資 料 編



近松門左衛門略年譜T




(誕生から元禄16年まで)

承応2年(1653)  1歳

 越前(福井県)藩士・杉森市左衛門信義と藩医岡本為竹の娘・喜里との間に、次男として福井で誕生。幼名は次郎吉。元服後は信盛。通称平馬。父は、越前藩主・松平忠昌に仕えて300石の禄をはみ、忠昌死後は三男の吉品(よしのり)に仕える。
 [参考] 近松に関係の深い人物の当時の年齢は次の通り。
     宇治嘉太夫19歳・竹本義太夫3歳・坂田藤十郎7歳


明暦元年(1655)  3歳

 松平吉品の転封にしたがい、父とともに越前藩の支藩の越前吉江(福井県鯖江市)に移り住む。少なくとも12歳までは鯖江にいたという。


寛文4〜7年(1664〜67)  12〜15歳

 そのころ理由は不明だが、父が浪人になって、一家をあげて京都に移り住む。上京後まもなく、公家の一条禅閤恵観に奉公するか。 


寛文11年(1671)  19歳

 俳人・山岡元隣の俳諧文集「宝蔵」に、信盛の名で「しら雲や花なき山の恥かくし」の句を父らとともに載せる。


寛文12年(1672)  20歳

 仕えていた一条恵観が、68歳で死去。主人の死を機に近松寺に入ったとすれば、そのころであるが真偽不明。その後、公家の諸家を転々として、浄瑠璃語りの宇治嘉太夫を知るか。
   [参考] 俳諧の師・山岡元隣没。42歳。


延宝3年(1675)  23歳

 宇治嘉太夫、京都の四条河原に芝居小屋「宇治座」の櫓を上げる。嘉太夫の許に出入りするか。


延宝5年(1677)  25歳

 宇治嘉太夫、受領して「加賀掾宇治好澄」と称す。近松、加賀掾の指導で浄瑠璃の作者見習いを始めるか。このころの近松推定作に「殿上のうはなり討」。


延宝8年(1680)  28歳

 宇治加賀掾のために浄瑠璃の作品を次々に書いたと見られ、「赤染衛門栄花物語」「牛若千人切」「他力本願記」などの存疑作がある。


天和3年(1683)  31歳

 近松が書いた最初の確実な作品「世継曽我」を宇治座で上演。道行の「さりとても 恋はくせもの」が流行語になる。
 [浄瑠璃・上演作品] 9月「世継曽我」(宇治座)


貞享元年(1684)  32歳

 竹本義太夫が大阪・道頓堀に「竹本座」を旗揚げ。「世継曽我」を改訂上演する。
 [浄瑠璃・上演作品]  3月「以呂波物語」(宇治座)=存疑作。


貞享2年(1685)  33歳

 正月、宇治加賀掾、大阪に下り道頓堀で「竹本座」に対抗して興行する出来事あり。近松、竹本義太夫のために初めて「出世景清」を書き上演。画期的な作品として、浄瑠璃の新しい時代を開く。
 [浄瑠璃・上演作品] 二の替り「出世景清」(竹本座)


貞享3年(1686)  34歳

 7月上演の「佐々木大鑑」(内題は「佐々木先陣」)の正本に、初めて「作者・近松門左衛門」と署名する。道行が好評で、義太夫節が流行する。
 [浄瑠璃・上演作品]
 5月「(遊君)三世相」(竹本座)   〇7月「佐々木大鑑」(同)   〇10月、「薩摩守忠度」(同)   〇「主馬判官盛久」(同)   〇「千載集」(宇治座)


貞享4年(1687)  35歳

 父・杉森信義が4月22日に死去。67歳。京都・本圀寺に葬る。
 [浄瑠璃・上演作品]  1月「今川了俊」(竹本座)


元禄2年(1689)  37歳

 [浄瑠璃・上演作品]  5月「津戸三郎」(竹本座)
元禄3年(1690)  38歳

 [浄瑠璃・上演作品]  1月「烏帽子折」(竹本座)
元禄4年(1691)  39歳

 [浄瑠璃・上演作品]  「大覚大僧正御伝記」(竹本座)
 [参考] 竹田出雲生まれる。


元禄5年(1692)  40歳

 [浄瑠璃・上演作品]
 3月以前「天智天皇」(竹本座)   〇「本朝用文章」(同)   〇「悦賀楽平太」(同)=存疑作


元禄6年(1693)  41歳

 近松の最初の歌舞伎狂言「仏母摩耶山開帳」を京都・都万太夫座で上演。主演は坂田藤十郎。以後、創作活動は歌舞伎中心になる。
 [浄瑠璃・上演作品]
 1月以前「融大臣」(竹本座)=存疑作   〇2月以前「蝉丸」(同)
 [歌舞伎・上演作品]  3月「仏母摩耶山開帳」(都万太夫座)
 [参考] 井原西鶴没。52歳。


