるがー。
[中の巻=新町越後屋の場]
嫌な客を避けて梅川が越後屋に来ていると、八右衛門が来て、他の遊女たちに「忠兵衛が梅川にのぼせ上がって商売の為替金まで手につけているので、寄せつけぬようにした方がいい」と言い散らす。=下の絵は、にぎわう新町遊廓の図(小学館刊「新編日本古典文学全集・近松門左衛門集」から引用)
そして「さらし首のもとになる品みせようか」と忠兵衛が渡した鬢水入れを見せて、隠し事までばらす。これを表で聞いた忠兵衛が立腹して、八右衛門に詰め寄り「女郎衆の前といひ、身代を見立てられ、猶返さねば一分立たぬ」と思わず懐中の為替金300両の封印を切る「短気は損気の忠兵衛」。借りた50両を八右衛門に投げつけ、その勢いで残り金も梅川の身請けに使ってしまう。
封印切りは死刑の大罪。梅川は、事の次第を忠兵衛から打ち明けられてびっくり。2人は覚悟を決めて「なぜに命が惜しいぞ。2人死ぬれば本望」と新町を出る。
[下の巻=道行・忠兵衛梅川相合(あいあい)駕籠]
2人は「生きらるるだけ、この世で添はう」という刹那主義的な逃避行で、藤井寺から竹の内峠を越えて、忠兵衛の生まれ故郷・新口村まで逃げのびる。その道行の冒頭を、少し長いが引用する。
「翠帳紅閨(すいちょう こうけい)に、枕並べし閨(ねや)の内、馴れし衾(ふすま)の夜すがらも、四つ門の跡夢もなし、さるにても我が夫(つま)の 秋より先に必ずと、あだし情の世を頼み、人を頼みの綱切れて、夜半の中戸も引き替へて、人目の関にせかれ行く。
昨日のままの鬢(びん)つきや、髪の髷目(わげめ)のほつれたを、わげて進じよと櫛を取り、手さへ涙に凍(こご)ゑつき、冷えたる足を太股(ふともも)に、相合炬燵(あいあいごたつ)、相輿(あいごし)の、駕籠の息杖(いきづえ)生きてまだ、続く命が不思議ぞと、二人が涙、河堀(こぼれ)口」
「翠帳紅閨」(緑のとばりをかけた紅色の寝室のことで、遊女の寝室)などという難しい漢語が並ぶが、現代文になおすと
「私の寝床で、貴方と枕を並べて夜もすがら馴染んだことが、夢のように果ててしまった。我が夫(忠兵衛)が秋までに必ず請け出すと約束してくれたことを頼みにしていたが、その頼みの綱が切れて、人目をはばかって落ち延びて行く身となった。
髪のほつれを直してあげようと櫛をとっても、手さえ涙で凍りつく。相乗りする駕籠の中で、冷えた足をお互い組み合わせてコタツ代わりにしていると、駕籠かきの息継ぎが伝わり、まだ生きているのだと思うと、また涙がこぼれ出る」。
梅川のセリフであるが、文章は意外に分かりやすく、梅川と忠兵衛2人のいじらしい情感がふつふつと沸き上がる。
[新口村(にのくちむら)の場]
新口村に着いた2人は、詮議の厳しいことを知り、実家から少し離れた幼な友達の忠三郎の家に身を隠す。そこへ雨の中を父の孫右衛門が通りかかり、水たまりで滑って転倒し、鼻緒を切る。
思わず梅川が飛び出し、嫁の気持をいっぱい滲ませて、孫右衛門を親身に世話すると孫右衛門もそれとなく察し、泣きながらわが子を思う心情を切々と訴える。孫右衛門は忠兵衛に会わずに立ち去り、2人は裏道を逃げるが、まもなく捕えられ、浮名ばかりを難波に流した。
★鑑賞上の参考メモ
●題名の由来=上の巻最後の忠兵衛が300両の預り金を届ける途中、梅川の許に行こうか行くまいかと迷うくだり、「一度は思案、二度は不思案、三度飛脚、戻れば合わせて六道の、冥途の飛脚」(一度は思案したが、二度目は無分別を起こし、三度目は女のいる方角に引き返して、ついにあの世に行く身となった)から来ている。
また、近松の原文にはないが、この場面は文楽では俗に「羽織落し」と呼ばれている。忠兵衛が梅川の許に行こうか行くまいかと迷って、パラリと羽織を落す演技。その後の改作から取り入れられ、現在では歌舞伎・浄瑠璃とも「羽織落し」をしている。
●相い次いだ改作=この作品は、次々と書き変えられた。浄瑠璃の改作としては紀海音の「傾城三度笠」(正徳3年=1713)や菅専助、若竹笛躬共作の「けいせい恋飛脚」(安永2年=1773)がある。
また、これらの作を多少改めた歌舞伎「恋飛脚大和往来」が寛政8年(1796)に上演されて好評を博し、これが浄瑠璃に逆移入されて、「封印切り」と「新口村」はこれを台本にしている。
現在では「恋飛脚大和往来」の方が有名になり、この作品のイメージを記憶する人の方が多い。
●原作と改作の相違点=まず友人の八右衛門の存在。原作は忠兵衛の身も案じる友人だが、改作では忠兵衛と梅川を張り合うライバル同士に描かれ、典型的な敵役となっている。
また「新口村の場」は、原作では雨の中だが、「けいせい恋飛脚」で雪景色の中に変わる。以後、浄瑠璃・歌舞伎とももっぱら改作の台本で上演されている。
●新町遊廓=大坂ただ一つの江戸幕府公認の遊廓。江戸に寛永6年(1629)吉原が出現したのを受けて、寛永8年に神崎や北天満などの遊女屋を移転し、新しく開設した。広さは4町(約440b)四方で、周囲を堀と塀で囲い、中央に大門があって佐渡屋町・瓢箪町・越後町・吉原町の4筋からなっていた。
最も繁昌した元禄のころには50軒の遊女屋があり、遊女の数は2千とも千人ともいわれた。遊女には、太夫・天神・囲い・格子女郎の階級があり、梅川は最下級の格子女郎。端女郎とも局女郎ともいった。
[参考文献]
藤野義雄著「近松名作辞典」(桜楓社)
新編日本古典文学全集「近松門左衛門集@」(小学館)
鑑賞日本古典文学・大久保忠国編「近松」(角川書店)ほか。