元禄7年(1694)  42歳

 [浄瑠璃・上演作品]
 7月以前「大磯虎稚物語」(竹本座)   〇「文武五人男」(同)=存疑作
 [参考] 松尾芭蕉没。51歳。


元禄8年(1695)  43歳

 坂田藤十郎、都万太夫座の座本になり、近松、座付き作者となる。
 [歌舞伎・上演作品]
 1月「今源氏六十帖」(早雲座)   〇3月「傾城阿波の鳴門」(同)   〇盆 「曽我太夫染」(同)   〇9〜10月「水木辰之助餞振舞」(同)   〇11月「姫蔵大黒柱」(都万太夫座)


元禄10年(1697) 45歳

 [浄瑠璃・上演作品]
 盆「曽我七以呂波」(宇治座)   〇7月以前「吉野忠信」(竹本座)   〇このころ「猫魔達」(宇治座)=存疑作。
 [歌舞伎・上演作品]
 5月「卯月九日・其暁の明星が茶屋」(都万太夫座)   〇三の替り「百夜小町」(同)   〇盆「大名なぐさみ曽我」(同)


元禄11年(1698)  46歳

 [浄瑠璃・上演作品]  1月以前「十二段」(竹本座) 
 [歌舞伎・上演作品]  1月「上京の謡始」(都万太夫座)   〇二の替り「けいせい江戸桜」(同)   〇三の替り「一心二河白道」(同)


元禄12年(1699)  47歳

 [浄瑠璃・上演作品] 
 3月ごろ「最明寺殿百人上臈」(宇治座)   〇5月まで「日本西王母」(竹本座)   〇「曽我五人兄弟」(竹本座)   〇「丹州千年狐」(宇治座)
 [歌舞伎・上演作品]
 1月「けいせい仏の原」(都万太夫座)   〇三の替り「竜女ケ渕」(「仏の原」後日=同)   〇7月「敦賀の津三階蔵」(「仏の原」三の後日=同)   〇10月「阿弥陀が池新寺町」(同)   〇11月「福寿海」(同)


元禄13年(1700)  48歳

 近松の歌舞伎狂言が非常に順調で、役者評判記「姿記評林」に「花に酔へりその近松の門の海老」と評される。
 [浄瑠璃・上演作品]
 「団扇曽我」(宇治座)   〇「百日曽我」(「曽我五人兄弟」後日=竹本座)
 [歌舞伎・上演作品]  二の替り「けいせい弘誓船」(都万太夫座)


元禄14年(1701)  49歳

 竹本義太夫、受領して「筑後掾藤原博教」と称す。
 [浄瑠璃・上演作品]  秋「天 鼓」(「丹州千年狐」を改題=竹本座)
 [歌舞伎・上演作品]
   1月「御曹司初寅詣」(都万太夫座)   〇二の替り「傾城富士見る里」(同)   〇11月「新小町栄花町」(共作=同) 


元禄15年(1702)  50歳

 近松、秋に興行の歌舞伎「壬生秋の念仏」を最後に、坂田藤十郎と提携を打ち切る。
 [歌舞伎・上演作品]
 二の替り「傾城壬生大念仏」(都万太夫座)   〇三の替り「女郎来迎柱」(「壬生大念仏」の後日=同)   〇秋「壬生秋の念仏」
 [参考] 12月、赤穂浪士の討ち入り。


元禄16年(1703)  51歳

 歌舞伎界から浄瑠璃界に逆戻りし、4月に大阪・曽根崎で起こったお初・徳兵衛の心中事件を題材に、初の世話浄瑠璃「曽根崎心中」を書いて、1ヶ月後の5月に竹本座で上演。大当たりする。
 [浄瑠璃・上演作品]  5月「曽根崎心中」(竹本座)
 [歌舞伎・上演作品]
 二の替り「傾城三の車」(早雲座)   〇5月以降「唐崎八景屏風」(同)
 [参考] 竹本筑後掾の弟子、竹本釆女が豊竹若太夫と改名して、道頓堀に「豊竹座」の櫓を上げる。


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